鹿兒島縣史 第一巻

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鹿児島県史第一巻
鹿児島県史第一巻

鹿兒島縣史 第一巻

凡例

一 本巻は序説より第五編分國時代までを収め、主として現縣下の地域を中心とすと雖も、直接關係ある地域、殊に日向國諸縣郡に觸れたる所尠しとせず。

一 本巻の資料は諸社寺諸家所藏の文書は多く各所藏者名を冠したり。 而して所據の記録の中舊記雑録は通常薩藩舊記として行はるゝも、今袖ヶ崎島津公爵家所藏の原本の名稱に從ひ、又東京帝國大學史料編纂所備付本に據れるものは多くその名稱等を襲用せり。

一 本文の所説の中、特に参考に資すべき説明は更に之を補説と題して六號活字を以て掲げ、また出典の注は之れを一括して各章節の末尾に列記せり。

一 本巻の編纂に就いては、縣内外の諸社寺及び諸家がその所藏の文書記録の謄寫撮影を許諾し便宜を與へられたるに對してこゝに謝意を表す。

一 本巻の扉の題字は監修の筆にかゝる

昭和十四年三月

鹿兒島縣史 第一巻

目次

序説

第一章 地理概説
第二章 時代の推移

第一編 神代

第一章 天孫の御降臨
第二章 三代の御經論

第二編 國造時代

第一章 熊襲の服屬
第二章 隼人と肥人
第三章 遺蹟遺物上よりの考察
第四章 國造縣主の設置と諸豪族

第三編 国司時代

第一章 大化改新と二國一島の設置
第二章 南島經營と多褹國廢止
第三章 隼人の反亂と京畿に於ける隼人
第四章 國司の職制と民政一班
第五章 郡郷の沿革
第六章 騷路と海上交通
第七章 社寺と社寺領の發達
第八章 島津庄の起源とその發達
第九章 在廰官人と郡司の擡頭

第四編 守護時代

第一章 薩隅兩國の守護
第二章 庄園の推移
第三章 元寇と薩隅兩國の將士
第四章 皇家中興と薩隅兩國の情勢
第五章 室町幕府時代の薩隅
第六章 海外との通交

第五編 分國時代

第一章 島津氏の三州統一
第二章 島津氏の九州制覇
第三章 豊臣時代の薩隅
第一節 秀吉の九州經路
第二節 文禄役と島津氏
第三節 文禄の檢地
第四節 慶長役と島津氏
第五節 關ヶ原役と島津氏
第四章 文教の興起と制度の更新
第一節 禪宗の興隆と宋學の布唱
第二節 日新齋の教化と武将の學藝
第三節 諸制度の發達
圖版目次
霧島神宮
可愛山陵
鹿兒島神宮
高屋山上陵
吾平山上陵
揖宿郡指宿出土繩文式土器 囎唹郡大崎村出土彌生式土器 京都市 京都帝國大學所藏
囎唹郡大崎村横瀬古墳 肝屬川沿岸古墳分布圖
延喜式民部兵部 公爵 九條 道秀氏所藏
右近衛府牒(安元元年) 加治木町 桑幡 元長氏所藏
源頼朝袖判下文(元暦二年) 源頼朝袖判下文(元暦二年) 公爵 島津 忠重氏所藏
島津忠久畫像 公爵 島津 忠重氏所藏
伊作庄日置北郷中分繪図(正中元年) 公爵 島津忠重氏所蔵
正八幡宮神官所司等解状(建保二年) 伯爵 小松從志氏所蔵
後醍醐天皇綸旨(元弘三年) 川内町 新田神社所蔵
後醍醐天皇綸旨(元弘三年) 公爵 島津忠重氏所蔵
後村上天皇綸旨(正平十九年) 公爵 島津忠重氏所蔵
征西大将軍宮令旨(文中元年) 入來村 入來院重賢氏所蔵
征西大将軍宮令旨(天授三年) 公爵 島津忠重氏所蔵
今川了俊自筆書状 東京市 東洋文庫所蔵
足利義教自筆内書(嘉吉元年) 公爵 島津忠重氏
明福建地方巡撫許孚遠回文 公爵 島津忠重氏所蔵
朝鮮國禮曹佐郎黄致敬回文 公爵 島津忠重氏所蔵
琉球國世主書状 公爵 島津忠重氏所蔵
琉球國中山王書状 男爵 種子島時望氏所蔵
島津義久琉球渡航免許朱印状(天正十二年) 鹿兒島市 島原 サダ氏所蔵
島津忠良木像 加世田町 武田神社所蔵
島津貴久畫像 公爵 島津忠重氏所蔵
島津義弘畫像 公爵 島津忠重氏所蔵
新納忠元畫像 名古屋市 新納嘉夫氏所蔵
朝鮮役古圖 鹿兒島市 縣立圖書館所蔵
島津義弘等連署全羅道海南定榜文(慶長二年) 公爵 島津忠重氏所蔵
朝鮮陣戦没者供養碑 和歌山縣 高野山金剛峰寺
文明版聚分韻略 東京市 帝國圖書館所蔵
延徳版大學 大阪市 懐 德 堂 所蔵
僧桂庵玄樹畫像 伊敷村 上野熊次郎氏所蔵
僧文之玄昌木像 鹿兒島市 南洲寺所蔵
高城秋月筆蘆雁圖 東京市 渡邊善十郎氏所蔵
挿圖目次
第一圖 鹿兒島縣出土彌生式土器 五五   第十四圖 伴信房解状 二五九
第二圖 横瀬古墳出土埴輪 六二   第十五圖 鎮西談議所奉行連署裁許状 二六四
第三圖 古代地名 六九   第十六圖 島津忠久袖判安堵状 三二七
第四圖 和氣清麿流鏑傳説地 一五三   第十七圖 斑目行蓮讓状 三三五
第五圖 驛路圖 一七五   第十八圖 藏人所下文 三六一
第六圖 國寶松梅蒔繪櫛宮 一八五   第十九圖 大隅守護名越時章下知状 三九七
第七圖 新田八幡宮印 一九九   第二十圖 佐多定親譲状 三九九
第八圖 種子島出土古鏡 二〇七   第二十一圖 鎌倉幕府下知状 四〇八
第九圖 薩摩國分寺礎石 二〇八   第二十二圖 比志島時範軍忠状 四一二
第十圖 大隅國分寺石造層塔 二〇九   第二十三圖 島津忠宗施行状 四一三
第十一圖 薩摩大隅國寺瓦 二一〇   第二十四圖 大隅守護千葉宗胤覆勘状 四一五
第十二圖 隼人塚 二一〇   第二十五圖 蒙古合戰勲功賞配分状 四二六
第一三圖 百疋村瓣濟使補任状 二二三   第二十六圖 和泉杉道悟軍忠状 四四三
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第二十七圖 三條泰季宛行状 四四八   第四十二圖 フランシスコ・ザビエル肖像 六四四
第二十八圖 僧玉山玄提畫像 四五四   第四十三圖 春成久正墓 六八二
第二十九圖 谷山御所阯遠景 四六一   第四十四圖 日新菩薩記巻尾 六九四
第三十圖 三條泰季寄進状 四七五   第四十五圖 島津貴久書状 六九七
第三十一圖 島津貞久書状 四七五   第四十六圖 新納忠元外四人連署起請文 七〇二
第三十二圖 肝付兼重墓 四七六   第四十七圖 島津義久願文 七一五
第三十三圖 島津師久軍勢催促状 四九四   第四十八圖 耳川合戰供養塔 七一六
第三十四圖 菊池武光禁制 四九九   第四十九圖 新納忠元起請文 七二七
第三十五圖 僧石屋眞梁畫像 五三九   第五十圖 佛狼機砲 七三一
第三十六圖 細川政元書状 五八〇   第五十一圖 九鬼嘉隆等禁制札 七三七
第三十七圖 右衛門尉行頼書状 六〇二   第五十二圖 本田正親等廿一人連署起請文 七四四
第三十八圖 琉球三司官書状 六一七   第五十三圖 近衛藤 七五九
第三十九圖 僧龍雲畫像 六二〇   第五十四圖 石田三成署判文禄檢地定尺 七六七
第四十圖 澁川道鎭書状 六三一   第五十五圖 豐臣秀吉安堵朱印状 七六八
第四十一圖 初傳の種子島鐡砲 六三八   第五十六圖 島津忠恒過書 七七九

第五十七圖 豐臣秀吉感状 八八〇   第六十二圖 僧文之玄昌筆蹟 八一七
第五十八圖 古薩摩焼 七八六   第六十三圖 島津日新齋訓誡状 八二八
第五十九圖 島津義弘關ヶ原役感状 七九七   第六十四圖 六地蔵塔 八二九
第六十圖 僧桂菴玄樹墓 八一〇   第六十五圖 島津家久古今傳授起請文 八四一
第六十一圖 九華宛島津貴久書状 八一五   第六十六圖 近衛稙家書状 八四八

昭和十四年四月十五日印刷
昭和十四年四月二十五日發行
著作兼發行者       鹿兒島縣
東京市京橋區築地一丁目十四番地
印刷者    川橋 源三郎
東京市京橋區築地一丁目十四番地
印刷所 仁川堂 川橋印刷所

この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。