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- 皇軍を統べ、船舶をあつめ、兵を練りたまふた。いよいよ御出征に際しては、全軍に令して軍紀をおごそかにしたまふた。 皇軍は和珥津(わにつ)から船出した。順風、船をやり、忽ちにして新羅に着いた。 新羅王は皇軍の威風に屈して降り、貢を納めることを誓つた。 高麗、百濟の兩國も皇軍をおそれ相ついで來り服した。…5キロバイト (1,143 語) - 2019年2月26日 (火) 14:43
- 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌) [校異]なし [事項]雑歌 作者:山上憶良 志賀白水郎 荒雄…107キロバイト (23,982 語) - 2023年9月5日 (火) 15:43
- [訓異]たびのやどりを,[寛]たひのやとりを, いざつげやらな,[寛]いさつけやらむ, [歌番号]15/3644 [題詞]佐婆海中忽遭逆風漲浪漂流經宿而後幸得順風到著豊前國下毛郡分間浦 於是追怛艱難悽惆作八首 [原文]於保伎美能 美許等可之故美 於保<夫>祢能 由伎能麻尓末<尓> 夜杼里須流可母…172キロバイト (36,930 語) - 2023年9月27日 (水) 02:47
- 一ニ云ク、旅の宿りをいざ告げやらな。 佐婆(さば)の海にて、忽ち逆風(あらきかぜ)漲浪(たかきなみ)に遭ひて、漂流(ただよひ)宿(ひとよ)経て、のち順風(おひて)を得、豊前国(とよくにのみちのくち)下毛郡(しもつみけのこほり)分間(わくま)の浦に到着(つ)きぬ。ここに艱難(いたづき)を追ひ怛(いた)みて、よめる歌八首…37キロバイト (6,977 語) - 2019年4月2日 (火) 14:40
- 異爰於テ為朝大里按司ノ妹ニ通シテ男子誕生有リ尊敦トソ名付ケルサレバ越鳥南枝ニ巢クセ胡馬北風ニイハフト云事有レ為朝公故鄕ヲ慕心ヤ出来ニケン妻子ヲ具シテ順風ニ帆ヲ上一里計モ走リケルカ俄ニ北ノ方ヨリ黒雲立覆トソ見ヘシ風アラク浪ウツマキ吹返シテケレバ後日又吉日ヲ擇ヒ纜ヲ解テ萬里ノ雲ニ帆ヲ飛ス今二三里モ走リタ…24キロバイト (5,984 語) - 2023年9月4日 (月) 23:26
- 古布衣之俠,靡得而聞已。近世延陵、孟嘗、春申、平原、信陵之徒,皆因王者親屬,藉於有土卿相之富厚,招天下賢者,顯名諸侯,不可謂不賢者矣。比如順風而呼,聲非加疾,其埶激也。至如閭巷之俠,脩行砥名,聲施於天下,莫不稱賢,是為難耳。然儒、墨皆排擯不載。自秦以前,匹夫之俠,湮滅不見,余甚恨之。以余所…8キロバイト (1,823 語) - 2023年9月4日 (月) 17:16
- 湛誉・湯浅入道定仏・山本判官・東四郎・西四郎以下の熊野人共、馬・物具・弓矢・太刀・長刀・兵粮等に至るまで、我不劣と奉りける間、行路の資け卓散也。角て順風に成にければ、熊野人共兵船三百余艘調へ立、淡路の武島へ送奉る。此には安間・志知・小笠原の一族共、元来宮方にて城を構て居たりしかば、様々の酒肴・引出物…37キロバイト (9,173 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
- 廿八日。船をいだし侍るに。右のかたにあたりてたかし山なりといふをみれば。山としもなき岡のはるかに見わたされて。 昔よりそのなはかりやたかし山いつくを麓峯としもなし 漸順風になりていよ〳〵やほなどいふをかけそへて。ふねのはしりければ。 今こそといるかことくに梓弓やほかけそへて舟も出けり…424バイト (2,686 語) - 2023年6月24日 (土) 06:55
- といふ邦ハいかなる國に候哉乙の人答けるハイキリスとまうす州ハ和蘭陀の北にあたり候島に候和蘭陀の王都アムステルタムと申所より海上凡百十八里はかりに隔つ順風の時ハ一日一夜くらゐにも船通用いたす所にて國の大さハ日本程も是あるよしにて候へとも寒國ゆゑか人の數ハ日本よりハ寡く總括して人口一千七百七十萬六千人と…1キロバイト (4,224 語) - 2022年5月2日 (月) 09:11
- 田川の錦を海に流し入たるか如し、実心も空になり、古郷の事も忘れつゝ、扨もと思ふ計也、欵乃歌〈[#底本ルビ読取困難]〉、棹歌の声、多の船中を慰めしに、順風いと心よけに吹出、翌朝壱岐のかざ本の湊にそ着にける、とかふせしまに風かはり、滞留せしほとに、旬余いかりをもおこさゞりしか、卯月廿五日の暁かた、風少ふ…75バイト (10,391 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
- セルバダック大尉の予想通り、小島からは煙が上がっていない。しかし、この強烈な寒さの中では、何の幻想も抱く必要はない。それは間違いなく、ユーユー号が順風満帆に向かって走っている墓であった。 10分後、到着の約1キロ前、プロコペ中尉は自分のブリガンチンにしがみついていた。ユーユー号の勢いで岩まで運ばれるはずだからだ。…22キロバイト (4,074 語) - 2021年12月15日 (水) 23:10
- 。或時は鶏唱抹過茅店月、或時は馬蹄踏破板橋霜、行路に日を窮めければ、都を御出有て、十三日と申に、出雲の見尾の湊に着せ給ふ。爰にて御船を艤して、渡海の順風をぞ待れける。 30 備後三郎高徳事付呉越軍事 其比備前国に、児嶋備後三郎高徳と云者あり。主上笠置に御座有し時、御方に参じて揚義兵しが、事未成先に、…47キロバイト (11,720 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
- 敷何事も不如意なれは、隠岐国へをし渡り、判官を頼み、武具等を拵へ見ん、若同心にあらすはしはらく在国し、万事調上らんとの事に極め、船に取乗をし出せは、順風快く吹て、其日の戌之刻に着岸し、此由かくと案内し侍れは、判官も嬉しき事にもてなし、其気味尤清し、然て勝久より斯申入事痛おほしけれ共、黄金拾枚八木千石…75バイト (8,089 語) - 2024年3月25日 (月) 14:34
- 。先に屋形の内に置進せつる上臈を、陸へ上進せん。」と喚りけれども、「耳にな聞入そ。」とて、順風に帆を上たれば、船は次第に隔りぬ。又手繰する海士の小船に打乗て、自櫓を推つゝ、何共して御舟に追著んとしけれ共、順風を得たる大船に、押手の小舟非可追付。遥の沖に向て、挙扇招きけるを、松浦が舟にどつと笑声を聞…75キロバイト (18,383 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
- 上洛を急ぐべし。但九州を混ら打捨ては叶まじ。」とて、仁木四郎次郎義長を大将として、大友・小弐両人を留置き、四月二十六日に太宰府を打立て、同二十八日に順風に纜解て、五月一日安芸の厳嶋へ舟を寄られて、三日参篭し給ふ。其結願の日、三宝院の僧正賢俊京より下て、持明院殿より被成ける院宣をぞ奉ける。将軍是を拝覧…76キロバイト (18,469 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
- を射して海を渡る。すなはち天(そら)暗冥(くらが)り、暴風(よこしまかぜ)雨に 交じり、竟に順風(おひて)無くして、海中(うみ)に沈没(しづ)みき。因斯(かれ)妻(め) 子(こ)等、特慕(しぬ)ひかねて此の謌を裁作(よ)めり。或ひは、筑前…42キロバイト (7,817 語) - 2019年4月2日 (火) 14:40
- 道範阿闍梨 仁治三年〈壬寅〉七月十三日。本寺訴詔經㆓年月㆒而不㆑達。末院凶惡。忘㆓本末㆒而興盛之間。本寺衆徒企㆓發向㆒欲㆑治㆓‐罸彼凶黨㆒之處。天火自然出。順風欵爾起。一院須臾成㆓灰燼㆒了。同月末。公家被㆑召㆓當寺撿校㆒。八月始企㆓上洛㆒。卽被㆑召㆓其惡行張本㆒之旨。注㆓‐進彼骨張十人交名㆒了。此十人付㆓長…389バイト (4,005 語) - 2024年7月4日 (木) 12:27
- 児を肩に乗せ背に負て、程なく湊にぞ行着ける。夜明て便船やあると尋けるに、折節湊の内に舟一艘も無りけり。如何せんと求る処に、遥の澳に乗うかべたる大船、順風に成ぬと見て檣を立篷をまく。山臥手を上て、「其船是へ寄てたび給へ、便船申さん。」と呼りけれ共、曾て耳にも聞入ず、舟人声を帆に上て湊の外に漕出す。山臥…55キロバイト (13,410 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
- 大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、翌年九月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、一年余りで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。もう二度と政治的に立ち上がれないのではないかと思い詰めた日々が続いたことでしょう。…19キロバイト (3,442 語) - 2023年4月1日 (土) 03:20
- 出船いたすべきと催し候所へ、増田右衛門尉御使として下向し、種々の御音信おびたゝしき事共なり、唐使立帰り忝旨御礼申上侍らんと云しを、増田固辞しけれは、順風に帆を挙、慶長元年壬辰九月十一日帰国してけり、 ○土佐国寄船之事 土州長曽我部居城、ちようかの森、かつら浜、うら戸の湊より、十八里澳に夥しき…75バイト (10,950 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33