コンテンツにスキップ

万葉集 (鹿持雅澄訓訂)/巻第十六

提供:Wikisource

巻第十六とをまりむまきにあたるまき


有由縁よしあるうた、また雑歌くさぐさのうた


娘子をとめ有りけり。をば櫻兒さくらのこと曰ふ。時にふたり壮子をとこ有りて、共に此のをとめふ。いのちてて格競あらそひ、死を貪りて相敵いどみたりき。ここに娘子、なげきけらく、「いにしへよりこの方、ひとりをみなの身、ふたりをとこのいへ往適くといふことを聞かず。方今いま、壮子のこころ和平にきび難し。あれみまかりて相害あらそふことひたぶるめなむには如かじ」といひて、すなはち林に尋入りて、樹にがりわたき死にき。ふたりの壮子、哀慟血泣かなしみへず、おのもおのも心緒おもひを陳べてよめる歌二首ふたつ

3786 春さらば挿頭かざしにせむとひし桜の花は散りにけるかも

3787 妹が名に懸かせる桜花咲かば常にや恋ひむいや年のはに


或ひとの曰く、昔みたりをとこ有りて、ともひとりをみなつまどひき。娘子をとめ をば縵兒かづらのこと曰ふ 嘆息なげきけらく、「ひとりの女の身、易きこと露の如し。みたりをとここころにきび難きこといはの如し」。すなはち池のほとり彷徨たちもとほり、水底に沈没しづみき。時に壮士をとこ等、哀頽之至かなしみへず、おのもおのも所心おもひを陳べてよめる歌三首みつ

3788 耳成みみなしの池し恨めし我妹子わぎもこが来つつかづかば水は涸れなむ

3789 あしひきの山縵の子今日行くと我にりせば早くましを

3790 あしひきの山縵の子今日のごといづれのくまを見つつ来にけむ


昔老翁おきな有り、竹取たかとりをぢといふ。此の翁、季春之月やよひばかりに、丘に登りて遠望くにみするとき、あつものを煮る九箇ここの女子をとめへりき。ももこびたぐひ無く、花のすがたならび無し。時に娘子等、老翁をぢを呼び、嗤ひて「叔父来て此の鍋火を吹け」と曰ふ。ここに翁、「唯々をを」と曰ひて、ややゆきて、しきゐほとり著接きたりき。しまらくありて娘子等、皆共に含咲したゑみ、相推し譲りけらく、「たれそ此の翁を呼びし」。すなはち竹取の翁のいふ、「非慮おもひの外に神仙ひじり偶逢ひ、迷惑まどへる心へがたし。近く狎れし罪、謌をもちあがなひまをさむ」。即ちめる歌一首ひとつ、また短歌みじかうた

3791 緑子の 若子わくご髪には たらちし 母にうだかえ

   すきかくる 這ふ子が身には 木綿肩衣 純裏ひつらに縫ひ着

   くびつきの わらはが身には 結ひはたの 袖つけ衣 着し我を

   に寄る子らが 同輩よちには みなわた か黒し髪を

   真櫛持ち 肩にかき垂れ 取りたがね 上げてもきみ

   解き乱し 童に成しみ 紅の 丹つかふ色に

   馴付なつかしき 紫の 大綾の衣

   住吉すみのえの 遠里をりの小野の 真はりもち にほしし衣に

   高麗こま錦 紐に縫ひつけ ささへ重なへ なみ重ね着

   打麻うつそやし 麻続をみの子ら あり衣の 宝の子らが

   打栲うつたへ 延へて織る布 日さらしの 麻手作りを

   重裳しきもなす しきに取り敷き ほころへる 稲置娘子いなきをとめ

   妻問ふと にそたばりし 彼方うきかたの 二綾下沓ふたやしたくつ

   飛ぶ鳥の 飛鳥壮士をとこが 長雨ながめ忌み 縫ひし黒沓くりくつ

   さし履きて 庭に立ち 往きもとほれば 母刀自おもとじの らす娘子が

   ほの聞きて にそ賜りし 水縹みはなだの 絹の帯を

   引帯ひこびなす 韓帯かろびに取らし わたつみの 殿の甍に

   飛び翔ける すがるの如き 腰細に 取り飾らひ

   真澄鏡 取り並め懸けて おのが顔 還らひ見つつ

   春さりて 野辺をめぐれば 面白み あれを思へか

   さ野つ鳥 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば

   なつかしと あれを思へか 天雲も い行き棚引き

   還り立ち おほちれば うち日さす 宮女みやをみな

   刺竹さすだけの 舎人壮士も 忍ふらひ 還らひ見つつ

   誰が子そとや 思はれてある かくそしこし

   古の ささきしあれや はしきやし 今日やも子らに

   いさにとや 思はれてある かくそしこし

   古の 賢しき人も 後の世の かがみにせむと

   老人おいひとを 送りし車 持ち帰り

反し歌二首

3792 死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪しろかみ子らに生ひざらめやも

3793 白髪し子らも生ひなばかくのごと若けむ子らにらえかねめや

娘子らこたふる歌九首ここのつ

3794 はしきやし老夫おきなの歌におほほしきここのの子らやかまけて居らむ

3795 恥を忍ひ恥をもだりて事もなく物言はぬさきにあれは寄りなむ

3796 いなりのまにまに許すべきかたちは見えやあれも寄りなむ

3797 死にも生きも同じ心と結びてし友やたがはむあれも寄りなむ

3798 何すとか違ひは居らむ否も諾も友の並々あれも寄りなむ

3799 あにもあらぬおのが身のから人の子の言も尽くさじあれも寄りなむ

3800 旗すすき穂には出でじとしぬひたる心は知れつあれも寄りなむ

3801 住吉の岸の野榛ぬはりにほへれどにほはぬあれにほひて居らむ

3802 春の野の下草靡きあれも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに


壮士をとこ美女をとめと有りき 姓名不詳。二親ちちははしらせずて、しぬ交接ひたりき。時に娘子のこころに、親に知らせまくおもひて、歌詠みて、其のに送れるその歌

3803 こもりのみ恋ふれば苦し山の端ゆ出で来る月の顕さば如何に

     右、或ヒトノ云ク、男答ヘ歌有リトイヘリ。未ダ探リ求ムルコトヲ得ズ。


壮士をとこ有りけり。新たに婚礼よばひして、幾時いくだもあらぬに、忽ちに駅使はゆまつかひと為りて、遠き境に遣はさる。公事おほやけごと限り有り。会ふとき日無し。ここに娘子、感慟悽愴かなしみて、疾病やまひ沈臥こやれりき。年累て後、壮士還り来て、かへりことまをへて、乃ちき相視るに、娘子の姿容かほ疲羸甚異いたくみつれて、言語こととひ哽咽むせびき。時に壮士、哀嘆流涙かなしみて、裁歌口号うたよみせる、其の歌一首

3804 かくのみにありけるものを猪名川のおきを深めてへりける

娘子臥しながらの君の歌を聞きて、枕より頭を挙げて声に和ふる歌一首

3805 ぬば玉の黒髪濡れて沫雪あわゆきの降るにや来ますここだ恋ふれば

     今按フニ、此ノ歌、其ノ夫使ハサレテ、既ニ累載ヲ経、

     還ル時ニ当テ、雪落ル冬ナリキ。斯ニ因テ娘子此ノ沫雪

     ノ句ヲ作メルカ。


娘子がに贈れる歌一首

3806 事しあらば小泊瀬山の石城いしきにもこもらば共にな思ひ我が背

     右伝云いひつてけらく、むかし女子をみな有りけり。父母に知らせずて

     壮士をとこしぬひたりき。壮士その親の呵嘖ころびをかしこみ

     て、やや猶予いざよふこころ有り。此に因りて娘子斯の歌を裁作

     みて、其の夫に贈与おくれりといへり。


さき采女うねべが詠める歌一首

3807 安積山あさかやま影さへ見ゆる山の井の浅き心をはなくに

     右の歌は伝云いひつてけらく、葛城王、陸奥みちのくの国に

     遣はさえし時、国司くにのみこともちあへしらふこと緩怠おろそか

     なりければ、おほきみこころに悦びず、怒色顕面おもほでり

     まして、飲饌みあへけしかども宴楽うたげをもしたま

     はざりき。ここにさきの采女風流みさを娘子有りて、左の

     手にさかづきを捧げ、右の手に水を持ち、王のみひざ

     撃ちて、此の歌を詠みき。ここに王のこころ解脱なごみて、

     終日ひねもす楽飲うたげあそびきといへり。


いやしき人のよめる歌一首

3808 住吉の小集楽をづめに出でて正目まさめにもおの妻すらを鏡と見つも

     右伝云いひつてけらく、昔鄙しき人あり 姓名未詳也 。

     時に郷里さと男女をとこをみな衆集つどひて野の遊びせり

     き。是の会集つどひうちに、鄙しき人夫婦めを有り。

     其の容姿かほ端正きらきらしきこと衆諸もろひとに秀れたり。

     すなはち彼の鄙人をとここころうつくしむのこころ

     いや増さりて、斯の歌をよみて美貌きらきらしき讃嘆

     めたりき。


娘子が恨みよみて献れる歌一首

3809 あき返しらせとの御法みのりあらばこそが下衣返したばらめ

     右伝云いひつてけらく、むかしうるはしみせらえし娘子有り 姓名未詳 。

     寵薄こころうつろへる後、寄物かたみを還し賜りき 俗ニかたみト云フ 。こ

     こに娘子、怨恨うらみて聊か斯の歌をよみて献上たてまつりき。


娘子が恨みてよめる歌一首

3810 味飯うまいひを水に醸み成しが待ちしかひはかつて無しただにしあらねば

     右伝云いひつてけらく、昔娘子有り。其の相別わかれ、

     年を経て恋ひわたりき。さる間に夫の君、更に

     他妻あだしつまて、正身みづからは来ずて、ただつとおこ

     りき。此に因り娘子をとめ、此の恨みの歌を作みて、

     還しおくれりき。


娘子が夫の君を恋ふる歌一首、また短歌

3811 さ丹づらふ 君が御言と 玉づさの 使も来ねば

   思ひ病む が身ひとつそ ちはやぶる 神にもな負ほせ

   卜部うらべせ 亀もな焼きそ こほしくに 痛きが身そ

   いちしろく 身に染みとほり むら肝の 心砕けて

   死なむ命 にはかになりぬ 今更に 君かを呼ぶ

   たらちねの 母の御言か もも足らず 八十やそちまた

   夕占ゆふけにも うらにもそ問ふ 死ぬべきがゆゑ

反し歌

3812 卜部をも八十の衢も占問へど君を相見むたどき知らずも

     或ル本ノ反シ歌ニ曰ク、

 3813 が命は惜しくもあらずさ丹づらふ君によりてそ長く欲りせし

      右伝云けらく、むかし娘子有り 姓ハ車持氏ナリ。

      其の年を徃来かよはず。時に娘子、息の緒に

      恋ひつつ、痾疾やまひ沈臥こやれりき。日に痩羸みつ

      て、忽ち臨泉路みまかりなむとす。ここに使を遣はし

      て、其の夫の君を喚ぶ。来て乃ち歔欷なげきつつ斯

      の歌を口号みて、登時すなはち逝没みまかりき。


壮士をとこが娘子の父母に贈れる歌一首

3814 真珠しらたま緒絶をだえしにきと聞きしゆゑにその緒またが玉にせむ

答ふる歌一首

3815 真珠の緒絶はまこと然れどもその緒また貫き人持ちにけり

     右伝云けらく、むかし娘子有り。夫の君に棄てらえて

     他氏ひとのいへに改めきき。時に壮士有りて、改め適くを

     知らずて、此の歌を贈遣おくりて、をみな父母おや請誂ひき。

     ここに父母のおもひけらく、壮士委曲つばらなるさまらじ

     とおもひて乃ち彼の歌に報送こたへがてり、改め適きし

     よしを顕はせりきといへり。


穂積親王のうたはせる歌一首

3816 家にありしひつに鍵さし蔵めてし恋の奴のつかみかかりて

     右の歌一首は、穂積親王の宴したまふ時、いつも斯の歌を

     うたひて恒賞あそびくさと為たまへり。


河村王の誦ひたまへる歌二首

3817 柄臼かるうす田廬たぶせのもとに我が背子はにふぶに笑みて立ちませり見ゆ 田廬ハたぶせノ反

3818 朝霞鹿火屋かひやが下に鳴くかはづ偲ひつつありと告げむ子もがも

     右の歌二首は、河村王の宴せる時、琴弾きて、即ち先づ

     此の歌をみて、常行あそびくさと為たまひき。


小鯛王をたひのおほきみうたひたまへる歌二首

3819 夕立の雨うち降れば春日野の尾花がうれの白露思ほゆ

3820 夕づく日さすや川辺に作る屋のかたをよろしみうべそ寄り来る

     右の歌二首は、小鯛王の宴の日、琴を取る登時すなはち

     必先まづ此の歌を吟詠うたひたまひき。

     小鯛王ハ、マタノ名ハ置始多久美オキソメノタクミトイフ、斯ノ人ナリ。


兒部女王こべのおほきみあざけりの歌一首

3821 うましものいづく飽かじを尺度さかどらし角のふくれにしぐひ合ひにけむ

     右、むかし娘子有りき 姓ハ尺度氏ナリ。此の娘子、

     高姓たふとき美人うましをとこつまとふを聴かず、下姓いやしき醜士しこをの誂

     ふをきき。ここに兒部女王、此の歌を裁作

     て、かたくなしきを嗤咲あざけりたまふ。


古歌ふるうたに曰く

3822 橘の寺の長屋に寝し童女うなゐ放髪はなりは髪上げつらむか

     右ノ歌、椎野連長年ガ説ニ曰ク、夫レ寺家ノ屋ハ、俗人

     ノ寝処ニアラズ。亦若冠ノ女ヲヒテ放髪丱ウナヰハナリト曰ヘリ。

     然レバ腰ノ句已ニ放髪丱ト云ヘレバ、尾ノ句重ネテ著冠

     ノ辞ヲ云フベカラザルカトイヘリ。改メテ曰ク、

 3823 橘の照れる長屋にが率ねし童女放髪に髪上げつらむか


長忌寸意吉麻呂が歌八首やつ

3824 さす鍋に湯沸かせ子ども櫟津いちひつ桧橋ひはしより来むきつむさむ

     右の一首は、伝云いひつてけらく、ある時衆ひとびと集ひて宴飲うたげす。

     時に夜ふけて狐の声聞こゆ。すなはち衆諸ひとびと奥麿をいざな

     ひけらく、此の饌具雑器くさぐさのうつはもの、狐の声、河橋等の物に

     けて、歌よめといへり。即ち声にこたへて此の歌を作

     めり。

3825 食薦すこも敷き青菜煮持ちうつはり行騰むかはき懸けて休むこの君

     右の一首は、行騰むかはき蔓菁あをな食薦すこも、屋のうつはりを詠める歌。

3826 蓮葉はちすばはかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものはうもの葉にあらし

     右の一首は、荷葉はちすばを詠める歌。

3827 一二ひとふたの目のみにあらず五つ六つ三つ四つさへあり双六すぐろくのさえ

     右の一首は、双六すぐろく頭子さえを詠める歌。

3828 こり焚ける塔にな寄りそ川隈の屎鮒くそふなめるいた女奴めやつこ

     右の一首は、香、塔、厠、屎、鮒、奴を詠める歌。

3829 醤酢ひしほすひる搗きてて鯛願ふ我にな見せそ水葱なぎあつもの

     右の一首は、酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠める歌。

3830 玉掃たまばはき刈り鎌麻呂室の木となつめが本を掻き掃かむため

     右の一首は、玉、掃、鎌、天木香むろ、棗を詠める歌。

3831 池神の力士舞かも白鷺のほこひ持ちて飛び渡るらむ

     右の一首は、白鷺の木を啄ひて飛ぶを詠める歌。


忌部首が数種くさぐさの物を詠める歌一首

3832 からたちと棘原うまら刈りけ倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自とじ


境部王の数種の物を詠みたまへる歌一首 穂積親王ノ子ナリ

3833 虎に乗り古屋を越えて青淵に蛟龍みつち捕り来む剣大刀もが


作主よみひとしらざる歌一首

3834 梨棗なつめきみに粟つぎ延ふくずの後も逢はむとあほひ花咲く


新田部親王に献れる歌一首

3835 勝間田かつまたの池はあれ知るはちす無ししか言ふ君が鬚なき如し

     右或る人つたへけらく、新田部親王、みさと

     出遊いでまして、勝間田の池をして、御心の中に

     でたまひ、の池より還りまして、忍ひか

     ねて、婦人をみなに語りたまはく、今日ゆきて、勝

     間田池を見しに、水みちたたへて、蓮花はちす

     かがやけり。そのおもしろさかぎりなし。ここに

     婦人、此の戯歌たはれうたを作みて、すなはち吟詠うた

     きといへり。


侫人ねぢけびとそしれる歌一首

3836 奈良山の児手柏このてかしは両面ふたおもにかにもかくにも侫人のとも

     右の歌一首は、博士消奈公行文せなのきみゆきふみ大夫まへつきみがよめる。


荷葉はちすばを詠める歌一首

3837 久かたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む

     右の歌一首は、伝云いひつてけらく、右の兵衛つはもののとねり有り

     姓名未詳。 歌作みすることにへたり。時につかさ

     の家酒食さけさかな備設け、府官人等つかさびとたち饗宴あへす。ここに

     饌食を盛るに、皆荷葉はちすばを用ふ。諸人酒酣たけなはにして、

     歌ひ舞ひ、駱駅兵衛つはもののとねりを誘ひて、其の荷葉に

     けて、歌を作めといへり。すなはち声にこたへて

     斯の歌を作めり。


心のく所無き歌二首

3838 我妹子がぬかに生ひたる双六すぐろく事負ことひの牛の倉のの瘡

3839 我が背子が犢鼻褌たふさきにせるつぶれ石の吉野の山に氷魚ひをそ下がれる 懸有ハ、反シテ云ク、さがれる

     右の歌は、舎人親王、侍座もとこびとのりごちたまはく、もし

     る所無き歌を作む者有らば、銭帛ぜにきぬたばらむとのり

     たまへり。時に大舎人安倍朝臣子祖父、乃ち斯の歌

     を作みて献上たてまつる。登時すなはち募る所の銭二千文ふたちち給へりき。


池田朝臣が大神朝臣奥守をあざける歌一首

3840 寺々の女餓鬼めがき申さく大神おほみわの男餓鬼たばりてその子産まはむ

大神朝臣奥守が報へ嗤ける歌一首

3841 仏造る真朱まそほ足らずば水溜まる池田の朝臣あそが鼻のを掘れ

或ヒト云ク、

平群朝臣が穂積朝臣を嗤咲あざける歌一首

3842 小児わくごども草はな刈りそ八穂蓼やほたでを穂積の朝臣が腋草を刈れ

穂積朝臣が和ふる歌一首

3843 いづくにそ真朱掘る丘薦畳こもたたみ平群の朝臣が鼻の上を掘れ


土師宿禰水通はにしのすくねみみちが、巨勢朝臣豊人が黒色を嗤咲ける歌一首

3844 ぬば玉の斐太ひだ大黒おほくろ見るごとに巨勢の小黒をくろし思ほゆるかも

巨勢朝臣豊人が答ふる歌一首

3845 駒造る土師はし志婢麻呂しびまろ白くあればうべ欲しからむその黒色を

     右の歌は、伝云けらく、大舎人土師宿禰水通といふひと有り。

     あざなをば志婢麻呂と曰へり。時に大舎人巨勢朝臣豊人、あざな

     ば正月麻呂むつきまろと曰へり、巨勢斐太朝臣名字ハ忘レタリ。島村大夫ノ

     男ナリ。両人ふたりみなかほ黒かりき。ここに土師宿禰水通、斯の歌を

     作みて嗤咲けりぬ。かくて巨勢朝臣豊人これを聞きて、即ち

     和への歌を作みてむくあざけりきといへり。


戯れにほうしを嗤ける歌一首

3846 法師らが鬚の剃り杭馬繋ぎいたくな引きそ法師なか

法師が報ふる歌一首

3847 壇越だむをちや然もな言ひそ里長さとをさらが課役えつきはたらばなれも半ら欠む


いめうちによめる歌一首

3848 新墾田あらきた猪鹿田ししたの稲を倉にこめてあなひねひねしが恋ふらくは

     右の歌一首は、忌部首黒麿いみべのおびとくろまろが、夢の裡に此の恋の歌を

     作みて友に贈り、覚めて誦習うたはしむるにもとの如しといふ。


世間よのなかの常無きを厭ふ歌三首

3849 生き死にの二つの海を厭はしみ潮干の山を偲ひつるかも

3850 世の中のしき借廬かりいほに住み住みて至らむ国のたづき知らずも

3852 鯨魚いさな取り海や死にする山や死にする死ねこそ海は潮て山は枯れすれ

     右の歌三首は、河原寺の仏堂ほとけどのの裡の倭琴やまとことおもに在り。


藐姑射はこやの山の歌一首

3851 心をし無何有むがうさとに置きてあらば藐姑射の山を見まく近けむ

     右の歌一首は、作主よみひと未詳しらず


痩人やせひとを嗤咲ける歌二首

3853 石麻呂いはまろあれ物申す夏痩によしといふものそむなぎ取りせ 反シテ云ク、めせ

3854 痩す痩すも生けらば在らむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな

     右、吉田連老といふひと有り。字をば石麻呂と曰へり。

     所謂仁教の子なり。其の老、為人身体かたちいたく痩せたり。

     多く喫飲のみくらへども、形飢饉うゑひとのごとし。此に因りて大伴

     宿禰家持、聊か斯の歌を作みて戯咲あざけりす。


高宮王の数種くさぐさの物を詠める歌二首

3855 葛英爾延ひおほとれる屎葛くそかづら絶ゆることなく宮仕へせむ

3856 婆羅門ばらもむの作れる小田を食む烏まなぶた腫れて幡桙はたほこに居り


の君を恋ふる歌一首

3857 飯食めど 美味くもあらず 歩けども 安くもあらず

   茜さす 君が心し 忘れかねつも

     右の歌一首は、伝云けらく、佐為王さゐのおほきみ近習婢まかたち有り。

     時に宿直とのゐいとまなく、夫の君遇ひ難し。感情こころいたく結

     ぼれ、係恋おもひまことに深し。ここに宿とのゐに当たる夜、夢

     の裡に相見る。覚寤おどろきて探抱かきさぐれども手にも触れず。

     すなはち哽咽歔欷かなしみ、高く此の歌を吟詠うたひき。かれ

     王聞かして、哀慟あはれみたまひ、永へに侍宿とのゐすることを

     ゆるしき。


恋の歌二首

3858 この頃のが恋力記しくうに申さば五位のかがふり

3859 この頃のが恋力たばらずば京職みさとつかさに出でてうたへむ

     右の歌二首は、作者未詳。


筑前国つくしのみちのくちのくに志賀しか白水郎あまが歌十首とを

3860 おほきみの遣はさなくに情進さかしらに行きし荒雄ら沖にそて振る

3861 荒雄らを来むか来じかといひ盛りて門に出で立ち待てど来まさず

3862 志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすかの山と見つつ偲はむ

3863 荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼たぬさぶしからずや

3864 つかさこそ差しても遣らめさかしらに行きし荒雄ら波に袖振る

3865 荒雄らは妻子めこなりをば思はずろ年の八年を待てど来まさず

3866 沖つ鳥鴨とふ船の帰り来ば也良やら崎守さきもり早く告げこそ

3867 沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎みて榜ぎ来と聞こえ来ぬかも

3868 沖行くや赤ら小船をぶねつと遣らばけだし人見て解き開け見むかも

3869 大船に小船引き添へかづくとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも

     右、神亀の年中とし太宰府おほみこともちのつかさ、筑前国宗像郡の

     百姓おほみたから、宗形部津麻呂を差して、對馬のかてを送る

     舶の柁師かぢとりつ。時に津麻呂、滓屋かすや郡志賀村の白

     水郎、荒雄が許にきて語りけらく、「あれ小事ことあり。

     もし許さじか」。荒雄答へけらく、「僕こほりかはれど

     も、船にあひのること日久し。志兄弟はらからより篤し。殉死ともにし

     ぬとも、なぞもいなまむ」。津麻呂が曰く、「府官つかさあれ

     を差して對馬のかてを送る舶の柁師かぢとりつ。容歯よはひ衰老おとろ

     へ海つに堪へず。かれ来たりて祇候さもらふ。願はくは相

     替りてよ」。ここに荒雄、許諾うべなひて遂にの事に従ひ、

     肥前国松浦県美弥良久みみらくの埼より発舶ふなだちして、直に對馬

     を射して海を渡る。すなはちそら暗冥くらがり、暴風よこしまかぜ雨に

     交じり、竟に順風おひて無くして、海中うみ沈没しづみき。因斯かれ

     等、特慕しぬひかねて此の謌を裁作めり。或ひは、筑前

     国守山上憶良臣、妻子の傷みを悲感かなしみ、志を述べて此

     の歌を作めりといへり。


無名歌六首

3870 紫の粉潟こかたの海にかづく鳥玉潜き出ばが玉にせむ

     右の歌一首。

3872 吾が門のの実もり百千鳥ももちどり千鳥は来れど君そ来まさぬ

3873 吾が門に千鳥しば鳴く起きよ起きよ我が一夜夫ひとよづま人に知らゆな

     右の歌二首。

3871 角島つぬしまの瀬戸の若布は人のむた荒かりしかどむた和海藻にきめ

     右の歌一首。

3874 射ゆ鹿ししつなぐ川辺の和草わかくさの身の若かへにさ寝し子らはも

     右の歌一首。

3875 琴酒を 押垂おしたる小野ゆ 出づる水 ぬるくは出でず

   寒水ましみづの 心もけやに 思ほゆる 音の少なき

   道に逢はぬかも 少なきよ 道に逢はさば いろせる

   菅笠すががさ小笠をがさ がうなげる 玉の七つ緒 取り替へも

   申さむものを 少なきよ 道に逢はぬかも

     右の歌一首。


豊前国とよくにのみちのくち白水郎あまが歌一首

3876 豊国の企救きくの池なる菱のうれを摘むとや妹が御袖濡れけむ


豊後国とよくにのみちのしりの白水郎が歌一首

3877 紅に染めてし衣雨降りてにほひはすとも移ろはめやも


能登の国の歌三首

3878 梯立はしたての 熊来くまきのやらに 新羅斧 落し入れわし

   懸けて懸けて な泣かしそね 浮き出づるやと 見むわし

     右の歌一首は、伝云けらく、或る愚人かたくなひと、斧の

     海底うみに堕ちて、かねしづきて浮かばざることをさと

     ざりしかば、聊か此の歌をよみてさとせりき。

3879 梯立の 熊来酒屋に まらる 奴わし

   さすひ立て なましを ま罵らる 奴わし

     右一首。

3880 香島の 机の島の 小螺したたみを いひりひ持ち来て

   石もち つつきはふり 早川に 洗ひ濯ぎ

   辛塩に ここと揉み 高坏たかつきに盛り 机に立てて

   母にまつりつや つ児の刀自 父に奉りつや み女つ児の刀自


越中国こしのみちのなかのくにの歌四首

3881 大野道は繁道しげち森径もりぢ繁くとも君し通はば道は広けむ

3882 澁谿しぶたに二上山ふたかみやまに鷲ぞ子といふさしはにも君が御為に鷲ぞ子産といふ

3883 伊夜彦いやひこおのれ神さび青雲の棚引く日すら小雨そほ降る 一ニ云ク、あなに神さび

3884 伊夜彦の神の麓に今日らもか鹿の伏せるらむ皮衣着て角つけながら


乞食者ほかひひとうた二首

3885 愛子いとこ 汝兄なせの君 居り居りて 物にい行くと

   韓国からくにの 虎といふ神を 生け捕りに 八つ捕り持ち来

   その皮を 畳に刺し 八重畳 平群へぐりの山に

   四月うつきと 五月さつきほとに 薬猟 仕ふる時に

   あしひきの この片山に 二つ立つ いちひが本に

   梓弓 八つ手挟たばさみ ひめかぶら 八つ手挟み

   しし待つと が居る時に さ牡鹿の 来立ち嘆かく

   たちまちに あれは死ぬべし おほきみに あれは仕へむ

   つぬは 御笠のやし 吾が耳は 御墨のつぼ

   吾が目らは 真澄の鏡 吾が爪は 御弓の弓弭ゆはず

   吾が毛らは 御筆のやし 吾が皮は 御箱の皮に

   吾がししは 御膾みなます栄やし 吾が肝も 御膾栄やし

   吾がみぎは 御塩の栄やし 老いはてぬ 我が身一つに

   七重花咲く 八重花咲くと 申しやさね 申し賞やさね

     右の歌一首は、鹿の為におもひを述べてよめり。


3886 押し照るや 難波の小江をえに いほ作り なまりて居る

   葦蟹を おほきみ召すと 何せむに  を召すらめや

   明らけく は知ることを 歌人うたひとと を召すらめや

   笛吹きと  我を召すらめや 琴弾きと を召すらめや

   かもかくも みこと受けむと 今日今日と 飛鳥に至り

   置かねども 置勿おきなに至り つかねども 都久野つくぬに至り

   ひむかしの 中の御門ゆ 参り来て 命受くれば

   馬にこそ ふもだし掛くもの 牛にこそ 鼻縄はくれ

   あしひきの この片山の 百楡もむにれを 五百枝いほえ剥き垂り

   天照るや 日のに干し さひづるや 柄臼からうすに舂き

   庭に立つ 磑子すりうすに舂き 押し照るや 難波の小江の

   初垂はつたれを 辛く垂り来て 陶人すゑひとの 作れるかめ

   今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗り給ひ

   もちはやすも もちはやすも

     右の歌一首は、蟹の為におもひを述べてよめり。


おどろしき物の歌三首

3887 天なるや神楽良ささらの小野に茅草ちかや刈りかや刈りばかに鶉を立つも

3888 沖つ国らす君がめ屋形黄染めの屋形神が渡る

3889 人魂ひとたまのさなる君が唯独り逢へりし雨夜は久しく思ほゆ