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  • と心得て、武家より、其跡に湯浅孫六入道定仏を地頭に居置たりければ、今は河内国に於ては殊なる事あらじと、心安く思ける処に、同四月三日楠五百余騎を率して、俄に湯浅が城へ押寄て、息をも不継責戦ふ。城中に兵粮の用意乏しかりけるにや、湯浅
    39キロバイト (9,333 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • 当りたる津々山に打上て陣を取。敵御方其あはい僅に五十余町を隔たり。互に時を待て未戦ざる処に、丹下・俣野・誉田・酒勾・水速・湯浅太郎・貴志の一族五百余騎、弓を弛し甲を脱で、降人にて出たりければ、津々山の人々皆勇罵て、さればこそ敵早弱りにけり。和田・楠幾程か可怺と、思はぬ人も無りけり。され共未騎馬の兵…
    48キロバイト (11,581 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 遍僧正導師タリ勅使右少弁国氏朝臣参向セラル 去ヌル六月二日梶井二品親王入滅山門ノ悲歎タリト云々 南方ノ女院御在世ノ折御秘蔵タルノヨシ琵琶御硯等今日御寄附国氏朝臣施行其外種々御寄附 金堂ニ於テ仏事修行 導師遍僧正ヲ始メ僧衆五十口出座 未刻国氏朝臣退座成実
    47バイト (20,390 語) - 2024年4月5日 (金) 23:05
  • ヒシカトモ時ノ間ニ両大将ヲ討タセシカハ大ニ辟易シテソ見ヘニケル扨又九頭龍口へ向フ敵ハ江沼郡ノ軍兵ニ能美郡ノ勢ヲ入交テ黒瀬藤兵衛小杉新八郎松永平左衛門湯浅九郎兵衛其外越中ノ大坊主安養寺瑞泉寺越前所々ノ牢人等都合八万八千人一面ニ馬ノ頭ヲ立テ並ヘテ同時ニ川へ打浸シ馬筏ヲ組ンテソ渡シケル越前勢ハ高木ノ要害ニ…
    81バイト (10,597 語) - 2024年3月25日 (月) 14:28
  • にければ、赤松律師則祐、帷幕を颯と打挙て、「天下勝負此軍に非ずや。何の為にか命を可惜。名将の御前にて紛もなく討死して、後記に留めよや。」と下知しければ、「承候。」とて、平塚次郎・内藤与次・近藤大蔵丞・今村宗五郎・湯浅
    60キロバイト (14,507 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 里の浜を打過て、田辺の宿に逗留し、渡海の舟を汰へ給に、熊野の新宮別当湛誉・湯浅入道定仏・山本判官・東四郎・西四郎以下の熊野人共、馬・物具・弓矢・太刀・長刀・兵粮等に至るまで、我不劣と奉りける間、行路の資け卓散也。角て順風ににければ、熊野人共兵船三百余艘調へ立、淡路の武島へ送奉る。此には安間・志知…
    37キロバイト (9,173 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • 湯浅七左衛門と申すもの、甘数備後守被官なり。今度、於㆓宮崎表㆒、夏目舎人助、敵をつきおとし、組子の沢田作左衛門に、首をとらする処を、湯浅うばひ取り候事、大臆病之働、筆につくしがたし。其とがにより、如㆓御掟㆒申付候。湯浅子々孫々は不㆑及㆑申、至㆓于先祖之悪名㆒不㆑可㆑遁者也。仍如㆑件。…
    283バイト (36,322 語) - 2023年12月2日 (土) 18:48
  • へ行幸なれば、和田・楠以下、真木野・三輪・湯浅入道・山本判官・熊野の八庄司吉野十八郷の兵、七千余騎、路次を警固仕る。皇居は当社の神主津守国夏が宿所を俄に造替て臨幸なし奉りけり。国夏則上階して従三位に被。先例未なき殿上の交り、時に取ての面目なり。住吉に臨幸て三日に当りける日、社頭に一の不思議あり。…
    42キロバイト (10,129 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 所へ御憑あて入せ給ひたらば、被憑させ給はんずるか。」と問せ給へば、戸野兵衛、「申にや及び候。身不肖に候へ共、某一人だに斯る事ぞと申さば、鹿瀬・蕪坂・湯浅・阿瀬川・小原・芋瀬・中津川・吉野十八郷の者迄も、手刺者候まじきにて候。」とぞ申ける。其時宮、木寺相摸にきと御目合有ければ、相摸此兵衛が側に居寄て、…
    32キロバイト (7,961 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • するよりも甚し、されはたひ〳〵云旧し事なんめれと、つゐてよろしけれは又、天正三年信長公長篠合戦の時、家中より三千挺のぬき鉄炮を、五月廿日の晩に請取、湯浅甚介猪子兵分なと四五人裁判し、廿一日の早朝より自由に進退し、鉄炮をうたせ侍るに、いと安くなん有し、今世弓鉄炮の者五十三十預り年をへてつかふさへ、長篠…
    75バイト (7,975 語) - 2024年3月25日 (月) 14:31
  • 明年よりは三年北塞りなり、節分以前に洛中の朝敵を責落して、臨幸を奉るべき由儀定あて、兵共をぞ被召ける。 307 新将軍京落事 公家大将には、二条殿・四条中納言隆俊卿、武将には、石堂刑部卿頼房・細川相摸守清氏・舎弟左馬助・和田・楠・湯浅・山本・恩地・牲川、其勢二千余騎にて、十二月三日住吉・天王寺に勢…
    45キロバイト (10,948 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • NDLJP:139】等引率数千勢越坂本於早尾坂構城郭楯籠処学徒不日攻下テ攻戦之又被打散引退其後度度雖攻寄毎度学匠打負不叶故奏達公家承勅太政入道紀州湯浅権守宗重為大将畿内近国武士相副三千余騎指遣之十月四日学徒官軍相共以五千余騎押寄早尾坂城今度者サリ𪜈ト思処ニ又寄手打負所討者二千余人〈官軍討死ノ中ニ…
    47バイト (7,204 語) - 2024年4月5日 (金) 23:01
  • 出雲伯耆に長年が一族共、備後には桜山、備前に今木・大富・和田・児島、播磨に吉河、河内に和田・楠・橋本・福塚、大和に三輪の西阿・真木の宝珠丸、紀伊国に湯浅・山本・井遠三郎・賀藤太郎、遠江には井介、美濃に根尾入道、尾張に熱田大宮司、越前には小国・池・風間・禰津越中守・大田信濃守、山徒には南岸の円宗院、此…
    50キロバイト (12,063 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • 慶長六年四月十七日、片倉小十郎景綱・伊達兵部大輔成実・同右京亮盛重・伊達阿波守・屋代勘解由兵衛・茂庭石見守・高野壱岐・桑折点了等二万五千を引率し、白石の城に著かれけり。扨福嶋の城を攻めんと相談し、誰か物見に、遣し申すべしとありしかば、政宗従弟、伊達成実進み出で、某、罷越し候はんとて、十騎計り鉄炮三十…
    3キロバイト (116,548 語) - 2024年2月3日 (土) 18:43
  • 頭中将忠顕朝臣千余騎にて被供奉。猶も御用心の最中なれば、御心安兵を以て非常を可被誡とて、国々の兵をば、混物具にて三千余騎、閑に小路を被打。其後陣には湯浅権大夫・山本四郎次郎忠行・伊東三郎行高・加藤太郎光直、畿内近国の勢打込に、二十万七千余騎、三日支てぞ打たりける。時移り事去て、万づ昔に替る世なれども…
    57キロバイト (13,747 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • て有し和田・楠也。まして我等が城に篭て被取巻なば、一人も帰者不可有。」とて、先和泉の守護にて置れし細河兵部太輔、未敵の係らぬ前に落しかば、紀伊国の城湯浅の一党も、船に取乗て兵庫を差て落行。河内国の守護代、杉原周防入道は、誉田の城を落て、水走の城に楯篭り、爰に暫く支て京都の左右を待んとしけるが、楠大勢…
    57キロバイト (14,114 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • も不可有猶予。」とて、若大衆三百余人、皆甲冑を帯して御迎にぞ参りける。此外楠帯刀正行・和田次郎・真木定観・三輪の西阿、紀伊国には、恩地・牲河・貴志・湯浅、五百騎・三百騎、引も切らず面々馳参ける間、雲霞の勢を腰輿の前後に囲ませて、無程吉野へ臨幸なる。春雷一たび動く時、蟄虫萌蘇する心地して、聖運忽に開け…
    75キロバイト (18,383 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • 見セント思。日事此道路ヲ過ルナリ。ヨロシク帰路ヲマツヘシ。汝カ家イツクニアルトノ給ヘハ。太夫山下ヲ指ス。上人応諾シ給ヒテ。夫ヨリ在田日高〈此時。在田湯浅浦。日高名屋村ニ一宿シ給フト云云。〉ノ道ヲ過テ。爰彼ニ化ヲ播シテ。三山残ラス𮞉リ給ヒテ。帰路ニ冷水浦ニ立寄。一宿シ給フ。太夫薙染シテ。法名ヲ了賢ト給リヌ。南紀ノ宗門ハ此時権輿セリ…
    147キロバイト (24,775 語) - 2024年4月5日 (金) 18:19
  • 湯浅甚介 小倉松寿 御小姓衆懸り合〳〵討死候〻也 湯浅甚助 小倉松寿 此両人は町之宿にて此由を承敵之中に交(マジリ)入本能寺へ懸込討死御台所之口にては高橋虎松 暫支合無比類働也信長初には御弓を取合二三つ遊し候へは何れも時刻到来候而御弓之絃切其後御鎗にて被
    3キロバイト (101,980 語) - 2024年4月5日 (金) 17:57
  • アリケレトモ不叶同廿九日大坂ヨリ五六千人打出森口辺ノ苅田ヲス河口ノ向城ヨリ此由注進シケレハ信長出馬佐々内蔵助林新三郎井出才助福富平左衛門野々村三十郎湯浅甚助一番ニ河ヲ渡シ大坂ト森口トノ間懸入無比類高名シテ引取処ニ野村越中守又河ヲ乗越敵ヲ突落シ首取テケルヲ敵方ニ関東常陸ノ牢人下間ト云者乗付越中守ヲ討取…
    44バイト (53,932 語) - 2024年4月19日 (金) 06:28
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