『朝鮮の交際を論ず』(ちょうせんのこうさいをろんず)
日本ト朝鮮ト相對スレハ日本ハ強大ニシテ朝鮮ハ小弱ナリ日本ハ既ニ文明ニ進テ朝鮮ハ尙未開ナリ此關係ヲ以テ相接シテ今日其交際ノ實况ヲ見レバ我國ヨリ公使領事ヲ遣テ彼ノ國ヨリモ時トシテ信使ノ來ルアルモ未タ通信ノ繁多ニシテ親密ナルモノト云フ可ラズ又其貿易モ釜山及ビ元山ノ輸出入一年僅ニ三百万圓尙蓼々タルモノト云フ可シ此交際ニ就テ我政府今後ノ方略ハ何レノ邊ニ在ルモノ歟正ニ今ノ景况ニ安ンシテ其自然ニ任シ彼ノ國人モ漸ク自カラ發明シテ外交ノ緊要ナルヲ知リ遂ニハ我東京ニ在留ノ公使ヲ派遣スルヿモアラン貿易商賣モ彼國人ガ漸ク自カラ其利益ヲ知リタラバ自然ニ繁盛ニ至ルヿナラント百事漸ヲ以テ進テ勢ノ自然ニ任スルモノ歟、是亦一策ニシテ大ニ心ヲ勞スルニモ及ハズ財ヲ費スニモ及ハス誠ニ安氣ナリト雖トモ都テ人間社會ノ事ニハ俗ニ所謂行キ掛リナルモノアリテ中途ニシテ止ム可ラサルノ勢ニ乘スルヿ多シ况ヤ外國ノ交際ニ於テヲヤ大半ハ勢ニ由テ事ノ成敗ヲ來タスモノナレバ今朝鮮ノ交際ニ於テモ我政府ハ特ニ此事勢ヲ察セサル可ラス抑モ彼ノ國ヘハ近年屡西洋人ノ窺ヒシヿモアリシカトモ開國ノ事成ラスシテ之ヲ中止シタル其後ニ於テ明治八年我使節黒田井上ノ兩君ガ軍艦ニ搭シテ直ニ其首府漢城ニ至リ一朝ノ談判ニ和親貿易ノ道ヲ開キタルハ啻ニ二君ノ功名ノミナラズ我日本國ノ榮譽ニシテ聊カ世界中ニ對シテ誇ル可キモノナキニ非ス即チ我日本國人ノ活潑力ヲ人ニ示シテ其伎倆ノ程ヲ知ラシメタルモノト云フモ可ナラン斯ル事ノ行キ掛リナルヲ以テ今後朝鮮國ガ他ノ西洋諸國ト條約ヲ結ブヿアルモ我日本
ニ限リ最舊ノ和親國ニシテ交際上ノ事ニ就テ常ニ其首座ヲ占ルハ自然ノ勢ナル可シ我國ニ始メテ和親貿易ノ條約ヲ結タルモノハ亞米利加ニシテ開國ノ初ヨリ舊幕政府ノ末年ニ至ルマテハ常ニ交際ノ首座ヲ占メ維新ノ際ニ英國ノ人ガ聊カ日本ノ國事ニ盡力シタルヲ以テ其勢或ハ英人ニ移リタルガ如クナルモ今日ニ在テ我國民一般ノ視ル所ニテハ亞國人ヲ重ンジテ亞人モ亦我國ヲ親シムヿ自カラ他國人ニ異ナル所ノモノアルガ如シ左レハ我日本國ガ朝鮮國ニ對スルノ關係ハ亞米利加國ガ日本國ニ對スルモノト一樣ノ關係ナリトシテ視ル可キモノナリ既ニ此關係アリ然ハ則チ朝鮮國トノ交際ハ我國ニ於テ之ヲ等閑ニ附ス可ラザルノミナラズ其内國ノ治亂興廢文明ノ改進退歩ニ就テモ楚越ノ觀ヲ爲ス可キ塲合ニ非ズ彼ノ國勢果シテ未開ナラバ之ヲ誘フテ之ヲ導ク可シ彼ノ人民果シテ頑陋ナラバ之ニ諭シテ之ニ説ク可シ其誘導説諭ニ就テハ我日本人ハ心身ヲ勞スルヿナラン又錢財ヲモ費スヿナラント雖トモ之ヲ顧ルニ遑アラズ事ノ勢コヽニ至レバ亦タ退ク可ラサルナリ啻ニ其誘導説諭ニ忙ハシキノミナラズ前號ノ社説ニ記シタルガ如ク方今彼ノ國ニ於テモ鎖攘ノ黨類往々都鄙ニ出没シテ物論ノ穩カナラサルハ事跡ニ於テ明白ナル所ニシテ何レノ時ニ何レノ變ヲ生ス可キヤモ計ル可ラズ若モ此輩ガ事ヲ擧ゲテ假令ヒ一日ニテモ彼ノ政府ノ覊絆ヲ脱スルヿアラバ敵トシテ向フ所ハ必ス我日本人ナラン然ルニ今日朝鮮在留ノ日本人ニ自衞ノ用意アル歟我輩必ス其足ラサルヲ信ズ舊幕府ノ末ニ浪士ノ徒ト稱スル者ガ只管外國人ヲ敵視シテ或ハ之ヲ途上ニ暗殺シ或ハ之ヲ
其止宿スル所ニ殺サントシテ既ニ英國ノ公使ヲ府下高輪ノ東禪寺ニ夜襲シタル時ノ如キハ英人モ大ニ恐レテ爾後ハ市中ヲ往來スルニモ護身ノ用意ヲ嚴重ニスルノミナラズ故サラニ自國ノ兵隊ヲ横濱ニ屯衞セシメタルヿモアリ當時俗ニ之ヲ英ノ赤隊ト稱シテ我輩ハ竊ニ英人ノ此擧動ヲ見テ其無禮ヲ憤リシヿナレトモ事實其國人ノ安寧ヲ保護セントシテ事實其方便ヲ得サル塲合ニハ他國ニ兵ヲ置クモ亦止ムヲ得ザルヿナリ今朝鮮ニ於テ我日本人民ノ安寧ハ之ヲ泰山ノ安キト云フ可ラズ若シ其安カラサルヲ知ラバ何ゾ速ニ之ニ備ヘサルヤ或ハ朝鮮人ノ怯弱ナル之ヲ慮ルニ足ラストノ説モアラント雖トモ万中ノ一ハ測ル可ラズ仮令ヒ或ハ自衞ノ備ヲ要セストスルモ彼ノ國人心ノ穩カナラサル時ニ當テ我武威ヲ示シテ其人心ヲ壓倒シ我日本ノ國力ヲ以テ隣國ノ文明ヲ助ケ進ルハ兩國交際ノ行キ掛リニシテ今日ニ在テハ恰モ我日本ノ責任ト云フ可キモノナリ
我輩ガ斯ク朝鮮ノ事ヲ憂テ其國ノ文明ナランヿヲ冀望シ遂ニ武力ヲ用ヒテモ其進歩ヲ助ケントマデニ切論スルモノハ唯從前交際ノ行キ掛リニ從ヒ勢ニ於テ止ムヲ得ザルノミニ出タルニ非ズ今後世界中ノ形勢ヲ察シテ我日本ノ爲ニ止ムヲ得ザルモノアレバナリ方今西洋諸國ノ文明ハ日ニ進歩シテ其文明ノ進歩ト共ニ兵備モ亦日ニ増進シ其兵備ノ増進ト共ニ呑併ノ慾心モ亦日ニ増進スルハ自然ノ勢ニシテ其慾ヲ逞フスルノ地ハ亞細亞ノ東方ニ在ルヤ明ナリ此時ニ當テ
亞細亞洲中協心同力以テ西洋人ノ侵凌ヲ防カントシテ何レノ國カヨク其魁ヲ爲シテ其盟主タル可キヤ我輩敢テ自カラ自國ヲ誇ルニ非ス虛心平氣コレヲ視ルモ亞細亞東方ニ於テ此首魁盟主ニ任スル者ハ我日本ナリト云ハサルヲ得ズ我既ニ盟主タリ、其隣國タル支那朝鮮等ハ如何ノ有樣ニシテ之ト共ニ事ヲ與ニス可キヤ必スヤ我國ニ傚フテ近時ノ文明ヲ與ニセシムルノ外ナカル可シ若シモ然ラズシテ其國ノ舊套ヲ存シ其人民ノ頑陋ニ任シタラバ啻ニ事ヲ與ニス可ラサルノミナラス又隨テ我國ニ禍スルノ媒介タルニ至ル可シ輔車相依リ唇齒相助クト云フト雖
トモ今ノ支那ナリ又朝鮮ナリ我日本ノ爲ニヨク其輔タリ唇タルノ實功ヲ呈ス可キヤ我輩ノ所見ニテハ万コレヲ保證スルヲ得ズ加之不祥ノ極度ヲ云ヘバ其國土ガ一旦遂ニ西人ノ蹂躪スル所ト爲ザルヲ保ス可ラズ今ノ支那國ヲ支那人ガ支配シ朝鮮國ヲ朝鮮人ガ支配スレハコソ我輩モ深ク之ヲ憂トセサレ
トモ萬ニ一モ此國土ヲ擧ゲテ之ヲ西洋人ノ手ニ授ルガ如キ大變ニ際シタラバ如何、恰モ隣家ヲ燒テ自家ノ類燒ヲ招クニ異ナラズ、西人東ニ迫ルノ勢ハ火ノ蔓延スルガ如シ隣家ノ燒亡豈恐レサル可ケンヤ故ニ我日本國ガ支那ノ形勢ヲ憂ヒ又朝鮮ノ國事ニ干渉スルハ敢テ事ヲ好ムニ非ス日本自國ノ類燒ヲ豫防スルモノト知ル可シ是即チ我輩ガ本論ニ於テ朝鮮國ノ事ニ付特ニ政府ノ注意ヲ喚起スル由縁ナリ
明治十五年(西暦一千八百八十二年)三月十一日
朝鮮の交際を論ず(大正版『福澤全集』収録版)
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日本と朝鮮と相對すれば日本は強大にして朝鮮は小弱なり日本は既に文明に進て朝鮮は尙ほ未開なり此關係を以て相接して今日其交際の實況を見れば我國より公使領事を遣て彼の國よりも時として信使の來るあるも未だ通信の繁多にして親密なるものと云ふ可らず又貿易も釜山及び元山の輸出入一年僅に三百萬圓尙ほ蓼々たるものと云ふ可し此交際に就て我政府今後の方略は何れの邊に在るもの歟正に今の景況に安んじて其自然に任し彼の國人も漸く自から發明して外交の緊要なるを知り遂には我東京に在留の公使を派遣することもあらん貿易商賣も彼國人が漸く自から其利益を知りたらば自然に繁盛に至ることならんと百事漸を以て進んで勢の自然に任するもの歟、是亦一策にして大に心を勞するにも及ばず財を費すにも及ばず誠に安氣なりと雖も都て人間社會の事には俗に所謂行掛りなるものありて中途にして止む可らざるの勢に乘ずること多し況や外國の交際に於てをや大半は勢に由て事の成敗を來すものなれば今朝鮮の交際に於ても我政府は特に此事勢を察せざる可らず抑も彼の國へは近年屡々西洋人の窺ひしこともありしかども開國の事成らずして之を中止したる其後に於て明治八年我使節黒田井上の兩君が軍艦に搭じて直に其首府漢城に至り一朝の談判に和親貿易の道を開きたるは啻に二君の功名のみならず我日本國の榮譽にして聊か世界中に對して誇る可きものなきに非ず即ち我日本國人の活潑力を人に示して其技倆の程を知らしめたるものと云ふも可ならん斯る事の行掛りなるを以て今後朝鮮國が他の西洋諸國と條約を結ぶことあるも、我日本に限り最舊の和親國にして交際上の事に就て常に其首座を占むるは自然の勢なる可し我國に始めて和親貿易の條約を結びたるものは亞米利加にして開國の初めより舊幕政府の末年に至るまでは常に交際の首座を占め維新の際に英國の人が聊か日本の國事に盡力したるを以て其勢或は英人に移りたるが如くなるも今日に在て我國民一般の視る所にては亞國人を重んじて亞人も亦我國を親しむこと自から他國人に異なる所のものあるが如し左れば我日本國が朝鮮國に對する關係は亞米利加國が日本國に對するものと一樣の關係なりとして視る可きものなり既に此關係あり然らば則ち朝鮮國との交際は我國に於て之を等閑に附す可らざるのみならず其内國の治亂興廢文明の改進退歩に就ても楚越の觀を爲す可き場合に非ず彼の國勢果して未開ならば之を誘ふて之を導く可し彼の人民果して頑陋ならば之に諭して之に説く可し其誘導説諭に就ては我日本人は心身を勞することならん又錢財をも費すことならんと雖も之を顧るに遑あらず事の勢こゝに至れば復た退く可らざるなり啻に其誘導説諭に忙はしきのみならず方今彼の國に於ても鎖攘の黨類往々都鄙に出没して物論の穩かならざるは事跡に於て明白なる所にして何れの時に何れの變を生ず可きやも計る可らず若しも此輩が事を擧げて假令ひ一日にても彼の政府の覊絆を脱することあらば敵として向ふ所は必ず我日本人ならん然るに今日朝鮮在留の日本人に自衛の用意ある歟我輩必ず其足らざるを信ず舊幕府の末に浪士の徒と稱する者が只管外國人を敵視して或は之を途上に暗殺し或は之を其止宿する所に殺さんとして既に英國の公使を府下高輪の東禪寺に夜襲したる時の如きは英人も大に恐れて爾後は市中を往來するにも護身の用意を嚴重にするのみならず故さらに自國の兵隊を横濱に屯衞せしめたることもあり當時俗に之を英の赤隊と稱して我輩は竊に英人の此擧動を見て其無禮を憤りしことなれども事實其國人の安寧を保護せんとして事實其方便を得ざる場合には他國に兵を置くも亦止むを得ざることなり今朝鮮に於て我日本人民の安寧は之を泰山の安きと云ふ可らず若し其安からざるを知らば何ぞ速に之に備へざるや或は朝鮮人の怯弱なる之を慮るに足らずとの説もあらんと雖も萬中の一は測る可らず假令ひ或は自衞の備を要せずとするも彼の國人心の穩ならざる時に當て我武威を示して其人心を壓倒し我日本の國力を以て隣國の文明を助け進むるは兩國交際の行掛りにして今日に在ては恰も我日本の責任と云ふ可きものなり
我輩が斯く朝鮮の事を憂て其國の文明ならんことを冀望し遂に武力を用ひても其進歩を助けんとまでに切論するものは唯從前交際の行掛りに從ひ勢に於て止むを得ざるのみに出たるに非ず今後世界中の形勢を察して我日本の爲に止むを得ざるものあればなり方今西洋諸國の文明は日に進歩して其文明の進歩と共に兵備も亦日に増進し其兵備の増進と共に呑併の慾心も亦日に増進するは自然の勢にして其慾を逞うするの地は亞細亞の東方に在るや明なり此時に當て亞細亞洲中協心同力以て西洋人の侵凌を防がんとして何れの國かよく其魁を爲して其盟主たる可きや我輩敢て自から自國を誇るに非ず虛心平氣これを視るも亞細亞東方に於て此首魁盟主に任ずる者は我日本なりと云はざるを得ず我既に盟主たり、其隣國たる支那朝鮮等は如何の有樣にして之と共に事を與にす可きや必ずや我國に傚ふて近時の文明を與にせしむるの外なかる可し若しも然らずして其國の舊套を存し其人民の頑陋に任じたらば啻に事を與にす可らざるのみならず又隨ふて我國に禍するの媒介たるに至る可し輔車相依り唇齒相助くと云ふと雖も今の支那なり又朝鮮なり我日本の爲によく其輔たり唇たるの實功を呈す可きや我輩の所見にては萬これを保證するを得ず加之不祥の極度を云へば其國土が一旦遂に西人の蹂躪する所と爲らざるを保す可らず今の支那國を支那人が支配し朝鮮國を朝鮮人が支配すればこそ我輩も深く之を憂とせざれども萬に一も此國土を擧げて之を西洋人の手に授るが如き大變に際したらば如何、恰も隣家を燒て自家の類燒を招くに異ならず、西人東に迫るの勢は火の蔓延するが如し隣家の燒亡豈に恐れざる可けんや故に我日本國が支那の形勢を憂ひ又朝鮮の國事に干渉するは敢て事を好むに非ず日本自國の類燒を豫防するものと知る可し是即ち我輩が朝鮮國の事に付特に政府の注意を喚起する由縁なり
(明治十五年三月十一日)
朝鮮の交際を論ず(現行版『福澤諭吉全集』収録版)
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日本と朝鮮と相對すれば、日本は強大にして朝鮮は小弱なり。日本は既に文明に進て、朝鮮は尙未開なり。此關係を以て相接して今日其交際の實況を見れば、我國より公使領事を遣て、彼の國よりも時として信徒の來るあるも、未だ通信の繁多にして親密なるものと云ふ可らず。又其貿易も釜山及び元山の輸出入一年僅に三百萬圓、尙蓼々たるものと云ふ可し。此交際に就て我政府今後の方略は何れの邊に在るもの歟。正に今の景況に安んじて其自然に任し、彼の國人も漸く自から發明して外交の緊要なるを知り、遂には我東京に在留の公使を派遣することもあらん、貿易商賣も彼國人が漸く自から其利益を知りたらば自然に繁盛に至ることならんと、百事漸を以て進て勢の自然に任するもの歟。是亦一策にして、大に心を勞するにも及ばず、財を費すにも及ばず、誠に安氣なりと雖ども、都て人間社會の事には俗に所謂行き掛りなるものありて、中途にして止む可らざるの勢に乘ずること多し。況や外國の交際に於てをや。大半は勢に由て事の成敗を來たすものなれば、今朝鮮の交際に於ても我政府は特に此事勢を察せざる可らず。抑も彼の國へは近年屡西洋人の窺ひしこともありしかども、開國の事成らずして之を中止したる其後に於て、明治八年我使節黒田井上の兩君が軍艦に搭じて直に其首府漢城に至り、一朝の談判に和親貿易の道を開きたるは、啻に二君の功名のみならず、我日本國の榮譽にして、聊か世界中に對して誇る可きものなきに非ず。即ち我日本國人の活潑力を人に示して其技倆の程を知らしめたるものと云ふも可ならん。斯る事の行き掛りなるを以て、今後朝鮮國が他の西洋諸國と條約を結ぶことあるも、我日本に限り最舊の和親國にして、交際上の事に就て常に其首座を占るは自然の勢なる可し。我國に始めて和親貿易の條約を結たるものは亞米利加にして、開國の初より舊幕政府の末年に至るまでは常に交際の首座を占め、維新の際に英國の人が聊か日本の國事に盡力したるを以て、其勢或は英人に移りたるが如くなるも、今日に在て我國民一般の視る所にては亞國人を重んじて、亞人も亦我國を親しむこと自から他國人に異なる所のものあるが如し。左れば我日本國が朝鮮國に對するの關係は、亞米利加國が日本國に對するものと一樣の關係なりとして視る可きものなり。既に此關係あり、然ば則ち朝鮮國との交際は我國に於て之を等閑に附す可らざるのみならず、其内國の治亂興廢、文明の改進退歩に就ても、楚越の觀を爲す可き場合に非ず。彼の國勢果して未開ならば之を誘ふて之を導く可し、彼の人民果して頑陋ならば之に諭して之に説く可し。其誘導説諭に就ては、我日本人は心身を勞することならん、又錢財をも費すことならんと雖ども、之を顧るに遑あらず、事の勢こゝに至れば亦た退く可らざるなり。啻に其誘導説諭に忙はしきのみならず、前號の社説に記したるが如く、方今彼の國に於ても鎖攘の黨類、往々都鄙に出没して、物論の穩かならざるは事跡に於て明白なる所にして、何れの時に何れの變を生ず可きやも計る可らず。若も此輩が事を擧げて假令ひ一日にても彼の政府の覊絆を脱することあらば、敵として向ふ所は必ず我日本人ならん。然るに今日朝鮮在留の日本人に自衞の用意ある歟。我輩必ず其足らざるを信ず。舊幕府の末に浪士の徒と稱する者が只管外國人を敵視して、或は之を途上に暗殺し、或は之を其止宿する所に殺さんとして、既に英國の公使を府下高輪の東禪寺に夜襲したる時の如きは、英人も大に恐れて、爾後は市中を往來するにも護身の用意を嚴重にするのみならず、故さらに自國の兵隊を横濱に屯衞せしめたることもあり。當時俗に之を英の赤隊と稱して、我輩は竊に英人の此擧動を見て其無禮を憤りしことなれども、事實其國人の安寧を保護せんとして事實其方便を得ざる場合には、他國に兵を置くも亦止むを得ざることなり。今朝鮮に於て我日本人民の安寧は之を泰山の安きと云ふ可らず。若し其安からざるを知らば、何ぞ速に之に備へざるや。或は朝鮮人の怯弱なる、之を慮るに足らずとの説もあらんと雖ども、萬中の一は測る可らず。假令ひ或は自衞の債を要せずとするも、彼の國人心の穩かならざる時に當て、我武威を示して其人心を壓倒し、我日本の國力を以て隣國の文明を助け進るは、兩國交際の行き掛りにして、今日に在ては恰も我日本の責任と云ふ可きものなり。
我輩が斯く朝鮮の事を憂て其國の文明ならんことを冀望し、遂に武力を用ひても其進歩を助けんとまでに切論するものは、唯從前交際の行き掛りに從ひ勢に於て止むを得ざるのみに出たるに非ず。今後世界中の形勢を察して我日本の爲に止むを得ざるものあればなり。方今西洋諸國の文明は日に進歩して、其文明の進歩と共に兵備も亦日に増進し、其兵備の増進と共に呑併の慾心も亦日に増進するは自然の勢にして、其慾を逞ふするの地は亞細亞の東方に在るや明なり。此時に當て亞細亞洲中、協心同力、以て西洋人の侵凌を防がんとして、何れの國かよく其魁を爲して其盟主たる可きや。我輩敢て自から自國を誇るに非ず、虛心平氣これを視るも、亞細亞東方に於て此首魁盟主に任ずる者は我日本なりと云はざるを得ず。我既に盟主たり。其隣國たる支那朝鮮等は如何の有樣にして、之と共に事を與にす可きや。必ずや我國に傚ふて近時の文明を與にせしむるの外なかる可し。若しも然らずして其國の舊套を存し其人民の頑陋に任したらば、啻に事を與にす可らざるのみならず、又隨て我國に禍するの媒介たるに至る可し。輔車相依り唇齒相助くと云ふと雖ども、今の支那なり、又朝鮮なり、我日本の爲によく其輔たり唇たるの實功を呈す可きや。我輩の所見にては萬これを保證するを得ず。加之不祥の極度を云へば、其國土が一旦遂に西人の蹂躪する所と爲ざるを保す可らず。今の支那國を支那人が支配し、朝鮮國を朝鮮人が支配すればこそ、我輩も深く之を憂とせざれども、萬に一も此國土を擧げて之を西洋人の手に授るが如き大變に際したらば如何。恰も隣家を燒て自家の類燒を招くに異ならず。西人東に迫るの勢は火の蔓延するが如し。隣家の燒亡豈恐れざる可けんや。故に我日本國が支那の形勢を憂ひ又朝鮮の國事に干渉するは、敢て事を好むに非ず、日本自國の類燒を豫防するものと知る可し。是即ち我輩が本論に於て朝鮮國の事に付、特に政府の注意を喚起する由縁なり。
〔三月十一日〕
- 福澤諭吉『福澤全集』第8巻、石河幹明 編、国民図書、1926年6月30日、411-415頁。
- 福澤諭吉『福澤諭吉全集』第8巻、富田正文・土橋俊一 編、岩波書店、1970年5月13日、再版、28-31頁。
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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