支那人失望す可らず

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支那人失望す可らず[編集]

支那の近状きんじやうを見ればます外國にせまられ所謂いはゆる今日一城をき明日一州をくの有樣にして外よりながむるもへ難き次第しだいなればして其國人の身とりては自からはらわたを割くのおもひある可し或は此極に至りては國事こくじ亦爲す可らずなど失望しつばう落膽らくたんするものもあらんなれども我輩は日本人として自から自國じこく經歴けいれきに徴し其現状げんじやうどく相違さうゐなけれども前途ぜんとの成行决して失望す可らざるを勸告くわんこくせんとするものなり抑も我國の今日あるをいたしたるは决して偶然ぐうぜんに非ず開國かいこく當初たうしよより非常ひじやう困難こんなんを經歴しやうやく現在の地位ちゐに達したるものにして當時の有樣ありさま回想くわいそうすれば今尚ほ悚然しようぜんたらざるを得ず徳川政府は外國ぐわいこく要求えうきうむを得ずして開國とけつしたれども國中の攘夷熱じやういねつはますさかんにして政府の威令ゐれいほとんど行はれず所謂いはゆる浪士らうしの輩處々しよ出沒しゆつぼつして外國人を暗殺あんさつする等その騷動さうだう一方ひとかたならず外國人は最初貿易ばうえきの一點よりして日本の開國をうながしたることならんなれども中には此有樣を目撃もくげきして竊に野心やしんもよほしたるものもなきに非ず彼等が國内の騷動さうだうに乘じ種々の無理難題むりなんだいけ結局自からしたるは實際の事實じゞつにして内々の魂膽こんたんは聞ておどろく可きもの多けれどもしばらく之をさしおき外にあらはれたる一二の出來事できごとに就て見るも時の事情じゞやうを察するに足る可し彼の生麥事件なまむぎじけんの如き僅々一二人の危害きがいの爲めに政府にせまりて十萬ポンドの賠償金ばいしやうきんを取りたる其上に軍艦を以て鹿兒嶋かごしま闖入ちんにふし其城下を砲撃はうげきしたる後更らに遺族ゐぞく扶助料ふじよれうとして薩州さつしうより二萬五千ポンドの金をはらはしめ又長州人がしもせきに於て外國船に砲發ほうはつしたりとて聨合艦隊れんがふかんたいの力を以て其砲臺はうだい破壞はくわいし政府より三百萬弗の償金しやうきんをさめたるが如き最もいちじるしき事實にして事のおこりの理非曲直りひきよくちよくは兎も角も其擧動きよどう亂暴らんばう至極しごく畢竟我弱味よわみ付込つけこんで自から利したるものに外ならず殊に維新革命ゐしんかくめいの時に際し英人が陰然いんぜんその事をたすけたるが如き新政府の創立さうりつちからへ其政府をおもふまゝに頤使いしして大に恩威おんゐたくましうせんとしたるものにして其志の小ならざるは無論、又當時ふつの二國が幕府ばくふに對して大に好意かういへうしたりと云ふも畢竟他に目的もくてきを存したるが爲めにして今日より考ふれば寒心かんしんに堪へざるの事實すくなからずさいはひに我國は種々の損害そんがいかうむらしめられたるのみにして土地とちうしなふに至らざりしかども對馬つしまの如きは一旦露國の爲めに占領せんりやうせられたるの姿すがたを成しやうやくにして取返とりかへしたることさへもあり要するに維新前ゐしんぜん外交ぐわいかう困難こんなんは毫も支那の現状げんじやうことならざる其困難を經過けいくわして今日あるをいたしたるのみ思ふに支那の開國かいこくは年既にひさしと雖も其進歩甚だ遲々ちゝとして外交の程度ていどは恰も日本の當時にひとしく今正に煩悶はんもん困頓こんとん經過期けいくわきに在るものなり豫後よごの成行、果して如何いかんと云ふに我輩の所見しよけんに於て决して失望しつばうす可らずと云ふ其理由りいうは支那の外形ぐわいけいおとろへたるが如しと雖も其體格たいかく肥大ひだいにして然かも内地の榮養えいやう充分じうぶんなるの一事は大にのぞみぞくす可き所なり同じ東洋の國にても朝鮮てうせんの如きは既に衰弱すゐじやくの極に達して回復くわいふくのぞみなけれども支那に至りては版圖はんと廣大くわうだいなると共に内の富源ふげんは殆んど無盡藏むじんざうにしてはかる可らず左れば外國の爲めに海岸の要地えうちきたりと云ふも版圖の全體ぜんたいより見るときは九牛きうぎうの一毛に過ぎず或は旅順りよじん威海衞ゐかいえいの如き渤海ぼつかい關門くわんもんにして此門をうしなふときは首府しゆふをびやかさるゝの危險きけんありと云はんかなれども今の北京の地位ちゐにして果して安全あんぜんならざるに於てはみやこ南方なんぱううつして自からまもるも差支さしつかへある可らず本來外國人がきそふて支那の土地を要求えうきうしたるは畢竟列國間の均勢きんせいたもたんとするが爲めにして全國を分割ぶんかつして之を支配しはいせんとの野心やしんあるに非ず或は實際にかゝる野心ありとするも全國の分割ぶんかつ到底たうてい行ふ可らずひて之を行ふときは其維持法ゐぢはふに窮して結局自からくるしむの外なきのみ故に支那人が目下の困難こんなんり自から奮發ふんぱつして其富源ふげんを開き大に國力をやしなふときは版圖はんと維持ゐぢの如き敢てかたからざるのみか或は既失きしつの土地を回復くわいふくして面目めんもくを全うするの望なきに非ず要するに支那の實力にめるは疑ふ可らざる所にして朝鮮などの貧弱國ひんじやくこくと同日の談に非ず今後の成行なりゆき决して失望しつばうす可きに非ざれば今の困難こんなんは恰も經過けいくわ順序じゆんじよとして自からなぐさむ可きのみ或は支那人のと爲れば日本の今日を見て大にうらやむことならんなれども日本は恰も支那の今日を經過けいくわして現在げんざい地位ちゐに達したるものなり支那人も早く目下の困難を經過けいくわして日本の今日にいたらんことをせざる可らず我輩は日本人として殊に同情どうじやうに堪へず其時機じきの一日もすみやかならんことを希望きぼうするものなり

明治31年(1898年)4月16日

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