- 初出:『時事新報』明治27年(1894年)7月4日
- 底本:『時事新報』明治27年(1894年)7月4日
- 所蔵:国立国会図書館新聞資料室
- 注釈:原文は漢字ひらがな交じり。句点はなし。
今回の出兵に就ては我國内に於ては曾て異議する者なし平生の政論如何に拘はらず國中擧て政府の政略を贊成するは人文の進歩鬩墻の弊を兔かれたるの證として見る可し我輩の特に滿足する所なれども此事たる日本一國の内政に非ずして東洋全面の治安に關する問題なれば文明諸外國人の注意も自から穎敏ならざるを得ず區々の評論多き中にも最初より我政略を是視して稱贊する者あれば或は聊か之に對して疑を存する者もなきに非ざるが如し其これを疑ふ者の説に據れば日本の出兵自から無名に非ず隣國の内亂に際して居留民を保護するとあれば無理ならぬ次第なれども其内亂とは單に烏合の一揆にして左まで恐るゝに足らざる尚ほ其上に居留の日本人とて素より多數に非ざれば之が爲めに大兵を動かすの必要はなかる可し鷄を割くに牛刀を用るの嫌はなきや果して牛刀の用なきを認めたらば之を撤回しては如何とて竊に語り合ふ人もあるよし傳聞したれども我輩の所見は之に同意するを得ざるものなり抑も彼の東學黨なるものは烏合の衆とは云ひながら凶年に饑えたる流民の類に非ず又英雄豪傑の士が野心を逞ふして時の政府を顛覆せんとするの企あるに非ず實は積年政府の無法に窘められたる各地方の人民が不平を訴るの道なくして失望の餘りに蜂起したる者なれば政府に抵抗して力足らざれば四方に散じて痕なきが如く更に釁の乘ず可きものあれば聲に應じて復た集り其集散出沒計る可らず恰も慢性の内亂にして一時鎭定の姿を呈するも决して根治に非ざるは昨年來の事實に徴しても明に知る可し故に數日以來の報道に賊徒は全州を去て事既に治まりたりなど云ふものあれども唯是れ慢性病中の輕快のみ少しく醫藥を怠るときは其再發は期して待つ可し畢竟その亂源は政府の失政に在ることなれば政法の根底より改革せざる限りは五年も十年も安心の期はある可らず即ち我政府が出兵したるも一は以て居留人民の生命財産を保護すると同時に又一歩を進めて其政法の改革を促し以て永久に亂源を絶たんとするの意にして兵員の少なからざるも之が爲めなりと推測して相違なかる可し或は政治上の改革に兵力は無用なるに似たれども文明流の改革を悦ばざるは未開國人の常にして苟も兵力の恐る可きものを見るに非ざれば因循姑息際限なきが故に不本意ながら威嚴を示すの變通策に出でざるを得ず例へば近日香港にて黒死病の豫防に付ても支那人の頑陋なる衞生法に從はざるが故に英の殖民地政府は止むを得ず兵力に訴へて脅迫手段を用ひたりと云ふ僅に流行病を豫防せんとするにも兵力の必要あり然るを况んや一國政治の改革に於てをや周公孔子の末流にして腐敗の極に沈みたる朝鮮人が何として文明流の忠告に耳を傾く可きや上流は腐儒の巣窟、下流は奴隸の群集、寸前暗黒公私百年の利害を知らずして唯軍艦銃砲の恐る可きを知るのみ斯る頑民を導て文明の門に入れんとするには兵力を以て之に臨むの外好手段あることなし彼等が一時の狼狽は誠に氣の毒なる次第なれども亦是れ腐敗國の運命として暫時を忍び他年一日その迷夢の醒むるを待て忠告者の大恩を感ずることある可し但し我輩が爰に兵力と云ふ其兵は實際これを用ひるに非ずして單に其威を示すのみ之を喩へば封建の時代に武士が双刀を帶して百姓町人に接するは决して之を斬るの意なしと雖も平民等は其双刀を見て腰間の秋水これを拔かれては自分等の首は直に落るものと思ひ特に武家を尊敬して大抵の事なれば意を枉げても之に服從したるが如し故に今度京城に在る我兵隊は日本國の双刀にして决して朝鮮國を斬るものに非ず唯彼等をして帶刀の威勢に恐れて我忠告に服從せしめんが爲めのみ况んや其帶刀者の心事は至極優しくして彼等の獨立を助成し共に文明の徳澤に浴して文明の快樂を與にせんとするものなるに於てをや恐怖する勿れ狼狽する勿れ親しく來て共に語る可し其言ふ所時として汝等の耳に逆ふこともあらんと雖も良藥口に苦きのみ之を彼の甘言に誘惑せられ虚聲に脅嚇せられて獨立の體面を傷くるものに比すれば利害榮辱天淵も啻ならざる可し
明治27年(1894年)7月4日
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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