- 初出:『時事新報』明治31年(1898年)3月22日
- 底本:『時事新報』明治31年(1898年)3月22日
- 所蔵:国立国会図書館新聞資料室
- 注釈:原文は漢字ひらがな交じり。句点はなし。
日清戰爭次第に歩を進めて連戰連勝、日本人最後の目的は北京を屠るの一事にして意氣軒昂眼中既に四百餘州なし敵國をしていよ〳〵城下の盟を成さしむるは機一髮の其瞬間に至り漸く和議の端を開て其條件は賠償金二億兩遼東半島臺灣澎湖島の割讓なりと云ふ當時日本人の考にては四百餘州は既に我掌中のものなり如何なる事を命ずるも彼に於て異議はある可らず斯る條件にて媾和とは寛仁大度の處置にして定めて感泣することならんと思ひの外支那人は却て其條件を重しとして土地の割讓は勿論、賠償の金額に就ても大に苦情を訴へながら戰敗國の弱味に止むを得ずして承服したる次第なりしに其條件に付き端なく外國の干渉を惹起し其結果、日本は遼東半島を元の儘に還付して止むに至れり思ふに支那人の身に取ては所謂地獄に佛の心地して竊に外國人を泣拜したることならん渇者は水を擇ぶに遑あらず半島の割讓を兔かれたるは全く外國人と名くる生佛のお蔭なりとて只管これを徳としたるは戰敗者の情として怪しむに足らざれども抑も外國交際の眞面目は自利の外に見る可らず明白の事實にして外交家の伎倆とは巧に口實を飾りて自利の目的を達するに過ぎざるのみ彼の外國の日本に對する忠告に支那大陸の割讓を以て東洋の平和に妨げありと云ふ其理由は兎も角も實際の結果は日本を抑へて支那を利せしめたるものに外ならず支那の爲めには難有仕合なれども今の外交上に毫も自から利する所なく單に他を抑揚し其喜怒を買ふて自から喜ぶものある可きや彼等の支那を利せしめたる其目的は更らに大に支那より利せんとするに在りしや甚だ明白にして必ずしも今日を俟たず當時既に我輩の明言して支那人の爲めに惜しみたる所なり思ふに支那人决して愚ならず自から大體の利害を見るの明はありながら當時の有樣は危急存亡後を顧みるに遑あらず只眼前の急を兔かるゝが爲めに外國の干渉を渡りに舟と認めて取り敢へず其救助に依りたることならん止むを得ざる次第なれども時を經る儘に三四年昨今の成行は果して如何、當年の佛は忽ち閻魔に變じ其要求甚だ大にして今日まで讓りたる所を見るに其大小遼東半島と同日の談に非ず其趣は恰も一萬圓の金を借用して返濟に差支へ他人に依頼して種々に談判の末、その周旋のお蔭にて漸く返金の急を兔かれたれども周旋人の爲めに五萬圓の禮金を取られたるが如し割に合はざる談にして今日に至りては寧ろ遼東半島を日本に與へたるの得策たりしを認めしことならん近來支那人が外國人のいよ〳〵恐る可きを感じ日本に親しむの心を生じたるは實際の事實にして北京電報に支那の君臣は一般に日本に依頼するの念を懷くに至りしと云ふが如き此邊の情况を報じたる者に外ならず又我輩の別に接手したる報道に據るも彼の張之洞の如き近來大に悟る所あり此程の便船にて部下の一人を日本に渡航せしめ其報告に由り凡そ百五十名の留學生を我國に送り各種の事物を學習せしむる筈なりと云へり是種の所報に徴するも以てます〳〵支那人近來の傾向を見るに足る可し抑も日本人决して無慾ならず支那に對して大に求むる所なきに非ざれども其求むる所は土地に非ず人民に非ず只商賣貿易の一事にして其目的は自から利し兼て他を利せんとするに外ならず而して此目的を達するには成る可く彼の國人に近づき相方の情意を通じて互に相親しむに在るのみ蓋し支那人も漸く日本人の心事を解し漸く年來の猜忌心を去りたる者にして彼より進んで親しまんとするこそ好機會なれば充分に好意を以て彼れに接し以て其目的を達す可きのみ日清戰爭の事は今更ら云ふ可きに非ざれども古來武士の言にも勝負は時の運に由ると云ひ勝たりとて誇る可きに非ず負けたりとて輕蔑す可らず况して今日に於ては純然たる和親國にして一毫の介意もある可らざるのみか殊に最近の比隣國平常の交際頻繁なる其上に自から利害の關係も密接なることなればます〳〵相近づき相親しむ可きのみ或は彼の國人の平生を見れば運動遲緩にして活發の氣風を缺くに似たれども是れは其國の大にして自から動くに便ならざるが爲めに外ならず一たび動くときは案外に驚く可きものあらんなれば决して因循姑息を以て目す可らず况んやチヤン〳〵、豚尾漢など他を罵詈するが如きに於てをや假令ひ下等社會の輩としても大に謹しまざる可らず日本人たるものは官民上下に拘はらず自から支那人に親しむの利益を認め眞實その心掛を以て他に接すること肝要なりと知る可きものなり
明治31年(1898年)3月22日
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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