改革の着手は猶予す可らず

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改革の着手は猶豫す可らず[編集]

朝鮮てうせん國事こくじ改革かいかく必要ひつえうなりとしていづれの邊より着手ちやくしゆせんかと云ふに我輩は外國人ぐわいこくじんのことなれば直接ちよくせつ不便ふべんかんずる彼の外交の改良かいりやううながさゞるを得ず外交のしようあたる者を外務督辨ぐわいむとくべんと稱して我國にて云へば先づ外務大臣の地位ちゐ長上官ちやうじやうくわんなれども其實はまつたくの無權力むけんりよくにして外交の談判だんぱん專對せんたいするを得ず理非りひ利害りがい明白めいはくなる事柄ことがらにても必ず其筋そのすぢ内意ないゝけて恰も取次とりつぎ同樣どうやうのことをつとむる其内意のはつする所は一種の全權ぜんけんにして之を勢道せいだうと稱し能く國事こくじ左右さいうするのちからあれども公然こうぜんたる執權しつけん資格しかくを以て外面ぐわいめんあらはるゝことなくぞくに云ふ蔭武者かげむしや地位ちゐに居て勝手次第かつてしだい無理剛情むりがうじやうるが故に督辨とくべんは外國人と勢道せいだうとの中間ちうかんはさまりて進退しんたいきうし唯一時を彌縫がほうしてせめまぬかれんとしかなはざるときはやまひなど稱してのがるゝのみ諸開港塲しよかいかうぢやうに在る地方官ちはうくわん不始末ふしまつも亦大抵同樣にして内外人民のあひだ商賣上しやうばいじやう間違まちがひもあり刑事上けいじゝやう事變じへんもありていづれも審判しんぱんを要することなれども事實の取調とりしらべと云ひ政廳せいちやう評議ひやうぎと稱し因循姑息いんじゆんこそく日一日をむなしふしてみぎともひだりともけつすることなき其内にたちま主任官しゆにんくわん兔職めんしよく轉任てんにんさい舊令尹きうれいいんさつ新令尹しんれいいんきたり一切の公務こうむは新任者と共にあらたにして年來ねんらい停滯ていたいしたる詞訴ししやう事件じけんも更にたんあらためて第二の停滯ていたいもよほしほとんど際限さいげんあることなし現に釜山ふざんの一港に於ても日本人と朝鮮人との間に取引上とりひきじやう行違ゆきちがひを生じたること何十件の多きにたつし幾年もらちかずして到底たうてい落着らくちやく見込みこみなしと云ふ凡そ是等の宿弊しゆくへいのぞかんとするには中央政府ちうわうせいふに於て外交のしやうあたる者又開港塲かいかうぢやう在勤ざいきんして貿易ぼうえき事務じむつかさどる者は名實めいじつ共に全權ぜんけんにして責任せきにんの在る所をあきらかにし假令たとひ其人がしよくるも其職務は繼續けいぞくして事をするに差支さしつかへなからしむるのみか差向さしむきの必要として内外人の差縺さしもつれに關して特に裁判法さいばんはふまうくること今日の急なる可し又外交をほかにして更に内治ないぢの内情を見ればその紊亂びんらんさま前節ぜんせつしるしたるとほりの次第にしてけやうもなきものと云ふ可し彼の地方官が税權ぜいけん法權はふけん濫用らんようして私利しりいとなむのみならず大小だいせう官吏くわんりはじめとして所在しよざい無數むすう士大夫したいふわたくしひととらものかすむるも之をきんずる者なく甚だしきは私家しかに人を禁錮きんこし時としては死にいたらしむるが如き畢竟ひつきやう數百年來の沿革えんかくより自然しぜんに生じたる流弊りうへいなりと雖も今にして之をのぞかんとするには何は扨置さておき先づ國法に依頼いらいするの外あらざれば改革かいかくの第一として法律はふりつ改正かいせい着手ちやくしゆす可し既に之を改正してその實行じつかううながすには視察しさつ實力じつりよくとを要するが故に同時に警察法けいさつはふつくりて憲兵けんぺい巡査じゆんさ仕組しくみまうく可し又收税法しうぜいはふの改革、國庫金こくこきん出納すいにふ整理せいりは最も急要きふえうにして之が爲めには貨幤くわへい制度せいどを定め又は銀行ぎんかう設立せつりつも要用なる可し尚ほ此外に海陸兵制かいりくへいせいの事あり宗教しうけうの事あり學校がくかう教育けういくの事あり衞生えいせいの事あり勸業くわんげふの事あり運輸うんゆ交通かうつう道路だうろ橋梁けうりやうの事ありいづれも數百年來の舊習慣きうしふくわん一掃いつさうするに非ざれば改新の實効じつかうを見る可らず滿腹まんぷく腐敗物ふはいぶつ停滯ていたいには唯吐下劑とげざいの一方あるのみ又公然たる國事には關係くわんけいなきが如くなれども彼の國に於て宦官くわんぐわんを宮中にもちゆるの法は是非ぜひとも廢止はいしす可きものなりと我輩の敢て斷言だんげんする所なり朝鮮に宦官の法はいづれの時代じだいはじまりしや知る所に非ざれども深宮しんきうの中に男女なんによ雜居ざつきよせしむるは危險きけんなりとておそる可き手術しゆじゆつほどこして男子なんし陽道やうだうち之を君王々妃くんわう座右ざいうちかづけて宮女きうぢよと共に日用にちよう使役しえきする者なりと云ふ彼等かれら人爲じんゐを以て不具ふぐと爲ると雖も精神せいしん異同いどうあらざれば才力さいりよくある者は君王くんわう昵近じつきんするを幸に次第しだいちやうけんほしひまゝにし時としては政府の人をして畏懼いたんせしむるに至ること多しと云ふ明治十七年の亂に朴泳孝ぼくえいかう金玉均きんぎよくきんの一類が宮闕きうけつに於て第一に當時たうじ執權しつけん宦官くわんぐわん柳在賢りうざいけんちうしたるを見ても知る可し實に普通ふつうの人心には了解れうかいくるしむ程の奇談きだんなれども其政治上に關係くわんけいするとせざるとはしばらさしおき僅に國王の便利べんりの爲めなりとて無辜むこひときづゝけて片輪者かたわもの不幸ふかうおとしゐ獸類ぢうるゐむかつてもしのびざる殘酷ざんこく敢行かんかうして以て宮中きうちう不取締ふとりしまりへいふせがんとするとは人間にんげん無上むじやう惡事あくじにして不人ふじん極度きよくどたつしたるものと云ふ可し故に我輩は政治上せいぢじやうの關係如何を問はず宦官の法は人肉じんにくくらふ者の亞流ありうなりとしたゝめ今回のじようじてついでながら廢止はいしせしめんと欲する者なり以上いじやう枚擧まいきよする所の諸件しよけん着手ちやくしゆせんとするには大に官途くわんと社會しやくわい沙汰さたして人物じんぶつ黜陟ちゆつちよくすることなれば文明にれざる彼の國人が之をよろこばざるは勿論、利害りがい直接ちよくせつする官吏又例の士大夫したいふの輩は全力ぜんりよくつくして抵抗ていかうこゝろみることならん未開國人みかいこくじん無理むりならぬ次第なれども彼等の爲めにはかり一時の不愉快ふゆくわいは一時のゆめあきらめて之をしのび他年の快樂くわいらくを以て之をつぐなひ果して報酬はうしう過分くわぶんなるを發明はつめいするの日ある可し是即ち我日本國人が隣國りんごくよしみを以て之にのぞ軍隊ぐんたいなづくる双刀さうとうたいして嚴重げんぢうに其國事の改革かいかくうながす所以なり

明治27年(1894年)7月6日

現代訳[編集]

 朝鮮国事の改革が必要だとしてどの辺から着手するかといえば、筆者は外国人だから直接に不便を感じる彼の外交の改良を促さざるを得ない。

 外交の折衝に当たる者を外務督弁と呼び、我国で言えばまず外務大臣の地位にいる長上官なのだが、その実は全くの権力が無く外交の談判に専対せず、判断や利害の明白な事柄であっても必ずその筋の内意をうけて、あたかも取次同樣のことを勤めている。

 その内意の発する所は一種の全権でありこれを勢道と呼び、よく国事を左右する力があっても公然に執権の資格をもって外面に現れることなく、俗にいう影武者の地位にいて勝手次第に無理強情を張るがゆえに、督弁は外国人と勢道との間に挾まれて進退に窮し、ただ一時を取りつくろって責を免かれようとし叶わないときは病などいって逃れるだけだ。

 諸開港場にある地方官の不始末もまた大抵同樣で、外国人との間に商売上の間違いもあり、刑事上の事件もあっていずれも審判を必要とすることなのだが、事実の取調べといったり政庁の評議といったりして因循姑息に日一日を空くして右にも左にも決することがないそのうちに、たちまち主任官の免職と専任に際して旧令尹が去り新令尹が来て、一切の公務は新任者と共に新しくなり年来停滞した詞訴事件もさらに振り出しに戻って第二の停滞をもよおしほとんど際限がない。

 現に釜山の一港だけでも日本人と朝鮮人との間に取引上の行違いを生じたことは何十件という多さに達し、何年も埒が明かずに到底決着の見込みがないという。

 およそこれらの宿弊を除こうとするには、中央政府において外交の折衝にあたる者、また開港場に在勤して貿易の事務を司る者は名実共に全権として責任の所在を明らかにし、たとえその人が職を去ってもその職務は断続して事を進めるのに差支えなくさせるだけでなく、さしあたりの必要として外国人とのいざこざに関して特に裁判法を設けることが今日急がれる。

 また外交のほか、さらに内政の内情を見ればその紊乱のさまは前節に記した通りの次第であり手の着けようもない。

 彼の地方官が収税権、司法権を濫用して私利を営むのみならず、大小の官吏を始めとして所在無数の士大夫が私的に人を捕え物を奪ってもこれを禁じる者がなく、甚だしきは私家に人を禁錮し時としては死に至らしめるような、畢竟数百年来の沿革より自然に生じた流弊だといっても、今にしてこれを除こうとするには何はさておきまず国法による外にないため、改革の第一として法律の改正に着手すべきだ。

 すでにこれを改正してその実行を促すには視察と実力とが必要だから、同時に警察法を作って憲兵巡査の仕組みを設けるべきだ。

 また収税法の改革、国庫金出納の整理は最も急要であり、このためには貨幤の制度を定めまた銀行の設立も必要だ。

 なおこの外に陸海軍制度の事があり、宗教の事があり、学校教育の事があり、衛生の事があり、観業の事があり、運輸交通、道路橋梁の事がありいずれも数百年来の旧習慣を一掃しないわけにいかないから、改新の実効を見るべきではない。

 満腹腐敗物の停滞にはただ吐下剤の方法あるのみで、また公然の国事には関係のないようだが、彼の国において宦官を宮中に用いる制度は是非とも廃止すべきものと筆者は敢て断言する所だ。

 朝鮮に宦官制度はどの時代に始まったのか知る所にないが、深宮の中に男女を雑居させるのは危険だといって、恐るべき手術を施して男子の生殖を断ち、これを君王王妃の座右に近づけて宮女と共に日用に使役する者だという。

 彼等は人為をもって不具の身となるといっても精神に異同がなければ、才力ある者は君王に近づくのを幸いに次第に寵愛を得て権力をほしいままにし、時としては政府の人間をして畏怖させるに至ることが多いという。

 明治十七年の乱朴泳孝金玉均の一派が宮殿において、第一に当時執権の宦官柳在賢を討ったのを見てもわかる。

 実に普通の人の心には了解に苦しむ程の奇談なのだが、その政治上に関係するしないはしばらくさしおいて、わずかに国王の便利のためでも無辜の人の身を傷つけて障害者の不幸に陷れ、獣類に向かっても忍びない残酷を敢行して、もって宮中不取締の弊を防ごうとするとは、人間無上の悪事にして非人間性の極度に達したものというべきだ。

 ゆえに筆者は政治上の関係いかんを問わず宦官制度は人肉を喰う者の悪流としたため、今回の機に乗じてついでながら廃止させようと望む者だ。

 以上枚挙した所の諸件に着手しようとするには大きく官吏社会を処理して人物を取捨することだから、文明に慣れない彼の国人がこれを喜ばないのはもちろん、利害に直接する官吏やまた例の士大夫の輩は全力をつくして抵抗を試ることだろう。

 未開国人には無理のない次第だが、彼等のためを考え一時の不愉快は一時の夢と諦めてこれに耐え、他年の利益をもってこれを償い果して報酬が過分になることを発見する日が来るだろう。

 これがすなわち我日本人が隣国のよきをもってこれに臨み、軍隊と名のつく双刀を帯して、厳重にその国事の改革を促すゆえんだ。

関連資料[編集]

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