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埃及マカリイ全書/第二講話

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第二講話

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<< 暗国あんこくすなはちつみくにことおよかみひとわれよりつみのぞきて、われ悪王あくおうれいたるよりすくこと。 >>

一、 悪王あくおう――暗国あんこく最初さいしょひととらへ、やみけんもつ霊魂たましいせしこと、ひとせるごとくなりき、これひとおうとなして、すべておうたるふくかれにあたへんがためにして、かしらよりあしいたまでひとおうぞくするものをことごと着用ちゃくようせんがためなり。かくのごと悪王あくおう霊魂たましひ実体じったいにすべてつみせて、すべてこれをけがし、すべてをおのれくにとらへ、いつりょさい身体しんたい其権そのけんよりゆうなるものとしてそんせしめず、これにやみふくをかうむらしめたり。たとへば身体しんたいおいくるしむはいちぶんあらず、またいつたいにもあらずして、全体ぜんたいすべてくるしみにかかるごとく、霊魂たましひ悪習あくしゅうつみやまひためにすべてくるしめり。悪者あくしゃひと緊要きんようぶん緊要きんようたいたる霊魂たましひにすべて其悪そのあくせたり、すなはちつみせたり、さればかくのごとくして、身体からだくるしみをうけて、敗壊はいかいするものとなれり。

二、 使徒しとはいへり、『ふるひとぐべし』〔コロサイ三の九〕と。かくときは、完全かんぜんひと想像そうぞうして、その相応そうおうし、そのかしらかしら相応そうおうし、其耳そのみみみみに、その相応そうおうして、其足そのあしあし相応そうおうするものしめすなり。けだし悪者あくしゃ霊魂たましひ身体からだ全人ぜんじんけがしてこれをおのれ引誘いんゆうし、ひとするにかいけつにしてかみてきし、かみほうしたがはざるふるひともつてする、すなはちつみもつてするは、これひとほつするごとずして、しくしくき、其足そのあし悪行あくぎょういそぎて、ほうし、こころあくおもはしめんがためなり。ゆえわれふるひとおのれよりがんことをかみいのらん、なんとなればひとかみわれよりつみのぞくをればなり。われらをとらへて其国そのくに拘留こうりゅうするものわれよりつよし、されどかみわれれいたるよりすくはんとの約束やくそくをあたへたまへり。たとへば太陽たいようひかかがやきてふうわたらんに、太陽たいようにも其体そのたい其性そのせいとあり、かぜにも其性そのせい其体そのたいとあれども、もし独一どくいつかみかぜめてかざらしめずんば、たれかぜ太陽たいようよりぶんしてべつすることあたはざるべし。かくのごとつみ霊魂たましひこんぜり、しかれどもつみにも霊魂たましひにも各々おのおの特別とくべつせいあるなり。

三、 ゆえにもしかみ霊魂たましひにもまた身体からだにもところあくなるかぜましめず、かつこれをとどめずんば霊魂たましひつみよりぶんしてべつすることあたはざるべし。またたとへばひとあり、とりて、みづかばんとほつすれども、よくたずして、ぶあたはざるべし、かくのごとひとにもきよものとなり、なんすべからざるものとなり、けがれざるものとなり、悪習あくしゅうおのれゆうせず、つねかみともらんとほつするののぞみあり、しかれどもひとそのちからはあらざるなり。ひと神聖しんせいなるくうに、聖神せいしんゆうたかばんをねがふ、しかれどもよくをうけざらんあいだは、あたはざるべし。ゆえに聖神せいしんはとつばさわれあたたまはんことをかみいのらん、われかみりてやすきをんがためなり、〔聖詠五十四の七かつあくなるかぜすなはち霊魂たましひ身体からだしょところつみ霊魂たましひ身体からだとよりはなしてこれをわれ断絶だんぜつせんがためなり。けだしかみひとこれをなすことをべし。ふあり、『よやつみかみこひつじ』〔イオアン一の二十九〕。かれひとかれしんずる人々ひとびとこのあはれみをほどこして、かれつみよりすくたまへり、つくされざるすくひつねかつのぞみて、だんにこれをたづぬるものかれはこれをげしむるなり。

四、 たとへば暗黒あんこくなるしん烈風れっぷうすさみて、あらゆる植物しょくぶつ種子たねとを動乱どうらん震撼しんかんせしむることあらん、かくのごとひと暗黒あんこくなる魔鬼まきけんち、かん暗中あんちゅうりておそるべくすさめるつみかぜ動揺どうよう震撼しんかんせられん、さればひとのすべてのせい霊魂たましひりょさい擾乱じょうらんうちにありて、身体からだのあらゆるぶん震撼しんかんせん。霊魂たましひ身体からだいちいつゆうるあらずして、われつみためくるしまざることあたはざるべし。これとおなじくひかり聖神せいしん神聖しんせいなるかぜのあるありて、かれ神聖しんせいなるひかり日中にっちゅう霊魂たましひき、これを快活かいかつならしめて、霊魂たましひ全体ぜんたい透徹とうてつし、もろもろねんと、すべての実質じっしつと、身体しんたいしょすずしうし、神聖しんせいなるもいはれざる安息あんそくもつやすんぜしめん。使徒しとはこれをあらはして、つぎごとくいへり、いはく『よるやみにあらずして、なんぢひかりひるなり』と〔フェサロニカ前五の七〕。さればかしこにおいては誘惑ゆうわくうちにありて、ふるひと完全かんぜんなるひとおのれよりだつして、暗国あんこくころもふくし、すなはちぼうしん無忌むきたんきょ驕傲きょうごうたん肉慾にくよくころもふくすべく、おなじくまた暗国あんこくころもなるけつかいなるへいふくせん、かくのごと此処ここおいてはぞくするふるひとおのれよりだつし、イイスス暗国あんこくころもだつせしめたるかれは、ふたたあたらしきてんぞくするのひとなるイイスス ハリストスん、しかしてかれまたふたた相応そうおうしてそのゆうし、みみ相応そうおうしてそのみみゆうし、かしら相応そうおうしてそのかしらゆうし、全人ぜんじんきよきものとなりて、てんじょうおのれかうむるをいたさん。

五、 ゆえにしゅかれせるにもいはれざる光国こうこくころももつてし、しんぼうあいえつ平安へいあん憐憫れんびんじんころももつてし、おなじくまたおよその神聖しんせいにして快活かいかつなるひかりと、生命いのちと、もいはれざる安息あんそくころもとをもつてするは、これかみあいたり、よろこびたり、へいたり、じんたり、憐憫れんびんたるごとく、あたらしきひと恩寵おんちょうによりてかくのごとものとならんがためなり。それ暗国あんこくつみとは復活ふくかついたまで霊魂たましひにかくるるありて、罪人ざいにん身体からだ今日こんにち霊魂たましひかくるるところやみにておほはれん、かくのごとひかりくにてんじょうすなはイイスス ハリストスいま奥密おうみつ諸聖人しょせいじん霊魂たましひてらして霊魂たましひしゅたらん。しかれどもこは人々ひとびとにはみつえざるものとしてそんし、復活ふくかついたまではただいつ心霊しんれいもつてのみハリストスじつらるべくして、身体からだ今猶いまなほひと霊魂たましひところしゅひかりもつておほはれ、かつ頌揚しょうようせられん、これとき身体からだ今日こんにちなほハリストスくにおのれけ、これにやすんじて永遠えいえんひかりもつてらさるるところ霊魂たましひともおうたらんがためなり。光栄こうえいかれ洪恩こうおん仁心じんしんとにす。かれその諸僕しょぼくをあはれみ、これをらして、これを暗国あんこくよりすくひ、これにそのひかり其国そのくにとをあたへたまはん。かれ光栄こうえい権柄けんぺい世々よよす。アミン。