埃及マカリイ全書/第三講話

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第三講話[編集]

<< けいていせいちょくあいへいとにより、たがひせいじつもつせいぞんして、ないねんたたかふべし。 >>

一、 けいていたがひおほいなるあいまもらんことをようす、かれとうせんか、あるひせいしょまんか、あるひなんこうさくにかじゅうせんも、たがひあいもといとなすべし、かくのごとくならば、かれゆうなるにんかみめぐみをうくるをん。それあるものとうし、あるものみ、あるものこうさくせんに、たがひじつせいちょくとにるあらば、かれみなこれしてえきあらん。けだしいかにしるされしかをよ、『なんぢむねてんにおこなはるるごとにもおこなはれん』〔マトフェイ六の十〕。てんしらてんおいへいあいとによりせいぞんして、たがひにおほいなるいっちり、かしこにはこうまんあるひさいのあるあらずして、たがひあいせいじつとのみなるごとく、けいていたがひにかくのごとくにしてらんことをようするなり。それさんじうにんにしていちしたらんにはかれしゅうじつしゅうこれしつづくることあたはざるべし、かへつかれうちあるものとうろくかんおくり、このんでむべく、あるものねっしんえきすべく、またものなんこうさくにかじゅうすべし。

二、 ゆえけいていよ、もしなにところあらば、たがひあいよろこびとにらんことかんようなり。こうさくするものとうするものごとくいふべし、『わがけいていりょうするたからきょうどうのものなり、ゆえにわれもこれをりょうす』と。またとうするものどくきょうするものつぎごとくいふべし、『かれどくきょうおいえきするものためにもえきにならん』と。またこうさくするものさらごとくいふべし、『わがつくきんろうにはきょうどうえきあり』と。たとへばえだおほけれど、かれいったいして、たがひあひたすけ、ししおのおのじこしょくぶんつくすがごとし、しかのみならず、ぜんしんためかんすべく、もすべてのたいためはたらくべく、あしからだしょみづかせてくべくして、えだまたほかえだかんともにせん、けいていたがひかくのごとくなるべし。さればとうするものこうさくするものなんして、かれとうせずといふことなかるべし。こうさくするものとうするものなんして『かれとうをつづくれどわれこうさくす』といふことなかるべし、またえきするものなんせざるべし。かへつておのおのなにをなすとも、かみさかえのためにすべし。どくきょうするものとうするものあいよろこびとをもつて、ごとおもふべし、『かれためにもとうす』と。しかしてとうするものこうさくするものつぎごとおもふべし、『かれところこときょうどうえきためになす』と。

三、 かくのごとくなれば、おほいなるいっちへいどうしんとは、しゅうじんへいどうめいたがひたもたしむるをべし、さればかみおんけいをおのれにゆういんして、たがひじつせいちょくとにるをん。されどもすべてのうちおいいとぢょうようなるは、ときしたがひてとうつとむるにあることあきらかなり。しかのみならずもとむるところもくてきゆいいつなるべし、すなはちたからいのちとをたましひゆうする、すなはちしゅこころゆうすることこれなり。たれこうさくせんか、あるひとうせんか、あるひどくきょうせんか、ざんうつらざるしょとくゆうすべし、すなはちせいしんゆうすべし。あるひといへり、しゅひとびとよりいつけんぜんなるけっかうながすのみにして、いんぜんなるものはかみみづからこれをたまふと。しかれどもじっさいはかくのごとくならず、これとあひはんして、たれがいひとおのれぼうしゅするほどは、いよいよねんかくちくしてふんとうせんことをようす、なんとなればしゅなんぢみづかおのれいかり、おのれたたかひし、あくなるねんどうせずして、これをたのしまざらんことをなんぢよりようきゅうすればなり。

四、 さりながらつみわれところあくこんぜつせんことは、これただかみちからもつてのみじょうじゅせらるべし。けだしじこちからもつつみこんぜつせんことは、ひとにあたへられず、かつあたはざればなり。つみとたたかひ、ていこうしてきずはせ、あるひはこれをくるは、これなんぢちからにあり、しかれどもこんぜつするはかみぞくす。もしなんぢみづからこれをすをくせば、なんようありてしゅきたたまはんや。たとへばひかりなくしてるあたはざらん、あるひしたなくしてひ、あるひみみなくしてき、あるひあしなくしてき、あるひなくしてこうさくすることはあたはざらん、かくのごとイイススなくんばすくはるることもてんこくることもあたはざるなり。されどもしなんぢごとふならば、『らるるごとわれほうとうものあらかんいんしゃあらず、たんしゃあらず、ゆえにじんなり』といふならば、これなんぢはやいっさいせいぜんせりとおもふて、いざなはるるなり。ひとみづかぼうぎょすべきつみぶんはただみつのみにあらず、そのかずせんせんなり。こうまんむきたんしんさいしっとこうかつぜんごといづこよりきたるか。なんぢはこれらとひそかねんうちおいかくちくふんとうせざるべからざるにあらずや。なんぢいへぞくあらば、かれはやがてなんぢうちたふさん、しからばこはなんぢをしてあんぜんならしめざるのみならず、なんぢみづかかれとつげきして、かれにきずこうむらしめ、あるひきずけん、かくのごとたましひていこうてきたいぼうぎょせざるべからざるなり。

五、 なんぢゆうなるにんてきこうしてろうゆうしゅうとにりつつつひつをはじめん、にんたふれてまたき、つみあらたにかれをへんせん、たびじつたびたたかひちて、たましひへんせん、しかれどもたましひまたぜんぜんあるいちおいつみたん。ゆえにもしたましひかたちてなにごとおいてもよわらざらんときは、ゆうせいり、けっせんして、つみつをはじめん。しかれどももしときちゅうしておのれかへりみるならば、『せいぜんひととなりせいちょうりょうたつして』〔エフェス四の十三じゅうぶんつにいたまでは、つみなほまったひとたん。けだししるしてふあり、『さいほろぼさるるてきなり』〔コリンフ前十五の二十六〕。かくてひとびとつみかして、そのしょうしゃとならん。しかれどもぜんぶんにいひしごとく、もしたれか『われほうとうものにあらず、かんいんしゃあらず、たんしゃあらず、ためにこれをもつれり』とものあらば、これかくごとあひおいかれみつぶんたたかへども、じうたたかはず、すなはちつみおなじくたましひたたかはんとするじうとはたたかはずして、かへつてかれたるるなり。ゆえにすべてにおいたたかひ、かつかくとうせんことをようす、なんとなればわれがしばしばひしごとく、かくりょくしゃにして、つみきょうそうし、おもひにていこうせんがためどうとうちからゆうすればなり。

六、 されどももしはんたいちからさらつようして、あくしゅうひとまったおうたりといふならば、これサタナしたがひしがためにんげんばつするかみつみしてとうとなすなりサタナゆうりょくにしてきょうせいちからもつおのれしたがはしむるときは、なんぢサタナたましひよりさらうへにして、さらゆうりょくなりとなさん。しかれどもつひことばをきくべし。たとへばせいねんどうたたかふてどうかされんに、そのけたるがためどうなんするならば、これおほいなるとうならん。ゆえにだんていす、かくりょくしゃにして、かつどうとうちからあるかくりょくしゃなりと。ゆえにかれたたかところたましひは、きゅうえんぼうぎょとをもとめ、これをすくひけん、けだしたたかひぎょうとはどうとうちからあるによりてらるればなり。われちちせいしんよよさんようす。アミン。