埃及マカリイ全書/第三講話

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第三講話[編集]

<< 兄弟けいてい正直せいちょくあいへいとにより、たがひ誠実せいじつもつ生存せいぞんして、ないねんたたかふべし。 >>

一、 兄弟けいていたがひおほいなるあいまもらんことをようす、かれとうせんか、あるひ聖書せいしょまんか、あるひなん工作こうさくにかじゅうせんも、たがひあいもといとなすべし、かくのごとくならば、かれゆうなるにんかみめぐみをうくるをん。それ或者あるものとうし、或者あるものみ、或者あるもの工作こうさくせんに、たがひじつ正直せいちょくとにるあらば、かれみなこれしてえきあらん。けだし如何いかにしるされしかをよ、『なんぢむねてんにおこなはるるごとにもおこなはれん』〔マトフェイ六の十〕。てん使等しらてんおいへいあいとにより生存せいぞんして、たがひにおほいなる一致いっちり、かしこには高慢こうまんあるひさいのあるあらずして、たがひあい誠実せいじつとのみなるごとく、兄弟けいていたがひにかくのごとくにしてらんことをようするなり。それ三十人さんじうにんにしていちしたらんにはかれ終日しゅうじつしゅうこれしつづくることあたはざるべし、かへつかれうち或者あるものとうろくかんおくり、このんでむべく、或者あるもの熱心ねっしんえきすべく、またものなん工作こうさくにかじゅうすべし。

二、 ゆえ兄弟けいていよ、もしなにところあらば、たがひあいよろこびとにらんこと肝要かんようなり。工作こうさくするものとうするものごとくいふべし、『わが兄弟けいていりょうするたから共同きょうどうのものなり、ゆえにわれもこれをりょうす』と。またとうするもの読経どくきょうするものつぎごとくいふべし、『かれ読経どくきょうおいえきするものためにもえきにならん』と。また工作こうさくするものさらごとくいふべし、『わがつく勤労きんろうには共同きょうどうえきあり』と。たとへばえだおほけれど、かれ一体いったいして、たがひあひたすけ、肢々ししおのおの自己じこ職分しょくぶんつくすがごとし、しかのみならず、全身ぜんしんためかんすべく、もすべてのたいためはたらくべく、あし身体からだしょみづかせてくべくして、えだまたほかえだかんともにせん、兄弟けいていたがひ如此かくのごとくなるべし。さればとうするもの工作こうさくするものなんして、かれとうせずといふことなかるべし。工作こうさくするものとうするものなんして『かれとうをつづくれどわれ工作こうさくす』といふことなかるべし、またえきするものなんせざるべし。かへつておのおのなにをなすとも、かみさかえのためにすべし。読経どくきょうするものとうするものあいよろこびとをもつて、ごとおもふべし、『かれためにもとうす』と。しかしてとうするもの工作こうさくするものつぎごとおもふべし、『かれところこと共同きょうどうえきためになす』と。

三、 かくのごとくなれば、おほいなる一致いっちへい同心どうしんとは、衆人しゅうじんへい同盟どうめいたがひたもたしむるをべし、さればかみ恩恵おんけいをおのれに誘引ゆういんして、たがひじつ正直せいちょくとにるをん。されどもすべてのうちおいいと重要ぢょうようなるは、ときしたがひてとうつとむるにあることあきらかなり。しかのみならずもとむるところ目的もくてき唯一ゆいいつなるべし、すなはちたから生命いのちとを霊魂たましひゆうする、すなはちしゅこころゆうすることこれなり。たれ工作こうさくせんか、あるひとうせんか、あるひ読経どくきょうせんか、ざんうつらざる所得しょとくゆうすべし、すなはち聖神せいしんゆうすべし。或人あるひといへり、しゅ人々ひとびとよりいつ顕然けんぜんなる結果けっかうながすのみにして、隠然いんぜんなるものはかみみづからこれをたまふと。しかれども実際じっさいはかくのごとくならず、これとあひはんして、たれがいひとおのれ防守ぼうしゅするほどは、いよいよねん角逐かくちくして奮闘ふんとうせんことをようす、なんとなればしゅなんぢみづかおのれいかり、おのれたたかひし、あくなるねんどうせずして、これをたのしまざらんことをなんぢより要求ようきゅうすればなり。

四、 さりながらつみわれところあく根絶こんぜつせんことは、これただかみちからもつてのみ成就じょうじゅせらるべし。けだし自己じこちからもつつみ根絶こんぜつせんことは、ひとにあたへられず、かつあたはざればなり。つみとたたかひ、抵抗ていこうしてきずはせ、あるひはこれをくるは、これなんぢちからにあり、しかれども根絶こんぜつするはかみぞくす。もしなんぢみづからこれをすをくせば、なんようありてしゅきたたまはんや。たとへばひかりなくしてるあたはざらん、あるひしたなくしてひ、あるひみみなくしてき、あるひあしなくしてき、あるひなくして工作こうさくすることはあたはざらん、かくのごとイイススなくんばすくはるることも天国てんこくることもあたはざるなり。されどもしなんぢごとふならば、『らるるごとわれ放蕩者ほうとうものあら姦淫者かんいんしゃあらず、たんしゃあらず、ゆえにじんなり』といふならば、これなんぢはや一切いっさい成全せいぜんせりとおもふて、いざなはるるなり。ひとみづか防禦ぼうぎょすべきつみぶんはただみつのみにあらず、其数そのかず千々せんせんなり。高慢こうまん無忌むきたんしんさい嫉妬しっと狡猾こうかつぜんごと何処いづこよりきたるか。なんぢはこれらとひそかねんうちおい角逐かくちく奮闘ふんとうせざるべからざるにあらずや。なんぢいへぞくあらば、かれはやがてなんぢ打倒うちたふさん、しからばこはなんぢをして安然あんぜんならしめざるのみならず、なんぢみづかかれ突撃とつげきして、かれにきずこうむらしめ、あるひきずけん、かくのごと霊魂たましひ抵抗ていこう敵対てきたい防禦ぼうぎょせざるべからざるなり。

五、 なんぢゆうなるにん敵抗てきこうしてろう憂愁ゆうしゅうとにりつつつひつをはじめん、にんたふれてまたき、つみあらたにかれをへんせん、たびじつたびたたかひちて、霊魂たましひへんせん、しかれども霊魂たましひまた漸々ぜんぜんあるいちおいつみたん。ゆえにもし霊魂たましひかたちて何事なにごとおいてもよわらざらんときは、優勢ゆうせいり、決戦けっせんして、つみつをはじめん。しかれどももしときちゅうしておのれかへりみるならば、『成全せいぜんひととなり成長せいちょうりょうたつして』〔エフェス四の十三充分じゅうぶんつにいたまでは、つみなほまったひとたん。けだししるしてふあり、『さいほろぼさるるてきなり』〔コリンフ前十五の二十六〕。かくて人々ひとびとつみかして、そのしょうしゃとならん。しかれども前文ぜんぶんにいひしごとく、もしたれか『われ放蕩者ほうとうものにあらず、姦淫者かんいんしゃあらず、たんしゃあらず、ためにこれをもつれり』とものあらば、これかくごとあひおいかれみつぶんたたかへども、じうたたかはず、すなはちつみおなじく霊魂たましひたたかはんとするじうとはたたかはずして、かへつてかれたるるなり。ゆえにすべてにおいたたかひ、かつ格闘かくとうせんことをようす、なんとなればわれがしばしばひしごとく、角力かくりょくしゃにして、つみ競争きょうそうし、おもひに抵抗ていこうせんがため同等どうとうちからゆうすればなり。

六、 されどももし反対はんたいちからさらつようして、悪習あくしゅうひとまったおうたりといふならば、これサタナしたがひしがため人間にんげんばつするかみつみしてとうとなすなりサタナ有力ゆうりょくにして強制きょうせいちからもつおのれしたがはしむるときは、なんぢサタナ霊魂たましひよりさらうへにして、さら有力ゆうりょくなりとなさん。しかれどもつひことばをきくべし。たとへば青年せいねんどうたたかふてどうかされんに、そのけたるがためどうなんするならば、これおほいなるとうならん。ゆえに断定だんていす、角力かくりょくしゃにして、かつ同等どうとうちからある角力かくりょくしゃなりと。ゆえにかれたたかところ霊魂たましひは、救援きゅうえん防禦ぼうぎょとをもとめ、これをすくひけん、けだしたたかひぎょうとは同等どうとうちからあるによりてらるればなり。われちち聖神せいしん世々よよ讃揚さんようす。アミン。