シリヤの聖イサアク全書/第七説教

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第7説教[編集]

<< 自由じゆうなるつみ自由じゆうならざるつみことおよあいおかつみこと。 >>


自由じゆうらずして、ひとひきれられ、よわきによりておこなはるゝつみあり、また自由じゆう無智むちためおかつみあり。これおなじしゃあいによりまたひさしくあくとどまりてこれみたるによりつみおかすことあり。つみのすべての種類しゅるい状態じょうたいにしてこれみなせきせらるべきものなりといえども、つみためさだめられたるばつこれかくするならば、かれこれとの軽重けいじゅうもあらはるゝなり。或者あるもの最大さいだいなるざいおちいからうじて悔改かいかい着手ちゃくしゅせん、しかれども或者あるものつみゆるさるゝにちかし。アダムエワへびとはつみためむくいかみよりのこらずけたれど、かれのろいふくしたる程度ていどきわめておなじからざるごとく、かれそんためにもまたしかるなり。各人かくじんためばつ軽重けいじゅうはその意思いしとそのつみかたぶ偏向へんこうとにあいじゅんずるなり。もしひとつみ助成じょせいする意思いしたざれども、道徳どうとく等閑とうかんにしこれ練習れんしゅうせざるがためつみさそはるゝならば、かくのごとものつみとどまることおもくしてばつまたおもからん。これはんして道徳どうとく勉励べんれいするものなんつみにかいざなはるゝならば、そのつみ抹殺まっさつするがためあわれみかれちかきことうたがいなし。

あるいひと道徳どうとく勉励べんれい活動かつどうしてはらざるものとしてあらはるゝときおかところつみこれおなじからず、けだしそのおもんばかところことためそんけざらんとしんしつつねず、ひるはそのおもくびきとその徳行とくこうためおもんばかるすべてのしん何処いづこにもみづからふありといえども、これ配慮はいりょときさいし、あるい無知むちにより、あるいはそのこうすなはち徳行とくこうみちなん妨礙ぼうがいおこるあるにより、およいづれのときにもそのたいゆうするろうにより、またはその自由じゆうこころみんがためゆるさるゝ偏重へんちょうによりて、その天秤てんびんばんすこしくほうかたぶき、肉体にくたいよわきがためつみ種類しゅるいいつ引誘いんゆうせらるゝことあり、されば此時このときおいて、かれてきよりおこされたる災難さいなんにより霊魂れいこんためうれかなしみて、いた嘆息たんそくせん。

あるいひと道徳どうとく練修れんしゅうよわかつ緩慢かんまんなるをもつてあらはるゝときおかところつみあり、これまたおなじからず、かれ道徳どうとくみちまったつべく、すべ有罪ゆうざいなるたのしみにしたがふにしゅうそうすることぼくごとく、たのしみきはめんために、その方法ほうほうもとむるに勉励べんれいすることじゅうそつごとくして、そのてきむねつとめて遂行すいこうし、おのれたい魔鬼まきかいそなへて、すべてかれしたがふの用意よういすも、悔改かいかいことおもひ、道徳どうとくちかづき、あくちて、滅亡めつぼうみちおわりかんことはすこしもおもんばからざるなり。

あるい道徳どうとくみちおいても、みちおいても、不意ふいおこらんとするてつついによりおかところつみあり。けだししんことばるに道徳どうとくみちおいても、みちおいても、つい妨礙ぼうがい脅迫きょうはくおよびそのこれるいするものに遇会ぐうかいするありと。

あるい霊魂れいこんついと、そのすべての滅亡めつぼうと、まったくの自棄じきとあり。これまたべつなり。これのもののすう顕然けんぜんとしてぞくするものは、もしこれおちいるときは、ちちあいわするゝなかれ、もしかれ不義ふぎおちいりておおくのつみおかすこともあらば、ぜん勉励べんれいするをむるなかれ、その進行しんこうとどむるなかれ、しかしてふたたたるゝものも、ちてそのてきたたかふべく、かいせられし建築けんちくためもといかんことを日々ひびけいすべく、みづかこのるにいたまで言者げんしゃことばくちたざるべし、いはく『わがてきわれにつきてよろこぶなかれ、われたふるればまたおきあがる、幽暗ゆうあんればしゅわれてらたまふ』と〔ミヘイ七の八しかして呼吸こきゅうのあるあいだいたまですこしもたたかいめざるべく、顛覆てんぷくときいたっても、そのたましいしょうわたすなかれ。さりながらもしそのぶね日々ひびやぶられ、さいまった損害そんがいにかかるあるときも、みづからしんし、みづからちょし、たとひしゃくをなすとも、おおいなるふねうつり、希望きぼうともうかんでしゅがそのぎょうかえりみ、そのせつあわれみれ、そのめぐみくだつかはして、てき火箭ひやむかへしめ、これ忍耐にんたいするにつよ勉励べんれいあたふるにいたまでまざるべし。かみよりあたへらるゝえいはかくのごとくそののぞみうしなはざるけんなる病者びょうしゃかくごとし。われはたとひこうによりつみせらるゝとも、まったくの自棄じきためつみせられざらん。ゆえにちちなるマルティニアンぎょうおおきによりよわらざらんことと、みちあた種々しゅじゅなるたたかい屡々しばしばおこるにより逡巡しゅんじゅんするをさずして、われためづべき状態じょうたいもつみづからしょうてきゆづなからんこととをかんす。けだしかれ慈父じふごとく、端正たんせい整然せいぜんたる秩序ちつじょによりぶることつぎごといはく、子輩こらよ、なんぢじつ道徳どうとく進行しんこうする苦行くぎょうしゃにして真実しんじつなるこころがけゆうするならば、なんぢしんきよめてハリストスまえあらはし、かれよろこばるゝおこないさんことをねがふべし。けだしなんぢこれもつ天然てんねんよくと、この抵抗ていこうなんぢつね攻撃こうげきしてはらずまざる魔鬼まきぞうと、ことごとくのけいによりおこところのすべてのたたかい忍耐にんたいせざるべからず。たたかい惨状さんじょう連綿れんめんとしてつづくをおそるゝなかれ、奮闘ふんとうひさしきにわたるがため動揺どうようきたすなかれ、てきぐんはるなかれ、寒心かんしんするなかれ、もしなんぢいちてつしてつみおかすことありとも、絶望ぜつぼうふちおちいるなかれ。しかのみならず、もしだいなるたたかいおいなんがいをかけ、おもてたれ、きずこうむることありとも、これによりなんぢ善良ぜんりょうなる目的もくてき進向しんこうするをすこしも阻止そしするなかれ、ことなんぢ選択せんたくしたるこうとどまりてねがはしくかつ頌讃しょうさんすべきおわりにたっせよすなはちたたかいおいけんなるものとなり、たれざるものとなり、そのきずくれないまるものとならんことをして、如何いかなる方法ほうほうもちふるもてきたたかふをむるなかれ。

だいなる老人ろうじん教訓きょうくんかくごとし。上文じょうぶんのぶところのもののためなんぢよわり、あるいろうすべからず。わざわいなるかなおのれ約束やくそくいつわり、その良心りょうしん蹂躙じゅうりんして、魔鬼まきし、かれをしてなんぢしょうなるあるいだいなるつみ種類しゅるいひきれたるにより、みづからほこらしめ、その霊魂れいこんくだかれたる部分ぶぶんもつてき面前めんぜんふたたあたはざる修道しゅうどうよ、かれはその朋友ほうゆう清潔せいけつたっしてたがいあいむかへんとするときかれじょうあいわかれて、滅亡めつぼうみち辿たどり、克肖こくしょうしゃかみまえゆうするゆうをも、またそのきよこころよりづるとうをもうしなひしならば、すなはち天軍てんぐんよりもたか上昇じょうしょうして、ねがところのものをうけ、そのささげたるくちよろこびとともかえきたるにいたまで如何いかにしてもみづからきんぜざるべきところのものをうしなひしならば、なんかんばせもつ審判しんぱんしゃ謁見えっけんせんとするや。しかしていとおそるべきは、ここにかれじょうおいあいわかれしごとく、光明こうめいなるくも清潔せいけつもつひかかがやたいをそのりて、これ天門てんもんてんとするおいて、ハリストスかれかれわかつことこれなり、けだし此処ここおいかれおこないはや定罪ていざいせらるべきにより『悪人あくにん審判しんぱんつをず、罪人ざいにんじんかいつをざるなり』〔聖詠一の五詩編一の五)〕。