シリヤの聖イサアク全書/第六説教

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第6説教[編集]

<< しゅさいそんたかきよりにんげんよわきにくだたまじんことおよゆうわくこと。 >>

またなんぢさいもっとうけんするならば、われしゅがそのあわれみじゅんじ、そのおんちょうにしたがひておもんばかりつつにくたいじょうゆうわくためにもとうすべきをめいぜしことはあきらかなるべし。けだしわれせいちりにしてかつつちなるにくたいゆえじんじゃくにして、ゆうわくうちるときはこれこうするちからあるなく、したがっしんよりはなれ、はいそうしてかんなんためたるべきをり、とうするをめいたまひしは、もしゆうわくなくしてもかみよろこばすことをるならば、われふいこれおちいらざらんがためなり。しかしてもしひとたかどうとくしんこうしつつおそろしきゆうわくふいおちいりて、ずんば、このときおいひとどうとくかんぜんいたたっするあたはざるべし。

われじこためにもにんためにも、へんあいこころゆうれいこんせいめいかくるるこうにしてそんせいなるこうきょうしんによりほうして、よわきをかんようするのおしえこうじつとすることあるべからず、たとへば『とうせよ、ゆうわくらざらんがためなり』といへるおしえごとこれなり。けだしかくのごともののことはかいめいによりひそかつみおかすものとふべし。ゆえにもしゆうわくふいおこりてひととらへんに、ひとこのかいめいいつやぶるならば、すなはちていけつしくはしゅうどうせいかつて、あるいしんこうて、あるいハリストスためたたかはず、あるいかいめいいつおこなはずして、これつるをよぎなくせられ、みづからおそれをして、ゆうにしてゆうわくていこうせずんばしんよりちん。

いまよりわれぜんりょくつくしてにくたいかろんじ、れいこんかみたくしてしゅためゆうわくたたかふにちゃくしゅせん。それイオシフエジプトすくひて、ていけつひょうひょうじゅんかれおいしめし、ダニイルけつに、三人のどうかろまもりて、かれがいならしめ、イエレミヤでいこうよりすくひてかれにハルデヤのじんちゅうおいあわれみたまひ、ペトルとざされたるごくちゅうよりひきし、パウェルユダヤじんしゅうかいよりすくひしものこれりゃくげんすればつねいかなるしょいかなるほうめんおいても、そのぼくともりて、そのちからしょうとをかれおいてあらはし、かれおおくのじょうなるきょうぐうまもり、ことごとくのかんなんおいかれにそのすくいをあらはすものわれをもかならかためてわれかころううちよりわれすくたまふべし。「アミン」。

われれいちゅうにはまきとそのえいそつたいしてマカウェイおよせいなるしょげんしゃおよしとおよめいしゃおよこくしょうしゃおよじんゆうしたるとどうようねっしんあるべし。かれいとこんなんなるゆうわくさいしんせいなるほうりつれいてきかいめいおそるべきほうめんじゅりつし、はいててかえりみず、そのかたまもり、れいこんともにくたいをもかこところあやうきにみづからしょうゆづらず、ゆうにしてこれちて、かれハリストスきたぜんせいめいしょしるされ、かれおしえかみめいによりてわれなるものとなりて、かみみちにんしきし、かれかれしょうがいのことのでんおのれもくぜんゆうしてせいしんはげまさるるいけはんとなし、かれもっおのれひょうじゅんとなし、かれみちしんこうしてかれるあらんためなり。ああしんせいなることばそうめいなるれいこんためなんなるや、かれたましいためしょくたることにくたいためけてこれしじするしょくおなじかるべし。かつじんでんおんじゅうなるものみみしたはしきことちかごろえたるしょくぶつうるおだんかんがいおなじかるべし。

ゆえにあいしゃよ、げんよりいまいたまでばんぶつほごせらるるかみしょうかんこころかいほうすること、よわためぜんりょうなるやくざいごとくすべく、これおくいづれのときにもみづからこれまもりてこれじゅくこうし、これおもんばかりておのれためきょうくんこれよりひきいだすべし、なんぢかみそんそうだいなるをおもおくをそのしんちゅうまもるにれんしゅうし、そのれいこんためわれしゅイイスス ハリストスおけえいえんいのちんがためなり、かれかみにしてまたひとなるにより、かみひとびとあいだちゅうほうしゃとなれり、かれそんそうほうめぐこうえいにはてんかくひんちかづくあたはず、しかれどもわれためかれひびけんそんなるじょうたいおいあらはれたまひしことイサイヤごとし、いはく『われるべきうるはしきすがたなく、うつくしきかたちなし』と〔イサイヤ五十三の二〕。せいによればすべてのぞうぶつためえざるものにくたいばんみんすくいいのちためせつし、ばんみんかれおいせいけつたり。かれこうえいけんぺいよよす。「アミン」。