慶長見聞集/巻之五
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【 NDLJP:303】巻之五 見しは今、江戸町東西南北に堀川有て橋も多し、其数を知らず。扨又御城大手 の堀を流て落る大河一筋あり。此川町中を流て南の海へ落る。此川に日本橋只一筋架 りたり。是は往復の橋なり。町中ゆきかひの人此橋一つに集て往来なせり。夫世の有様人の心かだましくして、万に付て我はよかれ人はあしかれとのみ思へり。去程に我心人に似ず人の心我に似ずして、邪念計 にて一生涯 を明し暮せり。然に日本橋を見渡せば、よるとなくひるとなく、人の立ち並びたるはたゞこれ市の如し。され共是や此行くも帰るも別れてはしるもしらぬもあふ橋の上に、立ちもとまらずしてくんじふの中をおぼえずしらず行きちがひ、われよし人よしに此橋をすなほに渡る事、常のまがれる心には大きに相違せりといへば、老人聞て、我も人も此橋群集 の中を明暮 通るといへ共、此心づきはなかりし。不審 尤殊勝 也。件 の日本橋は慶長八癸卯の年江戸町わりの時分、新規 に出来たり。其後此橋御再興 は、元和四年戊午の年也。大川なればとて、何中へ両方より石垣 をつき出しかけ給ふ。敷板の上三十七間四尺五寸、広さ四間二尺五寸也。此橋に於ては昼夜二六時中 諸人群をなし、くびすをついで往還たゆる事なし。されば天理と云て一つの理体 あり。此理体を人間たもたぬは一人もなし。是はまがらずすなほにして平等 なる体 也。然れ共衆生の性欲に引きおとされて、彼本分の正理を失ひ、邪念 に著 していとまあらず。孟子に云、惻隠 の心は仁の端 なり。羞悪 の心は義の端 也。辞譲 の心は礼の端也。是非 の心は智の端 也と云々。是を四端と名付。いはゆる側隠 とはあはれみ悲しむ心、しうをとはおのれが悪をはぢ他人の悪をにくむ心地、じゝやうとは我方へうくる名利 を辞し人にゆづる心、是非 とは善をば善とし悪をば悪とわきまふる心也。此四端 は人心になくして叶はず。件 の四端 をおこなふ時は、我身をすなほにをさめ人をもをさめ、天下国家太平 也。され共眼耳鼻舌身意 の六賊に著して、一生涯彼悪業 につながれ、生 死のきづなはなれがたし。然所に、件の日本橋にふみ入る人、老若男女、尊きも、賤きも智者も愚者も、おしなべて心正路 に有て、人よくわれもよくこの橋を渡る事私の力に有るべからず、菩薩 の法劔 をもつて罪業の大綱 を切拾給ふが故なるべし。夫は何にとなれば、橋は勢至菩薩 の尊形 を表し給ふと云云。是ひとへに衆生利益 の御方便 、一人ももらさず救ひ給はんとの御ちかひなり。かるが故に、仏法を行ずる衆生普く菩薩 の蓮台 に乗ず。海川にては舟橋 を蓮台とすと云々。如渡得船 と説かせ給ふも是なり。東坡 が云く、舟をおなじうして風にあふときんば、胡越 もあひすくはしむべき事、左右の手の如しと云へるにことならず。つら〳〵是を案ずるに、水は是聖人の心におなじうして正路をもとゝせり。水は方円 の器にしたがひ、人は善悪の友によるとなり。故に水よく橋を浮べ、橋よく人を渡す。是善友にふるゝ明徳成るべし。然るときんば、此日本橋は正路 の鏡、万物是に影をうつす。又まがれ【 NDLJP:304】る心をいさむる師橋 にてあらずや。古き言葉に、あかゞねをもつて鏡としては衣髪 をたゞし、人を以て鏡としては得失をしる。又心を以て鏡とするときんば、万法 をてらすといへり。其上鏡は百王の御面をみそなはし、万民正路をたゞすと云々。夫橋のはじまりは、支那よりしんたん国へ行く間にりうさ河とて、長さ八千里流るゝ大河有り。三世の諸仏集つて此川に石橋をかけ給ひぬ。しやつけうと云は是なり。扨又日本にては、伊勢の宇治橋がかけはじめなり。今賢君の御代なれば、臣も臣徳をかゞやかし、橋も心のあれば、すなほに人を渡せる成るべし。心もし馳せさんぜは知つてしたがはず。つねに心を師とし常に心を師とせざれ。すべからく諸人此日本橋を師とし鏡として常に心にかけおきなば、などかすなほに世を渡り給はざらん。
見しは今、玉屋永寿 と云ふ京 の人、当年江戸へ下り云ひけるやうは、此辺に音に聞きし待乳山 と云名所有り。是を見物せんといふ。愚老知人なれば、同道 し浅草の里近くに小塚一つ有り、是ぞ待乳山 と教ふる。永寿 此名所 を一見し、東国へ下りての思出 なにかこれにはしかじ。されば新勅撰 に、待ちやま夕こえくれていほ崎の角田河原 に独かもねんと、弁基法師 詠ぜり。此待乳山下総のうちの歌抄 に入れられたり。武蔵国に有事ふしん也といふ。里の翁答へて、尤三つの名所ならびて有りといへ共、庵崎は下総に有り。待乳山は武蔵に有り。此両国のさかひを角田 川ながるゝ。是によつでよみ入れたる歌も有りぬべしと云。永寿聞きて此角田川の辺にて武蔵下総の国を見渡せば、此山より外に別に山なし。はるけき野原也。実にも是をこそ待乳山とは云ふべけれ。され共、待乳山国かはつて同名多し。続古今 に信土 の山の葛 かづらと鎌倉右大臣詠ずるは紀伊也。大和、土佐、駿河にも読みたり。扨又新古今 に、誰をかも待乳 の山のをみなへし秋とちぎれる人ぞあるらし、小野小町よめり。続古今 に、かくばかりまつちの山の時鳥 心しらでやよそに鳴くらん。天暦 の御歌 此二首紀州なり。され共武蔵にも詠ずるとかや。たゞし女郎花 時鳥を武蔵によみたる事おぼつかなしといふ。里人答へて、後撰集 に、をみなへし匂へる秋の武蔵野は常よりも猶むつましき哉。又、武蔵野は帰る山なき時鳥秋はいづくに草がくれけんとよみたり。領江斎 の発句 に、武蔵野や草より出る時鳥とせられたり。我いやしき身にて歌の道をば知侍らず。所の申伝へかくのごとし。扨又此原を浅茅原 といふ。是も名所なり。あれに見えたる森の中に古寺有り。是は角田河 の謡 に作りたる梅若丸母の寺也。母爰 にて髪をそり妙喜 と名付。里人あはれみ草の庵をむすびおきければ、是にて念仏 申しはてられたり。いにしへびくに寺なりしが、今は総泉寺 と号し禅寺 也。又母ふところより鏡を取出し、是なる池へ捨てたる故、今に鏡の池と名付と委しく語る。都人聞きて妙喜 のいはれ哀 也。扨武蔵の待乳 山ちひさしといへ共、聞えは日本にひろごり、名高き山也。あはれは猶も、武蔵野の待乳の山の人ならば都のつとにいざといはましをといへる都人こそやさしけれ。爰 に宗斎と云人是を聞きて、われ江戸に年久敷住みけれども、此あたりにまつち山【 NDLJP:305】とて都迄も音に聞えし山有べしとも覚えず。不審に思ひ、是を人に尋ぬれば、浅草の里ばなれにちひさき塚あり。是ぞ待乳山と教ふる。宗斎聞きてから〳〵と打笑ひ、是はしやうてん塚とて、むかしより塚の上に小社有り。塚本に小寺有りしが、近年は絶えてなし。是は地形 よりも高し。上に聖天塚 とてすこしき塚あるにより、此所をしやうてん塚と名付。我こそ此塚のいはれよくしりたれ。武蔵の国は平地にて、詠める山のなければとて、此聖天塚を山といはんは、さぞな都人も聞きて千金、見て一毛とかや笑ひ給はん事の恥かしさよと云ふ。かたへなる人是を聞きて、おろかなる宗斎のいひ事ぞや。いでさらば待乳山の由来を語て聞かせん。抑 浅草寺 の観世音は昔日当所の海中より出現し給ふ前、方便 に此山一夜の内にゆしゆつす。推古天皇の御宇 とかや。是を金龍山と名付。故に金龍山浅草寺 と号す。又富士山は孝霊天皇御宇一夜にゆしゆつす。此二山は地より生出たり。又天竺 五大山二つにわれ、片われ飛て常陸国筑波山 となり、かたわれは大和の吉野山となる。此二山は天よりふりたり。されば右の四山は我朝において奇妙 の霊山 なり。金龍山の実名を歌にやはらげて、待乳山と詠ぜり。扨又宗斎江戸にてもろ人の山の詠をしらざるや。見渡せる山々には、安房にもとな山、上総に鬼涙山 、下総に海上 、常陸に筑波山 、下野に日光山 、越後に三国山 、信濃に浅間山 、上野に赤城山 、甲斐に白根岳 、相模に箱根山 、伊豆に御山 、駿河に富士山 、此十二ヶ国の名山を武蔵二十一郡のめぐりにたて、軒ばに立て、武蔵野もさすがはてなき日数にや富士のねならぬ山も見ゆらんと、宗久法師 はよみ給ひぬ。天原なる月のながめはいづくもおなじといひながら、さらしなにて見る月こそ、いとゞあはれはまさらまし。花は吉野もみぢは立田 、唐国 まで音に聞えし富士の山も、武蔵野にての詠こそなほも面白けれ。江戸の城は昔 太田備中守道真入道 、同じく左衛門大夫忠景道灌入道 はじめて郭 となすと云伝へり。道灌 江戸 河越 両城を持ち、三十余年弓矢のほまれ久しかりき。道灌は文明十八年七月二十六日五十六歳にして主君上杉定正 の為に害せられぬ。扨又江河両城は、上杉修理大夫朝興公 先祖の家老太田道真 といふ者、はじめて郭 となすと、慥 なる文に記せり。道真は道灌が父なるとかや。然則 は江城 のはじまりは慶長十九当年の頃迄は、百七八十年以前としられたり。道真当城を取立て、先西南の角にやぐらを一つ立つ、是を富士見やぐらと名付く。古詩に西楼 に月落ちてと作れる朗詠 に、北斗の星の前には旅鴈横たへ、南楼の月の下には寒衣 を擣 つなどと吟ぜり。されば唐の内裏 には、王の御涼み処をば高楼と名付て、高くけはしく作 る也。君常に彼楼に住給ふによつて、朕といふ。此楼四方に有り。東に有るをば陽楼 、東楼 ともいふ。是は花見の楼也。南に有るをば南楼といひて涼み楼也。西に有るをば西楼と云也。是は月を眺め給ふ楼也。北に有るをば陰楼 といへり。雪見の楼也。常の楼をちんなどといはんには、亭 此字しかるべきなり。いづれもやすみ所也。楼の字はたかやぐらとよめり。窓には西嶺千秋 の雪をふくみ、門にはとうご万里の舟をつなぐと作れり。我庵 は松原つゞき海ちかく富士の高ねを軒にこそみれなどと詠吟せられし、其ふじ見やぐら慶長年中まで残りて有しを、宗斎は【 NDLJP:306】江戸の人にてふじ見やぐらの名をばよくしり、其やぐらへものぼりつれ共、心つたなきにより富士をばいまだ見ざりけるや。人 生 をうくるといへ共、いたづらに星霜 を送り、円月 にむかふといへども、こしやのごとくにして、其明 なる事をもしらず。誠に人中の木石ともいひつべし。今又江戸の家作 り尊もいやしきも心あらん人は、家をば夏をかたどり南へむけ、窓を西へあけて三国一の名山 、新古今に、時しらぬ由はふじのねいつとてか鹿子 まだらに雪のふるらんと、あけくれたえぬ詠 めせり。新後拾遺 に、ふじのねをふりさけ見ればしら雪の尾花につゞく武蔵野の原。夕かげはあまたの国に移りけり武蔵野ちかきふじの三日月とよめり。これらの歌本歌なるがゆゑ、大原 千句 に、武蔵野やいつをかぎりの道ならんと云前句に、ふじをみる〳〵かりふしの夢。扨又紹巴昌室 両吟千句に、さかひも遠くむかふ富士の根と云句に、武蔵野や草を枕の明けはてゝと付られたり。されば古今の連歌師達 富士といふ前句あれば、やがてむさしとつけ給ふ。江戸の境地 山を見ずと宗斎云へるは、誠に鳥はなく声をもつて其名をあらはし、人は一言をもつて胸中 をあざけるといへる、古人の言葉思ひしられたり。
聞しは今、宗用軒 と云西国人云ひけるは、関東は下国ゆゑ土水 の性悪し。故に草木の性もよわく、五穀の味ひ万物皆悉く悪し。人も又しか也。扨又関西は土水 のせい勝れたるにより万物又同じ。其上そめ物、織物、万の芸者、坂より西に出来ると云ふ。関東衆聞て耳にやかゝりつらん、愚なる関西人の云事哉。但関東は万物悪しと云本文有て難ずるや。先哲 も東は乳味とほめ、千草万木やしなひの方にて味ひよしと云々。かるが故に、一切万物はやく生長す。其上五穀を東作 して西収 すとこそ、古人も申されし。いでさらば関東目出度徳義をあらかじめ語りて聞かせん。先 春陽の徳はなはだ深し。呂律 の調子 を用ひ給へる事、呂の声は東春を司どる。万物出生祝言也。律の声は西秋にして死に取るうれひ也。故に人に陽気 をうくべき為東枕 せり。礼記 に、寝は東首と有り。孔子も東首し給へり。人間のみにかぎらず、一切衆生東国に生れはやく陽気を請け、寿命 をのぶる事悦びても猶余り有りぬべし。日月星もとうがくに出づるを生のはじめとし、さいがくにかたぶくを死のをはりといへり。天地人の三徳皆かくのごとし。然ば関東に出生し諸国へひろまる物、すべて綿、うるし、馬、鷹、金銀、其上仏法とうぜんに有りと云て、智者の出づる国也。孟子に智者は知事あらずと云事なしと云々。さればむかしを伝へ聞きしに、人間寒につめられ悉死す。又恙と云虫人を食ふ故に、諸人土穴をほり隠居 たり。是によて人を訪ひて無事なる事をばつゝがなきといふ。此二字の沙汰 戦国策 に見えたり。又一説に㺊の字とする時は、人を食ふ悪獣 也といへり。然所に、天竺洞中国 のあるじ、霖夷大王の御息女金色皇后と申姫君、桑木の舟に乗り、われ仏法流布 の国へ行き、人民を守り衆生をさいどせんと、此秋津洲 常陸 の国豊良 の湊へながれつき、此所にてかひこと云事を仕出し、綿絹 といふ物出来、人間のはだへをあたゝめ、姫は後、筑波山の神、蚕神と成り給ひぬ。かひこの神是なり。欽明 天皇御宇とかや。此姫【 NDLJP:307】勢至菩薩 の化身 、有りがたき仔細をのべ尽しがたし。庭訓往来 に常陸紬、上野わた、おくうるし、いづれも名物 にて昔は毎年御門 へ奉る。扨甲斐の駒、長門の牛、奥州の金、備中の鉄と記されたり。いにしへは御門へ毎年八月御牧 の駒引 きとて、武蔵、上野、信濃、甲斐より一年に御馬百余疋奉る。駒引 の歌に、武蔵野を分けこし駒の幾かへりけふ紫の底に引くらん。上野や出しもおそき有明 の影 みぬ月の末の駒ひき。相坂 の関の岩かどふみならし山立出づるきり原の駒。是は信濃の駒引也。時来ぬと民もにきはふ秋の田の穂坂 の駒をけふぞ引くなる。是甲斐のほさかの駒三十疋八月十七日に奉る。其内に四つの爪 白き名馬一疋有り。神通埵と名付、聖徳太子 守屋 退治 の時、此駒にめされたると也。長門の牛とは東大寺の柱を引きたる車牛也。額玉搔とてひたひに玉あり。長門しろたの庄より出でたり。我朝に金出来はじめは、天平 二十年の春、奥州信夫郡 にて掘出し、皇へさゞけ奉る。重宝に思召し大伴家持 に歌めされければ、すべらぎの御代栄えんと東路 のみちのく由に金 花咲くとよめり。鉄は備中細谷 川と云所にてほりはじめたり。歌に、まがねふく吉備 の中山かすむらん烟も雲も春としもなし。是は鉄の事也。たとへば、馬と牛、金と鉄を並べおき、人にえり取にせさせんに、馬を置き牛をば取りがたし。金をおき鉄を誰かとらん。鷹は人皇十五代神功皇后御宇かうらいこくより渡る。其後せいれうと云者つかひはじめたり。然ば奥州 松前 の鷹は、かうらい国又えぞが島より渡る逸物 の鷹なる故に、毎年将軍へさゝげ奉る。されば鳩屋 の鷹と云事あり。古歌に、出羽なるひらがのみたかたち帰りおやのためには鷲もとるなりとよめり。此歌の心は、昔出羽の平賀 よりいちもつなりとて鷹を御門へまゐらする。此鷹はなれて八幡山へ行き、鳩のいくらも有る中に、まじはりつれてあるきたり。後には鳩も鷹もつれて失せけり。其後日数へて此鷹内裏 へ飛来り、遍身に近付奉る。鳩も八幡へ帰りたり。其後出羽より注進 仕りけるは、先年内裏 へ参らせたりし鷹、巣おろしの鷹なりしが、子を取て後、其母鷲にくはれたりしが、当年其巣鷹鳩をつれて来り、此母取し鷲の住む山に入て、鳩とあひともにわしをくひころし、其後は鳩も鷹も失せたりとぞ申しける。それより此鷹を鳩屋と名付させ給ひて、鷹飼 に預け給ひけり。鳥類 五通 をしるといふこと、是にて思ひしられたり。扨又礼記 に、仲春の日鷹化 して鳩となる。仲秋 の日鳩化して鷹と成と云々。かやうの仔細により鷹と鳩と同じ心成りやおばつかなし。鷲は一羽に千里飛といへり。古歌に、又もよにはねを並ぶる鳥もあらじ上見ぬ鷲の雲のかよひぢとよみしに、かゝる不思議の鷹も有りけり。故に出羽の巣鷹今もつて逸物 也。しかれば当君の御時代に至て、天下太平に治り国土あんをんなり。其上関東諸国に金山出来、民ゆたかにさかえ、あまねく金を取あつかへり。なかんづく佐渡より出る金銀、毎年二百駄三百駄江城へ持ちはこぶ事夥し。宝の山といひつべし。然に江州相坂よりこなたを関東と云ひ、坂よりあなたを関西と行基菩薩 定め置給ふを、よそ国の大小をうかゞふに、陸奥一国計も関西には越えぬべし。如何にいはんや、相坂より東の国をや。小を以て大をあなどらじとこそ、古人も申されし。昔より今にいたる迄、武将 天下をあらそひ、【 NDLJP:308】関東と関西の合戦聞伝 ていく度ぞや。一度も西国衆利をえず。是関東の侍 文武弓馬に達し心たけきが故也。そのかみ、弓は信濃国よりはじまり、鐙 は武蔵より出来たり。是によつて信濃の真弓 むさしあぶみと歌におほく詠ぜり。昔は其国にはじまる物、毎年御門 へ奉る。是一条のぜんかふの御説也。坂東目出度威光あげてかぞふべからず。然る間天下長久に治め給ふ将軍国王、昔も東国の洛にまし〳〵て、他国までしたがへ給ひし事、漢和 の旧記 に見えたり。将軍号はじまる事、人皇第十崇神天皇御宇十年癸卯年也。此帝御年百二十歳をたもち給ひぬ。扨又当君江戸へ御移りは、天正十八寅の初秋 也。年をおひて町はんじやうする事、上代にもためしなし。さかゆる家居 四方にかさなると云前句に、うつすよりはや都なるさまなれやと、宗養 付られたるも、江戸町のやうに思ひ出られたり。今又将軍東国洛に新邑を作りおはします。国おだやかにして万民よろこびの思ひをなす事、あたかも春風発生のごとし。有がたき御時代成るべし。
見しは今、江戸町に木村才兵衛 と云人、如何なる仕合にや、此比俄に富みてときめきあへり。此人芸者にあひて云けるは、我人に交はり、なまじひに座席につらなるといへ共、万無能故恥辱 多し。あまつさへ伴にきらはれ無念至極也。今日より芸能まなぶべし。然ば十能七芸有とかや、其中にあまねく人の用ふる芸より習ひはじめん。おなじくば師匠 へ金を合力 し、早く能者にならばやと云ふ。師聞きておろかなる才兵衛の願ひ事や、金にて芸を知るならば、福財 の人皆物知にやならん。いにしへ賢聖 も貧にして学をこのんで其名をえ給へり。故に秀句 は必飢寒 にありと云々。去程に、食過ぎぬれば学文うすく、酒に酔ひぬれば心狂乱 すと、古人いへり。富る人はたつとからず、智有る人こそたつとけれ。其方芸能望 みならば、たゞ志をつむにはしかじ。くわんがくのぶんに、無学 の人は物にひすれどもたえてなし。糞土 にもおとれりといへり。礼記 に人まなばされば道をしらずと書かれたり。世間の人我きらひの芸を、人の上手にするをばいらざるやうに思ひ、一向に用ひずして、我すきの芸を人の上手にいたすをばゆゝしく思へり。是愚なる心也。いづれの芸も上手にあれば益有るべし。昔の学人を伝へ聞きしに、炎暑の折々は、夜涼の時にいたりて紅蛍をひろひ、寒天 の節には雪窓に向て膏油 をたいて、もつてひかげをつぎ、三余 寸陰 ををしむ。されば古人は月々にきたひ年々に練といへども、学きはめがたしといへり。縦 其身生つきよくとも、賢聖 の道を学ばずば成るべからず。いはんや生付あしく愚ならばもちろん也。万物をおぼえんには、聞書といひて、われしらざる事を聞ては、一言づつも書きおく事也。聞時学ばざれば、過て後悔ゆと古徳もいへり。水つもるときんば淵 となり、学つもるときんば聖となる。ざいはうをもとむるにも、一度にもとめんとしては叶ひがたし。もんぜんの言葉に、千里は足下よりおこる、山はみぢんより成るといへるなれば、諸芸を一度には学びがたし。まづ一芸をもとめ、月日を重ね功をつまずしてはなりがたしとぞいさめられたる。
【 NDLJP:309】 見しは今、春三月五日の事かとよ。湯島のかたはらに桜花さかりに見えたり。是は江戸御代官 の花園、花守には馬場多左衛門 、古戸三 右衛門 とて両人有りけり。然に愚老湯島の寺に所用有てわつぱを遣はす所に、此花、道のほとりに咲き乱れたるを見て、家つとにやせんと思ひ、一枝手折 りけるに、両人の花守是を見付、やれ花ぬす人よいづく者よ、しやつ逃 すなと、ぼうを引さげ追つかけてさんざんにちやうちやくし、よくいましめよとくびに綱 さして、あらうれしやな、明暮 に両人花を守れどもしるしなければもるかひもなし。ねがふに幸、是を主君へ忠節にせんと、桜木にゆひつけ木の本を立さり、見て思ひ出せる事の有て、偖をかしくも有りけるぞや、春くれば花のもとにてなはつきてと、多左衛門申されければ、三右衛門聞きて、ゑぼし桜と人や見るらん。誠に能の狂言によく似たり〳〵といひて笑ひ給ふ。わつぱ是を聞き、ぶちしばられ喉がつまりうではきれ入り、死ぬる思ひわびたりとてもかひ有まじ。今の狂句 の返歌をして、此人々に言葉をかはし詫びばやなんと思ひ、春くれば花のもとにてなはつけてゑぼし桜と人やみるらんと申ければ、花守たち是を聞きて、今我々が口ずさみを何が面白さに、きやつめは口まねしけるぞやと問ひ給ふ。わつぱ聞て、かく縄にかゝる身として御花守の御詠歌 を、其おそれもなくばひまゐらせて吟ずる事御腹立 はことわり也。去共歌の道なれば、御奉行衆もゆるし給ふべし。たつとからずしてうへ人にまじはるも、是和歌の徳とかや。そのうへ一毛大山とは歌道に有事なりと、古師も申置かれたり。今の歌を詠吟 有つて御覧候へ、縄つきてのきを引のけて、けと云一字替て、わつぱがよみたる返歌也。鸚鵡 がへしの歌のさまかくのごとし。御奉行衆もさぞ御存知なれ共、わつぱが心をひきみんため御たはふれにとはせ給ひ候かや。花守達 是を聞て、実 もやさしきとがめかな。雲の上にありし昔のふるごとも聞きつるやうに覚えたり。され共今の歌は我等が心中を思ひやりての返歌也。さて又汝がおもはくを一言つらねよかしと仰也。わつぱ聞きて、しらざりき花の本にてなはつきてかくゑぼしきて桜見んとはと申ければ、花守達聞きて、すがたやさしきわつぱなれば、花をぬすみ江戸町にてうらんとこそ思ひしに、やさしくも言のはをつらねけるこそふしぎなれ。さありとても、古語に日月は一物のために其明をくらまさず、明主は一人の為に其法をまげずといへり。御法度 背 きし花盗人に縄かけて、わたくしにはゆるしがたし。なんぢが主は何者ぞ。わつぱ聞きて、主の名をたとひ死罪に及ぶともなのらじ物とは存ずれども、花をみては枝を折るならひ、色を見てはあくをさすとかや。あらけなき花守達の御きしよくも、今は少やはらぎて見え候へば、わつぱが主は、江戸伊勢町のかたはらに居住仕る三浦屋浄心 と申者にて候。花守聞て、いそぎいせ町へ使をたてられたり。とがの仔細の有りければ、年寄 五人組引つれて、御代官の花山 、湯島へ急ぎ参るべしと、愚老 の所 へ御使立 つ。われ此事をば夢にもしらず、御奉行 より召されけるは、いかなる科 ぞとむなさわぎし、あわてふためき湯島の花山へ参り、多左衛門三右衛門両人の御前に、面をうなだれつ【 NDLJP:310】くばひたり。御奉行衆御らんじて、三浦屋浄心とはきやつめが事か。此花盗人 は汝が小者か。御代官の花ぞのにて花をぬすめとをしへけるや。文選 の言葉に、瓜田 にくつをいれず、李下 にかぶりをたゞさずとこそあれ。花をあいする者は根をあらさず、雪を愛する者は庭をふまず、大切に思召 し垣こめ給ふ花園にふみ入て、落花らうぜきいふに絶えたり。しう〴〵共に先 籠者 さすべしと、三右衛門申されければ、多左衛門聞て、いやさやうにゆるがせに沙汰いたさば、向後 の狼藉 絶ゆべからず。でうぐわんせいえうに、賞罰 はかろくおこなふべからずと云々、其上一善賞するときんば衆善すゝみ、一悪はつするときんば衆悪おそる。かれら二人のとがをいましむるは、万人をたすけん為なり。則爰にて首刎 ねて捨つべしとさもあらけなき仰也。愚老 肝 をけしたましひも失せはて、斯 有るべきと思ひなば、中途よりいづくへもちくてんすべきを、かなしやな愚人夏の虫飛で火に入るとや、頼むかたなくせんかたなく、あたりを見れば天神の御社近く立給ふ。常にたのみをかけ申せし大慈大悲 の御結縁 などかむなしからん。此度わうなんのさいをのぞき給へ、南無天満大自在天神 と心中に深く祈誓 をかけ、おそれをのゝく計なり。天神別当はしり出申されけるは、いかにや花守達きこしめせ、此わつぱ花を手折てるゐせつのせめにあふとかや、さればそせい法師の詠に、見てのみや人にかたらん桜花手毎 に折て家つとにせんと、古今集に見えたり。酒をこのむ猩々 はもたひのほとりにつながれ、花をあいせし此わつぱは桜木の本につながれて、やさしくも言の葉をつらねたるとや。紅は園に植ても隠なし。昔もさるためし有り。家隆 の子息の禅師 隆尊修行 の時、ある地頭のせんざいの桜花を、一枝をりし其科 によりからめられて禅師、白波 の名をば立とも吉野山花ゆゑしづむ身をばうらみじとよみたまへば、あるじ聞きて哀なりとてなはをゆるしてけり。夫歌はたけき武士の心をやはらげ、神明の冥慮 にもかなひ、鬼神 も忽然 と納受 して、ゆうくわいの災をのぞくとかや。古語に盗人錦 ある事を見て、人あることを見ず、故に是をとる。左のごとく、此わつぱ花ある事をみて、御花守達ましますを見ず、故に捕はるゝ。花にふかき執心 やさしきみやび也。紹巴 の発句 に、姿 には似ざりし花の心かなとせられしも思ひ出でられたり。古歌に、山人の薪に花を折りそへてさまにもおはぬ心見えけりと詠ぜり。小人 は人の一悪を見て百恩を忘れ、君子は人の一善を見て百悪の恨を忘るといへり。此者かたちにも似ず花をあいし歌をよみ、やさわつぱなれば、かはゆげに縄をゆるし給へと有りしかば、御奉行衆ふびんにやおぼし召されけん、仰せられけるは、此わつぱやさしくもこと葉をつらねたり。寺の前のわらんべはならはぬ経をよむといへば、さぞなしうは歌をよむらん、一首仕れ、此難をゆるすべしとの御事也。愚老是を聞き、あら有がたの御慈悲やな、是はひとへに天神の御りしやうぞと、威光 を深くあふぐなる。され共歌の事はえたらん人にこそ候はめ。愚老が今の言葉の末、いかで御花守達の御心にかなふべきと思ふうちより念願 し、神に祈りをかけまくも、卑詞 一首を卒 に綴 つて以てあせ水をながし、ふるへ〳〵かくぞ申しける。千早振 この神垣 の花の元にかゝるもとけてみしめ縄哉。御奉行衆は聞召し、主従 わ【 NDLJP:311】び歌をつらねけるこそやさしけれ。死罪に及ぶべけれ共ゆるし給ふとゆふしでの、縄 をとく〳〵、汝が家に帰るべしとの仰也。あら有りがたの忠峯 が長歌に、身は下ながら言の葉を、天津空迄 聞えあげと書きたるも、今身の上に知られたり。しうじう虎口 をのがれ、私宅 にかへり悦びぬ。
見しは今、楽阿弥 とて江戸をあるく乞食 あり。狂言綺語 をいひて人の心をなぐさめ、扨また隠家 は心の内に有る物をしらでや山のおくに入るらんとよめる古き歌に、ふしを付けてうたひ、町をあるきめぐれば、一日に銭を百も二百ももらふ。或時楽阿弥町へ出て云やう、我けふのもらひを半分とらせ小者 をやとはんといふ。楽阿弥が銭もらふ事かくれなければ、賃取 出てやとはるゝ。楽阿弥は常に赤手ぬぐひにて頭をつゝみ、そうじてけうがる姿也。小者 をつれ小歌をうたひ町をまはり、万の残飯 魚の切屑 何にても人のくるゝ物を取て持せ、日も暮れぬれば半分小者にやり、半分にてはおのれが一日の口をやしなひ、扨手を打ちたゝいて、爰 の辻かしこの道のほとりに臥て夜をあかす。又或時は楽阿弥小者をもやとはずひとりあるきをなし、銭を一貫ばかりもち首へかけて歩く。人是を見て、扨は楽阿弥はかしこくなり、欲をもしりたるかと思ふ処に、楽阿弥 伝馬町 へ行き、毛よき馬をかり、鞍おかせ万づ道具をかりあつめ、日本橋に立出大音あげて云ふやう、今日は二十四日楽阿弥が愛宕 まうでなり。小者 中間 をやとはんとよばはる。日本橋の事なれば、賃取共 我も〳〵といふまゝに百人ばかりあつまり、楽阿弥をおつとりまいてつらふりあげ声を立、やとはれんといふ。楽阿弥四方を見まはし、すくやかなる若き者侍がましき者共をかいえり〳〵銭をとらせ打立つ。其日のせいぞろへを往来の人がとゞまつてくんじゆをなして見物する。先 鑓持 、長刀、持弓、てつぱう、はさみ箱、さしかへの刀担がせ、あたりに若党 四五人つれ、我身は馬に打乗て両口 とらせ、愛宕 へ参詣 するこそをかしけれ。しらぬ他国の道行 人は、大名の御通りとておそれをなしてぞとほしけり。愛宕 の山にのぼりては、何事にても楽阿弥 が願ふ事こそなけれとて、大酒のみて日くるれば、愛宕 の山を下向 して、日本橋につきにけり。馬よりおり、楽阿弥 はいとま申して、賃取達 さらば〳〵と手を打て四方へ散つてを失せにける。町の人々是を見て、誠に楽阿弥 とはよくこそ名をば付けたれと、いはぬものぞなかりける。爰 に有識 の人是を見て、夫人間と生をえたらんかひには、いかにもして世をのがれん事こそあらまほしけれ。法華経 にもろ〳〵の苦みのよる所、どんよくをもとゝせりと説けり。此楽阿弥が境界 士農工商の者にもたづさはらず、樹下 、石上 、道路 の辻 を栖 とし、飢寒を忍び難き故、町を廻りむさぼる心有といへども、世に有人のはなはだしきにはまさりなるべし。扨又悪衣 悪食 をはづる事なかれと、聖人のたまへり。善にはすゝみやすく悪には遠ざかる事なれば、世をのがれてこそ道は求めやすからめ。昔有る僧、高野山 は末世 の隠所 として、結界清浄 の道場 たりとて、此山に庵室 を結び、誠に三会 のあかつきを待ち給ふかと思ふ処に、此僧のがれても同じうき世と聞物を、いかなる山に身をかくさましと、是法法師 のよみし歌【 NDLJP:312】を、たゞ何となく吟ぜしが、つく〴〵と思ひ出て、実に由は浅きに隠家 のふかきや心なるらんと、山を出で諸国あんぎやし、それ世間 の無常 は旅泊 の歌にあらはれ、有為 の転変 は草露 の風にめつするがごとし。千里も遠からず。野に臥し山にとまる身の、是ぞ誠の栖 なるといへり。それ仏法を求る事、山林にも市朝 にもかぎるべからず。故に小隠 は山にかくれ、大隠は市にかくるゝと云々。鴨 の長明 の方丈記 に、魚は水にあかず。魚にあらざれば、其心をしらず。閑居 の気味 も又おなじ。すまずして誰かさとらんと申されし。然ば仏は人間のたのしびを、一代ざうきやうにあまねく記しおき給ふ。しんちくわんぎやうに、極薬非極楽心有極楽 と有り。空也上人 の歌 に、極楽 ははるけき程と聞きしかどつとめていたる所なりけりと、千載集に見えたり。扨又あみだ仏 は、是より西方 十万億土 に極楽浄土をかまへ給ふといへども、去此不遠 と説き給へば、こゝをさること遠からず。又観経 に、諸仏如来是法界 身入一切衆生心想中 とあれば、己身弥陀唯心極楽 也。あらありがたの楽阿弥がとんせい、まめやかなる意楽 や。
見しは昔、江戸に土風 たえず吹きたり。さればれう吟ずれば雲おこり、とらうそぶけば風さわぐ。かかるためしの候ひしに、江戸に土風 吹けば町さわがしかりけり。此風を、他国にては旋風 といふ。此字めぐる風と読みたり。又つむじの毛のごとく土をまいて吹きければ、つむじ風共俗にいふ。治承 年中六月十四日、都に旋風おびたゞしくふきて、じんをく多くてんだうす。風は中の御門京極 の辺よりおこつて、未申 の方へ吹行く。平門 むね門など吹払て五丁十丁もて行きなげ打し、梁 、けた、桂、こまひ、たるきなどはこくうにさんざいして、爰 かしこへ落ち、人馬六畜 多く打殺されたる事古記に見えたり。扨又此風土をうがつ故にや、関東にては土くじりといふ。万葉に、六月の土さへさけて照日 と読めり。土さくるともあり。土くじりとはをかしき名なり。取分江戸近辺 に吹風也。草の名も所によりてかはりけりといふ前句に、難波 の蘆 は伊勢の浜荻 と救済 付られしも、今思ひ出せり。されば藻塩草 に、風の異名 さま〴〵記せり。若此内に土くじりと云風や有とよみて見れば、つじといふ風の名あり。是は谷の河風なりと註せる、かなに書て正字しれず。神風とは伊勢の国也。よつて神風とは神のおほんめぐみは広くかぎりなくして、大空のあまねくきはまりなきがごとくと云々。猶委 しく十四巻神の所に記せり。山ごしもねごしも風の名也。海ごしとは風の名にて、又名所也。歌に海ごしの明石 の松に音信 て、もりさる舟も出づるとぞおもふとよめり。おきのはやてと云ふものも風の名也。あなしは戌亥 より吹風、しぶくは海の嵐と註せり。しまきは横ぎる風なり。はやちは神のふかせ給へる風なり。あゆの風は、北陸道 の風、時津風 は四季 のうちに、いづれにても一しきりあらく吹風をいふとなり。吹きふけばというても風なり。歌に、吹きふけば山田の庵に音信 れていなばぞ人を守りあかしけると詠ぜり。あすか風、初瀬風 、いかほ風、以上三つは名所の風也。風祭 とは、とわたる舟やぬさをとらなんとよ【 NDLJP:313】みて、風神に祈をかくる、花にも詠ぜり。こち、薫風、野分 、木枯 などは四季に吹風なり。風の異名あげて記しがたし。是をかぞふれば百二十あり。此外嵐の異名、また多し。此内にも土くじりといふ風はなし。然に江戸あたりに吹土くじりといふ風は、雲の気色もなく音もせずして俄に地より吹立、土をまきつゝんで空へ吹上れば、たゞくろけむりのごとし。皆人是を見て、すは火事こそ出来たれ、やけ立烟を見よと騒ぎてんだうする。町の御掟 の事なれば、家々より手桶に水を入れ、引さげ〳〵持行事は、先立てはたじるしを持ち、火本は爰やかしことはしりまはる内に、土けぶりはきえてそらごとなりといへば、さげたる桶の手持もなく、旗をまいてかへりしは、見てもをかしかりき。昔は江戸近辺神田の原より板橋迄見渡 し、竹木は一本もなく、皆野らなりしが、今江戸さかゆくまゝ、あたりの野原三里四方に家を作りふさぎ、海道 には真砂 をしき、土のあき間 なければ、土くじりはいづくをか吹くらん、町しづかなり。
見しは今、江戸町繁昌故 勧進能 毎月毎日おこたる事なし。此あはれを誰かとはで有るべきと、老若男女貴賤 くんじゆをなして目を悦ばしめ、あまりの面白さにをのゝえも朽ちぬべしと見物せしに、能 七番あり。中にもあはれなるは、杜若 、女のすがたになり、業平 の形見 のかぶりからぎぬを取出し、いにしへを語るこそふびんなれ。卒都婆小町 百年のうばとなり、乞食 の有様あはれなり。又舟弁慶 に、平知盛 幽霊に成つて義経を海にしづめんと、夕波に浮び出でて戦 ひ給へる怨念 のいたはしさよと、なみだをながし袖をしぼらぬはなかりけり。爰 に春庵 といふ知人、愚老なくを見てあざらひわらふ。我すこし気にかゝり腹立まゝに、其方心つよくしてあはれも知らず、かへつて笑ふにやといへば、春庵 聞て、昔が今に至まで、草木 ものいふ事なし。人死して二度かへらず。けふの能 には、卒都婆小町 一番誠の事を作りたり。小町は美人 にて、しよ人に恋ひられしかども、百年の老婆とおとるへはて、関寺 の辺を乞食 し、一世のはぢをさらしたるこそをかしけれ。夫能と云事は、世間 のなぐさみ笑草 を作り、そらごとをうたひまねをなす所に、誠と思ひ皆人なく事魚鳥にも心おとりたり。魚鳥をとらんとて釣 にゑをさし、網をはり、わなのあたりにゑをまきたばかれども、誠と思ふ魚鳥は、千の内に一つ九百九十九は人のたばかりと知てとられずといふ。われ聞て、誠に道理至極 せり。人はかしこく魚鳥はおろか成と思へども、取るはすくなくとられぬは多し。扨又能を見て愚になく者は千人が中に九百九十九人、賢にてなかぬは春庵一人也。実に草木いかで人とならん。死たる人二度帰るべからず。我も人も鳴きつる涙益なしといへば、老人聞て、春庵は世間 の風流 をも知らざる無道人也。さればむかし諸越 に鹿恋春女 と云女あり。女子を一人持てり。此むすめ身まかりて後、塚に一夜の程に、草一本生ひたり。母是を見るに、別れしむすめのなまめきたると見て、急ぎよりて見れば女にはあらず草也。それにより、此草を女郎花 と名付。郎の字を形とよみ、女をむすめとよむ事此いはれなり。いにしへ草【 NDLJP:314】木顕れ人に言葉をかはし、人死で霊魂 現ずる事、内典外典 に多記せり。夫謡 は世の風俗として、心有人やさしく作れる其あはれをもしらず、難ずる事たゞぶんちうにことならず。其上しゆんあん小町が姿を笑ふ事物をしらず。小町は妙音𦬇 の化身 とこそ、古き文にも見えたれ。日本紀に、小町は小野良実 がむすめ也。十三の年さがの帝 に参りて、采女 の役をつとめけるが、見めならぶ人なし。さがの天皇のきさきのれつに御さだめあり、十七にして女御 に参る所に、父の良実におくれぬ。あくる年の春一周忌 過ぎて参るに、御定有しに、兄におくれぬ。又明年の一周忌 過ぎて参るべかりしに、御門 崩御 なり、是不吉の事也とて、大内を出され、都の内に好色の女と成て業平と行逢うて、程なくかれ〴〵に成りければ、其後北山の猟師 に相具して世を渡るわざなかりければ、後は三井寺辺 を乞食 し、あはれなる有様也。六宮 の数 に入り、十善の位にそなはるべき身が、さもなくてもゝとせのうばとなり、関寺 のかたにまどひあるき、蓮台野 のあたりにて身まかり、道のべにかうべをさらす事、是世間の無常 まぼろしのあだなる色をしらせんための方便 なるとかや。高野山の僧もぼんなうそくぼだいといへる法門を聞て、誠にさとれる非人物 なりとて、かうべを地に付け三度礼 し給ひたり。小町を笑ふ事愚也といふ。春庵聞きて、煩悩即菩提 の法門 有難や、出離 をもとむる智識は、そとば小町の謡 也。善悪不二 の理 を得たりといへり。
見しは今、江戸町にへいふ斎と云人有り。此人云けるは、我心元来よりまがりたり。されば七尺の屏風 もまがるによつてすなほな也。是をすぐに立れはまがつてころぶ、我心まつたくへいふにひとしきが故、へいふ斎と名付。浄名経 に衆生無始 より常にまがつてすぐならずと説かれたり。或人たつとき能化 に問ていはく、如何なるか是本来の直。道師 答へて恒河 九曲 といへり。是尤しゆじやうなり。然に世上の人は、直顔 にて心まがれり。我はまがりてかへつて心すなほ也。世は皆酔へりわれひとりさめりなどと利口 をいひ、常の家風賢人がましくて、霊相 を学び自慢顔 せり。老人是を聞て、言葉のもらし易きはわざはひをまねく媒 なり。言葉をつゝしまざるは破れの道なり。其上曲直 は其品にこそよるべけれ、実此人酔て覚めざるに似たり。王光禄 は屏風の如し。くつきよくして俗にしたがふ。よく風露をおほふといへり。この心は我身をまげて時にしたがふ故にへいふのごとし、まがらねば世にたゝれぬと云義なり。聖人のたとへかくの如し。屏風斎宏才利口 に有て、となへることは誠なりといふとも、身のおこなひなくしていかで賢人とひとしからんや。論語に、仁者は山をたのしむ智者は水をたのしむと云て、山水静動心 に有るのみにあらず、天地万物こと〴〵くそなはれり。其身すぐにして影まがらず。其政たゞしくして国みだるゝ事なし。古徳も益者 三友損者 三友 をあかせり。内典 には善友親近第一とすと説けり。まがれる心もをしへにしたがはゞ直 なるべし。尚書 に木縄 にしたがふときんばたゞしく、君いさめにしたがふときんば聖なりといへり。たとひをしへなく学ばずとも、善【 NDLJP:315】悪は友によるとも見えたり。善友にともなふは麻の中のよもぎの直きがことし。悪友 にちかづく者はおどろの中のけいきよくのごとしといへり。宗祇 都の会所をあづかり給ふ祝詞 の発句 に、世にたつも麻にまじはる蓬 かなと、せられしこそ殊勝 に思ひ侍れ。其人をしらずんば其友を見よ、其君をしらずんばその臣を見よと孔子はいへり。悪人 のまねとて人を殺さば悪人なり。舜 をまなぶは舜の徳也。賢愚 曲直 其行にしたがふべし。然時んば人は賢にふれていやしきにふるゝ事なかれ。花中の鶯舌 は花ならずしてかんばしといへり。
見しは今、江戸によし原町とて傾城 町有て、家々門々に女房ども容色をかざり立てならびたるは、たゞ天人 の影向 し給へるかとて、貴賤老若 此町へ入ての有様たとへんやうもなし。そらだきの匂ひ四方にくんじ、並び居たるおも姿 たんくわの口つきあい〳〵しく、桃李 のよそほひふようのまなじりいとやさしく、緑のかんざし雪のはだへ、花のかほばせあいきやう有て、もゝの媚 ひとつとしてかくる事なし。楊貴妃李夫人 は見ねばしらず、いかで是にはまさるべき。たつときも賤 きもこうしよくにふけり、此町へ行かよひ、其身々々のぶんざいに、たくはへおきたる家財 を皆尽 し、身のはて様々にぞ見えける。左伝 に六逆 のいましめの中に、淫 の義を破 るとあり。誠に此まどひの道に入つては、智者も愚者も義を知るもしらぬも替る事なし。灯 に入る夏の虫、つまをこふる秋の鹿、山野のけだ物がうがのうろくづに至るまでも迷ひ、心を尽し命を失ふ習なり。さればよし原町へ行道に、堀川二筋有つて橋二つかゝりたり。こなたなるをしあん橋といひ、あなたなるをばわざくれ橋と名付。此橋の名いかなる仔細ぞととへば、諸人よし原町床しさに、心うかれなにとなくこの橋本まで来るといへ共、さすが此橋渡る事大事に思ひ、渡るべきか渡るまじきかと薄氷 をふむ心地して立とゞまり、しばらく思案 をなす所に、いんよく深き人は渡りて行き、いや大切なりと思案し、渡らで帰る人もあり。是に依 つて思案橋 と云。扨又一町ほど過行、よし原町の近所に又橋一つあり。此橋本へふみかゝりては思案にもおよばず、わざくれと云て皆人渡る故、わざくれ橋と云。此二つの橋の名よし原通ひの人集てつけたる名也。夜となくひるとなく橋の音とゞろき往還 絶えず。老いたるも若きも尊きもいやしきも、此道にふみまよひ、よし原町に集る事たゞごとならず。老人是を見て申されけるは、それ人間生死 をはなれ、げだつのいんに入り難き事、色欲 に迷へるが故なり。法華経 に身分をもつて毒蛇 の口中に入ども、女犯 をおかさゞれ。毒蛇 は一身を害すれば一生を損ず。女人 を一度おかせば、五百生をそんずと説けり。昔志賀寺 の上人は智行徳 たけ修善 の尊宿 にておはしけるが、京極 の御息所 を御車 の物見 のひまより、此上人御目を見合給ひてうつゝなき心迷ひ、本尊に向ひくわんねんの床の上にも、妄想 の化のみ立ちそひ、称名 のこゑの中にも、たへかねたる大いきのみぞつかれける。かくてはあらじと此上人鳩の杖にすがりたゞひとり、京極の御息所に参り給へば、御息所御覧じて、われ故に上人まよはせ給へ【 NDLJP:316】ば、後世 の罪 誰が身の上にとまるべき。露計 の情に言葉をかけば、なぐさむ心もこそあれとおぼしめし、上人是へと召されければ、上人わな〳〵とふるひて、御簾の前につくばひ居て、只さめ〴〵と泣き給ふ。御息所 御手をみすの内より出でさせ給ひたれば、上人 御手にとりつき、初春の初子 のけふの玉ははき手にとるからにゆらぐ玉の緒 とよみければ、やがて御息所 取敢ず、極楽の玉のうてなの蓮葉 にわれをいざなへゆらぐ玉の緒とあそばして、聖人の御心をぞ、なぐさめ給ひける。かゝる道心堅固 の聖人さへも、とげがたき発心修行 の道なるに、家 富 み世をたのしむ若き人、浮心 のきづなはなれがたし。返々 も此道つゝしむべき事なりと申されし。
見しは今、江戸にはやり物品々有りといへ共、よし原町のかぶき女にしくはなし。されば昔、ぎわう、ぎによ、ほとけ御前などといひて、舞曲世上 に名をえし美女有りしが、女のかたち其まゝにて、白きすゐかんをきて舞ひければ、白拍子 と名付。いうにやさしく候ひしと也。諸越 には、ぐし、やうきひ、わうせうくんなど、皆白拍子と聞えたり。扨又慶長 の比ほひ、出雲の国に小村三右衛門といふ人の娘に、くにといひて、かたちいうに心様 やさしき遊女候ひしが、柳髪風 にたをやかに、桃顔露 をふくめるふぜい、舞曲花めきて、もゝのこびをなせり。音声 雲にひゞき、こと葉玉をつらね、春風あたゝかにして、聞人迄もおぼえず、せんだんの林に入るかとあやしまる。此遊女男舞 かぶきと名付てかみをみじかうきり、をり髷 にゆひ、さやまきをさし、小野対馬守 と名付、今やうをうたひ舞女 のほまれ世にこえ、顔色無双 にして袖をひるがへすよそほひに、見る人心をまどはせり。それを見しよりこのかた諸国の遊女其かたちをまなび一座の役者をそろへ、笛、たいこ、鼓 をならしねずみきどを立て、是を諸人に見する。中にも名をえし遊女には、佐渡島正吉 、村山左近 、岡本織部 、小野小大夫 、でき島長門守、杉山主殿 、幾島丹後守 などと名付。これらは一座のかしらにて、かぶきのをしやうといへるなり。扨中橋 にて、いく島丹後守かぶき有りと高札 を立つれば、人あつまつて貴賤くんじゆをなし、出づるをおそしと待つ所に、をしやう先立てまく打上げ、はしがかりに出づるを見れば、いと花やかなる出立 にて、こがねづくりの刀わきざしをさし、火打袋 へうたんなどこしにさげ、猿若 を伴 につれ、そゞろに立うかれたる其姿 女とも見えず、たゞまめ男なりけり。いにしへ陰陽 の神といはれしなりひらの面影 ぞや。しばゐさじきの人々は首 をのべ頭 をたゝいて、我を忘れてどうえうする。舞台 に出づれば、いとゞ猶近まさりする顔ばせは、誠にやうきひ一度ゑめば、六宮に顔色なしといへるが如し。ふようのまなじりたんくわのくちびる、花を飾りたるかたち、是を見てはいかなるたふのさはに引籠 り、念仏三昧 のかふろ上人、天台山四明 の洞に一心 三観 を宗 とし給ふ南光坊 成 とも、心まよはでは候はじ。ひきよくを尽 す舞の袖、ようがんびれいにやさしきは、よしつねの思ひ人 、舞 の上手 と聞えつるいそのぜんじがむすめしづか御前や、もろこしのくわうていの恋 ひ給ひしたいしよく官のおと姫も、【 NDLJP:317】是にはいかでまさるべき。かゝるいつくしき立すがたに見ほれまよはぬ人は、たゞ鬼神 より猶おそろしや。其外花をそねみ月をねたむほどの女房 、同じやうにしやうぞくせさせて、よはひ二八ばかりなるが、みめかたちゑにかくとも筆におよびがたきほどなるが、花の袂をかさね玉のもすそをつらね、五十人六十かうしよくをことゝして、きやしやなる花の色衣 に、まなばん、古伽羅 、紅梅伽羅 をたきしめし、かぶきをどりて一同に袂 をかへす扇の風に、匂ひは四方にかうばしや。春のそのふにてふ鳥のちりかふ花にうかれつゝ、ぱつとたちては入りみだれ、さいうにわかてる舞 の袖 、是 や五節 の舞姫 もかくやとこそはおもはるれ。史記 に長袖 よく舞ひ、多銭よくあがなふといへるも思ひしられたり。扨又しやうぎに腰をかけ、ならび居つゝもつれじやみせん、歌をあげてはかき返し、いまやうの一ふしかや。夢のうき世にたゞくるへ、とゞろとゞろとなるいかづちも、君と我との中をばさけじと、中にをしやうの舞ひあそぶ、すがたやさしき花のきよく、是や誠 の天人 のえうがうあるや、天津風 雲のかよひぢ吹きとぢよ乙女 のすがたしばしとゞめんと、名残 ををしむ舞歌 のきよくも、はやいりあやに成りぬれば、つゞみたいこや笛の音の、ひやうしをあはする足ぶみに、心は空にうかれ男、今生 は夢のうき世なり、命もをしからじざいはうもをしからじと、貴賤老若 此道にすきてほれ人となれり。古語に一たびかへりみるときんば城をかたぶけ、二たびかへりみるときんば国をかたぶくるといへり。されば仏は一念 五百生 、けねん無量刧 と説けり。又宝積経 に、一たび女人 を見れば眼のくどくをうしなふ。たとひ大蛇 をば見るとも、女人をば見るべからずとのいましめなり。扨また外面 はぼさつにて、内心はやしやのごとしとも説かれたり。まことに女のおもてはぼさつに似て、心は鬼なるぞや。伊勢物語に、むぐらおひてあれたる宿のうれたきにかりにも鬼のすだくなりけりとよみしも、女を鬼といへるとかや。男をまよはす魔王 なれば、女にこゝろゆるし給ふべからず。
【 NDLJP:303】巻之五 見しは今、江戸町東西南北に堀川有て橋も多し、其数を知らず。扨又御城