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邦文日本外史/序

日本外史は日本の戰史なり武士道史なり内容斯の如くなるに山陽先生の識と文とを以てす宜なり此書の洽く行はるゝ事や凡そ我が戰史中源平二氏の鬪爭の如く派手なるものはなく南北朝史殊に楠公殉難の如く人をして勤王心を勃興せしむるものはなく群雄割據時代史の如く武士道の眞味の知らるゝはなく豐太閤の偉略の如く人をして快哉を呼ばしむるものはなし此書は實に是等の記事を種々の方面より觀察し評論しある處は長詩の如くある處は戱曲の如く最も趣味に富みたる筆力を馳せて自在に縱橫に叙記せられたれば讀む人知らず先生に魅せらるゝに至る先生は實に識と文とを以て數世の後まで人を痲痺せしむるものなり

幕末有志の士雲の如く起りて盛に勤王論國を唱へし者の中には先生のこの書を讀みて感奮せしもの幾人ぞいはゆる爲朝、重盛、義經、正成、信長、秀吉、家康の如きこの書に依りてその名を知りその事を知りしもの幾人ぞかくいふ余の如きも實にこの書に依りて我が武士道史を知りし一人なり

考證學派起りて此書の流行一度は衰へたりと雖も此書は素よりさる方の史には非ず一種の氣槪を本として詩の如く劇の如く書き綴りたる者なれば時勢は再この書の愛讀を促すに至れり蓋し未來永劫この書の世に忘らるゝ事は非ざらむ然れども今の靑年諸士の學問に多忙なる專ら力を漢文に注ぐこと能はざるが故にかく趣味津々たる此書も隔履搔痒の感なきもの蓋し少からざるべし是この邦文日本外史を譯述せし所以なり

曩に大槻東洋氏の訓蒙日本外史あり近頃大町桂月氏の新譯日本外史ありと雖も本書は此等の二書とは自ら其趣を異にせり凡そ外史の原本たる戰記物語の類近頃は活刷して得易く讀み易き書となれるもの多しと雖も靑年諸士として是等を看破せんは頗る時日を要し結局讀まざるに畢るもの少からざるが如し故にこの書には其目ぼしき處には必ず是等の原文を擧げて外史の本文と共に併せ讀むやうにせりこれ原文と外史に約筆せるとを考へ知らしめん爲なり又筆蹟肖像戰爭地圖を挿入し且つ古來幾多の書より戰爭繪圖を縮寫し或は名所故蹟武具等の圖をも入れて本文の記事をして一層興味あらしめむことを圖れり讀者心を留めて本文と考へ合せなば先生の文と共に其味は忘れ難きものあらむこれ實に本書の特色なり

戰國時代を去ること遠き今の世には武士道の必要無きが如くに思ふ者もあらんがそは大なる間違なり日淸日露の大役は實に武士道を以て捷てり將來かゝる戰役なかるべしと雖も武士道の精神鍛鍊は平和時代とて決して等閑に附すべき者に非ず否々この武士道精神充滿して始めて世界の平和は保たるべし斯る點よりするも日本外史讀習の如きは余は靑年諸士に奬めむとする者なりこれ此書は我が源平以來の戰史にして即ち我が武士道史なればなり玆に本書發刊に際して外史の尊重すべき所以と本書の特色とを述べて自ら序することかくの如し

本書譯述出版に付いては赤堀又次郞氏及び上野竹次郞氏力を致されしこと多し玆に附記して之を謝す

明治四十四年一月

譯述者しるす




この文書は翻訳文であり、原文から独立した著作物としての地位を有します。翻訳文のためのライセンスは、この版のみに適用されます。
原文:

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 
翻訳文:

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。