通俗正教教話/十誡の第五誡命

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じっかいだいごかいめい[編集]

<<なんぢふぼうやまなんぢいのちながからんためなり>>

問 だいごのいましめもうして御座いまする『ふぼうやまへ』とことばあまなんだかばくとしてわかりませんが、これほかことばもつもうしますればふことなので御座いますか。

答 それふぼかうかうしてつくせとうことで御座います、くはしくもうしますればふぼつねうやまそのやまひなどのときにはこころからかんし、おひなぐさめ、しごにはそのまつりたず、そのゆいごんは神様のはふこくおきてもとらぬものならばふぼかんがへたとほりにじつかうすることなので御座います。

問 ふぼかうかうしないつみうで御座いませうほどおもつみで御座いませうか。

答 ふぼかうかうすることはいたってたやすいことでひとたるものはたれめいれいしなくともぜんこころからるもので御座います、しかるにかうものそのたやすたれにもぜんできることをおこなはないので御座いますからそのつみけっしてひととほりではいので御座います、きうやくモイセイおきてりますれば『ふぼののしったばかりでもけいしょせられた』(エギペト出記二十一の十六)もので御座います、わがくにでもむかしからふぼかうやうつくすことはひとおこなふべきみちおほもととしてつねひとびとおこなはうとこころけてることで、かうものへばたれしもつまはじきをしてどろぼうよりもにくほどおもつみみなしてります。

問 なぜふぼうやまふべきいましめかぎり『ながいのち』を神様はひとびとやくそくなさいましたので御座いますか。

答 それまでございませぬ、『ふぼかうやうつくすこと』はていまるおさまってもといで、ていまるおさまることは社会国家のせいおこなはるるもとで御座いまするから神様はことめのまへほうひとびとにおしめしになってますますひとびとはげましになったので御座います。

問 それでは『ふぼかうかうをするもの』はなんで御座いますかながきをいたしますのでございませうか、しかなかまするとかうかうひとでもずいぶんはやじにをするひとりまするやうですがふもので御座いませう。

答 ここもうして御座いまする『ながいのち』とはばかりのいみではございませぬ、このことばらいせいさいはひをもしめしてことこれいちがいもうしますれば『かうかうひと』はすえにはさいはひるといみで御座います、わたくしどもながくさへきるてればそれさいはひのやうにおもひますが、しかそれだいちがひではやんだからともうしましてけっしてかうもうわけにはまいりませぬ、なかにはながきてためかへつみじめってひとも御座いますれば、はやんだめにかへつさいはひひとも御座います、えうするにひとかうかういのちながひみじかひにはかかはりませぬことでございまするから、かうかうをしたからかならながきるともうわけにはまいりませぬ、神様がこのひとなかながきてるよりぶんもとはやひきったはうさいはひおぼしめせばいかおやかうかうひとでもはやじにいたしまするので、それかくかうかうをしたものさいはひうくることはいづれにいたしましてもちがいのいことで御座います。

問 なぜとなりたいするあい』のいましめの第一番目におやたいするいましめいたので御座いますか。

答 それふぼわたくしどももっとちかい者でございまするし、ふぼたいするいましめとなりたいするあいいましめもといになるので御座いますからこのいましめとなりたいするあいいましめもといになるのでございますからこのいましめわざとなりたいするいましめの第一位にかれたので御座います。

問 だいごのいましめに『ふぼうやまへ』ともうして御座いまする『ふぼ』とはなんで御座いますかうみおやばかりをもうしたもので御座いますか、それともまたほかいみそのうちにはふくんでるので御座いますか。

答 このことばほんとういみろんうみおや』のことをもうしたものでは御座いますがしかそのうちにはまたおやかはるべきひとをもふくんでるので御座います。

問 それではおやかはひともうしまするとひとで御座いますか。

答 第一はこくかしらたるていわうで御座います、つぎわたくしどもたましひのことをおもんばかってれるぼくまたがくもんさづけてくれけう、第三はねんちやうしや、第四はおんじんこんいづれもみなふぼかはるべきひとございますからわたくしどもふぼひとしくうやまそのひとためしんめいなげうたなければなりませぬ。

問 ハリストスせいけうでは『きみにちう』なることにいてはやうおしへてりまするか。

答 それもうまでございませぬ、いつこくかしらたるひとめいれいにはこころからふくじうし、つねていわうけんざいこくあんねいとをばんさきだちていのるべきことをいましめてります、せいしょもうして御座いますには、『およそことさきだちてすすしゆうじんためていわうおよおよけんものためたうぐわんこんきうかんしゃさんことを、われおよそけいけんせいけつとをもつへいあんにしておだやかなるいのちいたらんためなり』(テモヘイ前二の一、二)『およそひとかみけんふくすべしけだしかみよりせざるけんなくところけんかみよりてられたるなりゆえけんふくせざるものはかみめいさからふなり』(ロマ十三の一、二)『わがかみていわうとをおそれよ』(箴言二十四の二十一これに『ふくすべきはただいかりおそるる)のためのみならずすなはちりやうしんるなり』(ロマ十三の五ねがはくば『かみおそわうたふとめよ』(ペトル前二の十七)と。

問 ぶんいのちきみくにためつることにいてはせいしょにはもうして御座いますか。

答 そのやうおのれいのちきみこくめにつるものはあいもっときよくてんたっしたるものでこれよりおほいなるとくいともうして御座います、イオアンのふくいんうちに『ひとそのともためいのちつるはあいこれよりおほいなるはなし』(十五の十三)ともうして御座いまするのはすなはこのこといみしたもので御座います。

問 それではせいしょぼくけううやまふべきことにいていかがもうして御座いますか。

答 やうもうして御座います『なんぢけうだうかみことばなんぢつたへしものねんせよ、かれしたがひてこれふくせよ』(エウレイ十三の七、十七)と。

問 ねんちやうしやうやまふべきこときましてはせいしょにはどうもうしてりまするか。

答 『しらがひとまへにはたちあがるべしまたとしよりうやまなんぢかみおそるべし』(利未記十九の三十二
またとしよりげんせきするなかすなはちかれすすむることちちけるごとくせよ……らうぢょにはははけるごとくせよ』(テモヘイ前五の一、二)。

問 おんあるひとたいせつにしますことにきましてはせいしょふことがしるして御座いますか。

答 このこともはまでもないことで御座いますからべついましめも御座いませんがわたくしどもしゅなるイイスス ハリストスそのだいおんじんなるイオシフに三十歳までちちたいするやうなかうやうつくしになったことをましてもそのおこなひならおのれおんじんたいせついたさなければなりませぬ。

問 じっかいだいごのいましめわたくしどもきみたいぼくたいねんちやうしやたいするこころべたもので御座いますがそれではきみしんたいし、おやたいし、ぼくけうそのでしたいし、ねんちやうしやねんしやうしやたいするいましめいてはせいしょどうおしへて御座いますか。

答 きみたるものしんたいするぎむついてはやうもうして御座います『しゅなるものこうへいもつぼくほどこてんにはなんぢにもしゅあることをればなり』(コロサイ四の一)。
おやたいするぎむついてはやうもうして御座います『ちちなんぢおのれいからしむるなかすなはちしゅいましめおしへとをもつこれやういくせよ』(エヘス六の四)。
ぼくけうそのしんおよでしたいしまするいましめきましては『なんぢかみむれぼくしてこれかんとくするにはひてすにあらすなはちねがひまたかみむねしたがふにけつためあらすなはちねっしんりてまたかみわざしゅたるにあらすなはちぐんのりとなれ』(彼得前五の二、三)。
ねんちやうしやねんしやうしやたいするこころきましては『わかものにはけいていけるがごとくせよ』(テモヘイ前五の二)とおしへて御座います。

問 それではきみふぼや年長者や主人がまことみちはづれたことをおこなへとめいじましたときにはうで御座いませう、それでもそのめいれいわたくしどもあまんじてしたがはなければなりませぬものでせうか。

答 いいえそんあひにはわたくしどもそのめいれいきみめいれいであつてもおやめいれいであつてもしゅじんいひつけであつてもけっしてしたがひつえういので御座います、そのやうときにはわたくしどもかつせいしとペトルイオアンがイウデヤのつかさちやうろうおよさいちやうこたへて『かみくよりもまさりてなんぢくはかみまへりてなるかみづかはんだんせよ』(ぎょうじつ四の十九)ともうしましたそのことばくりかへぜんかみまことおしへめにそのめいれいしりぞけて、これためくるくるしみあまんじてしのばなければなりませぬ。

問 じっかいだいごのいましめめいじてりまするいましめこれそうくわつしてもうしまするといましめになるので御座いますか。

答 『じゆうじゆん』といましめになるので御座います。

じっかいだいろくかいめい[編集]

<<なんぢひところなかれ)>>

問 ひところすとふことはもうまでも御座いませんだいざいで御座いますがしかせんさういでくにためてきころしたり、ごくしよくってざいにんけいしょすることはうでございませう、やっぱりだいざいで御座いませうか。

答 おきてってけいざいにんしょすることやくにためいくさおもむいててきころすことはけっしてつみでは御座いません。

問 それではあやまってひところしたひとうで御座いますか。

答 そのあやまちまことむをぬもので御座いまするなればつみいので御座いますがおほあやまちもうしまするものもようじんらないところからおこってるもので御座いますからたとあやまってひところしましたにせよころしたひとまったくつみがないとはもうされません、でございますから教会ではあやまってひところしたひとにもしばらつつしみめいじてこころきよめさせるので御座います。

問 教会でもうしまする『ひとごろしのつみ』はかたなでばひところすことばかりをもうすもので御座いますか、それともなほこのぐわいにも『ひとごろしのつみ』はるので御座いますか。

答 教会でもうしまする『ひとごろし』はかたなでばひところすことばかりでは御座いませんつぎもうしまするやうなこともまたひとごろし』のうちくはへられるので御座います。
第一は裁判官がこくざいたることをりながらこれつみおとすこと、第二はひところしたざいにんかくまってそのものばんあたへること、第三はぶんひとたすくるみちるにもかかはらずにんごろしにすること、かねもちびんぼうにんがしするをたすけないことなぞもこの第三者のうちぞくするもので御座います、第四はぶんてしたぎたはたらきめいじてそのものからだそこなふこと、しゅじんめしつかひぎやくたいすることなぞはこのるいぞくするつみで御座います、第五はほうたうさけせっせいによつてだいじからだこはすこと。
じやうべましたことはいづれも教会ではやっぱり『ひとごろしつみ』とみなすので御座います。

問 さつは教会ではどうみなすので御座いますか。

答 教会ではさつやっぱひとごろしのうちくはへるので御座います、いったい日本人はさつふとたいへんえらさうにかんがへまするがそれたいへんちがひで、たいていさつしゃたたかひけたひとで御座います、さつするくらいかくればさつをしなくてもじうぶんりっぱなかんなくるしみでもきりけてくことができるので御座いますのにそれできなくてさつなどするので御座いますからさつしゃえらひとではない、かへってなんかんきりくることのできないいきじなしで御座いますですから教会ではさつしゃじやういやしみます、いったいひともうしますのはだれでもおのれあいがるもので御座いますのにさつしゃぶんぶんからだころすので御座いますからただひとごろしつみばかりでなくてんせいもとったたいざいで御座います、なほこのうへに自殺者は神様のむねにもそむいただいざいにんで御座います。

問 それではけっとううで御座いますか。

答 けっとうひとごろしさつこくはふさからみっつのだいざいどうをかすもので御座います、なぜかともうしますればけっとうわたくしあらそひさばためになすもので御座いますがわたくしあらそひさばためにはこくさいばんふものが御座います、しかるにけとっうをするものそのこくていないがしろにしてほしいままわたくしあらそひけっていしやうとするので御座いますから第一けっとうこくはふそむくので御座います、つぎけっとうをするものおのれきづつけひとからだいたむるもので御座いますからひとごろしさつつみどうをかもので御座います。

問 ひとごろしとはひといのちることばかりをもうすので御座いますか。

答 いいえさうでは御座いませぬ、ひとわるみちさそってそのひとたましひほろぼさしめるものまたひとごろしつみおこなもので御座います、しゅせいしょうちひとそこなものかってそのつみならしてもうされましたには『いざなひきたらざるをただこれきたものわざはひなるかなひとしよういちにんつみいざなはんよりはむしひきうすそのくびけられてうみとうぜられん』(ルカ十七の一すなはひとつみおとしいるるやうものならばきてるよりか、んでしまったはうほどましであるといみで御座います。

問 それではこれぐわいひとごろしつみうちくはへらるべきつみは御座いませぬか。

答 ございます、ひとうちへいやぶったりひといたづらにくむこともまたひとごろしひとしいつみで御座います、せいしょもうして御座いますには『およそのけいていにくものひとごろしなり』(イオアン一書三の十五)。

問 わたくしどもじっかいの第六のかいめいそれではただしくまもりまするにはいかがいたしたならばよろしいので御座いますか。

答 この第六のいましめを正しくわたくしどもおこなはんにはひといのちへいおもんつねこころもちいてそれたすくるやうにしなければなりませぬ、たとへばまづしものにはめぐみ、びやうにんがあればかんをしてり、うれかなしんでものなぐさめてり、かうものればそれしんせつせわをしてり、ぶんはぢをかかせたものがあってもそのつみとがめず、ばんばんたんひとやさしいこころもつつきあふので御座います。