通俗正教教話/信経/第一か條

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(一)第一か條[編集]

われしんひとつ神父かみちち全能ぜんのうしゃてんゆるとえざる萬物ばんぶつつくりししゅを』

問 かみしんずるともうしまするとふことなので御座ございますか。

答 神様かみさましんずるとふことは神様かみさまることとその神様かみさま性質せいしつその霊験れいけんとをかたしんじ、して神様かみさまひとにお啓示しめしになつた人間ひと救贖あがないのことをかたこころくることなので御座ございます。

問 それでは神様かみさましんずるには其様そのやうにしなければならないと聖書せいしょにでももうしてるので御座ございますか。

答 左様さう御座ございますしゅのお弟子でしであったせい使徒しとパエルがエウレイびともとおくつたしょうちやうもうして御座ございます『しんなければかみよろこばるるあたはず、けだしかみものかれることおよびそのかれたづぬるものむくいものなるをしんずべし』〔エウレイ十一の六(ヘブライ十一の六)〕と。

問 れではひと神様かみさま熱心ねっしんしんじてるかうだか、それ見分みわくることは出来できるもので御座ございませうか。

答 出来できますとも、其人そのひと信仰しんかううはべあらはるるあひ見分みわくることが出来できます。

問 信仰しんかううはべあらはるるともうしますとふことなので御座ございますか。

答 それは正教会のをしへだれまへおいてもすこしもづることなく信仰しんかうし、如何様どん誘惑いざなひてもそれまどはされず、設令たとへ如何様どんおどしけやうが如何様どんくるしみけやうがまこと神様かみさまてず、そのをしへそむかないことなので御座ございます。

問 では其様そんなにしてもなに信仰しんかうをもてあらは必要ひつえうるので御座ございますか。

答 御座ございますとも、しゅのお弟子でしなるせい使徒しとパエルがロマびともとおくったがみうちに『ひとこころもっしんとせられ、くちもっみとすくはる』〔ロマ十の十〕ともうされてりまするとほ信仰しんかうそとあらはしますること救贖あがなひけまするに是非ぜひとも必要ひつえうことなので御座ございます。

問 それでは何故なぜすくひけまするに正教せいけうをしへしんずるばかりではなくそれおもてあらはさなければならぬので御座ございますか。

答 何故なぜもうしまして、自分じぶんいのちかねをしため自分じぶんが正教会の信者しんじゃであることを他人ひとまへかくして、自分じぶん信仰しんかうをもてあらはこときらやうひとなればけっして神様かみさままことしんじた信者しんじゃとはもうすことが出来できないではりませんか。

問 信経しんけいうちただ神様かみさましんず』とはず、その神様かみさまことばうへに『唯一ひとつの』とことばへてるのはわけなので御座ございますか。

答 それひとつくつた彫刻物ほりものや、ぜんや、けものなどを神様かみさまとしてをがみ、神様かみさま八百やおよろづるものであるなどともうしてりまするちがつたをしへしりぞくるためことへてるので、れによつてわたくしどもしんずる神様かみさまかい唯一ひとつよりほかまこと神様かみさまであるとふことをあきらかにしたので御座ございます。

問 聖書せいしょうちなん御座ございますか、神様かみさま唯一ひとつよりほかいとことやういて御座ございますか。

答 それしゅのお弟子でしであつたせい使徒しとパエルがコリンフじんおくつたがみうちやうもうしてるので御座ございます『唯一ひとつかみほかかみなし、けだし所謂いはゆる諸神しょしんあるひてんあるひおほくのかみおほくのしゅごとものありといへどもしかどもわれにはひとつ神父かみちちあり萬物ばんぶつ彼自かれよりわれかれす』〔コリンフ前書八の五、六〕と、信経しんけいうちはれて御座ございまするもんじつ聖書せいしょ此処ここからしてつてたもので御座ございます。

問 神様かみさま本体ほんたい如何様どんなものでるかはしらべたらばわかるもので御座ございますか。

答 いいえ幾何いくらしらべましても到底とて人間にんげんにはわかるものでは御座ございません、ただ人間にんげんばかりでは御座ございません、神様かみさまそばりまする神様かみさまのお使つかひにもわからないので御座ございます。しゅのお弟子でしであつたせい使徒しとパエル神様かみさま本体ほんたいことをしへてはれましたには『かみちかづくからざるひかりものひといまかつず、またることあたはざるものなり』〔テモヘイ前六の十六〕。

問 それでは神様かみさま本体ほんたいこと全然まるでひとにはわからないもので御座ございますか。

答 いいえ神様かみさまのおしめしによりまして、神様かみさま本体ほんたいることの出来できないひとつみたまやうなもので、かぎりのない、すこしもあくのない、何事なにごとでもつておでになる、いたつてただしき、何事なにごとでも出来できないとことのない、何処どこにでもおでになるものりまして、何時いつまでかはらぬ、すべてのことみなそなはっておでになる、さいはひあるものると事丈ことだけわかってるので御座ございます。

問 それでは神様かみさま其様そんなものでるとこと聖書せいしょうちいて御座ございませうか。

答 みん聖書せいしょいてります、そのひとふたつのれいげてませうならば、
神様かみさまれいつてることの出来できぬものでありますることはイオアン福音ふくいんうちに『かみしんなり』〔四の二十四〕ともうしてりまするし、神様かみさまかぎりないものでるとふことは聖詠せいえいうちに『やまいましょうぜず、なんぢいまぜんかいとをつくらざるさきかつよりまでなんぢかみなり』〔聖詠八十九の三(詩篇九十の二)〕とはれ、またイオアンもくろくうちに『せいなるかなせいなるかなせいなるかなしゅかみ全能ぜんのうしゃさきりしいまり、のちらんとするものよ』〔四の八〕ともうされてりますし。
神様かみさまぜんなるもので、すこしもあくふもののものることにいては馬太マトヘイ福音ふくいんうちに『ひとかみよりほかぜんなるものなし』〔十九の十七〕ともうされてりまするし。
神様かみさまなんでもつておでになることにいては、イオアン公書こうしょうちに『かみわれこころよりおほいにしてらざるところなし』〔一書三の二十〕ともうされてりまするし。
神様かみさまいたつてなることにいては『しゅにしてあいし、そのかんばせじんる』〔聖詠十の七(詩篇十一の七)〕と聖詠せいえいはれて御座ございまするし。
神様かみさま何事なにごとでもお出来できになることにいては矢張やはり聖詠せいえいうちに『かれへばすなはちり、めいずればすなはちあらはれたり』〔聖詠三十二の九(詩篇三十三の九)〕とはれてりまするし。
神様かみさま何時いつまでかはりなきことイアコフ公書こうしょうちに『かれ変易かはりなく遷移うつりかげもなし』〔一の十七〕とはれて御座ございまするし。
神様かみさますべてに満足まんぞくしておでになることにいては『かみもとむるところあるものごとくにひと奉事つかええうせず、みづか生命いのち呼吸いき萬物ばんぶつとをもっしゅうあたふ〔行実十七の二十五(使徒行伝十七の二十五)〕と行実ぎやうじつべてりまするし。
神様かみさまさひはひなるものなることはティモヘイ前書ぜんしょうちせい使徒しとパエルが『有福いうふく独一どくいつ権能けんのうなるかみ諸王しょわうわう諸主しょしゅしゅ』〔六の十五〕ともうされてます。

問 神様かみさまえぬみたまごときものでると仰有おっしゃいましたが、それなれば聖書せいしょ神様かみさまうでるの、神様かみさまうであるのと所々ところどころつて御座ございまするのはわけなので御座ございますか。

答 それ人間ひとわかやすやう故意わざ其様そんことばもちいましたので、けっして神様かみさまくちわけはないので御座ございます、それでありまするから聖書せいしょ其様そんことば御座ございましたならばそのことばけっして通常つね意味いみではなくある高尚たか意味いみあかさなければならぬので御座ございます。たとへてもうしますれば、神様かみさまとかみみとかもうしますることは、神様かみさま何事なにごとでもぞんじでいらっしやることをもうしましたもので、神様かみさまもうしまするのは、神様かみさま何事なにごとでも出来できぬともののないこともうしましたもので御座ございます。

問 神様かみさまあらざるところなく何処どこにでもおでになると仰有おっしゃいましたが、はり聖書せいしょうち神様かみさまてんにおいでになるとか、聖殿せいでん聖堂せいだう)のうちにおでになるとかもうして御座ございまするのはわけなので御座ございますか。

答 成程なるほど神様かみさま何処どこにでもおいでにならぬところいので御座ございますが、特更ことさら聖書せいしょうち神様かみさまてん聖殿せいでんうちにおいでになるともうしましたのは、てんわたくしどもたふとおもところ御座ございまするから、其所そこ神様かみさまのおいでになるやうおもってもけっして神様かみさま相当ふさはぬことでは御座ございませんので、やうもうしましたわけで、神様かみさま何処どこにもおいでなさるとたんもうしましてもひとには仲々なかなかうけれませんのでひとわかやすやうてんにおいでになるともうしたので御座ございます、神様かみさま聖殿せいでんうちにおいでになるともうしましたのは、聖殿せいでん聖堂せいどう)は神様かみさまたうをしまするところ御座ございまするので、其内そのうちには神様かみさま冥々めいめいうちあらはれなさるので神様かみさまがおいでになるともうしたので御座ございます、此事このこときましてしゅイイスス ハリストスその弟子でし仰有おっしゃつたことがあるので御座ございます。しゅその弟子でしむかつて仰有おっしゃるには『二人ふたりあるひ三人さんにんりてあつまところにはわれ其中そのうちるなり』〔マトヘイ十八の二十〕。

問 信経しんけい第一だいいちでうりまする『われしん唯一ひとつ神父かみちち』と言葉ことばやう解釈かいしゃくしたならばよろしう御座ございますか。

答 このことばふか意味いみりまするには神様かみさま本体ほんたいひとつでありまして、そのくらい神父かみちちかみかみ聖神せいしんみつわかれてりますること、およそのみつものひとつであつてわかれざるものでりますること、これをことばもうしますれば『せい三者さんしゃ』のことのをしへふかしらべなければなりませぬ。

問 それでは聖書せいしょせい三者さんしゃことやうはれて御座ございますか。

答 マトヘイ福音ふくいんしょうち我主わがしゅイイスス ハリストスその弟子でし傳道でんだうにおつかはしになるときおほせられましたことばしるしてりまするには『なんぢきて萬民ばんみんをしへつたへてかれちち聖神せいしんとのりてせんさづけよ』〔マトヘイ二十八の十九〕とまたイオアン第一だいいち公書こうしょうちにはせい三者さんしゃことついて『てんりてしやうをなすものみつちちなり、ことばなり、聖神せいしんなり、みつものひとつなり〔五の七〕ともうして御座ございます。

問 では旧約聖書のうちせい三者さんしゃことべてところ御座ございますか。

答 りますがしかし新約聖書のうちいてりまするやうあきらかにいては御座ございません、ただそのことばせい三者さんしゃことつたものと解釈かいしゃくしてはじめてわかるので御座ございます。たとへばイサイヤ言書げんしょうちに『せいなるかなせいなるかなせいなるかなしゅサワオフぜんその光栄こうえいをもてれり』〔六の三〕ともうことば御座ございますが、このことばうちで『せいなるかな』とことばさんへされて御座ございますのは畢竟つまりせい三者さんしゃ別々べつべつめたものでりまして、つぎの『しゅサワオフ』とことばそのみつものひとつものとしてべたので御座ございます、このやうことばは旧約聖書のうちには沢山たくさん御座ございますが、ここにはただそのひとつったので御座ございます。

問 唯一ひとつ神様かみさまくらいるとふことはまことわかにくみょうはなしでは御座ございませんか。

答 左様さう御座ございます、まことわかにくいことのやう御座ございますが、まへにももうしましたとほ神様かみさまのことはその使つかひにてもることの出来できほど奥深おくふかもの御座ございますからひとそれらうといたしまするのがはなは無理むりはなし御座ございますわたくしども神様かみさまことうとしんずればよろしいので、それくつかいしやうといたすのは、神様かみさま尊厳そんげんをかすもので御座ございます、聖書せいしょうちもうされてりまするとほり『ひとこと其人そのひとうちこころほかたれ一人ひとりつてものりませぬ』やうに、『かみことかみしんほかこれものい』ので御座ございます。〔コリンフ前二の十一

問 神様かみさまみつくらいると仰有おっしゃいましたがそれでは其三そのみつくらい其々それぞれべつるので御座ございますか。

答 せい三者さんしゃ神様かみさまみつくらい一所ひとつあはせてもうすので御座ございます)のひとつりまする『神父かみちち』のくらいは、くらいからうまれも、でもしないもの御座ございますが『かみ』のくらい神父かみちちよりかぎりなくうまるるもので、『かみ聖神せいしん』はかぎりなく『神父かみちち』よりいづもの御座ございます。ただもうしたばかりではまことわかにく御座ございますが、これひくれいつてもうしますれば神様かみさまみつくらい関係かんけい太陽たいやうの『本体ほんたい其物そのもの』と、その本体ほんたいからる『あたたかみ』とその本体ほんたいからはっする『ひかり』のやうもので、其三そのみつものつてはじめて太陽たいやうひとつもの出来できるとちやうおなじやうに神様かみさまみつくらいたがひはなれず、こんぜず、何時いつまでいまもうしたやう関係かんけいたもってるので御座ございます。

問 それではせい三者さんしゃたがひそのかくじやうるので御座ございませうねえ。

答 いいえすこし上下かみしもいので御座ございます神父かみちちまこと神様かみさまりますとひとしくかみまこと神様かみさまりまするし、かみ聖神せいしんまたほんと神様かみさま御座ございます、畢竟つまりみつもうしまするばかり其実そのじつひとつ神様かみさまなので御座ございまするから、そのかくじやうわけいので御座ございます。

問 信経しんけい第一だいいちでううち神様かみさまを『全能ぜんのうしゃ』ともうして御座ございまするのはわけ御座ございますか。

答 神様かみさまを『全能ぜんのうしゃ』ともうしまするのは、神様かみさま何事なにごとでもお出来できになるからなので、ことばもっもうしますれば、かいうちあらゆるものすべ神様かみさま御手みてちからうちるので御座ございまするので、もうしたわけなので御座ございます。

問 『てんゆるとえざる萬物ばんぶつつくりししゅを』とことば意味いみなので御座ございますか。

答 それまへにももうしましたとほこのすべてのものすなはわたくしどもてんでもでもみな神様かみさまのおつくりになったもので、けっして天然てんねんぜん出来できたものではりませぬ、れでりまするからかいすべてもの神様かみさまはいもとはなれたならば一時ひとときでもなか存在そんざいすること出来できぬものなので御座ございます、畢竟つまりてんゆるとえざる萬物ばんぶつつくりししゅを』とは、わたくしどもしんずる神様かみさまかいすべてものつくりになった神様かみさまるとふことをもうしたもので御座ございます、そして信経しんけいこのことばは、旧約きゅうやく聖書せいしょ創世さうせいはじめる『はじめかみてん創造さうざうす』ともうしまするもんからったもので御座ございます。

問 『えざるもの』ともうしまするとものもうすので御座ございますか。

答 えざるものもうしまするのは神様かみさまのお使つかひや、その使つかひりまするれいかいやうなものをもうすので御座ございます。

問 一体いったい神様かみさまのお使つかひふのはんなものなので御座ございますか。

答 神様かみさまのお使つかひとは神様かみさま種々さまざま命令めいれいおこなふがため特別とくべつ神様かみさまのおつくりになったえぬれいりまして、ひとよりも智慧ちえ意思いしつよい、ちからものなので御座ございます。

問 『えざるもの』も『ゆるもの』もみな神様かみさまによってつくられたものとしますれば、『えざるもの』と『ゆるもの』と何方どちらさきつくられたので御座ございませう。

答 それは『えざるもの』のはうさきつくられたので御座ございます。

問 神様かみさまのお使つかひうちに『守護しゅご天使てんし』とってひとまも天使てんしるさうですが、其事そのこと聖書せいしょうちいて御座ございますか。

答 ります聖詠せいえいうちいて御座ございます『なんぢためその天使てんしめいじて、……なんぢまもらしめん』〔聖詠九十の十一(詩篇九十一の十一)〕

問 ひとまもるともうしますると、それではわたくしどもやうものその天使てんしまもってるので御座ございますか。

答 左様さう御座ございますとも、うまれたばかりの赤児あかんぼでもなんでもみなその神様かみさまのお使つかひ整然ちゃんとまもってるので御座ございます。此事このこときましてってしゅイイスス ハリストスその弟子でしおほせられたおことば御座ございます、『つつしみてこの小子こども一人ひとりをもかろんずるなかれ、けだしわれなんぢかれ天使てんしてんおいつねてんちちかんばせる』〔馬太十八の十このことばじつちいさい小児こどもでも神様かみさまのお使つかひ整然ちゃんとその小児こどもまもってるとこともうされたもので御座ございます。

問 神様かみさまのお使つかひうちには人間ひとあひだ悪漢わるものやう矢張やはりわるものないので御座ございませうか。

答 いいえわるものるので御座ございます、けれども其様そんもの神様かみさまのお使つかひとはもうしませぬ、やうものは『あく』ともうしましてとはかったので御座ございますが、或事あることかららくしてつひわるもの成下なりさがったので御座ございます。

問 らくしたともうしましてやうらくしたので御座ございますか。

答 このあく神様かみさまつくられましたたうまこと神様かみさまのお使つかひったので御座ございましたが、ぶんあまゆうなにひとそくかんずるやうこと御座ございませぬので、つひたかぶりおこしまして、神様かみさまめいしたがふことをいとやうになりましたので御座ございます、れからともうしますものは神様かみさまもとまったはなれて自分じぶんおもままのことをしてつひあくはるるやうものまでらくしたので御座ございます。

問 一体いったいあくもうしまするもの日常いつもふことをるので御座ございますか。

答 日常いつもわることばかくはだててひとわるはうみちびいて、ひとらくせしめやうらくせしめやうばかおもってもの御座ございます、聖書せいしょうちイイスス ハリストスあくのことを『いつはりものいつはりちち』〔イオアン八の四十四〕とおほせられましたが、じつそのとほり御座ございましてあくったり、おこなったりすることに、真実まこともうすものはまったいので御座ございます。

問 このかい神様かみさまのおつくりになったものでると仰有おっしゃいましたが、それでは神様かみさまこのかいをおつくりになりますにはやうにおつくりになったので御座ございます。

答 其事そのこと聖書せいしょうち整然ちゃんといて御座ございます、神様かみさまこのかいをおつくりにならないまへは、いまてんとかとかやうなものはなにかったので御座ございまして、神様かみさまじつなにところからいまわたくしどもやうてん萬物ばんぶつをおつくりになったので御座ございます、神様かみさまてん萬物ばんぶつなぬうちにおつくりになったので御座ございますが、その第一日だいいちにちにおつくりになったのは『ひかり』で二日ふつかにはいまゆる蒼穹おほぞらをおつくりになり、だい三日みっかにはきゅううへかわとかうみとかみづうみとか、おかとかくさをおつくりになり、だい四日よっかには太陽たいやうつきほしをおつくりになり、だい五日いつかにはうおとりだい六日むいかにはりくけものをおつくりになり、そして人間にんげん一番いちばんおはりにおつくりになったので御座ございます。七日なぬかには神様かみさま何事なにごとをもされず、御自ごじしんのおつくりになった萬物ばんぶつらんになって満足まんぞくなされ、その一日いちにちはおやすみになったので御座ございます、そのむかしのエウレイこくでは『スボタ』(安息日)ともうしましてげうやすみましたもので、今日こんにち日曜にちようじつそのなので御座ございます。

問 今日こんにちわたくしども毎日まいにちていまするすべてものは、神様かみさまのおつくりになったばかりのときにはいまよりもほどうつくしかったで御座ございませうねえ。

答 左様さう御座ございます、其時そのときひとらくしないときなので御座ございますから、じょうすべてのものすこしあくんでりませぬので、ごくうつくしくきよいもので御座ございました。

問 神様かみさまものをおつくりになるやう人間ひとひとことばでおつくりになったので御座ございますか、ともものよりもすこ鄭重ていちょうにおつくりになったので御座ございませうか。

答 其事そのこともうまで御座ございませぬ、人間ひと萬物ばんぶつ霊長れいちょうとなるべきもので御座ございますから神様かみさまそれをおつくりになるには、ものよりもほど鄭重ていちょうにおつくりになったので御座ございます。さん神様かみさま人間ひとをおつくりになるまへたがひ相談さうだんなさって『われかたどわれかたちごとくにわれひとつくるべし』〔創世記一の二十六〕とすなは神様かみさま人間ひとぶんかたどりかたちとにせてつくらうとふことを相談さうだんなさったのち人間ひとなか一番いちばんはじめひとりまするアダムつちもっておつくりになり、そのおもてぶんけなさって、それいのちあたへになり、そのアダムたのしきそのうちにおきになり、その食物しょくもつとしては種々さまざまうつくしき果実くだものをおつくりになってアダムあたへになりましたとどうに、アダムむってりまするうちその脇腹わきばらほねってエワもうしまするをんなをおつくりになりこれアダムつまとなさったので御座ございます。

問 はじめひと神様かみかたどりかたちとにせて神様かみさまがおつくりになったものでりますること只今ただいまうけたまはりましたが、一体いったい神様かみさまかたちもうしまするとことなので御座ございますか。

答 神様かみさまひとおのれかたちせておつくりになったともうしましてもべつに、神様かみさま自分じぶんみみくちかたにしてひとみみくちをおつくりになったとわけではいので御座ございます、まへにももうしましたとほ神様かみさまにはくちみみいので御座ございます、神様かみさまひとそのかたちせておつくりになったとは神様かみさま人間ひとをおつくりになりまするときひとこころうち自分じぶんうつくしいすこしもくもりないおほごころかげをおうつしになったこともうしまするので、せい使徒しとパエルことばによりますれば、神様かみさまかたちとは『真実まことせい』〔エヘス四の二十四〕なので御座ございます。

問 神様かみさまがおけなさったともうしまするものは一体いったいなになので御座ございますか。

答 それひとうち霊魂たましひのことで御座ございます。

問 何故なぜ神様かみさまはじめをんなエワをおつくりになりまするときアダム脇腹わきばらほねっておつくりになったので御座ございますか。

答 此事このこともっと神様かみさまふか配慮おもんばかりよりましたことで、をとこをんなまったべつもの御座ございますなれば、人間ひともとふたるので御座ございますから、わたくしども人間ひとたがひみん兄弟きょうだいるともうすことが出来できないので御座ございます、畢竟つまり神様かみさまをんなをとこからだけておつくりになりましたのは、をとこをんな天然てんねん自然しぜんしらしらたがひたすってやう性質せいしつそなへるためなので御座ございます。

問 神様かみさま人間ひとをおつくりになりましたときのおかんがへかんがへ御座ございましたでせうか。

答 うか人間ひと神様かみさまつねわすれず、神様かみさまあいして、其徳そのとくたたへて何時いつまで何時いつまで人間ひと幸福かうふくであるやうにとのかんがへったので御座ございました。

問 其様そん神様かみさまのおかんがへは、『おかんがへ』とはず、教会でなんとかほかけてないので御座ございますか。

答 いいえけてるので御座ございます、其様そのやうかんがへ神様かみさまの『てい』ともうしてります。

問 神様かみさま人間ひとをおつくりになったときのおかんがへ人間ひと何時いつまでさいはひやうにとのおかんがへで有ったと仰有おっしゃいますが、しかなかまするに随分ずいぶん人間にんげんには種々いろん苦労くろう御座ございましてけっして幸福しあはせやうにもおもはれませぬが、してますると神様かみさまはじめてい途中とちゅうかはったので御座ございますか。

答 いいえけっしてかはったのでは御座ございません、成程なるほど今日こんにち人間ひとには種々さまざま苦労くろう御座ございましてみん幸福しあはせでないやう御座ございますが、それアダムつみをかしたためまことそくになりましたので、一寸ちょっとかんがへまするとひとまことつまらぬものやうおもはれまするが、しかかんがへてますれば、苦労くろうただ外形そとかはばかりでそのないはり幸福しあはせなもので御座ございます、こと神様かみさまそのひとりでありまするイイススハリストスこのにおくだしになってアダムをかしたためそくになりました幸福しあはせかはりに、なほそれじうばいするまこと幸福しあはせいたみちわたくしどもにおさづけになったので御座ございます、れで御座ございまするから、神様かみさまひとつくはじめかんがへになったかんがへけっして今日いまかはってわけでは御座ございませぬ。

問 神様かみさま世界せかい人間ひとをおつくりになりましたのちその世界せかい人間ひと御目おめをおかけになって御居おいでにならないので御座ございますか、れとも何時いつまでもおをおけになって御居おいでになるので御座ございますか。

答 何時いつまでもおをおけになってるので御座ございます。教会では其事そのこと神様かみさま照管しやうくわんもうしてります、神様かみさまそのつくりになりましたものことつねこころけて御居おいでになり其物そのものをおまもりになってはうかふやうにと思召ぼしめしいらっしやるので御座ございます。

問 神様かみさまの『照管しやうくわん』のこと聖書せいしょうちしょしては御座ございませぬか。

答 いいえもっとあきらかにいて御座ございます、イイススハリストスことばうちに、『こころみ天空そらとりかれかずらずくらまず、しかしてなんぢちちこれやしなふ、なんぢかれよりはなはたふときにあらずや』〔マトヘイ六の二十六〕ともうことば御座ございますが、このことば神様かみさまの『照管しやうくわん』がいまつねことしめしてりまするとともに、その神様かみさま照管しやうくわんただ人間ひと高等かうとうけものうへばかりでなく、とりむしうへにもそそがれてることをしめしたもので御座ございます。

聖詠せいえい十篇じっぺん詩篇九十一編)のうちにもまた神様かみさま照管しやうくわんことあきらかにしるされて御座ございます。