通俗正教教話/信経/第一か條

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(一)第一か條[編集]

われしんひとつかみちちぜんのうしゃてんゆるとえざるばんぶつつくりししゅを』

問 かみしんずるともうしまするとふことなのでございますか。

答 かみさましんずるとふことはかみさまることとそのかみさませいしつそのれいけんとをかたしんじ、してかみさまひとにおしめしになつたひとあがないのことをかたこころくることなのでございます。

問 それではかみさましんずるにはそのやうにしなければならないとせいしょにでももうしてるのでございますか。

答 さうございますしゅのおでしであったせいしとパエルがエウレイびともとおくつたしょうちやうもうしてございます『しんなければかみよろこばるるあたはず、けだしかみものかれることおよびそのかれたづぬるものむくいものなるをしんずべし』〔エウレイ十一の六(ヘブライ十一の六)〕と。

問 れではひとかみさまねっしんしんじてるかうだか、それみわくることはできるものでございませうか。

答 できますとも、そのひとしんかううはべあらはるるあひみわくることができます。

問 しんかううはべあらはるるともうしますとふことなのでございますか。

答 それは正教会のをしへだれまへおいてもすこしもづることなくしんかうし、どんいざなひてもそれまどはされず、たとへどんおどしけやうがどんくるしみけやうがまことかみさまてず、そのをしへそむかないことなのでございます。

問 ではそんなにしてもなにしんかうをもてあらはひつえうるのでございますか。

答 ございますとも、しゅのおでしなるせいしとパエルがロマびともとおくったがみうちに『ひとこころもっしんとせられ、くちもっみとすくはる』〔ロマ十の十〕ともうされてりまするとほしんかうそとあらはしますることあがなひけまするにぜひともひつえうことなのでございます。

問 それではなぜすくひけまするにせいけうをしへしんずるばかりではなくそれおもてあらはさなければならぬのでございますか。

答 なぜもうしまして、じぶんいのちかねをしためじぶんが正教会のしんじゃであることをひとまへかくして、じぶんしんかうをもてあらはこときらやうひとなればけっしてかみさままことしんじたしんじゃとはもうすことができないではりませんか。

問 しんけいうちただかみさましんず』とはず、そのかみさまことばうへに『ひとつの』とことばへてるのはわけなのでございますか。

答 それひとつくつたほりものや、ぜんや、けものなどをかみさまとしてをがみ、かみさまやおよろづるものであるなどともうしてりまするちがつたをしへしりぞくるためことへてるので、れによつてわたくしどもしんずるかみさまかいひとつよりほかまことかみさまであるとふことをあきらかにしたのでございます。

問 せいしょうちなんございますか、かみさまひとつよりほかいとことやういてございますか。

答 それしゅのおでしであつたせいしとパエルがコリンフじんおくつたがみうちやうもうしてるのでございます『ひとつかみほかかみなし、けだしいはゆるしょしんあるひてんあるひおほくのかみおほくのしゅごとものありといへどもしかどもわれにはひとつかみちちありばんぶつかれよりわれかれす』〔コリンフ前書八の五、六〕と、しんけいうちはれてございまするもんじつせいしょここからしてつてたものでございます。

問 かみさまほんたいどんなものでるかはしらべたらばわかるものでございますか。

答 いいえいくらしらべましてもとてにんげんにはわかるものではございません、ただにんげんばかりではございません、かみさまそばりまするかみさまのおつかひにもわからないのでございます。しゅのおでしであつたせいしとパエルかみさまほんたいことをしへてはれましたには『かみちかづくからざるひかりものひといまかつず、またることあたはざるものなり』〔テモヘイ前六の十六〕。

問 それではかみさまほんたいことまるでひとにはわからないものでございますか。

答 いいえかみさまのおしめしによりまして、かみさまほんたいることのできないひとつみたまやうなもので、かぎりのない、すこしもあくのない、なにごとでもつておでになる、いたつてただしき、なにごとでもできないとことのない、どこにでもおでになるものりまして、いつまでかはらぬ、すべてのことみなそなはっておでになる、さいはひあるものるとことだけわかってるのでございます。

問 それではかみさまそんなものでるとことせいしょうちいてございませうか。

答 みんせいしょいてります、そのひとふたつのれいげてませうならば、
かみさまれいつてることのできぬものでありますることはイオアンふくいんうちに『かみしんなり』〔四の二十四〕ともうしてりまするし、かみさまかぎりないものでるとふことはせいえいうちに『やまいましょうぜず、なんぢいまぜんかいとをつくらざるさきかつよりまでなんぢかみなり』〔聖詠八十九の三(詩篇九十の二)〕とはれ、またイオアンもくろくうちに『せいなるかなせいなるかなせいなるかなしゅかみぜんのうしゃさきりしいまり、のちらんとするものよ』〔四の八〕ともうされてりますし。
かみさまぜんなるもので、すこしもあくふもののものることにいてはマトヘイふくいんうちに『ひとかみよりほかぜんなるものなし』〔十九の十七〕ともうされてりまするし。
かみさまなんでもつておでになることにいては、イオアンこうしょうちに『かみわれこころよりおほいにしてらざるところなし』〔一書三の二十〕ともうされてりまするし。
かみさまいたつてなることにいては『しゅにしてあいし、そのかんばせじんる』〔聖詠十の七(詩篇十一の七)〕とせいえいはれてございまするし。
かみさまなにごとでもおできになることにいてはやはりせいえいうちに『かれへばすなはちり、めいずればすなはちあらはれたり』〔聖詠三十二の九(詩篇三十三の九)〕とはれてりまするし。
かみさまいつまでかはりなきことイアコフこうしょうちに『かれかはりなくうつりかげもなし』〔一の十七〕とはれてございまするし。
かみさますべてにまんぞくしておでになることにいては『かみもとむるところあるものごとくにひとつかええうせず、みづかいのちいきばんぶつとをもっしゅうあたふ〔行実十七の二十五(使徒行伝十七の二十五)〕とぎやうじつべてりまするし。
かみさまさひはひなるものなることはティモヘイぜんしょうちせいしとパエルが『いうふくどくいつけんのうなるかみしょわうわうしょしゅしゅ』〔六の十五〕ともうされてます。

問 かみさまえぬみたまごときものでるとおっしゃいましたが、それなればせいしょかみさまうでるの、かみさまうであるのとところどころつてございまするのはわけなのでございますか。

答 それひとわかやすやうわざそんことばもちいましたので、けっしてかみさまくちわけはないのでございます、それでありまするからせいしょそんことばございましたならばそのことばけっしてつねいみではなくあるたかいみあかさなければならぬのでございます。たとへてもうしますれば、かみさまとかみみとかもうしますることは、かみさまなにごとでもぞんじでいらっしやることをもうしましたもので、かみさまもうしまするのは、かみさまなにごとでもできぬともののないこともうしましたものでございます。

問 かみさまあらざるところなくどこにでもおでになるとおっしゃいましたが、はりせいしょうちかみさまてんにおいでになるとか、せいでんせいだう)のうちにおでになるとかもうしてございまするのはわけなのでございますか。

答 なるほどかみさまどこにでもおいでにならぬところいのでございますが、ことさらせいしょうちかみさまてんせいでんうちにおいでになるともうしましたのは、てんわたくしどもたふとおもところございまするから、そこかみさまのおいでになるやうおもってもけっしてかみさまふさはぬことではございませんので、やうもうしましたわけで、かみさまどこにもおいでなさるとたんもうしましてもひとにはなかなかうけれませんのでひとわかやすやうてんにおいでになるともうしたのでございます、かみさませいでんうちにおいでになるともうしましたのは、せいでんせいどう)はかみさまたうをしまするところございまするので、そのうちにはかみさまめいめいうちあらはれなさるのでかみさまがおいでになるともうしたのでございます、このこときましてしゅイイスス ハリストスそのでしおっしゃつたことがあるのでございます。しゅそのでしむかつておっしゃるには『ふたりあるひさんにんりてあつまところにはわれそのうちるなり』〔マトヘイ十八の二十〕。

問 しんけいだいいちでうりまする『われしんひとつかみちち』とことばやうかいしゃくしたならばよろしうございますか。

答 このことばふかいみりまするにはかみさまほんたいひとつでありまして、そのくらいかみちちかみかみせいしんみつわかれてりますること、およそのみつものひとつであつてわかれざるものでりますること、これをことばもうしますれば『せいさんしゃ』のことのをしへふかしらべなければなりませぬ。

問 それではせいしょせいさんしゃことやうはれてございますか。

答 マトヘイふくいんしょうちわがしゅイイスス ハリストスそのでしでんだうにおつかはしになるときおほせられましたことばしるしてりまするには『なんぢきてばんみんをしへつたへてかれちちせいしんとのりてせんさづけよ』〔マトヘイ二十八の十九〕とまたイオアンだいいちこうしょうちにはせいさんしゃことついて『てんりてしやうをなすものみつちちなり、ことばなり、せいしんなり、みつものひとつなり〔五の七〕ともうしてございます。

問 では旧約聖書のうちせいさんしゃことべてところございますか。

答 りますがしかし新約聖書のうちいてりまするやうあきらかにいてはございません、ただそのことばせいさんしゃことつたものとかいしゃくしてはじめてわかるのでございます。たとへばイサイヤげんしょうちに『せいなるかなせいなるかなせいなるかなしゅサワオフぜんそのこうえいをもてれり』〔六の三〕ともうことばございますが、このことばうちで『せいなるかな』とことばさんへされてございますのはつまりせいさんしゃべつべつめたものでりまして、つぎの『しゅサワオフ』とことばそのみつものひとつものとしてべたのでございます、このやうことばは旧約聖書のうちにはたくさんございますが、ここにはただそのひとつったのでございます。

問 ひとつかみさまくらいるとふことはまことわかにくみょうはなしではございませんか。

答 さうございます、まことわかにくいことのやうございますが、まへにももうしましたとほかみさまのことはそのつかひにてもることのできほどおくふかものございますからひとそれらうといたしまするのがはなはむりはなしございますわたくしどもかみさまことうとしんずればよろしいので、それくつかいしやうといたすのは、かみさまそんげんをかすものでございます、せいしょうちもうされてりまするとほり『ひとことそのひとうちこころほかたれひとりつてものりませぬ』やうに、『かみことかみしんほかこれものい』のでございます。〔コリンフ前二の十一

問 かみさまみつくらいるとおっしゃいましたがそれではそのみつくらいそれぞれべつるのでございますか。

答 せいさんしゃかみさまみつくらいひとつあはせてもうすのでございます)のひとつりまする『かみちち』のくらいは、くらいからうまれも、でもしないものございますが『かみ』のくらいかみちちよりかぎりなくうまるるもので、『かみせいしん』はかぎりなく『かみちち』よりいづものございます。ただもうしたばかりではまことわかにくございますが、これひくれいつてもうしますればかみさまみつくらいかんけいたいやうの『ほんたいそのもの』と、そのほんたいからる『あたたかみ』とそのほんたいからはっする『ひかり』のやうもので、そのみつものつてはじめてたいやうひとつものできるとちやうおなじやうにかみさまみつくらいたがひはなれず、こんぜず、いつまでいまもうしたやうかんけいたもってるのでございます。

問 それではせいさんしゃたがひそのかくじやうるのでございませうねえ。

答 いいえすこしかみしもいのでございますかみちちまことかみさまりますとひとしくかみまことかみさまりまするし、かみせいしんまたほんとかみさまございます、つまりみつもうしまするばかりそのじつひとつかみさまなのでございまするから、そのかくじやうわけいのでございます。

問 しんけいだいいちでううちかみさまを『ぜんのうしゃ』ともうしてございまするのはわけございますか。

答 かみさまを『ぜんのうしゃ』ともうしまするのは、かみさまなにごとでもおできになるからなので、ことばもっもうしますれば、かいうちあらゆるものすべかみさまみてちからうちるのでございまするので、もうしたわけなのでございます。

問 『てんゆるとえざるばんぶつつくりししゅを』とことばいみなのでございますか。

答 それまへにももうしましたとほこのすべてのものすなはわたくしどもてんでもでもみなかみさまのおつくりになったもので、けっしててんねんぜんできたものではりませぬ、れでりまするからかいすべてものかみさまはいもとはなれたならばひとときでもなかそんざいすることできぬものなのでございます、つまりてんゆるとえざるばんぶつつくりししゅを』とは、わたくしどもしんずるかみさまかいすべてものつくりになったかみさまるとふことをもうしたものでございます、そしてしんけいこのことばは、きゅうやくせいしょさうせいはじめる『はじめかみてんさうざうす』ともうしまするもんからったものでございます。

問 『えざるもの』ともうしまするとものもうすのでございますか。

答 えざるものもうしまするのはかみさまのおつかひや、そのつかひりまするれいかいやうなものをもうすのでございます。

問 いったいかみさまのおつかひふのはんなものなのでございますか。

答 かみさまのおつかひとはかみさまさまざまめいれいおこなふがためとくべつかみさまのおつくりになったえぬれいりまして、ひとよりもちえいしつよい、ちからものなのでございます。

問 『えざるもの』も『ゆるもの』もみなかみさまによってつくられたものとしますれば、『えざるもの』と『ゆるもの』とどちらさきつくられたのでございませう。

答 それは『えざるもの』のはうさきつくられたのでございます。

問 かみさまのおつかひうちに『しゅごてんし』とってひとまもてんしるさうですが、そのことせいしょうちいてございますか。

答 りますせいえいうちいてございます『なんぢためそのてんしめいじて、……なんぢまもらしめん』〔聖詠九十の十一(詩篇九十一の十一)〕

問 ひとまもるともうしますると、それではわたくしどもやうものそのてんしまもってるのでございますか。

答 さうございますとも、うまれたばかりのあかんぼでもなんでもみなそのかみさまのおつかひちゃんとまもってるのでございます。このこときましてってしゅイイスス ハリストスそのでしおほせられたおことばございます、『つつしみてこのこどもひとりをもかろんずるなかれ、けだしわれなんぢかれてんしてんおいつねてんちちかんばせる』〔馬太十八の十このことばじつちいさいこどもでもかみさまのおつかひちゃんとそのこどもまもってるとこともうされたものでございます。

問 かみさまのおつかひうちにはひとあひだわるものやうやはりわるものないのでございませうか。

答 いいえわるものるのでございます、けれどもそんものかみさまのおつかひとはもうしませぬ、やうものは『あく』ともうしましてとはかったのでございますが、あることかららくしてつひわるものなりさがったのでございます。

問 らくしたともうしましてやうらくしたのでございますか。

答 このあくかみさまつくられましたたうまことかみさまのおつかひったのでございましたが、ぶんあまゆうなにひとそくかんずるやうことございませぬので、つひたかぶりおこしまして、かみさまめいしたがふことをいとやうになりましたのでございます、れからともうしますものはかみさまもとまったはなれてじぶんおもままのことをしてつひあくはるるやうものまでらくしたのでございます。

問 いったいあくもうしまするものいつもふことをるのでございますか。

答 いつもわることばかくはだててひとわるはうみちびいて、ひとらくせしめやうらくせしめやうばかおもってものございます、せいしょうちイイスス ハリストスあくのことを『いつはりものいつはりちち』〔イオアン八の四十四〕とおほせられましたが、じつそのとほりございましてあくったり、おこなったりすることに、まこともうすものはまったいのでございます。

問 このかいかみさまのおつくりになったものでるとおっしゃいましたが、それではかみさまこのかいをおつくりになりますにはやうにおつくりになったのでございます。

答 そのことせいしょうちちゃんといてございます、かみさまこのかいをおつくりにならないまへは、いまてんとかとかやうなものはなにかったのでございまして、かみさまじつなにところからいまわたくしどもやうてんばんぶつをおつくりになったのでございます、かみさまてんばんぶつなぬうちにおつくりになったのでございますが、そのだいいちにちにおつくりになったのは『ひかり』でふつかにはいまゆるおほぞらをおつくりになり、だいみっかにはきゅううへかわとかうみとかみづうみとか、おかとかくさをおつくりになり、だいよっかにはたいやうつきほしをおつくりになり、だいいつかにはうおとりだいむいかにはりくけものをおつくりになり、そしてにんげんいちばんおはりにおつくりになったのでございます。なぬかにはかみさまなにごとをもされず、ごじしんのおつくりになったばんぶつらんになってまんぞくなされ、そのいちにちはおやすみになったのでございます、そのむかしのエウレイこくでは『スボタ』(安息日)ともうしましてげうやすみましたもので、こんにちにちようじつそのなのでございます。

問 こんにちわたくしどもまいにちていまするすべてものは、かみさまのおつくりになったばかりのときにはいまよりもほどうつくしかったでございませうねえ。

答 さうございます、そのときひとらくしないときなのでございますから、じょうすべてのものすこしあくんでりませぬので、ごくうつくしくきよいものでございました。

問 かみさまものをおつくりになるやうひとひとことばでおつくりになったのでございますか、ともものよりもすこていちょうにおつくりになったのでございませうか。

答 そのこともうまでございませぬ、ひとばんぶつれいちょうとなるべきものでございますからかみさまそれをおつくりになるには、ものよりもほどていちょうにおつくりになったのでございます。さんかみさまひとをおつくりになるまへたがひさうだんなさって『われかたどわれかたちごとくにわれひとつくるべし』〔創世記一の二十六〕とすなはかみさまひとぶんかたどりかたちとにせてつくらうとふことをさうだんなさったのちひとなかいちばんはじめひとりまするアダムつちもっておつくりになり、そのおもてぶんけなさって、それいのちあたへになり、そのアダムたのしきそのうちにおきになり、そのしょくもつとしてはさまざまうつくしきくだものをおつくりになってアダムあたへになりましたとどうに、アダムむってりまするうちそのわきばらほねってエワもうしまするをんなをおつくりになりこれアダムつまとなさったのでございます。

問 はじめひとかみかたどりかたちとにせてかみさまがおつくりになったものでりますることただいまうけたまはりましたが、いったいかみさまかたちもうしまするとことなのでございますか。

答 かみさまひとおのれかたちせておつくりになったともうしましてもべつに、かみさまじぶんみみくちかたにしてひとみみくちをおつくりになったとわけではいのでございます、まへにももうしましたとほかみさまにはくちみみいのでございます、かみさまひとそのかたちせておつくりになったとはかみさまひとをおつくりになりまするときひとこころうちじぶんうつくしいすこしもくもりないおほごころかげをおうつしになったこともうしまするので、せいしとパエルことばによりますれば、かみさまかたちとは『まことせい』〔エヘス四の二十四〕なのでございます。

問 かみさまがおけなさったともうしまするものはいったいなになのでございますか。

答 それひとうちたましひのことでございます。

問 なぜかみさまはじめをんなエワをおつくりになりまするときアダムわきばらほねっておつくりになったのでございますか。

答 このこともっとかみさまふかおもんばかりよりましたことで、をとこをんなまったべつものございますなれば、ひともとふたるのでございますから、わたくしどもひとたがひみんきょうだいるともうすことができないのでございます、つまりかみさまをんなをとこからだけておつくりになりましたのは、をとこをんなてんねんしぜんしらしらたがひたすってやうせいしつそなへるためなのでございます。

問 かみさまひとをおつくりになりましたときのおかんがへかんがへございましたでせうか。

答 うかひとかみさまつねわすれず、かみさまあいして、そのとくたたへていつまでいつまでひとかうふくであるやうにとのかんがへったのでございました。

問 そんかみさまのおかんがへは、『おかんがへ』とはず、教会でなんとかほかけてないのでございますか。

答 いいえけてるのでございます、そのやうかんがへかみさまの『てい』ともうしてります。

問 かみさまひとをおつくりになったときのおかんがへひといつまでさいはひやうにとのおかんがへで有ったとおっしゃいますが、しかなかまするにずいぶんにんげんにはいろんくろうございましてけっしてしあはせやうにもおもはれませぬが、してまするとかみさまはじめていとちゅうかはったのでございますか。

答 いいえけっしてかはったのではございません、なるほどこんにちひとにはさまざまくろうございましてみんしあはせでないやうございますが、それアダムつみをかしたためまことそくになりましたので、ちょっとかんがへまするとひとまことつまらぬものやうおもはれまするが、しかかんがへてますれば、くろうただそとかはばかりでそのないはりしあはせなものでございます、ことかみさまそのひとりでありまするイイススハリストスこのにおくだしになってアダムをかしたためそくになりましたしあはせかはりに、なほそれじうばいするまことしあはせいたみちわたくしどもにおさづけになったのでございます、れでございまするから、かみさまひとつくはじめかんがへになったかんがへけっしていまかはってわけではございませぬ。

問 かみさませかいひとをおつくりになりましたのちそのせかいひとおめをおかけになっておいでにならないのでございますか、れともいつまでもおをおけになっておいでになるのでございますか。

答 いつまでもおをおけになってるのでございます。教会ではそのことかみさましやうくわんもうしてります、かみさまそのつくりになりましたものことつねこころけておいでになりそのものをおまもりになってはうかふやうにとぼしめしいらっしやるのでございます。

問 かみさまの『しやうくわん』のことせいしょうちしょしてはございませぬか。

答 いいえもっとあきらかにいてございます、イイススハリストスことばうちに、『こころみそらとりかれかずらずくらまず、しかしてなんぢちちこれやしなふ、なんぢかれよりはなはたふときにあらずや』〔マトヘイ六の二十六〕ともうことばございますが、このことばかみさまの『しやうくわん』がいまつねことしめしてりまするとともに、そのかみさましやうくわんただひとかうとうけものうへばかりでなく、とりむしうへにもそそがれてることをしめしたものでございます。

せいえいじっぺん詩篇九十一編)のうちにもまたかみさましやうくわんことあきらかにしるされてございます。