聖金口イオアン教訓下/第56講話

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wikisource:宗教 > 聖金口イオアン教訓下

第56講話[編集]

<<今日こんにちわれとも楽園らくえんにあらん〔ルカ廿三の四十三〕>>


尊栄そんえいだいなり、仁愛じんあいたかし、慈悲じひとうときことはいひつくあたはざるなり、けだし主宰しゅさいとも楽園らくえんるは、たゞたんるにくらぶれば、おほいなる尊栄そんえいなり。しかれどもこれ何事なにごとぞ、われにつげよ。盗賊とうぞく十字架じゅうじかよりにはか天国てんごくものとならんがため如何いかなることをなしゝや。此事このこと簡短かんたん説明せつめいして、盗賊とうぞく高徳こうとくしめさんとほつするなり、なんぢほつするやいなや。それもんちゅうちょうたるペトルしたあつしゅみしときにあたり、かれたか十字架じゅうじかうえにありてハリストス信認しんにんせり。これふはペトルなんせんとにあらず、しかり、なんすべからざるなり。盗賊とうぞくこころ高尚こうしょうなると最秀いとひいでたる明哲めいてつとをあらはさんをほつするなり。かれ下婢かひ恐喝おどしにさへふるあたはざりしに、これ全民ぜんみん狂乱きょうらんしてめぐち、さけんで釘者ていしゃ千百せんひゃく悪言あくげんはなつをるや、信仰しんこうのおとしめはづかしめらるゝをるにもかゝはらず、あらゆる卑下いやしめ妨害さまたげとをしたうちてゝ、在天ざいてん主宰しゅさいうけめたり、ことばはつして、いはく『しゅなんぢくにおいわれ記憶おぼたまへ』〔ルカ廿三の四十二〕。これらのことばわれ注意ちゅういなくしてかざらん、われ主宰しゅさい衆人しゅうじんよりさき楽園らくえんみちびるゝをたまはざりし盗賊とうぞくりておのれすをぢざらん、全人間ぜんにんげんうち第一だいいち楽園らくえん生活せいかつふるものとなりしひとりておのれすをぢざらん。しかれどもかれことば逐一ちくいち研究けんきゅうせん、これによりて十字架じゅうじかちからみとめんがためなり。それしゅペトルアンドレイにいひしごとく『われしたがへ、なんぢひとすなどものとなさん』〔馬太マトフェイ四の十九〕とはかれにいはざりき。また十二じゅうにもんにつげしごとく『なんぢ十二じゅうにくらいしてイズライリ十二じゅうにぞく審判さばかん』〔馬太マトフェイ十九の廿八〕とはかれにつげざりき、かつ一言いちげんかれたまひしことあらざりき。かれせきざりき、しゃおきるをも、魔鬼まきはるゝをも、うみしゅめいしたがふをもざりき、しゅ天国てんごくはなしをもきかざりき、天国てんごく名称めいしょうさへかれはいづくよりきゝりしか。しからばわれかれおほいなる智慧ちえ了解りょうかいせん。福音ふくいんきょう盗賊とうぞくかれ䙝讟けがせり〔ルカ廿三の三十九〕といへり、けだし盗賊とうぞくハリストスともくぎせられたりき、これ『悪者あくしゃともかぞへられん』〔イサイヤ五十三の十三〕といへる言者げんしゃことばおうぜんがためなり。無智むちなる猶太イウデヤじんしゅ光栄こうえいおほはんとほつして、すべりしところの出来できごとけんしたり、しかれどもすべてのけんによりて眞実しんじつはます〳〵び、はなはだしき妨礙ぼうがいによりておほい明白めいはくになれり。それ盗賊とうぞく䙝讟けがせり、しかれども福音ふくいんしゃ一人いちにんかれ両人りょうにんイイススのゝしれりといへり〔マルク十五の三十二〕。またとうなり、しかれどもこれによりて右方ゆうほうぞく明哲めいてつさらにいよ〳〵あらはるゝなり。おそらくはかれ最初さいしょ悪言あくげんしたりしならんも、其後そののちにはかにかく豹変かはりしならん。ゆえにいふ盗賊とうぞくかれ䙝讟けがせりと。るや盗賊とうぞく盗賊とうぞくを、かれ両人りょうにん十字架じゅうじかうえにあり、両人りょうにんあくためなり、両人りょうにん強奪ごうだつ所業しょぎょうためなり、しかれども両人りょうにんおよびしはおなじき運命うんめいにあらずして、いつ天国てんごくぎ、ごくとうぜられたり、かくごともんもん徒等とらも、さくおなじもんたり、しかれどもいつ叛逆はんぎゃくはかり、勤労きんろうをあらはせり。いつファリセイつげて『われ幾何いくばくあたへんとするや、われなんぢかれらん』〔マトフェイ廿六の十五〕といへり。しかれどもイイススつきて『何処いづこ過越すぎこししょくなんぢためそなへんをほつたまふや』〔同十七〕といへり。かくのごと此処ここおいても盗賊とうぞく盗賊とうぞくかれおなじ盗賊とうぞくなり、しかれどもいつ悪言あくげんして、はそのくちふさぎ、いつ䙝讟けがせども、はこれをむ、ハリストス十字架じゅうじかくぎせられてばつをうけ、全民ぜんみん其下そのしたにありて悪言あくげんし、大声おほごえさけぶをるといへども、のすべてはいつかれさへぎとゞむるあたはず、またその當然とうぜん頌讃しょうさんふせぐことあたはざりき、かへつかれ盗賊とうぞくおほいめて『なんぢかみおそれざるか』といへり〔ルカ廿三の四十〕。盗賊とうぞくゆうるか。十字架じゅうじかうえにあるもおのりょうわすれず、表信ひょうしんもつ天国てんごくうばふをるか。かれいふかみおそれざるかと。十字架じゅうじかうえありかれゆうなるをるか。かれ明哲めいてつるか、かれ虔恭けんきょうるか。くぎせられてくぎためふべからざるくるしみをうくるといへども、かれおのれかくうしなはずして、常識じょうしきまもれり、かくのごとゆうなる明哲めいてつおどろくべきにあらずや。われかれてたゞにおどろくのみならず、じつまたかれさんするなり。けだしかれおのれくるしみをかへりみざるのみならず、おのれおいおもんばかり、まよひよりすくひ、十字架じゅうじかうえにありてとならんことをつとめたり。かれいふなんぢかみおそれざえうかと。こはごとくいふとあいたり、いはこの裁判所さいばんしょるなかれ、えざるものなり、裁判所さいばんしょあり、すなはちまひなべからざる、あやまあたはざるものなり。ゆえかればつせられたるをるなかれ、天上てんじょうありては如此かくのごとくならず、こゝこの裁判所さいばんしょおいてはつみなきものばつせられて、つみあるものまぬかれ、なるものにかゝりて、不義ふぎなるものこれをまぬかるゝことしば〳〵これあり、けだし人類じんるいおほくは裁判さいばんけんあるい我儘わがまゝあるいこころならず顛倒てんとうし、ときとしてはせいらずしてみづかあざむくあり、またときとしてはこれをるも、かねためまひなはれて、しんげ、つみなきものばつすることあり、しかれども天上てんじょうにありてはすこしもかくのごときことあらず、けだしかみなる裁判者さいばんしゃにして、裁判さいばんひかりごとはつすればなり、くらきをゆうせず、蒙昧もうまいゆうせず、なんそんもゆるさゞるなりと。これ盗賊とうぞく盗賊とうぞくをしてごとくいはざらしめんがためすなはちかれ此処こゝばつせられしになんぢいかんしてかれ弁解べんかいするやといはざらしめんがために、かれおもひ天上てんじょう裁判所さいばんしょのぼせ、おそるべきほうと、まひなふべからざる裁判さいばんと、あやまあたはざる裁判者さいばんしゃとにのぼせて、かれおそるべき裁判さいばんおくせしめたるなり。おもへらく彼処かしこよ、さらばなんぢなんことばはつせざらん、此処ここ人々ひとびとともにせず、かへつ高上こうじょうなる裁判さいばんおどろかつみとめん。かれいふなんぢかみおそれざるかと。盗賊とうぞく明哲めいてつるか、ぜんるか、教導きょうどうるか、かれにはか十字架じゅうじかよりてんあがれり。よ、かれ最早もはや使徒しとほう実行じっこうするなり、かれはたゞおのれのみをず、かへつまよひよりすくひて、しんみちびかんがために、すべてをし、ことごとくの方法ほうほうもちふ。けだし『なんぢかみおそれざるか』といひしにくはへて、『なんぢおなじつみせられたるに』といへり〔ルカ廿三の四十〕。完全かんぜんなる表信ひょうしんよ。おなじつみせられたるにとはいかなるか。おなじき刑罰けいばつをうくるをいふなり、けだしわれとも十字架じゅうじかうえにあればなり。ゆえなんぢかれ悪言あくげんしつゝかれよりさきぶん悪言あくげんするなり。罪中ざいちゅうものにしてつみするはよりさきぶんつみするなり、かくのごとこううちりてこうむるものも、よりさきぶんむるにあらずや。かれいふおなじくつみせられたるにと、かれ福音ふくいんきょうする使徒しとほうさづくるなり、いはく『ひとするなかれ、せられざるをいたせ』〔マトフェイ七の一〕。『おなじくつみせられたるに』と、盗賊とうぞくよ、なんぢなにすか。おなじくつみせられたるに、といふときなんぢハリストスなんぢ同類どうるいすにあらずや。かれいふしからず、われおのれことば修正しゅうせいせんがためことばくはへたり、いはく『われそのしたるところ相當そうとうするものうくるなればもとよりよろしきなり』と〔ルカ廿三の四十一〕。これなんぢをしておなじつみせられたるに、といへることばをきゝて、かれハリストスして其罪そのつみ同類者どうるいしゃすとおもはざらしめんがためなり、これによりかれ修正しゅうせいをなしていふ、われそのしたるところ相當そうとうするものうくるなればもとよりよろしきなりと。十字架じゅうじかうえにあつて完全かんぜんなる表信ひょうしんすをるか。かれこれことばもつぶんつみあらひしをるか、言者げんしゃ誡命かいめい実行じっこうしたるをるか、いはく『なんぢなんぢほうをいへ、とせらるべし』〔イサイヤ四十三の二十六〕。たれかれひざりき、たれかれにこれをさしめざりき、されどもかれみづかおのれ原告げんこくとならんとするなり、ゆえ此後こののちにんたれ最早もはやかれ原告げんこくとならざりき。けだしかれみづからさきんじて原告者げんこくしゃかくおのれにうけ、みづかおのれ罪人ざいにんみとめていへり、われしたるところ相當そうとうするものをうくるなればもとよりよろしきなり、たゞ此人このひとなんあくもなさずといへり。かれおほいなる崇敬うやまひるか。かくのごとかれみづかおのれつみしたるときおのれおこなひをあらはしたるとき、『われよろしきなり、たゞ斯人このひとなんあくしたることきなり』といひてしゅ弁解べんかいしたるときおよび、あへねがひまおしいでていへり『しゅなんぢくにきたらんときわれ記憶おぼえたまへ』と〔ルカ廿三の四十二〕。かれざんもつおのれつみけつよりきよめざらんあいだは、みづかおのればつしておのれ罪者ざいしゃとなさゞらんあいだは、おのれしょうしてみづかつみこうむらざらんあいだは、これにさきだちて『われ記憶おぼえたまへ』といふをあへてせざりき。ざん十字架じゅうじかうえおいてもおほいちからゆうするをるか。愛者あいしゃよ、これきて、だんじて失望しつぼうするなかれ、言尽いひつくされざるかみ仁愛じんあいおほいなるをおもひ、いそぎてつみあらためて、おのれきようせよ。けだし十字架じゅうじかうえにある盗賊とうぞくにさへかみはかゝるめぐみたまひしならば、ましてわれおのれつみざんせんとほつするときは、じんわれたまはざらんや。ゆえわれかれじんんがためおのれつみざんするをぢざらん、けだしざんちからおほいにしておほくのことをればなり。盗賊とうぞくざんして楽園らくえんひらかれたるをたり、ざんせり、ゆえかれ盗賊とうぞくたりしもあへ天国てんごくねがふのゆうたり。さりながら此時このときいたまでかれ天国てんごくねがはざりき。盗賊とうぞくよ、われにつげよ、如何いかんしてなんぢ天国てんごくことおもひいだしたるか、いまなんぢはいかなるか。なんぢ目前もくぜんにはくぎ十字架じゅうじかとあり、ざん嘲弄ちょうろう悪言あくげんとありと。かれいふしかり、しかれども十字架じゅうじかわれこころにこれをもつ天国てんごく号標しるしす、ゆえわれかれくぎせられたるをて、かれおうづく、けだし臣民しんみんためするはおう適當てきとうすればなり。かれみづからいへり『ぜんなる牧者ひつじかひそのひつじためおのれ生命いのちあたふ』〔イオアン十の十一〕と、かくのごとぜんなるおう臣民しんみんためおのれ生命いのちせいにせん。ゆえかれおのれ生命いのちせいにしたるにより、われおうづくるなり。『しゅなんぢくにきたらんときわれ記憶おぼえたまへ』。