聖金口イオアン教訓下/第57講話

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第57講話[編集]

<<適當てきとうそなへなくしてせいみつうくるにものぐ>>


信者しんじゃうちかぎりなくつみにみたさるゝも、おのれことすこしもおもんばからず、祭日さいじつあたりて、軽率けいそつかつ偶然ぐうぜんせいみつうくるにくほどの無智むち怠慢たいまんとにいたものおほくこれあり、領聖りょうせいときさだめらるゝは祭日さいじつ祝賀しゅくがとのためあらずして、きよ良心りょうしんと、むべきなき生活せいかつとによるものなるをかれらざるなり。それなにのあしきこともおのれこころかくせざるもの毎日まいにちこれにくをべきも、これにはんしてつみ沈没ちんぼつして悔改かいかいせざるものは、祭日さいじつおいてさへこれにくはあやふきなくんばあらず。けだしねんいちところわれは、もし適當てきとうにしてこれにくならば、われつみよりだつせざるなり、かへつてわれねんいちくも、きよきをもてかざるならば、これおほいなる定罪ていざいとならん。ゆえねがなんぢ衆人しゅうじんかみみつくはたん祭日さいじつためにあらざらんことを、かへつなんぢせいなる献祭けんさいをうけんとほつするときは、じつまへより悔改かいかいとう施與せよ霊神れいしんじょうことをつとむるとをもつおのれきようすることに尽力じんりょくすべし、いぬそのはきたるものおけごとく、あとかへりみるなかれ。それなんぢ身体しんたいじょうことおほいにこれをおもんばかり、祭日さいじついたらんとするや、じつまへより、おのいとふくひつより取出とりいだして、これをとゝのへ、くつひ、食膳しょくぜんのためにゆたかなるそなへし、種々しゅじゅ買入かひいれを多く為さんことをかんがへて百方ひゃくほう己をよそほかつ飾れども、霊魂たましいこといたつてはこれを等閑なほざりにし、けつかいにして、うえかつつかるれどもかへりみず、おさまらざるがまゝにうちてゝ、すこしもおもんばかるをなさず、すなはち一言いちげんにてこれをいへば、身体からだかざりて此処こゝみちびれんとするも、霊魂たましい裸体はだかかつ不具ふぐなるがまゝにしてこれをうちつるは、じつきはめおそるべきことにあらずや。さりながらなんぢ身体からだものなんぢひとしきぼくならん、さらば身体からだ如何いかなるふくるも、なんがいもあらざらん、しかれども霊魂たましいものしゅなり、さらばこれを等閑なほざりにしたるためにはおほいなるばつふくせん。それしょくれいをみちみつなり、されば源泉げんせんみづか天然てんねんみづ放出ほうしゅつするごとく、このしょくふべからざるえんおのれに包有ほうゆうするなり、なんぢあにこれをらざらんや。ゆえわらや、や、くさをもてこれにくなかれ、えんをいよ〳〵つよめて、これをうくるなんぢ霊魂たましいかざらんがためなり、かへつ貴重きちょうなる宝石ほうせききんぎんとをもつてこれにくべし、其質そのしつのをいよ〳〵純潔じゅんけつになり、おほいなるえき此処こゝよりでんがためなり。もしなんぢたましいのうちなにかあしきものあらば、これそと投出なげいだしておいるべし。もしたれてきゆうして、おほいなる耻辱ちじょくをうけたるか。うらみつべし、炎々えんえんとしてえてげきするこころしづむべし、ないなん激動げきどう騒擾そうじょうもあらざらんがためなり。領聖りょうせいによりてなんぢおのれにおうをうくるをん、しかれどもこれ思念おもひおほいしづかに、おほいおだやかにして、ふかあんなるときにあり。