聖金口イオアン教訓下/第55講話

提供:Wikisource

第55講話[編集]

<<およしゅおそれてみちものさいわいなり〔聖詠百廿七の一〕>>


かみみちはいかなるみちぞ、これ徳行とくこう生活よわたりにあらずしてなんぞや。われはこれにりててんのぼり、生国しょうこくたつして、かみしたしひとくするだけかみさとることをん。づけてみちといふはこれにりてかみのぼるをるによるなり。かつ言者げんしゃみち単数たんすうにていはず、複数ふくすうにていふは、みちすうにして種々いろいろあるをあらはすなり。かみおほくのみちもうたまひしは、みちめるをもつわれためかみのぼることの容易たやすからんがためなり。人類じんるいちゅうこう童貞どうていもつひかかゞやくべく、おつふう生活せいかつにてさんせらるべく、へいやもめたるをもつかざられん、いつはすべてをなげうち、なかばをすてたり、かれただしき生活せいかつにてのぼるべく、これ悔改かいかいにてのぼらん。かくのごとかみおほくのみちをまうけたまひしは、なんぢくに便べんならんがためなり。なんぢ洗礼せんれい浴盤よくばんりしのちおのれきよまもることあたはざりき。なんぢ悔改かいかいにておのれきようすることをべく、とみほどこしとをもつきようすることをべし。されどもなんぢとみなからんか。病者びょうしゃかんし、ひとやにあるものひ、一杯いっぱい冷水れいすいをあたへ、旅者たびゞとぶんいえにうけ、寡婦やもめごとく二「レプタ」をとうじ、かなしものともかなしむことをん、これもまたほどこしなり。さりながらなんぢ赤貧せきひんあらふがごとくして、身体からだよわく、こうするだにあたはざらんか。すべてこれを感謝かんしゃとも忍耐にんたいすべし、しからばおほいなるしょうをうけん。ラザリ徳行とくこうはかくのごとくなりき。かれたれにもきんもつたすけざりき、みづかべからざる食物しょくもつだにあらざりき、しかるを如何いかんしてこれしや。かれ病者びょうしゃはざりき、みづかいぬめられたりき、しかるを如何いかんしてこれしや。さりながらこれおこなひなくもかれゆうにしてすべてを忍耐にんたいしたる徳行とくこうためしょうたり、かれえいじょうじて残忍ざんにん無情むじょうなるもの目撃もくげきし、おのれはかくのごとひんなるにもかゝはらず、いつ適當てきとうなることばだにはつせざるをもつてこれをたりき。ゆえかれとう富者ふうしゃ門前もんぜんうごかずよこたはりて、しゃさるところいくばくもあらざりしにかゝはらず、アウラアムふところげり、かくのごとおほくの徳行とくこうをなせる「パトリアルフ」とともしょうせられ、さんせられて、ふところかれたり、ほどこしさんぜず、あなどらるゝものさず、旅者たびゞとをうけず、そのかくのごとこといつあたはざりしものは、たゞすべてのためかみ感謝かんしゃしたるをもつひかりかゞやく栄冠えいかんをうけたりき。しんおほいなるおこなひ感謝かんしゃと、明哲めいてつと、かゝるなんあいだつて忍耐にんたいするとにあり、これぞ高尚こうしょう徳行とくこうなる。これがため約百イオフ褒章ほうしょうせられたり。ゆえ魔鬼まきいひいはく『かはをもてかはふるなれば、ひとはその一切すべて所有物もちものをもておのれ生命いのちふべし、されいまなんぢののべかれほねにくとをたまへ』〔イオフ二の四〕。なやみくるしめる霊魂たましいせいし、これをしてなにおいてもつみおかさゞらしむるはしょうなるおこなひにあらず。命者めいしゃおこなひひとし、徳行とくこう頂上ちょうじょうなり。