聖金口イオアン教訓下/第26講話

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第26講話[編集]

<<いかなるとうちからゆうするか>>


しゅふかところよりなんぢぶ、しゅこえをきゝたまへ』〔聖詠百廿九の一〕。ふかところよりとはなんぞや。たんくちもつてせず、たんしたもつてせず、〈けだしねんがまよふときも、ことばながづればなり〉おほいなる勉励べんれい熱心ねっしんとをもつこころふかところより、たましい奥底おくそこよりとのなり。深憂ふかきうれひものたましいはかくのごとし、かれおほいいたかなしみてかみび、中心ちゅうしんおいまったくふるひをのゝくなり、ゆえそのとうかれん。かくのごととうは、たとへ魔鬼まきおほいなる狂妄きょうぼうきはめて攻撃こうげきするありとも、放心ほうしんせざるべく、また揺動ようどうすることもあらざるべくして、おほいなるちからゆうせん。ちゅうはなはだふかはなちて、しんにわだかまり、ろうとしてべからざるは、いかなる暴風ぼうふうにも抵抗ていこうすれども、表面ひょうめんにたもたるゝは、かぜすこしくくにも揺動ようどうし、こそぎ掘出ほりいだされて、じょうたふれん、たましいないよりで、こころふかところするとうじつにかくのごとし、たとへすうねん魔鬼まき全隊ぜんたいとをもつせめするありといへども、かたちてたわまず、また動揺どうようせざるなり。しかれども口頭くちさきまた舌端したのはしよりでてたましいふかところよりしょうきたらざるとうは、いのもの怠慢たいまんにより、かみのぼることさへあたはざらん、なんとなればトンヽヽとたゝいとかすなるひびきかれこころ攪乱かきみだすべく、またすべてのさわがしきはかれとうより引離ひきはなすべくして、かれくちにておんはつすれども、こころきょにして、しきうばはるればなり。


薫物たきものもとよりおのづかにしてこうばしけれども、これをじょうとくは、こと芳香よきかおりはつせん、とうもかくのごとし、もとよりみづかなれども、熱心ねっしんにてゆるたましいよりさゝげられ、たましいこうとなりて、みづかつよもやときは、さらにいよ〳〵く、さらにいよ〳〵こうばしかるべし。すみとなり、しんとならざるきには薫物たきものをこれにかざらん。なんぢたましいまたかくごとくならしむべし、まづ熱心ねっしんにてこれをもやして、すでえたるときに、とうをこれにくべし。言者げんしゃとうかおりごとくならんことゝ、そのあぐるはくれまつりごとくならんことをねがふ、けだしかれこれかみによくうけらるればなり。なんぞや。かれこれしたも〉きよめられ、かれこれけがされざるときは、すなはちこれ貪欲たんよく掠奪りゃくだつとよりきよめられて、かれ悪言あくげんよりまぬかるゝをるときは、かみによくうけられんとなり。こうにはなんけつなるものもあるなうして、たゞ薫物たきものとのみなるべきがごとく、くちも一のけがれたることばをもはつすべからず、せいなることゝ、さんとにみちみたさるゝことばはつすべし。さてこれとおなじくこうごとくなるべし……。これを施済ほどこしと、仁慈いつくしみと、窮乏きゅうぼうものたすくるとをもつきよめて其後そののちこれをとうにひろぐべし。もしなんぢあらはざるもつてさへとうくをみづかゆるさずんば、ましてこれをつみもつけがすべけんや。もしなんぢしょうなるものをおそるゝならば、ましだいなるものは、おそかつをののかざるべけんや。あらはざるもつとうするは、ほど不都ふつごうといふにもあらざらん、されどもつみおほきをもつけがされたるをひろぐるは、これかみおほいなるいかりまねくなり。われくちしたとにかんしてもまたかくごとおもふべし、これをまもりて、あくためちかづきがたからしめ、かくごとくしてこれをとうもちふべきなり。それ純金じゅんきんぶつゆうするものは、たつときがゆえに、けつしてこれをいやしく流用りゅうようすることをゆるさずんば、ましわれきん真珠しんじゅとよりもさらたつとくちゆうして、これを無耻むちなる、かいなる、讒謗ざんぼう罵詈ばりことばもつけがすべけんや。なんぢ薫物たきものをさゝぐるに銅造どうぞうだんおいてせず、また純金じゅんきんだんにもおいてせずして、これよりもさら貴重きちょうなるだんおいてす、すなはち霊神上れいしんじょう殿でんおいてするなり。彼処かしこにはれい物体ぶったいあれども、なんぢにはかみたまふ、すなはちなんぢハリストスえだなり。


清潔せいけつたましいみんこころとをあらはし、放心ほうしんせずしていのときは、かみことなんぢねがところなんぢあたたまはん、おほくのものところ如何いかなるか、かれしたはしば〳〵とうことばはつすれども、そのたましいいえや、いちや、またどうにも彷徨さまよふにあらずや。みな魔鬼まき狡計こうけいなり。とうときおいわれつみのゆるしをうくべきことは、魔鬼まきところなり、ゆえわれためとうみなとふさがんとほつし、われ思念おもひそのはつするところことばより引誘いんゆうせんとして、ときわれおそふなり、よりてわれえきをうけず、かへつがいをうけて退しりぞかんとす。ひとよ、なんぢこれりてかみときは、なんぢたれくを熟思じゅくしせよ、こはなんぢをして恩寵おんちょうなんぢたまはんとするもの確実かくじつなるに注意ちゅういせしむる充分じゅうぶんえんとならん。なんぢてんあふて、そのことばたれむかはしむるを熟思じゅくしせよ。すべてひとは、仮令たとへはなは等閑なほざりなるものなりとも、人爵じんしゃくおのれよりすこしくたかひと会見かいけんせんとするときは、かならおのれようとゝのひ、おのれたましい儆醒けいせいせん、ましわれしん使主宰しゅさいだんせんとするを熟思じゅくしするときは、これによりておのれため注意ちゅういすべき充分じゅうぶんえんをうけん。なんぢまた放心ほうしんべき方法ほうほうをもあらはさんことをようするか、れこれをつげん、われとうへしのちひしところなにくあらずして退しりぞくことしばしばこれあらん、これみとめば、われたゞちにあらたとうふくせん、されどもしさらおなじきことあらんには、たびたびもこれをふくしてすべてのとう注意ちゅういともるにいたまでは、これにさきだちてとうをやめざらん。さらば魔鬼まきわれ熱心ねっしん注意ちゅういとをもつるにいたまでは、これにさきだちて、とうをやめざるをみとむるときは、狡計こうけいたゞわれをしてしばしばおなじとうふくせしむるのみなるをて、つひ狡計こうけいてんとす。