美濃国諸旧記

 
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解題
 
 
美濃国諸旧記 十二巻
 
本書は、美濃国に於ける国司守護を始め、名家豪族等の由来より、或るは戦争、或るは城廓郡村名等に至るまで、当国に係る歴史地理を悉く記したるものなり。地誌書目稿に云、美濃国諸旧記十二と見えたれば、古来其の名の聞えたる書と見えたり。又国書解題には、本書の内容を記して云、

美濃国諸旧記 写本十二巻

美濃国守護、土岐氏来住、斎藤氏来由、土岐氏零落、斎藤道三の事土岐頼芸松波庄五郎を取立つる事等より、当国諸城主及び所主、西美濃十八将、土岐氏一族の家柄分明の分、城主諸士伝記、岐阜没落後諸士成行、当国二十一郡総村名付等に至る数十目を記載す。十二巻六冊に写伝せり。

オープンアクセス NDLJP:5以て本書の大概を知るべし。

本書作者詳ならず。随て編纂の時代も知るべからずといへども、強ひて考ふれば、本文中巻四厚見郡加納の城の事の条に「寛永十六乙卯年より松平丹波守藤原光重に賜はり居住なり」と見え、また巻五石津高須城の事并地之戦記の条に、「徳永法印、松木の城より是に移り在住し、其子左馬助相続いで是に住しけるが、寛永五辰年故ありて所領没収せられて、是より城は破却して、守将又断絶しけるなり」と見えて、本書中寛永の年号までを記されたることを知らる。されば作者は今知るべからずといへども、作時代は凡そ寛永の末年か、若しくは正保時代の作なるべしと推定せらるゝなり。猶後賢の考を竢ちて定むることゝせむ。

 

  大正四年七月

 黑川眞道 識

 
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例言
 
 
 
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、読誦を平易ならしむる為め、語尾を補ひたるもの頗る多し。原本中反読の個所と読下しの個所と混交せるのみならず、且多くは語尾を示さゞるを以て、仮名を補ふにあらざれば、素読に堪ふべからざるもの多かりしが、本編には今此等の晦渋を除き得たりしと信ず。

、地名中、現時の名称と合はざるもの或は之あるべしと雖も、原本中其文字の一定せるものは却て之を改めざりき。例へば佐和山を沢山と記せるも、其儘に従ひたるが如き是なり。

、「濃陽諸士伝記」中稀に虫損の個所あれども、全く異本照合の方法なかりしを以て、其儘に止めたり。

、括弧〔〕を附したる註記は、当編輯部にて補記せるものにして、括弧を用ゐざるもオープンアクセス NDLJP:7のは原本に記載しありしものなり。又原本の文字中左側に縦線を施したるは不審の儘校訂の途なかりしものを示す。

 
 
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