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  • りて申けるは、御邊此程何事をかは習給ふぞ、われは此比醫學をなん仕候と申ければ、馬しゝ王の惡念を覺て、われもたばからばやと思ひ、しゝ王に向て申けるは、々御邊は羨(うらやましく)も醫學をならはせ給ふ物かな、幸我足にくゐぜをふみ立てわづらふ也、御らんじてたべとかしこみ云ける、しゝ王得たりと是を見んと云…
    535バイト (33,838 語) - 2021年6月2日 (水) 17:35
  • 又下の下までも、物をかゝでは私用弁じがたし。されば手のわろき人のはゞからず文書きちらすはよし。見苦しとて人に書かするはうるさしと、古人云へり。たゞ〳〵よくもあしくも物をば書くべき事也。されども能筆の文字かな遣ひの相違あるは、悪筆にもおとれり。故如何といふに、悪筆は常なれば人見とがむる事なし。
    438バイト (15,292 語) - 2024年2月1日 (木) 14:10
  • 五月五日の事なり其夜飯塚にやとる溫泉あれば湯に入て宿をかるに土座に莚を敷てあやしき貧家なり灯もなければゐろりの火かげに寢所をまうけて臥夜に入て雷鳴り雨しきりに降て臥せる上より雨もり蚤にさゝれて(さ一本せトアリ)眠らず持病さへおこりて消入ばかりになん短夜の空も漸〳〵明れば又旅立ぬ猶夜の名殘こゝろすゝまず馬をかり桑折の驛に出る(一本コノるナシ)…
    37キロバイト (8,952 語) - 2023年8月17日 (木) 13:31
  • 柳川の諸官と榮濱港より御用船に乘じて、夏期のシシカ方面に航海し、當地の狀況始めて判つたのである。  併して先生方は敷香川の上流迄(其當時の夏はは澤山出た)軍に攻められ乍ら終に同地の調査を終て歸廳されたので有る。  此の敷香にも一慘事が起きた。夫れは大正三四年の頃と思つた、シシカ川の川口の沖に定期…
    449バイト (33,272 語) - 2023年12月15日 (金) 22:00
  • に食はれてよきものか、汝が心を置きては、吾も心を置きて、相談はならぬと云ふ物なり、心障りなくてこそ、よき分別も付く物なれ、是非々々と仰ありければ、夫にては、御辞退申上ぐるは、却て畏多しとて、御蚊帳に入りて、様々の御相談申しけるとなり、
    44バイト (5,940 語) - 2024年4月21日 (日) 09:28
  • 門虎毛ノ道場左近太郎同掃部太郎入道々世岸陰弥次右衛門ヲ始トシテ山中ノ一揆ヲ引率ス各蜘蛛ノ網ノ鎧ヲ着蚯蚓ノ骨桶カハ綴ノ腹巻ニ鼠子ノ角ノ鍬形打タル冑ヲ着虻ノ羽ノ大挙ノ旗ヲサシ土龍ノ目ノ輝ク計成ル親重代ノ三尺七寸ノ太刀ヲハキ日比ノ得道具斧鉄鋸鎌山刀鳶口ヲ指モアリ或ハ塗籠籐ノ弓ニ蜈蝶ノ羽ノ矢束子解テ押寛…
    81バイト (10,390 語) - 2024年3月25日 (月) 14:29
  • 御湯召上られ申し候、此時御主様、湯早く召上られ、御相伴衆の方御覧なされ、皆の給べ仕廻ふ迄、御椀を持たせられ候、御膳番衆罷出て、御膳取り申すと、御茶菓子各戴き、御相伴衆手水に立ち申し候、御前にても御手水なされ、御身の御仕廻遊され候、御飯と御酒の間にも、定りて御嗽ひなされ候、
    3キロバイト (43,764 語) - 2023年11月13日 (月) 09:44
  • 御湯召上られ申し候、此時御主樣、湯早く召上られ、御相伴衆の方御覽なされ、皆の給べ仕𢌞ふ迄、御椀を持たせられ候、御膳番衆罷出て、御膳取り申すと、御茶菓子各戴き、御相伴衆手水に立ち申し候、御前にても御手水なされ、御身の御仕𢌞遊され候、御飯︀と御酒の間にも、定りて御嗽ひなされ候、
    199キロバイト (44,868 語) - 2024年5月11日 (土) 10:02
  • かつて楯(たて)をそなへ。ふたゝび軍(いくさ)を興(こう)ずといへ共氏綱はかつに乗(のつ)て。多勢(たぜい)朝定はをくれを取て。小勢(せうぜい)たゞ蝱(ぶんまう)〈[#ルビ「ぶんまう」はママ]〉が雷(らい)をなし。くわぎうが角(つの)をあらそふごとく。物にもたらず敗北(はいぼく)し。皆と〴〵く討…
    198バイト (16,389 語) - 2023年11月19日 (日) 23:47
  • や、蚨(ぜに)の虫を蚘虫し、大坂にては地のこしきにて米虫をのつく餅にあらねども、いく百の餅を施行に貰ひ給ひしは、伊勢路へとんで火に入る夏の虫、安堂寺町を一筋に、蟻の渡わたりの如く続く。足元は百足の並ぶに似たり。わあ〳〵と云ふ。之は幾万人のの鳴く如くにて、峠の闇りさして泊らんとす。道中の賑はしさは…
    85バイト (16,791 語) - 2024年3月24日 (日) 09:05
  • 又去る二日、御聞及通、京地ゟ亀山、寔に前代未聞大地震、両三夜計り門住居にて夜明し仕候。其後迚も、枕高うして寝候事も出来不㆑申、于㆑今至り昼夜に七八ケ度宛日々ゆり申候。併し差したる儀では無㆓御座㆒候得共、何分最初之手ひどき地震に恐入、
    85バイト (14,039 語) - 2024年3月24日 (日) 09:31
  • ト。ナミタトトモニ仰ラレシカハ。雑賀ノ門徒ノ鳴コトクニ悲ミ歎ケル。然処ニ六月二日。明智日向守光秀謀叛ニヨリテ。信長父子京都本能寺ニテ討レ給ヒヌトホノカニ聞ユルヨリタシカニキケハ弥実正ナリト申ニツキテ鷺森ヘアツマリ寄シ僧俗男女。天モヒヽキテ悦ヒナク事夥シ。モ不思議ヤ光秀カ謀叛今四五日延引セハ。此御…
    147キロバイト (24,775 語) - 2024年4月5日 (金) 18:19
  • 其のむかし石の地蔵のばけし顔 隅田庵中の 只泣くのみの歌舞妓なりけり 二丁 面憎きくにざむらひの利口ぶり 成島庵黒石 喰習うたる甲斐の玉味噌 野顔庵美筑 三味線も売つて細き朝けむり 歌瑠亭歌女 根太の透間を芽出す若竹 所々庵明店 弁捐とははなしばかりに薫る風 不出亭太夫 急に忙しくなりし具足師 来卯庵光社 大名にまたもふえたる御厄介 因幡庵諏訪丸…
    85バイト (16,590 語) - 2024年3月24日 (日) 11:36
  • の人云入れけれは、夏衣裳にては恥(はづ)かしきと宣(のたま)ふ。苦しからずとて具して行たり。彼人も夏の装束の事ならんと思ひしに、帷子も無(なく)て、張を身に巻(まき)てあはれしとぞ。信長の時分也。   観世黒雪は宗雪が孫也。宗雪子無し。宝生太夫が子を養子とす。三郎と云。黒雪は三郎が子なり。宗雪も…
    3キロバイト (22,946 語) - 2024年1月28日 (日) 14:29
  • もはや可然御奉公も出来かね、只々恐入奉存候。せめて時々御伺にも相出候へば宜候に、衰耄それも出来かね候而(そろて)、不可奈何(いかにもすべからず)候。々恐入候御事に御坐候。我兄迄感泣之万一を申上候。御憐察可被下候。晋帥。」此文は上(かみ)に引いた「君公御入国に而」云々の文の後半で、末に宛名が無い。…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  • 授けてくれるのである。こゝに改めて、廣東語の拉丁化方案を紹介せんとする意圖は、今日迄發音に關して定說のな い、廣東語界に一資料を提供せんとするに外ならない。 て廣州語方案は一九三六年に公にせられたが、その案の內容は北方語拉丁化案の一般原則を廣東語に踏襲せるに 過ぎず又極めて抽象的なものである。『廣州話新文…
    472バイト (5,952 語) - 2023年12月28日 (木) 13:35
  •  抽斎はその『㦣語(えいご)』中にこういっている。「凡(およ)そ学問の道は、六経(りくけい)を治め聖人(せいじん)の道を身に行ふを主とする事は勿論(もちろん)なり。(さて)其(その)六経を読み明(あきら)めむとするには必ず其一言(いちげん)一句をも審(つまびらか)に研究せざるべからず。一言一句を研究するには、文…
    642キロバイト (126,753 語) - 2022年3月23日 (水) 18:11
  • とほ)り御判読(ごはんどく)被下候(くだされさふら)はば、未来までの御情(おんなさけ)と、何より嬉(うれし)う嬉う存上(ぞんじあ)げまゐらせ候。  (さて)とや、先頃に久々とも何とも、御生別(おんいきわかれ)とのみ朝夕(あさゆふ)に諦(あきら)め居(を)り候御顔(おんかほ)を拝し、飛立つばかりの…
    1.02メガバイト (208,408 語) - 2024年1月28日 (日) 21:05