銀台拾遺

 
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銀台拾遺 
 
高瀬武昭、毎侍遊山翁膝下、翁常深感歎先君霊感公之盛徳、而時々談往事、娓娓不置、因以聞私録之、稍積為巻云、余頃者求取而見之、未嘗不巻而歎息焉、衛武公古之賢君也、而其事業不過已踰六十、猶克学問、抑々自儆、常恐其道爾、詩人尚且美之曰、有匪君子、終不証今焉、如吾霊感公、恭倹持己、任賢不貮、大崇儒術、単思治道、設校育人材、文教日興、風化大行、至今民受其賜哉、其不証者、孰大焉、雖然自今以往数十年、尚其去古已遠、老成人已没、而小子後生、欲知先君之平生嘉言・善行、徳之所本、風之所_自、国無其人、則誰与適従、是人事之或然者、武昭録而伝之、其所志於斯乎、余深嘉其志、為胆写一本、而蔵之於家、命曰銀台拾遺、李先生既有遺事之作、併読此書、則足以益観其不_談者云、

  文政紀元戊寅除夜              源太書于寿安山房

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銀台拾遺
 

人を知るは難し一、或時の御咄に、世の人の能く申す事にて、大抵其人に両三度応対致せば、其人の位は知れるものなりと、聡敏めかして、申す事なれども、我は可笑しき事に思ふなり、蒲池喜左衛門を初め、傍近く申付け置き候、初め三箇年計りは愚人の啞の様なる者にて、物の用には立ち難からんと、吾先きとして思ひ、誰も同じ目利にて、既に役をも免し申す筈の処、つく思ふに、兼ねて不直なる筋もなき者を免さんも、人を使ふ道にあらず、尭舜は九年まで、人を試みられし事もあれば、きをりにしては、悪しかりなんと、思ひ居る内に、存外内には大なる物のある事を知れり、夫故、人程思の外なる者はなし、手綱をくれざれば知れぬ者なり、あぶなき事に、惜しき男を誤り除けて、損ぜんとせしなりと、仰せられき、

ー、或時の御噺に、吾勝手向は五十四万石なり、然れども五十四万石の心を持ちては、立所に貧困すべし、我は二十万石の大名と思ふ故、其心得を以て、諸事を取計ふべしと、仰せられき、

時習館の経費は入用次第とす一、初め時習館を興され候て、諸事御心を尽され候内に、或日有難き御意遊され候は、今度申付け候学校の役間には、勘定の帳面抔は、無用の事にすべし、諸事入用次第と仰せられければ、御家老を始め、皆々目と目を見合せ、是は殿には如何なる思召ぞや、斯くては諸事尻を結ばぬ糸の如くして、御意然るべからず、是れ其役人共を、私欲の淵に落す阱とも申すべしと、申上げければ、君仰ありけるは、成程汝等が申す所、一理無きにしもあらず、然れども我れ茲に思ふ子細あるなり、学校は外の役所と違ひ、皆家中の年若き者共の出席致す所なれば、算用らしき事を、見聞致させては、おのづと生立つ者共の心に、卑劣なる事共の移りては、行向吾損になるべき事は、如何計りの事かと思へる、費の多からん事は、聊かの事なり、たとひ勘定の帳面ありても、私欲をする者は、私欲はするぞ、少々の損もせざれば、大なる益はなきものなり、我は若き者共の生立を思ふ故に、斯くは申付けしなりと仰せられき、

藩中子弟の教育法一、或時、秋山儀右衛門を召されて、四方山の御咄遊され候時、御意遊され候は、オープンアクセス NDLJP:163汝は国家の大工殿ぢやが、外に頼む事とてはなし、我がまつぼりの若き者共を導きくれるには、一所に橋を懸けぬ様にして、向ふの河岸に渡しくれよ、川上の者は川上の橋を渡り、川下の者は川下の橋を渡り行かば、其者共週り道なしに、才能をなすべし、とにもかくにも、河向の孝悌忠信の道にさへ、橋を懸けてもらへば、吾用には立つべし、其の橋の懸所は、汝が心にあるべしと仰せられき、

鷹狩一、或時の御鷹野先にて、小き井手川の流の水を、御手にて掬ひ給ひ、召上らんと遊しけるを、御傍の衆より、其水はむさく御座候、其為にこそ、御茶・弁当も御持たせに成り申すなれ、若し御中り遊されては、大切なる事なり、暫く御待ち遊されよかしと、申上げければ、君殊の外御機嫌損じて、吾を大切に思はゞ、斯かる柔弱なる心は付くまじきなり、汝等が言の如き故、大名といへば、柔弱にし、病気者となるなり、飲みたき時は、金汁の様なる水も、毒とはならぬものぞと仰せられて、召上りき、

一、ある時の御鷹野先にて、今しこやしを懸けたる畑の畔に、むざと御腰を懸けられ、御昼飯を御取寄せ遊ばされ、そこにて召上らんと仰せられければ、御傍の人々、そこは唯今にも、こやしを懸け候て、むさく御座候、外の所に御座を易へられ候様、申上げければ、汝等は愚なる事を申すものぞ、こやしを嫌ひ候はゞ、野菜は一切食ふ事はなるまじきなり、今こゝにて食ふとて、こやしの飯に付くものにてなしと、仰せられて、そこにて召上りき、

一、君御難船の時、御座般に乗り居り候人、皆人の色ある者とてはなく、或は打臥し、或は吐に塗れ、さまなる中に、岡田多喜平・中西格助両人、漸く御次に屹と控へ居て、歎息しけるは、唯今にも君の御大事あらんに、腰の抜け居ては、何の働も成り難からん、多くの御人も、かゝる時は、用立つ者の少き事の悲しさよと呟き、君には如何しておはしますらんと、御次より静に伺ひけるに、君には少しも御平生の御色に変らせられぬ御様子にて、それを拝せしより、両人はいやましに気を引立て、一騎当千の思ひをなし、御次に控へ居ければ、君にも御頼もしき御意などありしとなり、畏れながら是にて、兼ねての御気象の程、推して知るべきなり、

居間の敷居一、君の御居間の出入口の御敷居、年久しくなりて、そここゝの食合くひあひ弛みて、出オープンアクセス NDLJP:164入の時、少しにても、御敷居に触り候へば、御唐紙一同に倒るゝ事度々にて、或時御火入など打返し、恐入りたる事共の多かりければ、御近習の人々申合せて、かくては何とも恐多し、御作事に仰付けられて、然るべからんと、伺ひ奉りけれども、何とも御意なかりければ、其後七八度も、御様子伺ひけるに、其時御意遊され候は、汝は入らざる事を気に懸くるものよ、此唐紙が倒るれば、何程の事かある、未だ吾心を知らぬと見えたり、吾れ国の主たれば、是しきの敷居を替へさするは、いと安き事なり、然れども是しきの事、是しきの事と申せば、際限有るべからず、今国中の敷居の弛みは、唐紙も立たぬ程にあれば、是れ程、吾身にとりて、恥しき事はなきなり、それを思へば、吾居間の敷居は、是にても、まだ善過ぎたる事にて、少しも恥とは思はぬ故、夫は無用の事と仰せられき、

一、或時、御客様の時分、御咄に、世の中は嫉妬にて固めたる物なれば、人を使ふに、心得ある事なりと仰せられき、

部屋住時代の困窮一、君未だ御部屋住にて居らせられ候時分、内山又助、御傍に久しく勤め居けるに、或時、君御意遊され候は、汝は年久しく精勤致す故、何がな取らせたく思ひ、心を配れども、心に任せず、こゝに袴一具はあれども、是をやれば、跡は白衣にて暮すより外なしと、仰せられければ、又助は涙を流し、誠に御品を頂戴致したるよりも、有難き段を御礼申上げ、退出しぬ、又或時、何方にか御出で遊され候時分、御鼻紙御持合せなされず、御迷惑遊され候時、御傍に木原惣兵衛居候が、恐れながら、御用に立て申すべしと、惣兵衛持合の紙を差上げけるとなり、又或時、御蚊帳に多く蚊の入り候とて、御自身に糸にてそここゝを御繕ひ遊され候て、御凌ぎ遊され候故に、下情によく御達し遊され候て、有難き御事共の多きにや、

一、君兼ねて少しにても、反古紙の白き所は、御切抜き遊され候て、物に入れ置かれ、心覚の書付は、これにて足りぬべし、あたら白紙を切崩さんは、国土の費なりと、御心を用ひられき、

人各長所短所あり一、或時、御近習の人々に、御教訓遊され候は、人各長所・短所の無きものはあらず、世の中の人の、人の事を謗り笑ふを聞くに、多くこちの長所を、彼が短所に充てゝ、謗り笑ふ事なり、それを思へば、脇よりは、聞くに片腹痛きものなり、たとへば、山の猟師を、海の漁師が、海にて勇気なしと笑ひ、海の漁師を山の猟師が、オープンアクセス NDLJP:165山にて勇気なしと笑ふが如し、笑ふは却て笑はるゝの種なる故、智者は戯にも言葉を慎むものぞと仰せられき、

一、或時、宇土侯第一御 御 に 出出てなして候節、様様々の御噺の内に、当時面白き唄を覚え候、これは八代萩原の塘普請に唄ひ候由にて、未だ其節は御聞きなさるまじ、御前にて一節唄ひ候はむとて、稲津弥右衛門様は仏か神か、死ぬる命を助けさすといふ唄を、繰返して、高らかに御唄ひなされ候へば、君には怪しからず御機嫌に入らせられ、御笑ひ遊されて、其様と云ふ言葉は、耳立つ故、夫は省きて唄ひてよと、御意遊されければ、其様と云ふ言葉を取りましては、唄のごろが悪しくなりまして、唄はれませぬとありて、御笑に成りけるとなり、其御笑声・御唄共に、手に取る様に、表御番の詰間まで、よく聞えけるなり、かくまで、ぬびやかに、御くつろぎ遊されたる御様子、誠に恐れながら、仕へ奉り易き御事にて、有難しと申すも畏れあることなり、

贔屓目に目なし一、或時、君御咄の内に、吾れ此頃よき学問をしたり、頃日、厩の小者共、吾馬の評論したる由にて、思ひに、其者共の受持の馬に贔屓ありて、とかく人の受持の馬に苦情付けて、言ひ落さんとして、後は声高にいさかひたるなり、其内一人、初めより其評論に加はらざる者あり、申しけるは、贔屓目に目なしといふ事は、斯かる評論をやいふならんと、云ひ捨てゝ、立ちけるとなり、吾れ其心を聞きて、つく思ひみるに、人を使ふとても、贔屓目には、尤が付き易く、目の見えぬ事のありて、脇目八目の責を受けん事の恐ろしさよ、吾はよき学問をしたりと、仰せられき、かく匹夫の言をも、御捨て遊されず、御身に行はせらるゝことの有難さよ、

詩人の風雅一、或時、御詩会の席の御咄に、真の詩人の風雅は、学びたき事なり、多くは詩人の弊を見て、其習はしを風雅と覚えて、世俗に劣りたる異風雅の学者多し、真の詩人の情は、韋応物が詩に、独無外物牽、遂此幽居情と云ふ心ばえこそ、真の風雅とはいふべけれ、然るに世の異風雅人は、家居・器物、皆唐物にてはりまはして、強ひて風雅に粧ひを求め、常に唐物の外物に心牽かれ、物ほしがりに心忙はしく、終には物を玩び、志を失ひて、奢を極むるに至る、心して学ぶべき事なりと仰せられき、

オープンアクセス NDLJP:166一、或時、経書御会の後の御咄に、聖経の会は、解し難き所を、互に出し合せての相談なり、然るに机を叩き、目を怒らし、彼れに負けじと、互に云ひ募るは、いさかひとも申すべく、善を求むる心は、何れにあるやを知らず、義理の二つはなけれども、常人は義理は申す次第の様にあれば、つまり水懸論となる事多し、其論の替りめを聞くに、一人は内よりして外といへば、一人は外よりして内といひ、又一人は修行の場よりいへば、一人は修行成就の所にていふなり、物をよく言ひ覚ゆるの稽古とも成るべけれども、不理をも理にとりなし覚えては、人の諫を拒むに至るの畏あるなりと仰せられき、

剛柔論一、又或時、御会の時、御咄に、人の剛柔、論定まる所程、知れ難きものはなし、今の世の人の、剛柔を論定するを見るに、多くは言葉戦の上に就きて、何某は剛なる者、何某は柔なる者と、人の事を猥に論ずる、あるまじき事なり、言葉戦に勝つを見て剛とせんか、又負くるを見て柔とせんか、世の諺に、道理そこのけ、無理が通るぞと、いふ事あり、負けて居る人こそ、弱しと思ふ抔も有りて、言葉の上のいさかひにては、声の高い者が、勝利を得るものなれば、口先の力味計りにては、剛しとも定め難し、乱世には、朝の言葉は、夕に其印見ゆる故、身に覚えなき、口先の力味をなす者は稀なりき、自慢勝ちに成りたるは、治世の弊なり、口は劒の如くあれども、人にすがりて、立身出世を求むる者あり、是れ柔の柔なる者なり、権現様の御詞に、智者の愚者あり、愚者の智者あり、智者の愚者は、逃ぐるに心あり、愚者の智者は、逃ぐるに心なし、事に臨んで、平日の言葉に違ふ程、見苦しきはなし、平日の言葉よりも増して、事の出来るは、其人奥ゆかしく思はれて、一際見よき物なりと宣へり、故に言葉にて力まんよりは、行にて力みたきものなり、事に当らずしては、生き身ほど、油断ならぬ者はなきなり、其人死して後、剛柔の論は定まるべしと、仰せられき、

清濁共に要あり一、或時の御意に、流水はよき物なれども、流水計りにては行はれず、鰌の住む溜水も、なくて叶ひ難き事なり、鰌も造化の功なれば、よそには見られず、事を執る者には、心得あることなりと、仰せられき、

一、或時、御取次に、何某御安否を窺ひ奉るものを由上げける時、安否あんひとは、安否あんふとこそいふべき筈の字音なれどもと、仰せられき、

オープンアクセス NDLJP:167不足の足一、或時の御咄に、事は足らぬの足るを、つとめても知りたき事なり、よき煙草を得たる時は、よき煙管に詰めたき事を思ひ、よき鳥を得れば、よき籠を得て入れたき事を思ひ、よき硯を得れば、よき筆・紙・墨を思ふは、人情の常にて、よきによきの対する事、心のまゝにせば、際限なき事なり、際限ある金銀を以て、際限なき事をなすは、愚者の愚とも申すべし、大名のおほやうは、大方此愚者の部類に入る事多ければ、吾はよき事の対する事を、深く戒むるなり、忘れたらば、心をつけ呉れよと仰せられき、

一、或時、陸奥様と御馬事遊され候に、陸奥様には、御厩の小者にも、御直に色々仰付けらるゝ事の有りければ、羨しき仕付君それを聞召されて仰せられけるは、御家には、よき御仕付ありて、御小者にも御言葉を懸けられ候事、御羨しき事なり、私は家の仕付悪しくて、小者抔には、直に物を申す事を、家来共より許しませぬ故、不自由なる事多し、返すも御家には、御羨しき御仕付なりと仰せられき、かくて大名には御改なきは、御心に任せられぬ所ありしにや、

大名にはなるまじきもの一、或時の御咄に、大名には成るまじき物ぞ、蚊を一つ打殺しても、鬼の首を取りし様に、御手柄なりと、誉めそやされて、太郎冠者の拍子に乗る事よと、仰せられき、

一、或時鳥井銀平、心に快からぬ事の有りて、御近習の役儀辞し奉らんと、決断を定め、出勤をも引きて、組頭に内意を申しければ、頭よりも、それは不所存の事なりとて、強ひて留めけれども、思ひ定めたる事なれば、是非々々御役を辞し奉らずしては叶ひ難しと、言ひ募りければ、組頭も扱ひ兼ねて、已む事を得ず、其事を御内聴に入れければ、よし、銀平には吾より申聞かする筋あり、急ぎ銀平に出で候様に、申し遣るべしと、仰有りければ、頓て銀平は御前に罷出てけり、然る処、君怪しからず御叱り遊ばされて、仰せられけるは、銀平は役儀を断らんとす、汝が如き馬鹿者は、外様に出ての付合は、一日もなるべからず、よくも馬鹿事を申出づる物かな、吾れ使へばこそ、馬鹿ながらも通れり、手づかへなき様に、今日より勤むべしと、御叱り遊ばされければ、銀平は誠に何とも申上ぐる詞もなく、有難き事、身に余りて、御前を下り申しける、かくまでの君の御恩の忘却して、不所存を申出でたり、今日よりは、たとひ身は粉に砕くるとて、君だに御仕ひ遊されオープンアクセス NDLJP:168ば、死するまでは、御傍は離るまじと、感涙を流し、不所存の段を、重々御断を申上げて、其日より直に、出で勤めけるとなり、誠に此事を聞く者ごとに、感涙を催さゞるはなし、

宝暦の改正一、宝暦御改革の時は、君自ら御精魂を尽され候事、三箇年の間の事にて、其間は昼夜の差別なく、机に懸からせられて、御枕をも安く遊されざりしとなり、其内御一存にて、御決せられ難き事は、翌日を御持ち遊されず、夜ともいはず、御役人を召されて、御相談ありしとなり、或時夜半頃に、俄に蒲地喜左衛門を召されけるに、急ぎ御殿に罷出でける、折節夏の頃にて、君には御蚊帳に入らせられて、御机の傍に御座遊され、喜左衛門を御傍近く召されければ、喜左衛門は御蚊帳の外に控へ居けるに、此蚊帳の内に入るべき由、御意遊されけれども、喜左衛門は恐多くて、御意は千万有難くは存じ奉り候へども、此儀は幾重にも御免遊され下さるべき旨を申上げければ、君の仰には、汝も人ぢやもの、蚊に食はれてよきものか、汝が心を置きては、吾も心を置きて、相談はならぬと云ふ物なり、心障りなくてこそ、よき分別も付く物なれ、是非々々と仰ありければ、夫にては、御辞退申上ぐるは、却て畏多しとて、御蚊帳に入りて、様々の御相談申しけるとなり、扨、東白みにもなれば、然らば退出致さんと申しければ、これにて心落著きたり、気に懸りて眠らざりしに、是よりは心安く眠るべしと、仰せられき、斯かる事、時夜数ありしとなり、

一、或時、誰か申上げけん、今日は御煤取り仰付けられ候由を、申上げければ、怪しからず、御笑ひ遊されて、煤にまで、御の字はいるまじきに、念の入りたる事なりと仰せられき、

一、或時の御咖に、正直は万鹿の唐名と云ふ事のあるは、上走うはばしりの才智め言ひ始めたる詞なり、又此頃聞くに、忠孝は愚鈍の門にありと云ふ事を聞けり、斯かる事をいふ者は、忠孝嫌ひといはぬ計りの事にて、よきつらの皮にて、申出づるものかなと仰せられき、

一、君御代に即かせられし時、御雪隠の下に、稲の籾の糠の敷きありけるを、御覧遊されて、もしも米もや混りつらん、其畏あれば、行向砂に変へよと、御意遊されけるとなり、斯かる事迄にも、心を用ひられし事の、御厚き事を知るべし、

オープンアクセス NDLJP:169一、或時の御咄に、人の悪事を聞きて、喜ぶ色ありて、人にも言の葉に、しほのさき、こぼれる様に花を咲かせ、眸子の定まらぬ者は、必ず表裏ある者なり、大事を謀る内には入れ難し、必ず密事を漏す媒なり、又眸子の沈み過ぎたるは、姦悪の相なり、然れども人を見るは、酒座にて見よとは、宜べなる申事と、思ひ当る事ありと、仰せられき、

一、或時の御噺に、終日物語をして、弓矢の沙汰に至らぬ咄計りにては、さても退屈なるものなり、然れども古き軍咄は、そこ取り、そこ出し合せて、首尾の著かぬ物なり、咄の類に触れて、万事に変化せざれば、其益を得る事少し、吾好きの事とて、一片の咄をすれば、聞く者は、吾好き程はなくて、退屈出来て、其後は、面白き変化の咄には成り難き物なりと仰せられき、

一、或時の御咄に、他人のよき仕合を見て、あの者は、前つ方、何々の事したりなどいひて、其人をいひさますは、聞きよからぬものなりと仰せられき、

一、或時の御意に、かくまでも、人の悪しき事を聞く事よ、五歩々々には、人の善き事もあるらんものをと仰せられき、

小過小悪を勘弁すべし一、或時、論語御会の節に、小過を免し、賢才を挙げよと云ふ章を、怪しからず御歎息遊されて仰せられけるは、誠に小過をのみか、小悪を勘弁せねばならぬことよ、古人の詞に、人を取立てんとする時、必ず悪説出で来て、其者を捨つる事あり、大義を小詞の出づるに捨つる事、痛きかなと、いふ事あるなり、誠に大切の前には小悪を見ては、勝碁は打たれぬ物と見えたりと仰せられき、

一、或時、御弓遊され候に、御中り悪しく在らせられて、暫く御休息遊され、御物語の内に、あてき程あたらぬ物はなし、かく中らずては、吾も世の中の慷慨者の部類に入ることよと、御笑ひ遊されけるとなり、

一、或時、御会の節、御咄に、食物もだしなき物が甘きなり、後世は書物を重ねて、余り全備致し過ぎたる故、書物のうまみが、身に染まぬ事に成りたり、昔の義経は、六韜・三略を得んとて、胆を焦して、漸く身に得られし故、其信仰も厚くして、六鞘・三略も、書物にては居らず、今は犬打つ童も、七書を読まぬ者はなし、夫故書物は書物にて、棚にあるなり、世に書物を秘する事あるは、勢を見ての智者の仕事なり、夫を秘するは狭き事なりと、議る者もあれども、請けられぬ事なり、それオープンアクセス NDLJP:170も物取りに秘するは、抑〻末なる事ぞと仰せられき、

  文化某の年                 高瀬武昭記しぬ

 

銀台拾遺大尾

 
 

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。