コンテンツにスキップ

検索結果

  • 、支那街の焼豚屋、カラー、ネクタイ屋、西洋雑貨屋、バー、チャブ屋など限りがない。なお私の蘆屋からは大阪よりも手近である関係上、つい神戸を多く訪問する。そして例えば私の好きな古道具などを素見しながら山手の三角帳場から両側の店を覗きつつ生田前へ出ることに近頃ではおおよそコースがきまってしまった。…
    13キロバイト (2,702 語) - 2024年3月27日 (水) 14:23
  • 千耶子が、バスケットを提げて出て来た。彼女は外へ出ると小走りに街路を横切って五六丁筋向うの円タクの集合所へ馳け込んだ。  それから暫くの後、千耶子は神戸行急行車に揺られ乍ら、遠く離れゆく、住み慣れた都の灯の瞬きをありとあらゆる、執著と憎悪と呪咀と哀愁との入り乱れた感慨にあふれ出る涙の眼で、じっといつ…
    672バイト (4,558 語) - 2020年3月18日 (水) 13:55
  • いたことを胸に浮べた。その支那風(しなふう)な濃い花の姿は日頃花好きな姪(めい)にでも見せたいものであったことを胸に浮べた。彼はまた、上海へ来るまでの途中で、どれ程彼女の父親に宛てようとした一通の手紙のために苦しんだかを胸に浮べた。神戸の宿屋で義雄兄から彼が受取った手紙の中には、兄その人も彼の外遊か…
    1メガバイト (204,909 語) - 2019年9月29日 (日) 05:14
  • )ては同志社女学校に学んだこともあるという。総領の兄は英国へ洋行して、帰朝後は某官立学校の教授となって居る。芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処でハイカラな女学校生活を送った。基督教の女学校は他の女学校に比して、文学に対して総(すべ)て自由だ。其の頃こそ「魔風恋風(…
    143キロバイト (29,649 語) - 2021年8月31日 (火) 23:01
  • に当たっている、おそらく長崎方面でも同様であろうとの報告をも持って来た。  新開の兵庫神戸でもこの例にはもれなかった時だ。そこへ仏国領事を見に来たものがある。この地方にできた取締役なるものの一人(ひとり)だ。神戸村の庄屋(しょうや)生島四郎大夫(いくしましろだゆう)と名のる人だ。上京する諸藩の兵士…
    622キロバイト (119,815 語) - 2019年9月29日 (日) 05:04
  • けれども汽車は故障もなく規則通りの走っていた。 恵みも深い夏山訓導に送られて、下関を発したのも昨日となった。昨日の日が暮れたのは岡山あたりであった。神戸、大阪、京都は真夜中に過ぎた。 ――大津名産鮒(ふな)ずし―― そんな呼売りの声が、プラットホームに聞えたのは、琵琶湖畔の大津駅であった。名古屋はい…
    237キロバイト (46,402 語) - 2021年8月31日 (火) 22:19
  • も似てゐる。古雅なものと卑俗なものとが同時にあるやうなところも似てゐる。東京横濱あたりの人達があの熱海へでも出かけるやうに、こゝにはまた京都、大阪、神戸あたりからの湯治の客が絶えない。  ずつと昔はこの城崎も、舟の便宜による交通運送の業を主にして、それによつて土地の人達が生活を營んで來たものであつた…
    158キロバイト (34,214 語) - 2019年9月29日 (日) 05:09
  • れば、リオが流通するまでに多くの費用がかかることがわかるだろう。 昼食は皆で楽しみ、礼拝で兵士を呼び戻し、リベロール氏と私は友人たちと別れて、汽船で神戸に行き、イェドに戻る予定のアメリカのトランクを受け取った。25日、私たちは川を下り、入り口を守るための鉄砲山の砲台の前を通りました。霧の中にアワジ島…
    75キロバイト (14,712 語) - 2023年7月24日 (月) 00:02
  • だも訴えなかったなあ」と二人は大きに笑った。  その夜おれと山嵐はこの不浄(ふじょう)な地を離(はな)れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。神戸から東京までは直行で新橋へ着いた時は、ようやく娑婆(しゃば)へ出たような気がした。山嵐とはすぐ分れたぎり今日まで逢う機会がない。…
    318キロバイト (59,334 語) - 2023年10月17日 (火) 13:42
  •  こんなことを正太が言出したので、三吉は仕掛けた旅の話を止(や)めた。 「阿爺もネ――」と正太は声を低くして、「ホラ、長らく神戸に居ましたろう。何か神戸でも失敗したらしい。トドのツマリが満洲行と成ったんです……実叔父さんを頼って行ったものらしいんです……実は私も知らずにおりました。昨夕(…
    483キロバイト (94,851 語) - 2022年9月18日 (日) 11:16
  • と名のついたものがない。路と名のついたものは最早わたしたちの路ではない。  あるところより、日本最古の茶園で製せらるゝといふ茶を分けて貰つた。日頃茶好きなわたしはうれしく思つて、早速それを試みたところ、成程めづらしい茶だ。往時支那人がその實をこの園に携へて來て製法までも傳へたとかいふもので、大量に製…
    282キロバイト (57,833 語) - 2021年5月19日 (水) 16:37
  • ていはしなかったのです。と、云うのは、僕は一昨年の春から今の△△映画協会へ入る様になりました。これが本当の運の尽きだったのです。彼等の或る者は長崎か神戸あたりでふと僕の映画を見て、まだ僕が生きていた事をゆくりなくも知ってしまいました。』 『それで、再び彼等は君に向ってその黒い手をのばしはじめたと云う…
    49キロバイト (9,614 語) - 2023年10月17日 (火) 13:50
  • 神戸(こうべ)京都間、それに前年ようやく起工の緒についた京都大津(おおつ)間を数えるに過ぎなかった。ホルサムはこの閑散な時を利用し、しばらくの休暇を請い、横浜方面の鉄道管理を分担する副役に自分の代理を頼んで置いて、西の神戸
    731キロバイト (142,362 語) - 2019年9月29日 (日) 05:05
  • 込んであった状袋に眼が着いたので、御米(およね)の汲んで出す番茶を一口呑(の)んだまま、宗助(そうすけ)はすぐ封を切った。 「へえ、安(やす)さんは神戸へ行ったんだってね」と手紙を読みながら云った。 「いつ?」と御米は湯呑を夫の前に出した時の姿勢のままで聞いた。…
    486キロバイト (96,246 語) - 2023年10月17日 (火) 13:52
  • ます。賞(ほ)めて下さい。月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕の厭(いや)な東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。その中に艶(なま)めかしい女の声も交(まじ)っていましたが、二三十分前から急におとなしくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜もだいぶ更(ふ)けましたから、僕も休みます」…
    677キロバイト (132,287 語) - 2022年4月2日 (土) 11:15
  • この養子に子供が二人あって、男の方は京都へ出て同志社へ這入(はいっ)た。其所を卒業してから、長らく亜米利加(アメリカ)に居(お)ったそうだが、今では神戸で実業に従事して、相当の資産家になっている。女の方は県下の多額納税者の所へ嫁に行った。代助の細君の候補者というのはこの多額納税者の娘である。…
    576キロバイト (115,998 語) - 2023年10月21日 (土) 14:06
  •  彼の父は今から十年ばかり前に、突然遍路(へんろ)に倦(う)み果てた人のように官界を退いた。そうして実業に従事し出した。彼は最後の八年を神戸で費(つい)やした後(あと)、その間に買っておいた京都の地面へ、新らしい普請(ふしん)をして、二年前にとうとうそこへ引き移った。津田の知らない間(ま…
    1.06メガバイト (208,097 語) - 2023年10月17日 (火) 13:45
  • 此録不㆑知㆓何人作㆒也、元出㆑自㆓海善寺方丈㆒、青木氏〈四郎左衛門〉懇望、覓㆓得之㆒焉、憚㆓々世之証責㆒、秘蔵不㆔敢出㆓書函㆒、青木氏没後、神戸某〈佐左衛門〉求㆓得之㆒、而蔵㆓干家㆒者、数㆓年干茲㆒、神戸没無㆑嗣、寡妻鬻㆓干商夫㆒、因㆑玆得㆑写焉、惟其此録者、梅渓李氏作也、李老閑㆓居江西㆒、又海善寺李氏墳墓之地、姑俟㆓後生之識者㆒云爾、…
    7キロバイト (38,642 語) - 2024年5月6日 (月) 09:15
  • には病院を空(あ)ける事さえあった。帰って来ると素(す)っ裸体(ぱだか)になって、病院の飯を旨(うま)そうに食った。そうして昨日(きのう)はちょっと神戸まで行って来ましたなどと澄ましていた。  岐阜からわざわざ本願寺参りに京都まで出て来たついでに、夫婦共この病院に這入(はい)ったなり動かないのもいた…
    761キロバイト (147,307 語) - 2023年10月17日 (火) 13:49
  • 「それから何でございました、間もなく赤樫(あかがし)さんがいらつしやいまして」  貫一は懌(よろこ)ばざる色を作(な)してこれに応(こた)へたり。 「神戸の蒲鉾(かまぼこ)を三枚、見事なのでございます。それに藤村(ふじむら)の蒸羊羹(むしようかん)を下さいまして、私(わたくし)まで毎度又頂戴物(ちようだいもの)を致しましたので御座います」…
    1.02メガバイト (208,408 語) - 2024年1月28日 (日) 21:05