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  • 崎街道・淀川上下三十石船其外出口々々、官道・野道・間道に至る迄厳重に御穿鑿、往来武士・坊主は不㆓申及㆒、男女諸売等に至る迄、一人吟味に相成申候。其外諸国諸侯方へも早々人相書を以被㆓触廻㆒候候、其所の地頭・領主より在々・山々・
    85バイト (16,974 語) - 2024年3月24日 (日) 10:35
  • 之間之御番、皆打殺されしか、宿へ不歸、迎の者參りても御用有之とて、久敷歸番なしと云。 ○大樹も御あやまちに成と云。虚説なるべし。 ○長崎奉行石尾伊織、大磯に宿せしが、家中十八人死し、荷物もなくなり。其上箱根山崩て通路なき故、先江戸へ歸る。 ○川崎・金河・程ヶ谷・戸塚・平塚・藤澤・小田原峠迄、大方くずれ人馬過半死す。…
    66キロバイト (12,611 語) - 2023年11月16日 (木) 16:35
  • 取ったと告げられた。そして、次女の富美子は普通の病室に、三男の知春(ともはる)は隔離室に這入っていることが分った。 義雄は、弟の馨(かおる)に(きり)ヶ谷(や)の火葬場へ行くつもりで直ぐ支度をして来いと云う使いを出してから、先ず知春の室に行った。すると、千代子が一人附き添っていて、所天(おっと)…
    258キロバイト (51,635 語) - 2021年8月31日 (火) 22:28
  •     雞の聲にしぐるゝ牛屋かな      葉ぬし志淺からざりければ暫く止まらんとせし程に     此海に草鞋捨てん笠しぐれ     笠もなき我をしぐるゝかこは何と     枯蘆に何を時雨の葉每哉     草枕犬もしぐるゝか夜のこゑ     渡し呼ぶは我なり初時雨      の方へ初めてゆきて     初時雨初の字を我しぐれ哉…
    391バイト (18,319 語) - 2019年9月28日 (土) 21:54
  • 関東の両管領の山内殿は、御前代より上野平井居城なり。家老は、大石・小幡・長尾・白倉四人なり。扇谷殿は、相州大場居城なり。家老は、上田・太田・見田・萩ヶ谷四人なり。此両上杉殿を、北条早雲挫かんとの工夫なり。然るに、扇谷殿、中沼彦四郎・曽我伝吉と申す世忰を取立て、彦四郎をば主馬允、伝吉をば右衛門佐と改め…
    248バイト (20,106 語) - 2023年12月2日 (土) 18:35
  • 、物資の収集、配給等の活動は、実に船舶によらざれば如何ともする事能わず、特に小蒸汽船の活動に寄ったのである。当時小蒸汽船としては、楓・珠湖・さつき・・桜・東雲の六艘を所有していた、折悪しく船員不足と用水の欠乏とのために、運用全く意の如くならず、僅かに―二艘を運転し得たみので、他は空しく繋留するの…
    235キロバイト (41,675 語) - 2023年9月18日 (月) 12:53
  • 浦賀港は町の東南部にあり。その港岸に発達したる市街は旧来の浦賀なり。東岸に新井洲崎、新町、大ケ谷、築地古町の五町。西岸に芝生、築地新町、荒巻、高坂、谷戸、宮下、田中、紺屋、蛇畠、浜町、川間の十一町あり。この市街地と一山を隔てゝ南西に久比里、吉井の聚落あり、汎称して浦賀と云ふ。享保六年の村絵図に拠れば…
    58キロバイト (10,991 語) - 2023年8月19日 (土) 05:06
  • (きそじ)の季節もあわただしい。静の屋の周囲にある雑木なぞが遠い々の草木と呼吸を合わせるように芽を吹きはじめると、日の色からしてなんとなく違って来るさわやかな明るさが一層半蔵の目には悩ましく映った。彼は二部屋ある二階の六畳の方に古い(きり)の机を置いて、青年時代から書きためた自作の『松(まつ)が…
    731キロバイト (142,362 語) - 2019年9月29日 (日) 05:05
  •  こんな外国交渉に手間取れて、東海道軍は容易に品川(しながわ)へはいれなかった。その時は東山道軍はすでに板橋から四谷新宿(よつやしんじゅく)へと進み、さらに市(いち)ヶ谷(や)の尾州屋敷に移り、あるいは土手を切り崩(くず)し、あるいは堤を築き、八、九門の大砲を備えて、事が起こらば直ちに邸内から江戸城を砲撃する手はずを…
    622キロバイト (119,815 語) - 2019年9月29日 (日) 05:04
  • りやせん、先年住吉・天王寺等の焼けぬる時、南方大に光りしが、かゝる兆にやあらん抔とて、何れも恐れしが、寒気強くなりぬるにぞ、々心を安んずるに至る。同十六日の事なりしが、尼崎町竹川彦太郎といへる両替屋の丁稚弐弐金三百両革財布に入れ之をかたげ、玉木町加島屋安兵衛丁稚は手形にて二千両を懐中し、【市中…
    85バイト (22,004 語) - 2024年3月24日 (日) 09:47
  • (やかたもん)の木戸を通って、横浜道へ向かった。番所のあるところから野毛山(のげやま)の下へ出るには、内浦に沿うて岸を一回りせねばならぬ。程(ほど)ヶ谷(や)からの道がそこへ続いて来ている。野毛には奉行の屋敷があり、越前(えちぜん)の陣屋もある。そこから野毛橋を渡り、土手通りを過ぎて、仮の吉田橋から関内(かんない)にはいった。…
    704キロバイト (133,425 語) - 2019年9月29日 (日) 05:04
  • らぶら下がって行く。おおかた雑子(ぞうし)ヶ谷(や)へでも行ったのだろう。軒の深い菓物屋(くだものや)の奥の方に柿ばかりがあかるく見える。夕暮に近づくと何となくうそ寒い。  薬王寺前(やくおうじまえ)に来たのは、帽子の庇(ひさし)の下から往来(ゆきき)のの顔がしかと見分けのつかぬ頃である。三十三…
    323キロバイト (60,728 語) - 2023年10月17日 (火) 13:52
  • 、二品親王の勅許を蒙り、永く門跡となる。〈是れ正親町院の御宇なり。〉是より先に後桃園院の時、久しく御即位の大礼行はれず。本願寺証如上より、数百金を捧げて、大礼の料とす。其恩賜として、勅許なるとぞ。今年毛利元就、当今御即位の料金を捧げ奉る。其恩賜として、其家を永々清華に准ぜられ、菊
    4キロバイト (33,938 語) - 2024年2月3日 (土) 11:09
  • の国まで、御徳光り輝きて、四方の国、一として随はずといふ事なし。   鎌倉殿満兼卿御逝去の事   応永十六年三月上旬より、鎌倉殿御不例にて、上杉家其外関東の八家衆・小知主に至る迄、悉く在鎌倉す。五月上旬の頃、少験のやうに御座ありしかば、鶴
    4キロバイト (28,537 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • 、而五六葉之祖始家㆓相州㆒也。公規㆓武蔵豊島江戸之地㆒築㆓城塁㆒、従㆓京師蓮府之命㆒為㆓其君㆒而割拠。康正乙亥騒屑以来廿有余霜、高揚㆓帝旗㆒陣㆓武之五十子㆒。禍自㆓戯下㆒起、公之爺道真倡将㆑師屯㆓兵於上湯赤城之麓河北㆒矣。戯下両岐相分、其一者退憑㆓嶮於武之鉢塁㆒。公在㆓江戸㆒緩頬慮㆑
    3キロバイト (70,791 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • 初ラ堺エ参六郎晴元エ降参シケレハ近江両佐々木勢モ越前ノ朝倉衆モ談ノ時皆国々エ下リケレハ公方義晴公モ道水モ京ニ叶ハス又近江国朽木カノ佐々木民部少輔種網ヲ頼ミ朽木カニカクレ給フ然レトモ三好方ト柳本ハイコン有テ更ニ諸人モ安堵セス洛中ノノ心モオサマラス明レハ亨禄二年丑正月一日未明ニ柳本衆三好方ノ伊…
    44バイト (53,932 語) - 2024年4月19日 (金) 06:28
  • に考えながら、長く黙って、一通の手紙を書いて、上に三田(みた)ヶ谷(や)村(むら)村長石野栄造様という宛名(あてな)を書いた。 「それじゃこれを弥勒(みろく)の役場に持っていらっしゃい」  弥勒まではそこからまだ十町ほどある。  三田ヶ谷村といっても、一ところに人家がかたまっているわけではなかった。…
    509キロバイト (98,550 語) - 2023年11月4日 (土) 14:56
  • 衛門、佐野小大夫、賀藤源次郎、朝岡新八郎、獚塚(いぬづか)七蔵、賀藤伝十郎、賀藤源蔵、賀藤一六郎、賀藤又三郎、成瀬新兵衛、坂辺又六郎、坂辺屋、坂辺勝之助、坂辺(きり)之助、坂辺酒之丞、坂辺又蔵、此外是に劣(をとら)ぬ衆七八十騎可㆑有。其外に小侍供数多有、上和田と日々夜々之たゝかい成。…
    3キロバイト (99,010 語) - 2024年1月30日 (火) 14:25
  • 君ニ不忠ノ臣栄ヘテ久キハ非ス信長公ノ尊霊サコソ嬉思ヒ給フラントテ皆舌ヲソ振イニケル此功徳ニヨリテ秀吉自然ニ天下ノ執柄ヲ取リテ普天ノ民臣服シ率土ノ浜マテ穏ナリ加之朝鮮大明マテ此公ノ威ヲ恐レ遊撃ヲ以テ和睦ノ使トシ此君ノ御気色ヲソ
    44バイト (42,738 語) - 2024年4月19日 (金) 06:46
  • 「そうだよ。君は今夢を見ているんだよ。夢の証拠には、吾輩の眼で見ると、あの解放治療場内には先刻(さっき)からッ子一人いないんだよ。ただ、枯れ葉をつけたの木が五六本立っているきりだ……解放治療場は、昨日の大事変勃発以来、厳重に閉鎖されているんだからね……」 「……………」…
    1.34メガバイト (257,350 語) - 2023年10月17日 (火) 13:34
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