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  • 参いたし高城を渡奉り、先駆之勢に加りけり、十九日宇土之城も脱㆑甲​(ヲ)降人に成しかば、城を請取加藤虎助を被㆓入置㆒、同廿日熊庄之城も明渡すに付て、岡本太郎右衛門尉番手に定め給ふ、同廿一日高塚関之城八ッ城も退散したりけれは、即秀吉八​(ツ)城に御陣を居らる、暫御滞留有しなり、其夜にして沈思し給ふ事は…
    75バイト (12,942 語) - 2024年3月25日 (月) 14:32
  • かと、哀に心ぼそけれ。關山を過ぎぬれば、打出の濱、粟津の原なんどきけども、いまだ夜のうちなれば、さだかにも見わからず。昔天智天皇の御代、大和國飛鳥の岡本の宮より、近江の志賀の郡に都うつりありて、大津の宮を造られけりときくにも、此の程はふるき皇居の跡ぞかしとおぼえて哀なり。  「さゞ波や大津の宮のあれしより名のみ殘れるしがの故鄕」。…
    711バイト (8,238 語) - 2023年8月17日 (木) 13:59
  • う)より招(まね)き出し。たゞ今ようがいあけわたし進(しんず)べきよし申上候所に。城中の者どもは。天の網(あみ)にかけをき候間。一人ももらすべからずのよし。御ふくりつもつてのほかの間。かさねて上聞(じやうぶん)に達(たつ)しがたきよし。中使(ちうし)挨拶(あいさつ)の時刻をうつさず。諸軍(しよぐん…
    198バイト (21,098 語) - 2023年11月20日 (月) 00:09
  • に心ぼそけれ。關山を過ぬれば。打出の濱栗津の原なんどきけども。いまだ夜のうちなれば。さだかにも見わからず。昔天智(三十九代)天皇の御代。大和國飛鳥の岡本の宮より近江の志賀の郡に都うつりありて。大津の宮をつくられけりときくにも。此ほどはふるき皇居の跡ぞかしとおぼえてあはれなり。  さゝ波や大津の宮のあれしより名のみ殘れるしかのふる鄕…
    479バイト (8,594 語) - 2020年7月26日 (日) 02:58
  • ひとこそみらめ よしゑやし うらはなくとも よしゑやし かたは [いそは] なくとも いさなとり うみへをさして にきたづの ありそのうへに かあをなる たまもおきつも あさはふる かぜこそよせめ ゆふはふる なみこそきよれ なみのむた かよりかくより たまもなす よりねしいもを [はしきよし いもがたもとを]…
    176キロバイト (38,122 語) - 2023年9月5日 (火) 15:39
  • ゝち七け日ばかりやありけん。忠孝の道かけにけるよと見えたり。法皇もかねてさとらしめ給けるにや、平清盛(たひらのきよもり)・源義朝(みなもとのよしとも)等にめし仰て、内裏をまぼり奉るべきよし勅命(ちよくめい)ありきとぞ。上皇鳥羽よりいで給て白河の大炊殿(おほひどの)と云所にて、すでに兵をあつめられけ…
    373キロバイト (76,412 語) - 2023年8月17日 (木) 14:28
  • て、いまだこれらの事に及ぶ暇あらず、慶長十六年八月、はじめて将軍家より、耶蘇は夷狄の邪法なるをもて、【天主教を厳禁す】厳禁せらるゝよし令せられ、十七年二月、駿河にて岡本大八といへる者、罪ありて獄に繋がれしが、有馬修理大夫晴信が陰事を計発するにより、二人を対決せしめしに、二人共邪徒に定まりしかば、大…
    91バイト (9,187 語) - 2024年5月10日 (金) 03:54
  • いこ、鼓(つゞみ)をならしねずみきどを立て、是を諸人に見する。中にも名をえし遊女には、佐渡島正吉(えどしましやうきち)、村山左近(むらやまさこん)、岡本織部(をかもとおりべ)、小野小大夫(をのこだいふ)、でき島長門守、杉山主殿(すぎやまとのも)、幾島丹後守(いくしまたんごのかみ)などと名付。これらは…
    438バイト (15,562 語) - 2024年2月1日 (木) 14:10
  • 「このごろの冠は、昔よりは遙に高くなりたるなり」とぞある人おほせられし。古代の冠桶を持ちたる人は、はたをつぎて今用ふるなり。 岡本關白殿〈家平〉さかりなる紅梅の枝に鳥一雙をそへて、この枝につけて參らすべきよし、御鷹飼下毛野の武勝に仰せられたりけるに、「花に鳥つくるすべ知り候はず、一枝に二つつくることも存じ候はず」と…
    457バイト (41,862 語) - 2020年7月26日 (日) 02:55
  • 屋敷において、六十三歳で卒した。保さんの成善(しげよし)は枕辺(まくらべ)に侍していた。  この年十二月二十一日の夜(よ)、塙次郎(はなわじろう)が三番町(さんばんちょう)で刺客(せきかく)の刃(やいば)に命を隕(おと)した。抽斎は常にこの人と岡本况斎(きょうさい)とに、国典の事を詢(と)うことに…
    642キロバイト (126,753 語) - 2022年3月23日 (水) 18:11
  • )寺(じ)を造りて、先志を繼ぐ。是に至りて、功を畢(をは)る。又巨鐘(きよしよう)を鑄(い)る。乃且元をして來り告げしめて、之を慶せんことを請ふ。期するに七月秀賴、親(みづから)往くを以てす。 髙山友群是の歲、高山友祥(ともよし)、內藤如安(ゆきやす)等、蠻敎(ばんけう)を奉ずるを以て、京師の獄(…
    331バイト (30,554 語) - 2023年9月12日 (火) 13:59
  •  わたくしは此に杏春の生父玄俊の師の一人が京都の産科医賀川玄吾であつたことを回顧する。池田瑞仙が杏春去後(きよご)に霧渓をして家を継がしめたのは、玄吾の生父初代玄悦が玄吾去後に岡本玄迪(げんてき)をして家を継がしめたと、其迹が甚だ相類してゐる。玄吾と杏春との間には、実子と養子との別はあるが、…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  • 仲の歌〕といへる歌をぞいふなるは、誠に少しくだけたるすがたにもや見ゆらむ。されどこの歌も、衆議判(すぎはん)の時、よろしきよし沙汰ありて、後にもことさらに感じおほせ下されけるよし、家長〔源家長、時長の子〕が日記には書けり。歌の道のみいにしへに變らぬなどいふ事もあれど、いさや〔さあどうだかと打消す意…
    253キロバイト (51,502 語) - 2024年2月25日 (日) 09:53
  • て、廿四になられける。是ぞ関白公の御装束を承はりし人ぞかし。    長らへば猶も憂目を三つ瀬川渡りを急げ君や待つらん 十四番には、左衛門の後殿なり。岡本某が後室にて、三十八とかや。琵琶・琴の名人にて、歌書の師をぞせられける。是ぞ今はの気色にて、    しば〳〵の浮世の夢の覚め果てゝ是ぞ実の仏なりける…
    3キロバイト (116,548 語) - 2024年2月3日 (土) 18:43