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東關紀行 (群書類從)

提供:Wikisource
他の版の作品については、東関紀行をご覧ください。

東關紀行

前河內守親行


齡は百とせの半に近づきて。鬢の霜漸冷しといへども。なすことなくして徒にあかしくらすのみにあらず。さしていづこに住はつべしともおもひさだめぬありさまなれば。彼白樂天の身は浮雲に似たり首は霜ににたりと書給へる。あはれにおもひあはせらる。もとより金帳七葉のさかへをこのまず。たゞ陶潛五柳のすみかをもとむ。しかはあれども。みやまのおくの柴の庵までもしばらく思みイやすらふ程なれば。憖に都のほとりに住居つゝ。人竝に世にふる道になんつらなれり。是卽身は朝市にありて心は隱遁にあるいはれなり。かゝるほどに。おもはぬ外に。仁治四條三年の秋八月十日あまりの比。都を出て東へ赴く事あり。まだしらぬ道の空。山かさなり江かさなりて。はる遠き旅なれども。雲をしのぎ霧を分つゝ。しば前途の極なきにすゝむ。終に十餘の日數をへて鎌倉に下り着し間。或は山館野亭の夜のとまり。或は海邊水流の幽なる砌にいたるごとに。目にたつ所々。心とまるふしをかき置て。わすれず忍ぶ人もあらばをのづから後のかたみにもなれとてなり。東山の邊なる住家を出て。相坂の關うち過るほどに。駒引わたる望月の比も漸近き空なれば。秋ぎり立わたりて。ふかき夜の月かげほのかなり。木綿付鳥かすかにをとづれて。遊子猶殘月に行けん函谷の有樣おもひいであはせイらる。むかし蟬丸といひける世捨人。此關の邊にわらやの床を結びて。常は琶をひきて心をすまし。大和歌を詠じておもひを述けり。嵐のかぜはげしきをわびつゝぞすぐしける。《古今雜下 あふ坂のあらしの風のさむけれとゆくゑしらねはわびつゝそぬる》ある人の云。蟬丸は延喜第四の宮にておはしけるゆへに。此關のあたりを四宮河原と名付たりといへり。

 いにしへのわらやの床のあたり迄心をとむる相坂の關

東三條院詮子石山に詣て還御ありけるに。《圓融院女御一條院母后法興院殿二女》關の淸水を過させ給ふとてよませ給ひける御歌。あまたゝひゆきあふ坂の關水にけふをかきりの影そかなしきときこゆるこそ。いかなりける御心のうちにかと哀に心ぼそけれ。關山を過ぬれば。打出の濱栗津の原なんどきけども。いまだ夜のうちなれば。さだかにも見わからず。昔天智三十九代天皇の御代。大和國飛鳥の岡本の宮より近江の志賀の郡に都うつりありて。大津の宮をつくられけりときくにも。此ほどはふるき皇居の跡ぞかしとおぼえてあはれなり。

 さゝ波や大津の宮のあれしより名のみ殘れるしかのふる鄕

曙の空になりて。せたの長橋うち渡すほどに。湖はるかにあらはれて。かの滿誓沙彌が比叡山にて此海を望つゝよめりけん歌おもひ出られて。漕行舟のあとのしら波。《拾遺 世中をなにゝたとへんあさほらけこき行舟のあとのしらなみ》誠にはかなく心ぼそし。

 世中を漕行舟によそへつゝなかめし跡を又そなかむる

このほどをも行過て。野路と云所にいたりぬ。草の原露しげくして。旅衣いつしか袖のしづくところせし。

 東路の野ちの朝露けふやさは袂にかゝるはしめ成覽

しの原と云所をみれば。西東へ遙にながき堤あり。北には里人住家をしめ。南には池のおもて遠く見えわたる。むかひの汀。みどりふかき松のむら立。波の色もひとつになり。南山の影をひたさねども靑くして滉瀁たり。洲崎所々に入ちがひて。あしかつみなどおひわたれる中に。をしかものうちむれてとびちがふさま。あしでをかけるやうなり。都をたつ旅人。この宿にこそとまりけるか。今はうちすぐるたぐひのみ多くして。家居もまばらに成行など聞こそ。かはりゆく世のならひ。飛鳥の河の淵瀨にはかぎらざりけめとおぼゆ。

 行人もとまらぬ里となりしより荒のみまさるのちの篠原

鏡の宿にいたりぬれば。昔なゝの翁のよりあひつゝ。老をいとひてよみける歌の中に。鏡山いさたちよりてみてゆかむ年へぬる身は老やしぬるとといへるは。此山の事にやとおぼえて。宿もからまほしく覺えけれども。猶おくざまにとふべき所ありてうち過ぬ。

 たちよらてけふは過なん鏡山しらぬ翁のかけはみすとも

ゆき暮ぬれば。むさ寺と云山寺のあたりにとまりぬ。まばらなるとこの秋かぜ。夜ふくるままに身にしみて。都にはいつしか引かへたるこゝちす。枕にちかきかねの聲。曉の空にをとづれて。かの遺愛寺の邊の草の庵のねざめもかくや有けむと哀なり。行末とをきたびの空。思ひつゞけられていといたう物がなし。

 都出ていくかもあらぬこよひたにかたしきわひぬ床の秋風

この宿をいでて笠原の野原うちとをるほどに。おいその杜と云杉むらあり。下くさふかき朝つゆの霜にかはらん行すゑも。はかなく移る月日なれば遠からずおぼゆ。

 かはらしな我もとゆひに置霜も名にしおいその杜の下草

音にきゝしさめが井を見れば。陰くらき木のしたのいはねより流出る淸水。餘り涼しきまですみわたりて。實に身にしむばかりなり。餘熱いまだつきざる程なれば。往還の旅人多く立よりてすゞみあへり。斑婕妤が團雪の扇。秋風にかくて暫忘れぬれば。すゑ遠き道なれども。立さらん事はものうくて更にいそがれず。かの西行が道の新古へに淸水なかるゝ柳かけしはしとてこそたちとまりつれとよめるも。かやうの所にや。

 道のへの木陰の淸水むすふとてしはしすゝまぬ旅人そなき

かしは原と云所をたちて美濃國關山にもかゝりぬ。谷川霧の底に音信。山風松の梢に時雨わたりて。日影もみえぬ木の下道あはれに心ぼそし。こえはてぬれば不破の關屋なり。《新古今雜中 人すまぬふはのせきやの板ひさしあれにしのちはたゝあきの風》萱屋の板庇年經にけりとみゆるにも。後京極攝政良經殿の荒にしのちはたゝ秋の風とよませ給へる歌おもひ出られて。此うへは風情もめぐらしがたければ。いやしきことの葉をのこさんも中々におぼえて。爰をばむなしくうち過ぬ。くゐぜ川と云所にとまりて。夜更るほどに川端に立出てみれば。秋の最中の晴天淸き河瀨にうつろひて。照月なみも數みゆばかりすみ渡れり。二千里の外の古人の心遠く思ひやられて。旅のおもひいとゞをさへがたくおぼゆれば。月のかげに筆を染つゝ。花洛を出て三日。株瀨川に宿して一宵。しば陶吟を中秋三五夜の月にいたましめ。かつ遠情を先途一千里の雲にをくるなど。ある家の障子に書つくるついでに。

 しらさりき秋の半の今宵しもかゝる旅ねの月をみんとは

かやつの東宿の前を過れば。そこらの人あつまりて。里もひゞくばかりにのゝしりあへり。けふは市の日になむあたりたるとぞいふなる。往還のたぐひ手每にむなしからぬ家づとも。《古今春上 そせい みてのみや人にかたらん櫻はなてことにおりていへつとにせん》かのみてのみや人にかたらんとよめる花のかたみには。やうかはりておぼゆ。

 花ならぬ色香もしらぬ市人の徒ならてかへる家つと

尾張國熱田の宮にいたりぬ。神垣のあたりちかければ。やがてまいりておがみ奉るに。木立年ふりたる杜の木の間より夕日のかげたえだえさし入て。あけの玉垣色をかへたるに。木綿四手風にみだれたることから。物にふれて神さびたる中にも。ねぐらあらそふ鷺むらのかずもしらず梢にきゐるさま。雪のつもれるやうに見えて。遠く白きものから。暮行まゝにしづまり行聲ごゑも心すごく聞ゆ。ある人のいはく。此宮は素盞烏尊なり。はじめは出雲國に宮造ありけり。八雲たつといへる大和言葉も是よりはじまりけり。其後景行十二代天皇の御代にこの砌に跡をたれ給へりといへり。又いはく。此宮の本躰は草薙と號し奉る神劔也。景行の御子日本武尊と申。夷をたいらげて歸り給ふ時。尊は白鳥となりて去給ふ。劔は熟田にとまり給ふともいへり。一條院六十六代の御時大江匡衡といふ博士有けり。長保のすゑにあたりて當國の守にて下りけるに。大般若を書て此宮にて供養をとげける願文に。吾願已にみちぬ。任限又みちたり。古鄕にかへらんとする期いまだいくばくならずとかきたるこそ。哀に心ぼそく聞ゆれ。

 思び出のなくてや人のかへらまし法の形見をたむけをかすは

この宮をたち出。濱路におもむくほど。有明の月かげふけて。友なし千鳥ときをとづれわたれる。旅の空のうれへすゞろに催して。哀かたふかし。

 古鄕は日をへて遠くなるみかたいそく汐干の道そくるしき

やがて夜のうちに二村山にかゝりて。山中などをこえ過るほどに。東漸しらみて海の面はるかにあらはれわたれり。波も空もひとつにて。山路につゞきたるやうに見ゆ。

 夫木玉くしけ二村山のほのと明行末は波路なりけり

ゆきて三河國八橋のわたりをみれば。在原業平かきつばたの歌よみたりけるに。みな人かれいゐのうへになみだおとしける所よとおもひ出られて。そのあたりをみれども。かの草とおぼしき物はなくて。いねのみぞおほくみゆる。

 花ゆへにおちし淚のかたみとや稻葉の露を殘しをくらん

源義種が此國のかみにてくだりける時。とまりける女のもとにつかはしける歌に。 もろともにゆかぬ三河の八はしは集戀しとのみや思ひわたらんとよめりけるこそ。《拾遺別部に源よしたねか三河介にて侍けるむすめのもとにはゝのよみてつかはしけるとありよしたねか歌にてはきこえかたけれは此紀行思ひあやまれるならん》おもひ出られてあはれなれ。やはぎといふ所をいでて。みやぢ山こえ過るほどに赤坂と云宿あり。こゝにありける女ゆへに大江定基が家を出けるも哀に思ひいでられて過がたし。人の發心する道その緣一にあらねども。あかぬ別をおしみしまよひの心をしもしるべとし。誠の道におもむきけん。ありがたくおぼゆ。

 別路に茂りもはてゝ葛のはのいかてかあらぬかたに返りし

ほむの川原にうち出たれば。よもの望かすかにして山なく岡なし。秦甸の一千餘里を見わたしたらんこゝちして。草土ともに蒼茫たり。月の夜の望いかならんと床しくおぼゆ。茂れるさゝ原の中にあまたふみわけたる道ありて。行末もまよひぬべきに。古武藏の前司泰時道のたよりの輩に仰て植をかれたる柳もいまだ陰とたのむまではなけれども。かつまづ道のしるべとなれるもあはれなり。もろこしの召公奭は周の武王の弟也。成王の三公として燕と云國をつかさどりき。陝のにしのかたを治し時。ひとつの廿棠のもとをしめて政ををこなふ時。つかさ人よりはじめてもろ民にいたるまで。そのもとをうしなはず。あまねく又人の患をことはり。おもき罪をもなだめけり。國民擧りて其德政を忍ぶ。故に召公去にし跡までも。彼木を敬て敢てきらず。うたをなんつくりけり。後三條七十一代天皇東宮にておはしましけるに。學士實政任國に赴く時。州の民はたとひ甘棠の詠をなすとも忘るゝことなかれ。おほくの年の風月の遊びといふ御製をたまはせたりけるも此こゝろにや有けん。いみじくかたじけなし。かの前の司も此召公の跡を追て人をはぐくみ物を憐むあまり。道のほ とりの往還のまでも思ひよりて植をかれたる柳なれば。これを見む輩皆かの召公を忍びけん。國の民のごとくにおしみそだてて。行すゑのかげとたのまむこと。その本意はさだめてたがはじとこそおぼゆれ。

 植置しぬしなき跡の柳はら猶その陰を人やたのまん

豐河と云宿の前をうち過るに。ある者のいふをきけば。此みちをば昔よりよぐるかたなかりし程に。近比より俄にわたふ津の今道と云かたに旅人おほくかゝる間。いまはその宿は人の家居をさへ外にのみうつすなどぞいふなる。ふるきをすててあたらしきにつくならひ。さだまれることといひながら。いかなるゆへならんとおぼつかなし。昔より住つきたる里人の今更ゐうかれんこそ。かの伏見の里ならねども。あれまくおしく覺ゆれ。《古今雜下 よみ人しらす いさこゝにわか世はへなんすかはらやふしみの里のあれまくもおし》

 覺束ないさ豐河のかはる瀨をいかなる人のわたりそめけん

參河遠江のさかひに高師の山と聞ゆるあり。山中にこえかゝるほどに。谷河のながれ落て岩瀨の波ことしくきこゆ。境川とぞ云。

 夫木岩つたひ駒うち渡す谷川の音もたかしの山にきにけり

橋本と云所に行つきぬれば。きゝわたりしかひありてけしきいと心すごし。南には潮海あり。漁舟波にうかぶ。北には湖水有。人家岸につらなれり。其間に洲崎遠くさし出て。松きびしく生つゞき。嵐しきりにむせぶ。松のひゞき波のをといづれときゝわきがたし。行人心をいたましめ。とまるたぐひ夢をさまさずといふ事なし。みづうみにわたせる橋を濱名となづく。ふるき名所也。朝たつ雲の名殘いづくよりも心ぼそし。

 行とまる旅ねはいつもかはらねとわきて濱名の橋そ過うき

さても此宿に一夜とまりたりしやどあり。軒ふりたるわらやかやイのところまばらなるひまより。月のかげ曇なくさし入たる折しも。君どもあまたみえし中に。すこしおとなびたるけはひにて。夜もすがら床の下に晴天をみると忍びやかにうち詠じたりしこそ。心にくくおぼえしか。

 言のはの深き情は軒端もる月のかつらの色にみえにき

なごりおほくおぼえながら。此宿をもうち出て行過るほどに。まひざはの原と云所に來にけり。北南は眇々とはるかにして。西は海の渚近し。錦花繡草のたぐひはいともみえず。白き眞砂のみありて雪の積れるに似たり。其間に松たえ生渡りて。鹽かぜ梢に音信。又あやしの草の庵所々みゆる。漁人釣客などの栖にやあるらん。すゑ遠き野原なればつくとながめゆくほどに。うちつれたる旅人のかたるをきけば。いつのころよりとはしらず此原に木像の觀音おはします。御堂など朽あれにけるにや。かりそめなる艸の庵のうちに雨露もたまらず年月を送るほどに。一とせ望むことありて鎌倉へくだる筑紫人有けり。此觀昔の御前にまいりたりけるが。もしこの本意をとげて古鄕へむかはゞ御堂をつくるべきよし心のうちに申置て侍りけり。鎌倉にて望むことかなひけるによりて。御堂を造けるより。人多くまいるなんとぞいふなる。聞あへずその御堂へ參りたれば。不斷香の煙風にさそはれうちかほり。あかの花も露鮮なり。願書とおぼしき物計帳の紐に結びつけたれば。弘誓のふかき事うみのごとしといへるもたのもしくおぼえて。

 たのもしな入江に立るみをつくし深き驗の有と聞にも

天龍と名付たるわたりあり。川ふかく流れはげしくみゆ。秋の水みなぎり來て。舟のさること速なれば。往還の旅人たやすくむかひの岸につきがたし。此河みづまされる時。ふねなどもをのづからくつがへりて底のみくづとなるたぐひ多かりと聞こそ。彼巫峽の水の流おもひよせられていと危き心ちすれ。しかはあれども。人の心にくらぶれば。しづかなる流ぞかしとおもふにも。たとふべきかたなきは世にふる道のけはしき習ひ也。

 此河のはやき流も世中の人の心のたくひとは見す

遠江の國府いまの浦につきぬ。爰に宿かりて一日二日とゞまりたるほど。あまの小舟に桿さしつゝ浦の有さま見めぐれば。しほ海湖の間に洲崎遠くへだたりて。南には極浦の波袖を濕し。北には長松の嵐心をいたましむ。名殘おほかりし橋本の宿にぞ相似たる。昨日のめうつりなからずば。是も心とまらずしもあらざらましなどはおぼえて。

 夫木浪の音も松の嵐もいまの浦に昨日の里の名殘をそきく

ことのまゝと聞ゆる社おはします。その御前をすぐとて。いさゝかおもひつゞけられし。

 ゆふたすきかけてそ賴む今思ふことのまゝなる神のしるしを

小夜の中山は。古今集の歌によこほりふせるとよまれたれば。《かひかねをさやにもみしかけゝれなくよこほりふせるさやの中山》名高き名所なりとは聞をきたれども。みるにいよ心ぼそし。北は深山にて松杉嵐はげしく。南は野山にて秋の花露しげし。谷より嶺にうつるみち。雲に分入心地して。鹿の昔なみだをもよほし。虫のうらみあはれふかし。

 踏かよふ峯の梯とたえして雲にあとゝふ佐夜の中山

此山をもこえつゝ猶過行ほどに菊川といふ所あり。去にし承久順德三年の秋の後堀河比。中御門中納言宗行と聞えし人の罪ありて東へくだられけるに此宿にとまりけるが。昔は南陽縣の菊水下流を汲で齡をのぶ。今は東海道の菊川西岸に宿して命をうしなふと。ある家の柱にかゝれたりけりと聞をきたれば。いとあはれにて其家を尋るに。火のためにやけて。かの言のはものこらずと申ものあり。今は限とてのこし置けむかたみさへあとなくなりにけるこそはかなき世のならひ。いとゞあはれにかなしけれ。

 かきつくるかたみも今はなかりけり跡は千年と誰かいひ劔

菊川をわたりていくほどもなく一村の里あり。二イはまとぞいふなる。此里のひがしのはてにすこしうちのぼるやうなる奧より大井川を見渡したれば。遙々とひろき河原の中に一すぢならず流わかれたる川瀨ども。とかく入ちがひたる樣にて。すながしといふ物をしたるににたり。中々わたりてみむよりもよそめおもしろくおぼゆれば。かの紅葉みだれてながれけむ龍田川ならねども。しばしやすらはる。

 日數ふる旅のあはれは大井河わたらぬ水も深き色かな

まへ嶋の宿をたちて。岡部のいまずくをうち過るほど。かた山の松のかげに立よりて。かれいゐなど取出たるに嵐冷しく梢にひゞきわたりて。夏のまゝなる旅ごろもうすき袂もさむくおぼゆ。

 夫木是そこのたのむ木のもと岡へなる松の嵐に心してふけ

宇律の山をこゆれば。つたかえではしげりてむかしのあとたえず。かの業平がす行者にことづてしけん程はいづくなるらんと見行ほどに。道のほとりに札をたてたるをみれば。无緣の世すて人あるよしをかけり。みちより近きあたりなれば少打入てみるに。わづかなる草の庵のうちに獨の僧あり。畫像の阿彌陀佛をかけ奉て。淨土の法もんなどをかけり。其外にさらにみゆる物なし。發心のはじめを尋きけば。わが身はもと此國のものなり。さしておもひ入イなれたる道心も侍らぬうへ。其身堪たるかたなければ。理を觀するに心くらく。佛を念ずるに性ものうし。難行苦行の二の道ともにかけたりといへども。山の中に眠れるは。里にありて勤たるにまされるよし。ある人のをしへにつきて。此山に庵を結つゝあまたの年月ををくるよしをこたふ。むかし叔齋が首陽の雲に入て猶三春の蕨をとり。許由が潁水の月にすみし。をのづから一瓢の器をかけたりといへり。此庵のあたりには殊更煙たてたるよすがもみえず。柴折くぶるなぐさめまでも思ひたえたるさまなり。身を孤山の嵐の底にやどして。心を淨域の雲の外にすませる。いはねどしるくみえて。中々あはれに心にくし。

 世をいとふ心のおくや濁らましかゝる山邊の住居ならては

此庵のあたり幾程遠からず。崎と云所にいたりて。おほきなる卒都婆の年經にけると見ゆるに歌どもあまた書付たる中に。東路はこゝをせにせん宇津の山哀もふかし蔦のした道とよめる。心とまりておぼゆれば。そのかたはらにかきつけし。

 我も又こゝをせにせんうつの山分て色ある蔦のした露

猶うちすぐるほどに。ある木陰に石をたかくつみあげて。めにたつさまなる塚あり。人にたづぬれば梶原が墓となむこたふ。道のかたはらの土と成にけりと見ゆるにも。顯基中納言の口ずさみ給へりけん。年々に春の草のみ生たりといへる詩思ひいでられて。是も又ふるきつかとなりなば名だにも殘らじとあはれ也。羊太傳が跡にはあらねども。心ある旅人はこゝにもなみだをやおとすらむ。かの梶原は將軍二代の恩に憍り。武勇三畧の名を得たり。かたはらに人なくぞみえける。いかなることにかありけん。かたへの憤ふかくして。たちまちに身をほろぼすべきになりにければ。ひとまとものびんとやおもひけむ。都のかたへはせのぼりけるほどに。駿河國きかはといふ所にてうたれにけりときゝしが。さはこゝにて有けるよと哀に思ひあはせらる。讚岐の法皇崇德配所へおもむかせ給ひて。かの志戶と云處にてかくれさせ御座しける御跡を西行修行のついでにみまいらせて。よしや君昔の玉の床とてもかゝらむのちはなにゝかはせんとよめりけるなどうけ給はるに。ましてしもざまのものの事は申にをよばねども。さしあたりてみるにはいと哀におぼゆ。

 あはれにも空にうかれし玉梓の道のへにしも名をとゝめけり

淸見が關も過うくてしばしやすらへば。沖の石村々鹽干にあらはれて波に咽び。磯の鹽屋ところ風にさそはれて煙たなびけり。東路のおもひ出ともなりぬべきわたり也。むかし朱雀六十一代天皇の御時。將門と云もの東にて謀反おこしたりけり。是をたひらげんために民部卿忠文をつかはしける。此關にいたりてとどまりけるが。淸原滋藤といふ者。民部卿にともなひて軍監と云つかさにて行けるが。漁舟の火のかげは寒くして浪を燒。驛路の鈴の聲はよる山をすぐと云唐の歌を詠じければ。民部卿泪をながしけると聞にもあはれなり。

 淸見かた關とはしらて行人も心計はとゝめをくらむ

この關遠からぬほどに興津といふ浦あり。海に向ひたる家にやどりて侍れば。いそべによする波の音も身のうへにかゝるやうにおぼえて。夜もすがらいねられず。

 淸見おきつイかた磯へに近きたひいはイ枕かけぬ浪にも袖はぬれけり

こよひはさらにまどろむ間だになかりつる。草の枕のまろぶしなれば。寢覺ともなき曉の空に出ぬ。くきが崎と云なるあら磯の岩のはざまを行過るほどに。沖津風はげしきにうちよする波もひまなければ。いそぐ鹽干のつたひみち。かひなき心ちして。ほすまもなき袖のしづくまでは。かけてもおもはざりし旅の空ぞかしなど打ながめられつゝいと心ぼそし。

 沖津風けさあら磯の岩つたひ浪わけ衣ぬれそ行

神原といふ宿のまへをうちとをるほどに。をくれたる者まちつげんとてある家に立入たるに。障子に物をかきたるをみれば。旅衣すそのの庵のさむしろにつもるもしるきふしのしら雪といふ歌なり。心ありけるたび人のしわざにやあるらん。昔香爐峯の麓に庵をしむる隱士あり。冬の朝簾をあげて峯の雪を望けり。今富士の山のあたりに宿をかる行客あり。さゆる夜衣をかたしきて山の雪をおもへる。かれもこれもともに心すみておぼゆ。

 冴る夜に誰こゝにしもふしわひて高ねの雪を思ひやりけん

田子の浦にうち出てふじの高ねを見れば。時わかぬゆきなれども。なべていまだ白妙にはあらず。靑して天によれるすがた。繪の山よりもこよなうみゆ。貞觀淸和十七年の冬の比白衣の美女二人ありて山の頂にならび舞と。都良香が富土の山の記に書たり。いかなるゆへにかとおぼつかなし。

 ふしのねの風にたゝよふ白雲を天津乙女の袖かとそみる

浮嶋が原はいづくよりもまさりてみゆ。北はふじの麓にて。西東へはるとながき沼あり。布をひけるがごとし。山のみどり影を浸して空も水もひとつ也。蘆かり小舟所々に掉さして。むれたる鳥おほくさはぎたるイ。南は海のおもて遠くみわたされて。雲の波煙の浪いとふかきながめなり。すべて孤嶋の眼に遮るなし。わづかに遠帆の空につらなれるをのぞむ。こなたかなたの眺望いづれもとりに心ぼそし。原には鹽屋の煙たえ立わたりて。浦かぜ松の梢にむせぶ。此原昔は海の上にうかびて蓬萊の三の嶋のごとくに有けるによりて浮嶋となん名付たりと聞にも。をのづから神仙のすみかにもやあらん。いとゞおくゆかしくみゆ。

 影ひたす沼の入えにふしのねの煙も雲も浮嶋かはら

やがて此原につきて千本の松原といふ所あり。海の渚遠からず。松はるかに生わたりてみどりの陰きはもなし。沖には舟ども行ちがひて。木のはのうけるやうにみゆ。かの千株の松下雙峯寺。一葉の舟中萬里身とつくれるに。彼も是もはづれず。眺望いづくにもまさりたり。

 見渡せは千本の松の末遠みみとりにつゝく波のうへ哉

車返しと云里あり。或家にやどりたれば。網つきなどいとなむ賤しきもののすみかにや。夜のやどりありかことにして。床のさむしろもかけるばかりなり。かの縛戎人の夜半の旅ねも。かくやありけむとおぼゆ。

 是そこのつりする海士の苫庇いとふわりかや袖にのこらん

伊豆の國府にいたりぬれば。三嶋の社のみしめうちおがみ奉るに。松の嵐木ぐらくをとづれて。庭の氣色も神さびわたれり。此社は伊豫の國三嶋大明神をうつし奉ると聞にも。能因入道伊豫守實綱が命によりて歌よみて《金葉雜下 天河なはしろ水にせきくたせあまくたりますかみならはかみ》奉りけるに。《わくらはの御法に云沈麝のにほひ蘭薰のありかおもしろく庭上にみちみちて云々四十二物あらそひに云みめのわろきとありかとかつらきの神はよるともちきりけりしらすありかをつゝむならひは》炎旱の天よりあめにはかにふりて。枯たる稻葉もたちまちに綠にかへりける。あら人神の御なごりなれば。ゆふだすきかけまくもかしこくおぼゆ。

 せきかけし苗代水の流きて又あまくたる神そこの神

かぎりある道なればこの砌をも立出て猶ゆきすぐるほどに。筥根の山にもつきにけり。岩がねたかくかさなりて。駒もなづむばかり也。山のなかにいたりて水うみ廣くたゝへり。箱根の湖となづく。又蘆の海といふもあり。權現垂跡のもとゐけだかくたふとし。朱樓紫殿の雲にかさなれる粧ひ。唐家驪山宮かとおどろかれ。巖室石龕の波にのぞめるかげ。錢塘の水心寺ともいひつべし。うれしき便なれば。うき身の行衞しるべせさせ給へなどいのりて法施奉るついでに。

 今よりは思ひ亂し蘆の海の深きめくみを神にまかぜて

此山もこえおりて湯本と云所にとまりたれば。太山おろしはげしくうちしぐれて。谷川みなぎりまさり。岩瀨の波高くむせぶ。暢臥房のよるのきゝにもすぎたり。かの源氏物がたりの歌に淚もよほす瀧のをとかなといへる。《若紫 吹まよふ深山おろしに夢さめてなみたもよほすたきのをとかな》思ひよられてあはれなり。

 夫ならぬたのみはなきを古鄕の夢路ゆるさぬ瀧の音哉

此宿をもたちて鎌倉につく。日の夕つかた雨俄にふりて。みかさもとりあへぬほど也。いそぐ心にのみすゝめられて。大磯江嶋もろこしが原など聞ゆる所々をも見とゞむるひまもなくてうち過ぬるこそいと心ならずおぼゆれ。暮かゝるほどに下りつきぬれば。なにがしのいりとかやいふ所に。あやしの賤が庵をかりてとゞまりぬ。前は道にむかひて門なし。行人征馬すだれのもとにゆきちがひ。うしろは山ちかくして窓にのぞむ。鹿の音虫の聲かきのうへにいそがはし。旅店の都にことなるさまかはりて心すごし。かくしつゝあかしくらすほどに。つれもなぐさむやとて。和賀江のつき嶋。三浦のみさきなどいふ浦々を行てみれば。海上の眺望哀を催して。こしかたに名高く面白き所々にもをとらずおぼゆ。

 さひしさは過こしかたの浦々もひとつなかめの沖のつり舟

 玉よする三浦かさきの波まより出たる月の影のさやけさ

抑かまくらのはじめを申せば。故右大將賴朝家と聞え給ふ。水の尾の御門淸和の九の世のはつえをたけき人にうけたり。さりにし治承高倉すゑ安德にあたりて。義兵をあげて朝敵をなびかすより。恩賞しきりに隴山の跡をつぎて。將軍のめしをえたり。營館をこの所にしめ。佛神をそのみぎりにあがめ奉るよりこのかた。今繁昌の地となれり。中にも鶴岡の若宮は。松栢のみどりいよしげく。蘋蘩のそなへかくることなし。陪從をさだめて四季の御かぐらをこたらず。職掌に仰て八月の放生會ををこなはる。崇神のいつくしみ本社にかはらずと聞ゆ。二階堂はことにすぐれたる寺也。鳳の甍日にかゝやき。鳧の鐘霜にひゞき。樓臺の莊嚴よりはじめて林池のありとにいたるまで殊に心とまりてみゆ。大御堂ときこゆるは。石巖のきびしきをきりて。道場のあらたなるをひらきしより。禪僧庵をならぶ。月をのづから祇宗の觀をとぶらひ。行法座をかさね。風とこしなへに金磬のひゞきをさそふ。しかのみならず。代々の將軍以下つくりそへられたる松の社蓬の寺まちまちにこれおほし。そのほか由比の浦と云所に阿彌陀佛の大佛をつくり奉るよしかたる人あり。やがていざなひてまいりたれば。たふとくありがたし。事のおこりをたづぬるに。本は遠江の國の入定光上人といふものあり。過に延應四條の比より關東のたかきいやしきをすすめて。佛像をつくり堂舍を建たり。その功すでに三か二にをよぶ。烏瑟たかくあらはれて半天の雲にいり。白毫あらたにみがきて滿月の光りをかゞやかす。佛はすなはち兩三年の功すみやかになり。堂は又十二樓のかまへ望むにたかし。彼東大寺の本尊は聖武三十五代天皇の製作金銅十丈餘の盧舍那佛なり。天竺震旦にもたぐひなき佛像とこそきこゆれ。此阿彌陀は八丈の御長なれば。かの大佛のなかばよりもすぐめり。金銅木像のかはりめこそあれども。末代にとりてはこれも不思議といひつべし。佛法東漸の砌にあたりて。權化力をくはふるかとありがたくおぼゆ。かやうのことどもを見聞にも。心とまらずしもはなけれども。文にもくらく武にもかけて。つゐにすみはつべきよすがもなきかずならぬ身なれば。日をふるまゝにはたゞ都のみぞこひしき。歸べきほどとおもひしもむなしく過行て。秋より冬にもなりぬ。蘇武が漢を別し十九年の旅の愁。李陵が胡にいりし三千里のみちの思ひ身にしらるる心ちす。聞なれし虫の音もやゝよはりはてて。松ふく峯のあらしのみぞいとゞはげしくなりまされる。懷古のこゝろに催されて。つくづくと都のかたをながめやる折しも。一行の鴈がね空に消ゆくも哀なり。

 かへるへき春をたのむの鴈かねもなきてや旅の空に出にし

かゝるほどに神無月の廿日あまりの比。はからざるにとみの事ありて都へかへるべきになりぬ。其こゝろのうち水ぐきのあとにもかきながしがたし。錦をきるさかひはもとよりのぞむ處にあらねども。故鄕にかへるよろこびは朱買臣にあひにたるこゝちす。

 故鄕へ歸る山ちのこからしにおもはぬほかの錦をやきむ

十月廿三日の曉。すでに鎌倉をたちて都へおもむくに。宿の障子に書付。

 なれぬれは都を急く今朝なれとさすかなこりのおしき宿哉


右東關紀行上木行于世之本稱鴨長明所著今據夫木抄所載從古本定爲源親行作比校已了

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