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  • て御意に不応と云ふ事なし。時に依りて御意を返す事もありけれ共、猶御機嫌に応じけり。抑此の佃源太左衛門は、伊勢の六根と云ふ所にて、昔織田信雄卿に仕へ申す佃治部と云ふ者の子也。伯父は岩城の内藤帯刀殿に居住す。源太郎と申す時、利長公へ大橋九郎兵衛寄子にて、御鷹師に被召置、十八石被下、越中へ御隠居の時分迄御…
    177バイト (11,398 語) - 2024年2月3日 (土) 17:31
  • 源太・長井忠左衛門・林主水三騎、手勢を率して追懸け、城田寺の渡場に於て、主水・忠左衛門飛懸りて組んで追伏せ、終に林主水、道三が首を討取り畢。【道三討たる】忠左衛門は、後の証拠とて道三が鼻を殺ぎて持帰り、扨長良の河原に於て、義龍の実検にかけ、後首をば、長良の辺にかけたりけるを、小牧源太
    177バイト (10,482 語) - 2024年2月13日 (火) 16:17
  •  ここに平等(びやうどう)院のうしとら、橘(たちばな)の小島が崎(さき)より、武者二騎、引つ駈(か)け引つ駈け出で來たり。一騎は梶原(かぢはら)の源太景季(かげすゑ)、一騎は佐々木の四郎高綱(たかつな)なり。人目には何とも見えざりけれど、内々先を爭ひけん、梶原は、佐々木に四五間ばかり進みたり。佐々木、…
    10キロバイト (1,950 語) - 2015年7月28日 (火) 03:01
  • 神戸金太夫 千福権之介 田辺助太夫 寺西十蔵 小塚源左衛門 滝左源太 岡田伝左衛門 大井主馬 渡瀬弥次右衛門 石黒新十郎 大窪助之進 井上権左衛門 土肥庄兵衛 小林庄兵衛 小嶋八兵衛 河合伝次 笠間伝兵衛 窪田九郎兵衛 堀三郎兵衛 村田喜太郎 河口弥次右衛門 小幡民部 由比善右衛門 原治部 西村蔵人 堀勘兵衛…
    177バイト (10,135 語) - 2024年2月3日 (土) 17:29
  • ← 分冊8 浮世の有様/2 編者:矢野太郎 大正六年 1917年 『浮世の有様』(うきよのありさま)は、文化3年(1806)から弘化3年(1846)までの見聞録、全13巻17冊である。ただし、ここで底本とした国史研究会版『浮世の有様』は文化3年(1806)から天保14年(1843)6月の第10巻前半…
    85バイト (12,838 語) - 2024年3月24日 (日) 09:35
  • 、右近殿御人用相渡し事済みにけり。同暮に至りて右近殿より佃源太左衛門方へ、其の時の作事奉行山岡市兵衛を御使者として時服一重に肴を添へて被送。年寄られ、遠路の所毎日暁より暮へかけて通ひ被申、早速出来悦の旨口上あり。佃に其の由申入るゝ所に、源太左衛門承り、此の拙者何方より何を請けたる事やある。夫は犬千…
    177バイト (6,654 語) - 2024年2月3日 (土) 17:30
  • 分冊1 → 浮世の有様/4 編者:矢野太郎 大正六年 1917年 『浮世の有様』(うきよのありさま)は、文化3年(1806)から弘化3年(1846)までの見聞録、全13巻17冊である。ただし、ここで底本とした国史研究会版『浮世の有様』は文化3年(1806)から天保14年(1843)6月の第10巻前半…
    6キロバイト (3,073 語) - 2024年5月11日 (土) 16:52
  • 源太道家・長井忠左衛門通勝・林主水道政、追懸けて攻伏せ、道三の首を、道政討取り、【道三討たる】後の証拠として、忠左衛門、道三の首の鼻をそいたりけり。義龍、実検畢り、長良川の辺に捨てたりしを、小牧源太、土中に葬る。今に斎藤塚といふは是なり。此源太
    3キロバイト (22,427 語) - 2024年2月13日 (火) 15:59
  • 供也。是は橋の落懸りし時渡り済まし、其の後に橋落ちて残る者足ずりして居たりけり。宿札は両人参りて、武本三七・古市左近・河口長太郎・別所三平・竹田市三郎は面々に宿札打ち、佃源太左衛門・白井半平に異風衆・射手衆打込み、其の外夫々に一軒に十人計宛打入れ、其の外は野陣にて何れも外に伏しにけり。七つより天気晴上り、御本陣に入らせ給ひけり。…
    177バイト (7,767 語) - 2024年2月3日 (土) 17:30
  •   大桑城の事   【大桑城】山県郡大桑の城は、伊予守源頼義の三男、新羅三郎常陸介義光の子、逸見太郎義清、其子逸見黒源太清光、其子光長、其子逸見判官基義四代の孫、逸見又太郎義重、重氏、〈一に作㆓重氏㆒〉承久の勲功に依つて、当郷を始めて賜はりてより、其子又三郎義光相伝へて、大桑又三郎と…
    177バイト (9,597 語) - 2024年2月13日 (火) 16:19
  • 、訳のないことでござりまする。例えば、貴船作太郎の如き、仰せつけなさらば、否みは、致しますまい」 「聞いておく。御苦労であった」  左源太は、不機嫌であった。 「手前、近頃考えまするに、善悪不二、大道無門」 「そういう講釈は後日、ゆるりと聞こう」  左源太は、怒ったように、さっと、立上った。そして 「御暇申しまする」…
    1.47メガバイト (284,070 語) - 2023年11月2日 (木) 05:59
  • 同 岡田出来蔵〈右同断〉 同 井上利右衛門〈右同断〉 同 山口長左衛門〈右同断〉 同 西松又太郎〈右同断〉 同 丹羽新助〈右同断〉 同 赤堀左源太〈右同断〉【 NDLJP:229】同 金田三十郎〈右同断〉 番頭二人河合孫一郎  同 淵田伊三郎〈右二人上下八十人具足〉 目附豊田権左衛門〈但し卅人小頭一人具足〉中目附岡部次兵衛〈具足上下五人〉 同 萩原兵作…
    85バイト (12,931 語) - 2024年3月24日 (日) 09:48
  • 生害マシ〳〵ヌ義豊公ニハ悪名ヲ蒙ラセ給ヒ終ニハ滅亡サセ申事中里源太三浦半四郎抔ニ天魔ノ精カ入替リ罪ナキ叔父君ヲ殺サセ奉ルハ則其御身ヲ亡ス基ナリ此罪争カ遁ルヘケンヤ頓テ見ヨヤ亡ヘシト上下私語アヘリケリ   第四代義豊公   第四代里見太郎義豊公ハ義通公ノ長子ニテ御座シケル七歳ニシテ父上逝去アリシ時十…
    44バイト (17,322 語) - 2024年4月19日 (金) 07:03
  • 間原覚右衛門、〈同断〉。同岡田出来蔵、〈同断〉。同西松五太郎、 〈同断〉。同丹羽新助、〈同断〉。同赤堀左源太、〈同断〉。同重田三十郎、〈同断〉。同井上理左衛門、〈同断〉。同山口長左衛門、〈同断〉。番頭河合孫一郎、上下八十人・具足・淵田伊三郎。目附黒田権左衛門、組三十人・小頭一人・具足。中目附岡部順…
    85バイト (16,974 語) - 2024年3月24日 (日) 10:35
  • 大野郡揖斐の城主〈一万貫、実は守政房の五男なり〉揖斐周防守光親 当家の元祖は、明智下野守の舎弟にして、連枝の家柄と申して、明智の家に差続ぐ一家たり。 恵那郡原の城主〈実は明智駿河守の四男なり〉 原紀伊守光広〈天文・弘治・永禄の頃の人なり〉同子隠岐守久頼 当家の元祖は、土岐光定の子隠岐孫太郎
    177バイト (7,687 語) - 2024年2月13日 (火) 16:24
  • ← 巻第十 巻第十二 → 太平記 巻第十一 第十一 83 五大院右衛門宗繁賺相摸太郎事 義貞已に鎌倉を定て、其威遠近に振ひしかば、東八箇国の大名・高家、手を束ね膝を不屈と云者なし。多日属随て忠を憑む人だにも如此。況や只今まで平氏の恩顧に順て、敵陣に在つる者共、生甲斐なき命を続ん為に、所縁に属し降人に…
    39キロバイト (9,646 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • 家康果報の儀少々の籔神はかんがへなりかね申さんと高坂がいへば馬場美濃誓文をたて我等もそれなりと云ふ内藤修理も同誓文にて右の通りなり 或時小笠原慶安斎へ宿老衆振舞によりあふて口すさびの物がたり是れなり、その身衆は馬場美濃守真田源太左衛門丞、内藤修理正、山県三郎兵衛尉、保科弾正忠、同兵部介、高坂弾正…
    188バイト (19,430 語) - 2024年2月2日 (金) 18:11
  • 源太政景と名付けらる。道誉に悦び、彼孕みたる時の告共を語りける。扨こそ源太が再来どぞ、人皆知つたりける。其後輝虎管領になりし時、又源太に太刀を持たせけり。父母愛子なり。家人ども、惣領の源五郎より之をもてなしける。此源太
    3キロバイト (70,791 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • まつはらにて、守護のげさむにいりて、当国一番にひきつけにつく、鹿島(シカノシマ)にさしつかはすてのもの、同日巳刻に合戦をいたし、親類野中太郎、〈なかすゑ〉郎従藤源太〈すけみつ〉いたでをかふり、のりむま二疋ころされし証人に、豊後国御家人はしつめの兵衛次郎をたつ、土佐房道戒うちぢにの証人には、盛宗の御て…
    47バイト (6,213 語) - 2024年4月5日 (金) 23:07
  • といふは、其先祖清和源氏として、摂津守頼光の舎弟大和守頼親の三男、福田次郎頼遠の末流なり。頼遠の子柳津源太有光、其子石川四郎光家・其子石川太郎光盛、其子河尻五郎光兼、其子河尻修理亮助廉・其子同太郎助光・其子又次郎俊助・其子河尻孫次郎俊光・是より十一代の後裔、肥前守重遠なりと云々。此度岩村に住し、五…
    177バイト (10,267 語) - 2024年2月13日 (火) 16:21
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