竹崎五郎絵詞

 
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竹崎五郎絵詞 一名蒙古襲来絵巻物の詞書
 
​十月二十日​​ ​おきのはまに、ぐんひやう、そのかずをしらすうちたつ、すゑなかゝ一もんの人々、あまたあるなかに、ゑたの又太郎ひていゑ、ことに申うけ給はるによりて、かふとをきかへて、これをしるしにて、あひたかひに、みつぐべきよしを申すところに、いそ​きカ​​く​​ ​あかさかにちんをとるにつきて、一もんの人々あひむかふに、たいしやうぐんだざいのせうに、三郎さへもんかけすけゝのた郎二郎すけしげをもて、ゑたの又太郎ひていゑのもとに、げんざんにいり候し時、一しよにてかせん候べきよし申候き、あかさかはむまのたちわろく候、これにひかへ候はゝ、さだめてよせきたり候はんずらん、一とうにかけて、をものいにいるべきよし申さるゝにつきて、けんじちのやくそくをたかへしとて、をのひかへしあひだ、たいしやうをあひまたば、いくさをそかるべきほどに、一もんのなかにて、すゑながひごのくにのさきをかけ候はんと申て、うちいつ、〔此処に絵あり〕

はかたのぢんをうちいで、ひごのくにゝゑ□□□ □一はんとぞんし、すみよしのとり井の​まゑをイ​​口口​​ ​すき、こまつはらをうちとをりて、あかさかには​せむイ​​□□​​ ​かふところに、あしげなるむまに、むらさきさかおもたかのよろひに、くれなひのほろかけたるむしや、そのせい百よきばかりとみ​えイ​​へ​​ ​て、けうとのちんを​かけやふイ​​□□□​​ ​り、そくとをひおとして、くび二たちとなぎなたのさきにつらぬきて、さうにもたせて、ま​こイ​​□​​ ​とゆゝしくみへしに、たれにてわたらせ給候ぞ、すゞしくこそ見え候へと申に、ひごのくにきくちの​一イ​​二​​ ​郎たけふさと申ものに候、かくおほせられ候は、たれぞとゝふ、おなじきうち、たけさきの五郎ひやうゑすゑなかかけ候、御らん候へと申てはせむかふ、〔絵〕

たけふさに、けふとあかさかのじんをかけおとされて、ふたてになりて、おほぜいは、すそはらにむきてひく、こぜいはへ​ほイ​​ふ​​ ​のつかはらへひく、つかはらよりとりかひのしほひかたを、おほぜいになりあはむとひくを、​をかくイ​​おかゝ​​ ​るに、むまひがたにはせたはして、そのかたきをのはす、けうとはすそはらにちんをとりて、いろのはたをたてならべて、らんじやうひまなくして、ひしめきあふ、すゑなかはせむかふを、とうけんだすけみつ申す、御かたはつゝき候らん、御まち候て、せう人をたてゝ御かせん候へと申を、きうせんのみち、さきをもてしやうとす、たゝかけよとて、をめいてかく、けうとすそはらより、とりかいかたの、しほやのまつのもとにむけあはせて、かせんす、一ばんにはたさし、むまをいられて、はねをとさる、すゑなかいげ、三きいたでをひ、むまいられてはねしところに、ひせんのくにの御けにん、しろいしの六郎みちやす、ごちんより大せいにてかけしに、もふこのいくさ、ひきしりそきて、すそは​しイ​​ら​​ ​にあがる、馬もいられすして、ゐてきのなかにかけいり、みちやすつゞかざりせは、しぬべかりしみなり、おもひのほかに、ぞんめいして、たかひにせう人にたつ、ちくごのくにの御けにん、みつとも​のイ​​○​​ ​又二郎くびのほねをゐとをさる、おなじくせう人にたつ、〔絵〕

関東へ参せむとするに、しゆゑの御房御とゝめありしを、のほるによて、御不審をかふるを、御とゝめあらむために、一旦の仰にてぞあらむすらん、さだめて用途い給はむずらむと、ふかく身をたのみて、同六月三日うの時、竹崎をたてのぼるに、いよ不審ふかくなるにつきて、うちのものども、一人もうちおくりすオープンアクセス NDLJP:354るものだにもなかりし程に、ふかく恨をなし奉りて、仲間弥二郎又二郎二人ばかり、あひくしてのほる、用途には馬くらをうりたりしばかりなり、今度上聞に不達は、出家してながく立帰ることあるまじと思ひしほどに、熊野先達を、かの法眼けうしむのもとに打寄て、御祈精候べしと申さむとおもひしを、見参せば、はなむけなどもあらんずらむ、これより御布施をまいらせてこそ、いのりにはなるべきあいだ、わづかなる用途一結、使者をもてまいらせて、よく御きせい候へしと申て、うちとをりて関につく、時の守護三井新左衛門季成、ゑぼうしをやたりしにつきて、見参せし遊君どもをめして、なごりををしみ、海道にめされ候へとて、かはらげなるこまに、ようとうあひそへて、はなむけにせらる、八月十日、伊豆国三島大明神にまいりて、かたのごとく御布施をまいらせ、一心にゆみやのいのりを申、同十一日、はこねの権現にまいりて、御布施をまいらせて、信心をいたし、きせい申、〔絵〕同十二日、かまくらにつく、三島のしやうしむをとおして、ゆいのはまにて、しほゆかきやとに​もイ​​て​​ ​つかで、すくに八幡にまいりて、御布施をまいらせて、一心に弓箭のきせいを申す、〔絵〕かたふきやうにつきて申すといへとも、ちうげん一人ばかりあひくして、わうしやくのありさまたるゆへに、ぜひげんざんにいるゝ、ぶきやうなかりしあひた、しむめいのかごならずよりほかは、申たつへしともおほえざりし程に、又八まんにまいりて、一しんにきせいをいたし、おなしき十月三日、ときの御​せイ​​を​​ ​んぶきやうあきたのじやうのすけどの、やすもりの御まへにて、て (衍イ)いちう申事、

ひごのくにの御けにん、たけさきの五郎ひやうへすゑなが申あけ候、きよねん十月廿日もうこかせんの時、はこさきのつにあひむかひ候しところに、ぞくとはかたにせめいり候とうけ給はり候しをもて、はかたにはせむかひ候しに、〈[#以下の挿絵は挿入箇所不明]〉

​四イ​​日​​ ​のたいしやうだざいのせうに三らうさゑもん、〈かけすけ〉はかたのおきのはまをあひかためて、一とうにかせん候べしと、しきりに​あひイ​​○​​ ​ふれられ候しによて、すゑながゝ一もん、そのほかに(衍イ)たいりやくぎんをかため候なかをいで候て、かけすけのまへにうちむかひて、ほん所​にイ​​そ​​ ​たつし候はぬあいた、わかたうあひそひ候はず、わづかに五き候、これをもて御まへのかせん、かたきをおとして、げんざんにいるべきぶんに候はず、すゝんてげんざんにいるよりほかは、ごするところなきものに候、さきをかけ候よし、君のげんざんに御いれ候べきむね申候しに、かけすゑもぞんめいすべしとは、あいそんし候はねとも、もしぞんめいつかまつり候はゝ、げんざんにいれ申べく候と候しをうけ給て、はかたのぢんをうちいで、とりひかのしほひかたに、はせむかひ候て、さきをし候て、かせんをいたし、はたさしのむま、おなしきのりむまをいころされ、すゑなが三​のイ​​井三​​ ​郎わかたう一人三き、いたでをかうむり、ひせんのくにの御けにんしろいしの六郎〈みちやす〉せう人にたて候て、かけすけのひ​かイ​​き​​ ​つけに一ばんにつき候し事、御ちうしんにもまかりいり、かきくたしの状にも、のせられ候べきむね、つねすけへ申候ところに、さきの一だんはし​さイ​​た​​ ​いを申あけ候て、おほせにしたがて申へく候と候て、さしおかれ候て、君のげんざんにいらず候事、きうせんのめんぼくをうしなひ候と申に、じやうのすけどの、つねすけちうしん申てや候つらオープンアクセス NDLJP:355む、いらずとは御ちうしんのぶん御ぞんち候かとおほせありしに、いかてかぞんちつかまつり候べきと申に、御ぞんち候とこそきこへ候へ、ぞんち候はでは、​ほかイ​​ふそく​​ ​のよしをばいかて御申候ぞとうけたまはるに、つねすけ申候しごとくは、さきの一だんはしさいを申あげて、おほせにしたかて、をて申べく候と候へしうゑ、かきくだしは御ちうしんのぶんをかきいだされ候とうけ給はり候をもて、さきの事御ちうしんにあひもれ候とおほえ候と申時、かきくだしをとりて、一けんありて、ぶんどりうちじにの候かと、御たづねかうふるに、うちじにぶんどりは候はずと申に、候はては、かせんのちうをいたし、くゐでんきずをかふらせ給候とみへ候うへは、なんのふそくか候べきとおほせありしに、さきをし候て、一ばんにつき候しを、御ちうしんにいり候はで、げんざんにまかりいらず候ぶんをこそ申候へ、せんし候ところ、御ふしんあいのこり候はゝ、かけすけへ御けうそをもて御たつねをかうぶり候はんに、申あげ候さきの事、きよだんのよしきしやうもんにて申され候はゝ、ぐんこうをすてられ候て、くびをめさるべく候と申に、御けうその事は、ひかけ候はぬほどに御申候とも、なるまじき事に候とおほせありしに、ひかけ候べしともおほえす候と申に、ぞんちせぬ事こそ候へ、さやう等御ぞんち候うへは、御申あるべきに候はすとうけ給るに、しよむさうろんの事にても候、ほんてうのかせんにても候はゞ、ひかけうけ給はらで、申あぐへく候か、いこくかせんにつき候て、ひかけ候へともおぼへす候、ひかけ候はぬによて、御たづねをかうむらず候て、君のげんざんにまかりいらせ候はん事、きうせんのいさみ、なにをもてかつかまつり候へきと申すに、おほせはさる事にて候へとも、御さたのはう、ひかけ候はでは、御申候ともなるまじき事に候とうけ給るに、かさねて申あげ候事、おそれいり候へども、ぢきにくゑんしやうをかふり候はんと申そせう​にイタ​​○​​ ​候はす、さきをし候し事、御たつねをかうふて、きよだんを申あげ候はゝ、ぐんこうをすてられ候て、くびをめさるべく候、じつしやうに候はゝ、げんざんにまかりいり候て、かせんのいさみをなし候はん、申あげ候でうさしおかれ候はん事、しやうせ□ なけき、なに事かこれにすぎ候はんと、さいさん申時、御かせんの事うけたまはり候ぬ、げんざんにいれ申へく候、さくゑんしやうにおきては、さうい候はじとおほへ候、いそぎくにへげかう候て、かさねてちうをいたされ候べしと、おほせをかふるに、君のげさんにまかりいり候はむにおき候ては、おほせにしたかてまかりくだるべく候ところに、ほん​にイ​​そ​​ ​候、たつし候はて、むそくのみに候ほとに、さいしよいづくに候べしともおほへす候、てにつき候はゝかへり候はむと申候、したしきものともは候へとも、なまじいにころはたをさゝむとつかまつり候によて、ふちするものも候はぬほどに、いつくに候て​二イ​​こ​​ ​日の御大事をあいまつべしともおほへず候と申すにさやうに候はんには、なんぢの御事にこそ候なれとあて、やまのうちどのよりいそぎまいるへきおほせに候、御かせんの事は、なをうけ給るへく候とてさんぜらる、

〔絵〕同四日、あまなはのたちにさんずるに、ひぜんのくにの御けにんなかのゝとう二郎こきりものにて、めしつかはれしが、すゑなかにたいめんして、きのふ□(御イ)ていちう □(候イ)​がイ​​ると​​ ​ゝふに、かた御ふきやうに申候へとも、とり申されす候をもて、ぢきに申オープンアクセス NDLJP:356あげて候と申に、御うちのしかるべき人々あまた候しなかにて、御ていちうのしだいおほせいだされ候て、さきをし候し事、三郎さゑもんにたつ□​らイ​​□​​ ​ばんに、きよだんを申あげは、くんこうをすてられて、くびをめさるべしと申す、きいのこはものなと、たまむらにおほせ候て、 (たまむらのうまの太郎やすきよ也)​二イ​​□​​ ​日の御大事にもかけつとおぼゆると、御ものかたりの候し、御めんぼくのおほせに候程に、いまだげんざんにいらず候へとも、つくしの人はなつかしく思ひまゐらせ候て申候、さだめて御くしんさやうは候ぬとおぼへ候と、つげしられしをもて、それよりつねに申うけ給り候き、同十一月一日、八はんにまいりて、ひつしの時ばかりさんするに、たまむらのむまの太郎、〈やすきよ〉をもて、すゑなか一人うちのげんざんところにめされて、かみより御か​せイ​​を​​ ​んのちうしやうに、御りやうはいりやうの御くだしぶみまいらすべきおほせにて、これ□□とめされしにさんじて、いまふたまおきてつしんで、やすきよにめをきとみあはせて、御くだしぶみを給て、すゑなかにとらすべきよしするに、やすきよまいるを、ぢきにしんずべきおほせにて候、これへとかさねてめされしに、まいりて御くだしぶみを給りて、つゝしんで候ところに、やかて御くたり候かとおほせかうふるに、くだるべきよしを申さは、ぐんこうを給はらんために、さきの事は申けりとおぼしめされんずらんとぞんじて申あけ候、さきの事君のげんざんにまかりいり候て、くゑんしやうにあづかり候はゝ、よをもて日につぎ、まかりくだり候て、御大事をあいまつべく候、そのぎなく候はゝ、かけすけへさきの事御たづねをかうふるべきむね申あぐべく候と申すに、ひろう申候しによて、御ふんの御くだしぶみは、ぢきにしんずべきおほせに候、いま百二十よ人のくゑんしやうは、さいふにおほせくだされ候と、おほせをかうふりしに、さきの事げんざんにまかりいり候はゝ、いそきげかうつかまつり候て、かさねてちうをいたすべく候と申時、むまぐそくしんじ候はん事、いかやうに候なんと、おほせをかうふる、めんぼくきはまりなきをもて、ぜひを申におよばず、いよつしんで候ところに、くろくりげなるむまに、こともえのくらおきて、れんじやくのしりがいに、しんせいくつはをはけて、むまやのべつたうさえた五郎をもて、これを給はる、十一月一日、ひつしの時はかり也、〔絵〕

(以下一本無)人々おほしといへども、きくちの二(次一)〈たけふさ〉文永の合戦に、なをあげしをもて、たけふさのかためし役所の石つい地のまへにうちむかて(季長)、将軍の兵船は、ほばしらを白くきにぬりて、しる​く一​​し​​ ​候とうけ給候、​を一​​お​​ ​しむかてひとやい候て、君のげざんにまかり入候はむために、あひむかひ候、御存命候はゝ、御披露候へといひてうちとをる、〔絵〕

同五日、関東の御つかいかうたの五郎、〈とをとし〉あむとうの左衛門二郎〈しけつな〉払暁にはせきたりしに、季長ゆきむかて、海上をへたて候あいた、ふね候はで、御大事にもれ候ぬとおほえ候と申に、かうたの五郎、兵船候はではちからなき御事にこそ候へと申ところに、肥前国の御家人、〈其名わする〉たかしま(鷹島)のにしの浦より、われ(破)のこり候ふねに、賊徒あまたこみのり候を、はらひのけて、しかるべきものともとおほへ候のせて、はやにげかへり候と申に、季長、おほせのことく、はらひのけ候は、歩兵とおぼえ候、ふねにのせ候はよきものにてぞ候覧、これを一人もうちとゞめたくこそ候へと申に、かうたの五郎、異賊オープンアクセス NDLJP:357はやにけかへり候と申候、せいをさしむけたく候と、少弐殿へ申べしとて、使者をつかはすに、肥後国たくまの別当次郎〈ときひて〉大野小次郎〈くにたじゃ〉そのほか、兵船まはしたりし人々をひかゝるといへとも、季長が兵船いまたまはらさりし程に、せんはうをうしなひしところに、連銭の旗たてたる大船おしきたりしを、かうたの五郎、城次郎(盛宗)殿の旗とおぼゆる、ゆきむかて見よとて、使者をつかはす、このふねにのりて、おきのふねにのらむと、まへをたてつかひのふねにのらむとせしに、のせさ​りし一​​る​​ ​をもて、守護(盛宗)の御ての物に候、御兵船まはり候はゝ、のりて合戦すべしと、おほせをかふりて候と申に、のせられて、おきのふねにのりうつるに、こたへの兵部房、めしの御ふねに候、御ての人よりほかはのすまじく候、おろしまいらせよと申て、ふもべをもて、せきおろさんとするを、君の御大事にたち候はむためにまかりの​无イ​​ぼ​​ ​り候を、むなしくうみにせきいれられ候はむ事、そのせむなく候、はし船を給候て、おり候はむと申に、おるべきよしおほせらる​无イ​​ゝ​​ ​​へ一​​ゑ​​ ​は、狼藉なせそと申に、物どものきしひまに、かのふねにのる、〔絵〕

ある日六日払暁に、かうたの五郎のかりやかたにゆきむかて、合戦の事条々申に、おほせいせむにうけ給て候、せむの御合戦も相違候はじとおほえ候、自船候はで、一致(度イ)ならず、かり事のみおほせ候て、ふねにめされ候て、御大事にあはせ給候御事は、大まうあくの人に候と○(□ー)上のけさむに入まいらせ候べく候、式部房証人の事はうけ給候ぬ、御尋候はゝ申へく候とありしによて、かさねてせう人にこれをたつ、○(□ー)〔絵〕

して一所に合戦候へしとおほせに候、御ふねをよせられ候へと申に、たかまさかぶとをぬぎ、かしこまてをしよすといへとも、のるべきやうなかりしをもて、甚深しん(季長)におほせつけらるべき事の候、ちかくふねをそへられ候へと申に、たかまさちかくをしよせて見て、守護はめされけにも候はす、ふねをのけよと申に、ちからなくて、おほせのごとく守護はめされ候はず、このふねをそく候によて、申うけてのり候はむために申て候と申に、つもり殿同船し候て、ところなく候とて、いよのけしあひた、せんかたなくて、手をすりてしかるべく候はゝ、一身ばかりのせられ候へと申に、戦場のみちならでは、何事にかたかま​さイ​​○​​ ​にあひて、こんはう候べき、めされ候へとて、ふね​无イ​​を​​ ​おしよせしりにのりうつるを、わかたうこれをみて、すてられしとなげきあへりといへとも、季長こんはうしてのるうへは、わかたうをのするにをよばす、弓箭のみち​无イ​​を​​ ​すゝむをもてしやうとす、よて手の物一人もあひ​くタ​​てせ​​ ​ず、たゝ一人はかりあひむかふ、かぶとはわかたうにあられしかために、もろさねにもたせて、ほんふねに​を一​​お​​ ​きしほどに、すねあてをはづしてむすひあはせて、かふとにせしとき、たかまさに、いのち​无イ​​を​​ ​おしみてし​か一​​候​​ ​とおほしめさるまじく候、敵船にのりうつり候までと存候てし候、ふねちかづき候へは、くまでをかけて、いけどりにし候とうけ給候、いけどられ候て、異国へわたり候はむ事、しにて候はむにはおとるべく候、くまでにかけられ候はゝ、くさずりのはづれをきりて給候へと申に、たか​まイ​​ふ​​ ​さふかくつかまつりて候、野中とのはかりはのせたてまつるべく候つる物をと申て、みちかくありしわか​と一​​た​​ ​うのきたりし、こさくらをきにかへしたるかぶとをぬかせて、めされ候へとて、​あたへしを一​​之ゝを​​ ​給候御事よろこひ入候へとも、かぶとをきられ候はオープンアクセス NDLJP:358で、うたれ給候なは、季長ゆへに候と、妻子のなげかれ候はむ事、身のいたみに候、給ましく候と申を、かさねてめされ候へとありしに、ちかことをたてヽ申時、御せいしやうのうへは、ぬしにきよとてとらす、いますこしも身をかるくして、賊船にのりうつらむために、おひたりしそやをときすてゝ、ひたへゝ○(□一)陳におしよ​无イ​​せ​​ ​て、合戦をいたし、きずをかふり​しイ​​□​​ ​〈ひさなか〉のての物、信濃国の御家人あ○かさのいや二(次一)〈よしなか〉ひさなかのをいしきぶの三郎のての物いはや四郎、〈ひさちか〉はたけやまのかくあみたふ、ほんたの四郎さゑもんかねふさ、これをせう人にたつ、頼承ておい(手負)てのち、ゆみをすて、なぎなたをとりて、をしよせよ、のりうつらむとはやりしかとも、これ​も一​​○​​ ​水手ろをすてをさゞりしほどに、ちからなくのりうつらざりしものなり、同日むまの時、季長ならびにての物きず​无イ​​を​​ ​かふるものとも、いきのまつはらにて、守護のげさむにいりて、当国一番にひきつけにつく、鹿島シカノシマにさしつかはすてのもの、同日巳刻に合戦をいたし、親類野中太郎、〈なかすゑ〉郎従藤源太〈すけみつ〉いたでをかふり、のりむま二疋ころされし証人に、豊後国御家人はしつめの兵衛次郎をたつ、土佐房道戒うちぢにの証人には、盛宗の御ての人たまむらの三郎盛清をたて、げさんに入て、同御ひきつけにつく、

(此条一本無)□すもり御事、口の人是をかんし申、□よそ​しけんしようにあイ​​□□□□□□□​​ ​つかる人​百二十イ​​□□□​​ ​余人なりといへとも、ちきに御下文を給はり、御むまを給はる事、たゝ季長一人ばかりなり、弓箭の面目ををほと□事、なに事かこれに​しかむふんゑいイ​​□□□□□□□​​ ​をたす​かイ​​□​​ ​すは、いかてかこのめ□にとゝむへきや、向後も又々□君の御大事あらん時は、最前にさきをかくへきなり、これをけふのことすへし、

  永仁元年二月九日

一関東へまいりし時、御むさうのつけによて、□年五月廿三日

佐大明神にはしめ□給てひかしのさくらのゑたに、御ゐあてをかまれさせ給し御事、関東海東おなしもんしなり、よて海東を給はるへき□四はらに□ひかしのさくらに御ゐあ□のとくを□くゆみに□海東に入部して、きうせんのとくをほとこさん、□にさくらには御ゐありけりとこれしる、そのゆゑは、同十一月一日、御くたしふみを給はりて、あくる正月四日たけさきにつく□海東​にタ​​の​​ ​入部□とをかねて、御し□に御ゐありたるを□て、こにちにおもひあはするによて、口神のめてたき御事を申さんために、これをしるしまいらす、

  永仁元年歳次二月□


 以鳥海叢書所載一本一校了              近藤瓶城

 明治三十四年十一月以帝国大学史料編纂掛本再校了   近藤圭造

 
 

この著作物は、1901年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)80年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


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