慶長見聞集
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【 NDLJP:6】緒言 慶長見聞集は、一名江戸物語といふ。三浦浄心の随筆にして、専ら江戸の雑事を記す。当時の人情風俗を窺ふ唯一の史料たり。見聞集もと三十二巻ありしが、其の中、後北条氏に関するものを抜きて、北条五代記と名づけ、遊女歌舞伎に係るものを抄して、そゞろ物語と名づけ、甲陽軍鑑等を【 NDLJP:7】評論せる部分を集めて見聞軍抄と名づけ、各上梓して世に行はる。而して本書のみは未だ刊行せられざりしなり。されば世に伝ふるもの、いづれも伝写の誤脱夥くして、通じ難きところの尠からざるは遺憾なり。浄心は北条氏政の臣にして、三浦五郎左衛門尉茂正と称す。北条氏滅亡後、江戸に住して著作に従ふ。晩年天海僧正に帰依し、入道して浄心と号す。正保元年八十歳にて逝く。
大正元年八月一日
古谷知新識
【 NDLJP:246】慶長見聞集序 武陽とよしまのかたはらに、はふれたるひとりの翁あり。ある夜のねざめに思ひ出て、我永禄八乙丑の年生れしよりこのかた、慶長十九ことし迄、世上のうつりかはれる事どもをかぞふるに、御門御即位三代年号改元五度、武将あらたにそなはり給ふ事十代、其内愚老五十をへぬ。誰かこれをよろこばざらん。しかはあれども、是ぞと思ふ思ひ出はさらに一つもなし。うき世の望みあらましになし侍ること、誰も身はあはれなるさかひ成べし。其上有為のならひきのふ生れしもむなしくなり、けふ言葉をかはす人あすをしらぬあだなる命とはいつしかわきまふべき。世は澆季たりといへども、かしこき人は三教をもつばらとし給へり。かゝる目出度時にあひ、身のおこなひもなく、いたづらに星霜を送り来【 NDLJP:247】ぬるのおろかさよ。されどもいんじをばとがめずとなれば、昔の是非をとがめて益なし。是昔なればなり。きのふはけふの昔、けふはあすのむかしといへり。予が見聞たりしよしなし事を、つれづれの筆のすさびにしるし侍るなり。 目次