古事談
古事談 写本六巻
古来の伝説を雑記したるもの、部を王道后宮、臣節、僧行、勇士、神社仏寺、亭宅諸道等に分ちて数百箇目あり。二三の例を挙ぐれば、孝謙天皇道鏡を寵したまふ事、業平朝臣二条后を盗む事、御堂殿遊女小観音を召さるゝ事、済時大将をこうばいの大将といふ事、小野宮大臣遊女香炉を愛せらるゝ事、清少納言零落の後駿馬の骨を買はずやといひし事、行基菩薩の歌の事等の類なり。
本書時代に就きては、本朝書籍目録に云、古事談六巻顕兼卿抄と見えたり。されば伊庭時言の国書年表には、本書を、順徳天皇の建暦元年の条に標出せり。而して註に記して云、顕兼卿作、卿此年三月三日出家、事迹止㆓于此㆒とあり。真道按ずるに、顕兼卿は村上源氏にして、刑部卿宗雅卿の子なり。公卿補任承元五年(建暦元年)の条に、従三位とあり。其の註に、三月三日出家と記せり。果して以上の説の如くなれば、本書は、鎌倉時代の作なること確実なり。
本書は、丹鶴本を以て底本とし、北村湖元校写本を以て校訂採収す。
大正三年十二月
黑川眞道 識
【 NDLJP:8】例言一、古事談は丹鶴叢書本を底本とし、北村湖元校合本を以て校訂し、其完きを期したり。白河院・白川院の如き文字の一定せざるものは、其多きに従つて一定を計り、其他原本の特長保存に力めし結果、改竄を避けしが為め、反読の個所読下しの個所相錯雑せり。原本中の片仮名は、之を平仮名に改めたり。
一、原本の註記並に校合本の書入保存に努め、原本の註記は、小文 字にて割註せる外、()を以て本文中に挿入し、校合本の書入及び當編輯部にて の註記は、共に〔〕を以て區別し、又本文の左に縱線を施したるは、其下にある 括弧內の文字との對照を明にせんが爲めにして、單に縱線を施したる儘のもの は、異本悉く同一文字にして、而も疑しきものを示す。
この著作物は、1925年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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