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公教要理説明/03-14

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だい六十くわ 告 白こくはく

365▲告白こくはくとはなにでありますか

告白こくはくゆるしけるためおのつみ司祭しさい云顯いひあらはことであります。

告白こくはく

告解こくかいとも白狀はくぜうともはれる。

[下段]

ゆるしけるため

とあれば告白こくはくたゞ物語ものがたりではない、ゆるしていたゞ目的もくてきもっ白狀はくぜうである。

おのつみ

とあれば他人たにんつみでなく、自分じぶんをかしたつみだけ白狀はくぜうすればる、たとへばかれったからわたしうしたとかふやうなこと無用むようである。それし三百七十二のとひはれるとほり、つみをかすに相手あひてのあったことはねばならぬときは、其相手そのあひてたれであるかってはならぬ、其名そのなってはならぬ。

司祭しさい言顯いひあらは

司祭しさいのみがひとつみゆるけんがあるからである。

ちゅう告白こくはく司祭しさい聽罪師てうざいしふ。

366◯何故告白なぜこくはくりますか

告白こくはくは、イエズス、キリスト御定おんさだめる、すなは告白こくはくらなくては、司祭しさいつみゆるすべきやいなやをこと出來できぬからであります。

イエズス殊更ことさら告白こくはくせよとおっしゃったことはないけれども三百四十六のとひはれたとほり、イエズス弟子等でしなどつみゆるばかりでなく、これとゞめるすなはゆるさぬけん與(:与)あたたまふたから、

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さいなにゆるなにとゞむべきかを見分みわけるに、他人たにんうったへたず、本人ほんにん眞実ほんと告白こくはくほかみちはない、それ

告白こくはくるのはイエズス、キリスト御定おんさだめ

はねばならぬ。

367◯小罪せうざいをも告白こくはくせねばなりませぬか

小罪せうざい告白こくはくせずともい、れどこれ告白こくはくすれば安全あんぜんえきがあります。

小罪せうざい告白こくはくせずともい。

小罪せうざいでは天主てんしゅたいする熱心ねっしんうしなふのでないからきずにならぬ。それ告白こくはくかぎらず、熱心ねっしんふるはすやうにさへすれば、種々いろゝゝ方法はうはふもっゆるされる。たとへばしん悔改くひあらため、反對はんたいげうし、三百のとひちうはれた「準秘蹟じゅんひっせき」を熱心ねっしんもちゐるはゆるされるみちになる。それ小罪せうざい告白こくはくしなくてもい。しか

告白こくはくすれば安全あんぜん

である、小罪せうざい大罪だいざい明白はっきりしないときは、告白こくはくほか安心あんしんするみちはない。叉小罪またせうざいをも告白こくはくすれば、司祭しさいから適當てきたう意見いけん指導しだうけるからこれあらためるに恩寵おんてう

[下段]

かうむるなどえきがある。

ちゅう小罪せうざいばかりを告白こくはくするときこれ痛悔つうくゎいしないなら、告白こくはく無駄むだになるおそれがあるからかゝ場合ばあひにはすでゆるしかうむってつみでも痛悔つうくゎいあらたにして恩寵おんてうかうむるためこれ告白こくはくくはへるがい。これ度々たびゝゞ悔悛つうくゎい秘跡ひっせきちかづくひと方法はうはふである。

368●つみ度數かずわすれたとき如何どうせねばなりませぬか

つみ度數かずわすれたときは、一箇月或かげつあるひは一週間しゅうかんおよ幾度犯いくたびをかしたとはねばなりませぬ。しか大罪だいざいで、幾度犯いくたびをかしたとたしかおぼえぬ場合ばあひには只度々たゞたびゞゝばかりではらぬ、およそかずふか、また司祭しさいつもるやうに一月或つきあるひは一週間或しゅうかんあるひは一にち割付わりつけけて凡何遍犯およそなんべんをかしたとふべきである。

369●とほり告白こくはくせねばなりませぬか

つみ遺漏もれなく、眞実しんじつに、明瞭あきらか告白こくはくせねばなりませぬ。それ告白こくはく特質とくしつみつある。これそろはぬとき本當ほんたう告白こくはくにならぬ。

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370●遺漏もれなく告白こくはくするとはなにでありますか

遺漏もれなく告白こくはくするとはをかした大罪だいざい其數そのかずとをことゞゝ言顯いひあらはことであります。

遺漏もれなく

とは大罪だいざいひとつでもかくことなく、おぼえてるだけのこらず言顯いひあらはことである。こゝ大罪だいざいとは洗禮せんれい後犯のちをかしてるのに、告白こくはくせずゆるされてない大罪だいざい叉大罪まただいざいであるまいかとおぼしきつみことである。

告白こくはくあたっては只私たゞわたし大罪だいざいをかしましたとばかりではらず、大罪だいざいであるか、たとへば、主日しゅじつ祝日しゅくじつにはミサ聖祭せいさいおこたったこと相當(:当)さうたう譯(:訳)わけなくゆるしなしにはたらいたことひとものぬすみ、あるひみだり押置おさへおき、あるひがいしたことなどつみ種類しゅるいはずである。其數そのかずとは幾度犯いくたびをかしたかを言顯いひあらはことである。

~~…………

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[下段]

眞實しんじつ

とはまことに、眞實ほんたうに、いつはりなくとこと

天主てんしゅ御前みまへみとめたまゝ

~~……………

374●告白こくはく時大罪ときだいざいひとつでもかくせば如何いかん

大罪だいざいひとつでもかくせばすべての罪迄赦つみまでゆるされないで、其上瀆聖そのうへとくせい大罪だいざいかさねます。

大罪一だいざいひとつでも

故意わざかくすと其告白そのこくはく無効むかうる。

其上そのうへ瀆聖とくせい大罪だいざいをかす。それつみゆるしかうむるがためにはふたゝ其告白そのこくはく爲直しなほし、大罪だいざいかくしたとつみ告白こくはくせねばならぬ。

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以前いぜんよりことがあったならば、其時そのときからいたした告白こくはく皆為直みなしなほし、叉其通またそのとお告白こくはくしたこと何遍なんべん其儘そのまゝ告白こくはくせねばけっしてつみゆるされぬ、告白こくはく為直しなほ事或ことあるひ生涯若しょうがいもしくは或時代あるじだいからのつみ取纏とりまとめて告白こくはくすることを「總告白そうこくはく」とふ。つみかくしたため爲直しなほさねばならぬとき總告白そうこくはく必要ひつえうである。特別とくべつ修行しうげうゆだねるときたとへば品級ひんきふ秘蹟ひっせきけるか修道院しうだういんるか修道誓願しうだうせいぐゎんてるかするときあるひ毎年まいねん黙想會もくさうくゎい時等ときなどには總告白そうこくはく非常ひぜうえきるものである。りながら小心せうしんため無駄むだ心遣こゝろつかひばかりするひとには斯樣かやう總告白そうこくはく無用有害むよういうがいとなるから、聽罪師てうざいし意見いけんくがよい。

ちゅう大罪だいざいかくさうかとおもときは、よろしくつぎことこと心静こゝろしづかにかんがへよ。

だい一、聽罪師てうざいし靈魂れいこん醫者いしゃかならなほみちってる。しかなほしてもらためには云難いひにく病氣べうきでもあきらかにらせねばならぬ。これ靈魂れいこんやまひついても同樣どうやうで、靈的醫者れいてきいしゃたる聽罪師てうざいし言難いひにくつみでもつみでも正直せうぢき白狀はくぜうしなければなほしてもらへない、正直しょうぢきあきらか

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白狀はくぜうすれば、うたがひなくなほはずだい二、一はづかしさのためつみかくしては益罪ますゝゝつみかさなって益云難ますゝゝいひにくくなり、益耻ますゝゝはづかしくなる。だい三、其罪そのつみ有體(体)ありのまゝ白狀はくぜうしないならば永遠えいゑんほろびとなることかんがへよ。だい四、つみをかしたのははぢちがひないが、これしんくやみ、且白狀かつはくぜうしてゆるされるやうにするのはかへっほまれになる。だい五、告白こくはくおい司祭しさい白狀はくぜうすることは、けっしてれる氣遣きづかひがない。だい六、つみ相手あひてでもありのまゝに白狀はくぜうがたときは、相手あひてをも自分じぶんをも自分じぶんをもらぬ聽罪師てうざいしえらんでも差支さしつかへはない。

375●告白こくはくおい大罪だいざいわすれたとき如何どうせねばなりませぬか

わすれた大罪だいざいつぎ告白こくはく言顯いひあらはさねばなりませぬ。

天主てんしゅいのって出來できるだけ眞面目まじめ糺明きうめいしたときつみ思出おもひだせないか、あるひ思出おもひだしてこれ告白こくはくするとさだめてたのに、不圖言落ふといひおとした場合ばあひならば、狼狽うろたへるにはおよばぬ、ほかつみともゆるされたとおもうて、つぎ告白こくはく言顯いひあらは覺悟かくごればる。しか若糺明もしきうめいまへ祈禱いのりもせず、天主てんしゅ御助おたすけねがはず、糺明きうめい粗末そまつにしたためのこしたらのなら、おそらく告白こくはく無効むかうとなり、三百

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七十四のとひはれたとほりに爲直しなほさねならぬことがらう。

376●明瞭あきらか告白こくはくするとはなにでありますか

明瞭あきらか告白こくはくするは司祭しさい了解わかやすいやうにつみ言顯いひあらはことであります。

つみ告白こくはくするは、司祭しさいこれ辨(弁)わきまへて相当(當)さうたう處分しょぶんためであるから、故意わざつみわからぬやうにすれば、司祭しさいあざむほとんつみかくすのと同樣どうやうになる。ゆゑはづかしくても天主てんしゅ吾罪わがつみ吾心わがこゝろ底迄そこまでも、るがまゝにつく居給ゐたまことかんがへてつみゆるしていたゞためには其名代そのめうだいたる聽罪師てうざいしあきらかかるやうにあらはさねばならぬ。れば故意わざ司祭しさい司祭しさいかるやうにあらはさねばならぬ。れば故意わざ司祭しさい司祭しさいわかねる云方いひかたもちゐたり、あるひ司祭しさい氣付きづかれないため些細ささいつみあひだ大罪だいざいはさめてったりしては天主てんしゅよりゆるされないやうにするのと同様どうやうである。

377●告白場こくはくぜういたって如何どうしますか

ひざまづいて十字架じか記號しるししながら「聖父ちゝ聖子聖靈せいれいとの御名みなによりて。アーメン」とつゞいて我罪われつみをかせしによって、靈父れいふ掩祝えんしゅくこひねがふ「全能ぜんのう天主てんしゅ終生童貞しゅうせいどうていなるせいマリア

-下段-

大天だいてん使聖しせいミカエル、洗者聖せんしゃせいヨハネ使徒聖しとせいペトロせいパウロ諸聖しょせい人及じんおよ靈父れいふむかひて告白こくはくたてまつる、

此處こゝ此前このまへ何時いつ告白こくはくしたか、つみゆるされたか、つぐのひはたしたかをげ、それからをかしたつみ告白こくはくします。

ひざまづいて

告白こくはくするのはみづから、つみみとめて謙遜へりくだりしるしになる。

つみをかせしにより

とのことば眞面目まじめって、自分じぶん罪人つみびとなることを辨(弁)わきまへて恥入はぢいへりくだりつゝ天主てんしゅ御哀憐おんあはれみねがふべきである。

(カトリックが凄く正しかったことを認めるので、今日はこの辺で次の日以降に書きたいと思います。)