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公教要理説明/03-13

提供:Wikisource

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だい五十九くゎ 痛 悔つうくゎい(二)

358●まこと痛悔つうくゎいには幾種いくとほりありますか

まこと痛悔つうくわい二種ふたとほりあります、完全くわんぜん痛悔つうくわい不完全ふくわんぜん痛悔つうくわいとであります。

痛悔つうくわい二種ふたとほりあります

とはかねべたごと眞実しんじつ、一ぱん超性的てうせいてきであるかないかとの譯(:訳)わけによってちがふのではない、それだけそろはぬならば本當(:当)ほんたう痛悔つうくわいはれぬ。其異そのちがところふたつ、すなは痛悔つうくわいする譯(:訳)わけ其結果そのけっくわいちじるしくちがことである。

359●完全くわんぜん痛悔つうくわいとはなにでありますか

完全くわんぜん痛悔つうくわい天主てんしゅふかあいするところから、聖意みこゝろさからった譯(:訳)わけもって一しんつみくやきらことであります。

完全くわんぜん

すなはまったくしてけたるところなき

痛悔つうくわい

おのれわすれてもっぱ天主てんしゅおも且深かつふかあいたてまつところから、自分じぶんつみをかしたので、てられても地獄ぢごくられても当然あたりまへであるとあきらめるが、しかかぎりなくあいすべき御父おんちゝそむき、此上このうへなき恩人おんじん御心みこゝろさからったことがくやしい、イエズスさまわたしためかくまでくるしたまふたの

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御傷おんきず無駄むだにしつみをかしたごとあらたつばきくぎ打込うちこんだのはほん申譯(:訳)まうしわけがないわたしこそわるかった、くやしさにむね張裂はりさけんばかりである。わたしこそ如何どんばつにもあたるべきものであるが、嗚呼あゝ何卒其罪どうぞそのつみだけはゆるしていたゞきたい、今後こんご如何どんことでもいたしたいと、一しんねがことである。

360●不完全ふくわんぜん痛悔つうくわいとはなにでありますか

不完全ふくわんぜん痛悔つうくわい只罪たゞつみにくいとかあるひばつまねくからこれくやことである。たとへば天主てんしゅそむいたことよりも、自分じぶん天國てんごくかれず、地獄ぢごくくべきをおもかなしむやうなことである。

不完全ふくわんぜん

とはまったからぬとの意味いみで、これまへったとほり、こゝろからでもあり、一般叉超性的ぱんまたてうせいてきでもある、すなは天主てんしゅあいするこゝろはありながら、天主てんしゅおもふよりはおのれおもひ、自分じぶん損害そんがいこともっぱくやしくおもふのである。嗚呼あゝつみにくい、吾靈魂わがれいこん罪故つみゆゑけがきづついて仕舞しまった天主てんしゅ見奉みたてまつこと出来できをはりなき幸福さいはひけられなくなり其反對そのはんたい憎々にくゝゝしい惡魔あくま大罪人だいざいにんともをはりなきかれるとはじつくやしい。かへすゞゝゝもざん

[下段]

ねんである。嗚呼あゝあはれみふか天主てんしゅわれあはれ吾罪わがつみゆるたまひて地獄ぢごくまぬかれしめ、天國てんごくらしめたまなどおもって、幾干いくら天主てんしゅあいするこゝろあらはすけれども、天主てんしゅそむいたことよりは自分じぶん損害そんがいけることおもくやむのが不完全ふくわんぜん痛悔つうくわいである。

ちゅうこれれば完全くわんぜん痛悔つうくわい不完全ふくわんぜん痛悔つうくわいとのちがふのは、痛悔つうくわいするわけによる。たとへてへば、若者わかもの人親にんおやから勘當(:当)かんどうけてたがひ悔話くやみばなしをして一人ひとりふ、嗚呼私あゝわし勘當(:当)かんどうけたのはけっして無理むりでない、わしこそ無理むりことをしたのだから此罰このばつ當然あたりまへで、らぬくらゐおもふ、わたし本当ほんたうわるかった、仕方しかたがない、しかたまらぬのは愛深あいふかきおとうさんおかあさんをかなしませたことである、ほんわるかった、其代そのかはり如何どんばつけてもよいが、うかして父母ちゝはゝよろこばせるやうなりたいものだと。又一人またひとりは、わし結構けっかう家督かとくうしなったので殘念ざんねんいままで立派りっぱいへにあって、安樂あんらくくらしたのに、いま行先ゆくさきもなくして流浪るらうせねばならぬ、これくやしくてたまらぬと。又一人またひとりは、いままで道樂だうらくしたり、さけんだにするのにおやかねぬすんで十ぶんであったのに、勘當(:当)かんだうけては一りんたず、なんとも仕方しかたがない。

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これ殘念ざんねんたまらぬと、このにん痛悔つうくゎい如何どうかとふに、はじめ一人ひとり完全くゎんぜん痛悔つうくわいであって、おのれおもはず父母ちゝはゝのみをおもひ、父母ちゝはゝこれいたら、親心おやごゝろからまへことわすってよろこんでゆるして再度吾家さいどわがやらせるに相違さうゐない。二番目ばんめのはおやあまおもはず、おのれ損害そんがいくやばかりで不完全ふくわんぜん痛悔つうくわいあたる。三番目ばんめのは痛悔つうくわいにならぬ。

361●完全くわんぜん痛悔つうくわい効果かうくわ如何いかゞ

完全くわんぜん痛悔つうくわいでは秘蹟ひっせきたずつみゆるされます。

秘蹟ひっせきたず

とは秘蹟ひっせきけぬでもよいとことではない。天主てんしゅもっぱあいたてまつこゝろある以上いぜうそれ出來次第できしだい是非洗禮ぜひせんれい悔悛くわいしゅん秘蹟ひっせきさづからねばならぬ。しかつみ秘蹟ひせきたず、すなは洗禮せんれい前或まへあるひ告白こくはくして司祭しさいよりゆるされるまへから、天主てんしゅよりゆるされ、其儘そのまゝんだなら天國てんごくかれる、唯其赦たゞそのゆるされたしるしがないから秘蹟ひせきる。

ちゅう此道理このだうりって、三百年前ねんまへ日本信者にっぽんしんじゃあひだに「コンチ

[下段]

リサンのりゃく」とて完全痛悔くわんぜんつうくわいだいする書物しょもつのこされた、信者しんじゃ大抵之たいていこれ暗記あんきして、告白こくはく出來できなければ、べつ大罪だいざいゆるされるみちすなは救靈たすかりみちいから、こゝろから痛悔つうくわいおこし、其祈禱そのいのり幾度いくたびとなくとなへてったが、祈祷文きたうぶん二百八十ページせてるのはこれ現代文げんだいぶんなほしたものである。

362●不完全ふくわんぜん痛悔つうくわいでも秘蹟ひっせきたずつみゆるされますか

不完全ふくわんぜん痛悔つうくわいでは洗禮或せんれいあるひ悔悛くわいしゅん秘蹟ひっせきらねければ大罪だいざいゆるされません。

不完全ふかんぜん痛悔つうくわい

ばかりではつみぢきゆるされぬ、唯悔悛たゞくわいしゅん洗禮せんれいもっはじめてゆるされる。洗禮せんれい悔悛くわいしゅん秘蹟ひせき出來できときつみゆるされるみち完全くわんぜんなる痛悔つうくわいかぎることをわすれてはならぬ、ゆゑ司祭不在しさいふざいとき臨終りんじうひとこれすゝめるはなにより肝要かんえうである。

363●痛悔つうくわいともなはねばならぬものはなにでありますか

こゝろあらためてつみ其便そのたよりとをふせぎ、しき習慣くせ矯正ためただ決心けっしん痛悔つうくわいともなはねばなりませぬ。

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痛悔つうくわいともな

とは痛悔つうくわいともになければならぬとの意味いみ

こゝろあらためて

とは改心かいしんして、こゝろ入替いれかへるとことこれイエズス、キリストおほせとほなにより大事だいじ要件えうけんである。

つみ其便そのたよりとをふせぎ。

つみふせぐとはつみめて、是非犯ぜひをかさぬやうにすることである。たとへば不和ふわ間柄あひだがらでは仲直なかなほりし、邪淫じゃいん關係くわんけいや、しき交際つきあひち、盗物ぬすみものかへし、くはへたがいつぐのひ、きずつけた名譽めいよおぎなこゝろがなければ痛悔つうくわい真実しんじつではない。しかつみめるには是非罪ぜひつみ便たよりふせぎ、しき習慣くせ矯正ためなほかた決心けっしんる。

つみ便たより

とはつみいざな機會きくわいである。たとへば或処あるところき、或人あるひと交際つきあひ、或事あることときつみおちいるやうになれば、それつみ機會きくわいふ。とほ機會きくわいまでもふせがねばならぬなら、機會きくわいだらけのなかとてられまい、これけぬかた決心けっしんるだけである。しかたれにしても、自分じぶんではない機会きくわいなら、出来できかぎとほざからねばならぬ。げてこそこれ

[下段]

つ。まこと痛悔つうくわいには便迄たよりまでふせがうとのかた決心けっしんるが、如何どうしてけること出來でき場合ばあひには、かぶとめて気丈夫きぜうぶ抵抗ていこうする大覚悟だいかくごる。

しき習慣くせ矯正ためなほす。

たとへばおやしたがはぬ習慣くせぬす習慣くせ邪淫じゃいん習慣くせさけなど習慣くせ斷然止だんぜんやめるとの大決心だいけっしん實行じっかうとがなければならぬ、もなければ、唯雨漏たゞまもりみづぬぐふだけにとゞまって、屋根やねなほさぬならば、雨毎あめごと降込ふりこむと同様どうやう假令痛悔たとひつうくわいはしても、矢張やはりまへおなつみおちいる。

364◯何故心なぜこゝろあらためること痛悔つうくわいともなはねばなりませぬか

何程罪どれほどつみくやんでも、以後犯いごをかさぬとのかた決心けっしんがなければ、まこと痛悔つうくわいにならぬからであります。

實際じっさいつみくやきらふなら、かならをかさぬやうにするはずである、

その

かた決心けっしんがなければ、

くちだけ、心算つもりだけの痛悔つうくわいとゞまって、こゝろからの痛悔つうくわいとははれぬ。こゝろみにおも子女こどもおやむかって、わたしはおとうさんやおかあさんにしたがはなかったこと殘念ざんねんおもひますが、しかいまからそむきませぬとははないで、只何たゞど

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うぞゆるしてくださいとふばかりでは、幾干親心いくらおやごゝろでもゆるしてやるこゝろにはならぬ。一旦決心たんけっしんしたとってあとで、叉々罪またゝゝつみおちいるのは、あるひ決心けっしんよわいか、あるひこれ實行じっかうするやうに努力どりょくしないからではなからうか。

ちゅうかた決心けっしん程度ていどはかるのは、(一)あらためるに精出せいだこと、(二)つみ機會きくわいふせこと(三)以前いぜんつみおちいらぬやうに習慣くせ矯正ためなほこと如何いかんによってきまる。自分じぶんにははたしてかた決心けっしんがあるかりたければ、良心りょうしんふて、わしいよいいままでかゝった此罪彼罪このつみあのつみを、んな困難こんなんがあってもをかさぬとの覺悟かくごであるが、叉其罪またそのつみふせぐに彼是かれこれかねばならぬ、たとへば習慣くせなほことと、便たよりふせぐべき方法ほうはふわかってるならばこれ實行じっかうする覺悟かくごであるかと、眞面目まじめたゞしてればれる。