公教要理説明/03-04

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だい五十くわ ひせき[編集]

301●ひせきとはなにでありますか[編集]

ひせきせいてうほどこためイエズス、キリストさだたまうたしるしであります。

ひせき[編集]

とはかくれたるあとで、ひせきそのものはみつことによってなりたつ。

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(一)しるしであること。(二)つぎそのきごうによってせいてうほどここと。(三)つひそのしるしイエズス、キリストさだたまふものたること

だい一、ひせき

しるしである。[編集]

しるしとは、えることで、五くわんれて、さらなにえぬものゝあることらせるものである。たとへばけむりのあるしるしくんせうてがらのあったしるしうめくのはくるしみしるしちるのはふゆちかしるしである。ひせきえぬけっくわれいこんおこなはれるきごうとしてさだめられた、たとへば、せんれいときみづひたひあらふのはつみゆるされてれいこんきよめられるしるしせいたいぱんいろかたちれいこんやしなひ

[下段]

ことをいみする。

だい三、ひせき

イエズス、キリストさだたまふたものである。[編集]

つみゆるしせいてうむけいえぬものであるからなにみえるしるしがなければこれけたるやいなやはるによしなきゆゑイエズス、キリストにんげんみゝきこえるしるしさだめ、せうげなくこれけさへすればかならせいてういたゞくやうさだたまうた。これすなはひせきである。イエズス、キリストこれさだたまうたのは、このよられたときおなじくひとゞゝせいてうさせ、ごじゅなんごしきょくどくいつまでもつゞかせるためである。

ひせきせいてうほどこためさだめられたるものであれば、さづけるひといかんかゝはらずじこう(ex opere operato)すなはそのわざこいうこうのうによってせいてうずる、あたかたきゞこれやすひといかんかゝはらずゆるとどうやうである。むろんてんしゅたるおんものほかなにびとでもせいてうゆうけいてきしるしつなことできゆゑこうけうくわいではひせきぎしきさだめることできても、ひせきかんえうぶぶんへんかうすることゆるされない。

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ちゅうこうけうくわいではなゝつひせきほかつみゆるしせいてうかうむはうはふさだめた、たとへばしゅたうぶんこくはくいのりなどとくにミサせいさいうちとなへることほどこしすなはれいにくぜうじぜんじげふおこなことしけうしさいゑんしゅくけることせいれいかうふくしきあづかことせいすゐしゅくべつされたごゑごぞうもちゐることなどである。れどこれみなイエズス、キリストさだたまふたことではないからひせきではない、しかこれらぜんけんゆだねられたこうけうくわいさだめであってじゅんひせき(sacramentalia)ひせきたものとなづけられてある。これもちゐるときキリストおことばに「なんぢらちぜうところてんにもかる」とおほせられたとほせうざいゆるされせいてうばあひがありるにさうゐない、それひせきごとじこうすなはそのわざこうのうによるのではなく、じんこう(ex opere operantia)すなはこれおこなあるひもちゐるときそのひとしんかうおよねっしんしだいである。こうけうくわいもっとだいじにするのはひせきである。しんじゃひせきけるのは、ひせきさづかる、いたゞく、はいじゅするなどふが、しさいこれさづける、ほどこす、しっかうするなどはれる。

302●ひせきいくつありますか[編集]

ひせきなゝつあります、すなはせんれいけんしんせいたいくわいしゅんしゅうゆひんきふこんいん

[下段]

あります。

ちゅううまれてからぬるまで、しぜんいのちたもつにいろゝゝはうはふごとく、てうしぜんいのちなるせいてうたもつにもうであるが、ことひせきこれさうたうしてる。せんれいせいてういのちうまれさせ、けんしんはついくしてくわんぜんじんぶつためはうはふあたる、せいたいしょくもつにくしんいのちたもごとれいこんかてりてれいこんいのちたもち、くわいしゅんつみゆゑせうじたやまひきずなほくすりり、しゅうゆたいべうとくべつようぜうさうたうし、ひんきふてうしぜんいのちふやおやせいしょくしゃ)をつくり、こんいんしぜんいのちやすおやつくみちである。

303●あしきこゝろもっひせきけてもせいてうかうむりますか[編集]

いなせいてうかうむらぬばかりでなく、せいなるものをけがゆゑかへっとくせいだいざいります。

あしきこゝろもっひせきける[編集]

とは、だいざいちながらせんれいくわいしゅんいぐわいひせきけ、あるひさうたうじゅんびもなく、そのなにたるやもわからないまゝでひせきさづかることである。

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とくせいだいざい[編集]

とは、だい百四十三のとひゆ。

ちゅうだいざいきがゝりちながらけられるせんれいおよくわいしゅんひせきむろんつみゆるしかうむせいてうかうむためであるのでことに「ししゃひせき」となづけられた。なんとなればだいざいもっせいてううしなひ、てんしゅこどもしかくおいてはしたるがごとりたるひとけられるからである。ひせきけるにはだいざいきがゝりがあるならばかならくわいしゅんひせきあるひせめくわんぜんつうくわいもっひとまづだいざいゆるしけぬならさらとくせいつみそのひせきことに「せいしゃひせき」となづけられてある。それはせいてうもっれいこんてうしぜんいのちったものでなければこれけることできぬからである。あやまちなしにじゅんびらぬときとくせいらねどそのかうくわさまたげらる、それでもせうがいかぎみつひせきを二どうけるわけにはかぬ、これさうたうするしかくこれいたぎむとをびてれば、そのたけっくわさまたげられただけで、そのせうげのぞいてかうくわいたゞかれるやうにつとむべきほかはない。

さてこうけうくわいひせきさづけるにさまゞゝぎしきさだめたのは、そのひせきねうちそのかうくわしめしたがってひとしんかうおこさせる

[下段]

ためである。これそのいみさとり、てきたうひせきさづかるやうにつとむれば、それだじゅんたくせいてうかうむるにさうゐない。しかそのぎしきいかほどいうえきってもえうそてきでないから、やむときにははぶかれてもひせきかうりょくにはかはりはない。たとへばしにひんしてひとせんれいさづけるにはことばとなへながらみづそゝぐばかりでしきりゃくする。

304◯せうがいただどうけるひせきがありますか[編集]

ります、せんれいけんしんひんきふであります。

このみつひせきは二どうけられず一かぎる、それふてきたうさづかったときたゞそれくやみ、せいてうくわいふくすることいのほかみちなし。ふたゝこれけるははじめけたときしかたふそくあってやくたなかったかとおもはれるときたとへばせんれいみづはだれなかったかそのことばいひかたまちがったかとうたがはしいときでうけんつきうけなほすにかぎる。しかこのばあひでも二どうけるといみではない、まんやくたなかったときおぎなひとするにぎない。

305◯なぜせんれいけんしんひんきふせうがいしかけられませんか[編集]

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この三のひせきは、えいゑんへないしかくあたへるからであります。

すなはせんれいてんしゅこどもたるしかくけんしんてんしゅぐんじんたるしかくひんきふせいしょくしゃしかくあたへる。いかなるあやまちをかしてもこのみつしかく

うしなはれぬ。[編集]

てんごくってはめいよかうふくたねるが、ぢごくってははんたいちじょくくつうたねる。しょもつれいこんえざるしるしけるとあるのはいうけいてきしるしでなく、この

しかくあたへる[編集]

とのことであります。