公教要理説明/02-18

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だい四十二くわ つみ[編集]

231●なによりきらはねばならぬのはなにであるか[編集]

なによりきらはねばならぬのはつみであります。

あくまよりもつみにくむべきものである、なぜなればつみをかさぬならさすがあくまがいすることできず、つみをかしてあくまがいせられるのである。

232●つみとはなにであるか[編集]

つみとはてんしゅめいそむことであります。

こゝせうだくしてそむくとはぬのは、げんざいこれふくまれるからである。だい四十三のとひはれたとほりげんざいめんゞゝせうだくによるのではなく、じんるゐだいへうせるじんそアダムせうだくによってをかされ、われわれたゞつみをかしたおやこどもとして、つみびとみぶんうまれたわけである。

[下段]

てんしゅめいそむく。[編集]

めいすゝめとはちがふ。めいは、ろ、るな、とのいひつけであるが、すゝめたゞるがい、ぬがい、とこととゞまる。だい百三十六のとひはれたとほり、十かいもっいましめられることてんしゅちょくせつめいであり、せいくわいおきてあるひおやめうへたゞしきめいれいもっめいぜられたことは、てんしゅかんせつめいであって、いづれもてんしゅめいである。またどばあひでも、れうしんによってことよしあしあきらかにさとされるところも、てんしゅめいはれる。てんしゅめいそむことつみなれど、おんすゝめまもらぬだけではつみといふまでにはかぬ。たとへばにちえうのミサせいさいあづかことめいであって、これそむくのはつみるが、せいたいかうふくしきあづかるとか、まいにちミサせいさいあづかるとかことは、すゝめぎぬから、これあづからずとも、これかろんずるわけからでないなら、つみにはらぬ。

233◯つみいくとほりあるか[編集]

つみふたとほりあります、げんざいじざいとであります。

234●げんざいとはなにであるか[編集]

げんざいぐわんそアダムからじんるゐぱんつたはるつみであります。

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だい四十三のとひはれたとほりげんざいじぶんをかしたつみでないから、それためばっせられるのではなく、たゞじんそつみによって、そのしそんざいにんみぶんうまれ、じんそあたへられたてうしぜんめぐみと、これくはへられたとくおんとをたぬものだけである。れどつうくわいなしに、たゞイエズス、キリストおんあがなひによって、せんれいもっゆるされ、せいてうたすかりめぐみとをくわいふくすることできるのである。

235●せいマリアにもげんざいがありましたか[編集]

いなせいマリアきゅせいしゅおんははためげんざいまぬがれました。……………

ちゅうそれならせいぼは、イエズス、キリストからすくはれたまはぬかとふに、ひとまさってすくはれたまふたとはねばならぬ。

[下段]

すなはキリストおんすくひによって、ひとキリストおんくりきよっげんざいゆるされ、せいぼキリストゆゑに、げんざいまぬがたまふたわけである。

236●じざいとはなにであるか[編集]

じざいひとみずかせうだくして、てんしゅめいそむことであります。

ひとみずか[編集]

とは、じぶんいしでとこと

じざいるにふたつえうけんがある、すなはてんしゅめいそむことと、これせうだくがなければつみにはならぬ。それてんしゅめいあるをらず、あるひこれわすれ、あるひきづかないでこれまもらなかったばあひあとからそのこといて、うもわるかった、つみったといくかゝっても、せうだくしたことでなければ、つみにはらぬとあんしんしてよい。

237◯せうだくするとはなにであるか[編集]

せうだくするとはりながらうけがことであります。

それせうだくふたつことからなりたつ、ことうけがこととである。

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だい一、

りながら[編集]

とは、つみいてへば、しんてんしゅめいあるひいましめあることがてんし、これそむけばつみると、きづいてことである。わるいとまるらぬならつみにはらぬ。

だい二、

うけが[編集]

とは(まをすまでもいが、うけあふとか、うたがふとかふのとはまることばちがふ)うしてはつみるとじゅくちしながら、それでもかまはぬ、しかたがないとしておこなひさだめることである。だい一のことちゑはたらきで、だい二のうけがこといしいりょくこゝろはたらきである。れうはうそろってせうだくことるが、つみおもせうだくによってきまる。たとひわることしひせられても、じぶんいしせうだくがないあひだつみにはらぬ。

ちゅうあたりまへにんげんなら、たれでもれうしんふものがある。れうしんはたらきふたつすなはち(一)ことよしあしまへからはんだんして、これい、これわるいとみわけ、ことめいじ、わることいましめる、これれうしんさしづふ。(二)またことるのに、あるひあとに、ことなられうしんめてうれしがらせ、わることならしきりとがめてきづかひおこさせ、ばつおそろしがらせる、これれうしんせめれうしんかしゃく

[下段]

ぞくきがゝりなづけてをる。ひとみなこれおぼえてあるが、たびゝゞれうしんさからへば、れうしんだんゞゝにぶって、そのさしづせめかなくなる。

ぜんあくそとのりてんしゅめいであるが、れうしんそのめいさとぜんあくうちのりである。ひとみちびためあたへられたあしもとともしびで、ぜんあくみわけるちかのりであるから、ぜんあくもっぱそのはんだんよっさだまる。すなはぜんとのみおもひこんでしたことおのれってぜんあくがてんしてしたことおのれってあくる。すなはちひさことでもたいざいおもひこんでをかしたことたいざいり、じゅうだいことでもせうざいぎぬとおもひこんでをかしたつみせうざいとゞまる。しかし「おもひこんで」とはれたのをわすれてはならぬすなはこれれうしんいづれかにかくていしたこといみするのである。れうしんげてはならぬ。うたがひあるときたしかところたづし、いのりでもしてそのふあんのぞきさってのちおこなふのがほんたうである。わるいとうたがひながらなにかをれば、つみまぬがれぬ。

れうしんもんじとほり、こゝろで、たしかみちびくものなれど、(一)をしへまなはずなのにまなばず、はずことらぬなら、あきめ

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くらごとこともある。(二)またせけんふうしんこばなしなどまよはされて、わることいとみなこともある。(三)またうっかりしてきづかぬこともあり、ちょっとわすれることもある。(四)またおそれためはっきりみわこともある。(五)ぜうよくためくらまれることもある、ゆゑれうしんますまあかるくすることこれげずたゞしくたもことまがってはらぬかとたびゝゝはんせいすることどこまでもそのさしづどほりおこなことは、なによりかんえうである。れうしんしたがふならば、たとひまちがったことでもつみにはらぬ。

238◯んなことからつみをかすか[編集]

おもひのぞみことばおこなひおこたりもって、てんしゅいましめあるひけうくわいおきてあるひおのしょくむそむくをもっつみをかす。

てんしゅ[編集]

めいるのは

かいけうくわいおきて[編集]

ばかりではなく、めんゝゝ

しょくむ[編集]

うである。すなはみぶんしょくぶんによって、たとへばおやとして、やくにんとして、けうしとしてなどまもらねばならぬつとめであるが、れうしんによってさとされるから、れうしんさからふのもてんしゅめいそむことである。

[下段]

てんしゅめいそむくのはわざばかりではない、じついつゝとほりある。

一、

おもひ[編集]

たとへばこゝろうちてんしゅおはからひつぶやき、ひときらねんたもち、わいせつことたのしみかんがへ、またなににもよらずおもってはならぬとがてんしながらおもこと

二、

のぞみ[編集]

すなはきくわいさへあらばなにわることたい、うちかへしたい、ひとがなければものぬすみたい、じゃいんをかしたいなどのぞことであるが、つみでないならばとのでうけんいたときつみにはるまい。いよいつみをかしたいとおもへばてんしゅみまへをかしたとどうやうる。

三、

ことば[編集]

たとへばてんしゅことわるひ、さうたうわけなくしてひとそしり、わいせつはなしわいせつうたひとしきかゞみことひ、けんくわあざけりなどことである。

四、

おこなひ[編集]

たとへばものぬすみ、じゃいんわざし、さけひ、せいじつゆるしなくしてはたらことなど

五、

おこたり[編集]

すなははずこといたさず、たとへばあさゆうすこしもいのりず、るべきことならはず、こどもをしへず、かれるのに

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ミサせいさいかず、あるひゆるがせためおくれ、ひとなんぎたすけず、しゃくきんはらはず、ねんこくはくせいたいはいれうつとめまもらぬなどことである。

239◯じざいいくとほりあるか[編集]

たいざいだいじいてまったせうだくして、てんしゅめいそむことであります。

わすれるな、たいざいとなるにふたつでうけんる、だいじいてそむことと、まったせうだくと、このふたつそろったときたいざいである。

だい一。

だいじ[編集]

とは、わづかこととゞまらず、おほきことたいしたことであって、

だいじいて[編集]

そむくとは、あるひとくきびしくいましめられたわけあるひおほきがいわけで、てんしゅよりてられるほどことそむことである。たとへばてんしゅほかのものをれいはいすることてんしゅあきらかにをしたまふたことしんぜぬことしんじゃでありながらしんじゃでないとことひとごろしじさつかんいんたいきんぬすむ、あるひぬすみたいのぞみいだことひとおほきそんけ、あるひけたいのぞみいだことなどまたわづかことおもはれても、げんじういましめられたことたとへば

[下段]

せいたいはいれうぜんすこしのいんしょくでも、やはりだいじる。

だい二は

まったせうだくする[編集]

ことであるが、だい二百三十七のとひはれたとほりまったことまったうけがこととである。

まったるとは、これてんしゅげんぢうきんたまふたことである、たいざいってをはりなきばつまねことであると、りっぱりながら、れうしんさからって、ぢうだいことくわんしててんしゅいましめそむことである。

そのときに(一)くはらず、たとへばじうれうときけものみちがへてひところし、(二)あるひわすれ、たとへばしゅじつまただいせうさいびであることわすれ、(三)あるひかぬなら、りながらたとははれぬから、たいざいまでにはくまい。れどあるひらぬこと、かぬことのよっきたりゆうしだいではたいざいこともある。

まったうけがふとは、たとへばしたがへばしたがはれるのに、またしたがはねばならぬとおもひながらしたがはぬとのこゝろである。それごくわるいとりながら、それでもいたします、てんしゅよりきびしくいましめられたけれどもかまはぬ、てんしゅよりてられて、をはりなくばつせられてもしかたがないと、こゝろえことである。おさへかねるひぜうぜうよく

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れてこれちきらぬか、ひどおどされてびくゞゝほとんじいううばはれてるか、いづれにしても、うもそむきたくない、なんとかしてしたがひたい、やむしたがはぬことざんねんだとおもへば、つみるにしても、まったせうだくしたとはれぬだけあるひたいざいるまい。ぶんながらことさらわけあってそむときも、またそのとほりであらう。

このふたつでうけんそろったときたいざいる、ひとつでもけたときたいざいでなくせうざいとゞまる。

ちゅうたいざいにしてもみなどうやうのものではない、わりあひひどいものがある、とくせいしょに、てんさけつみせいれいさからつみとはことさらいましめられてある。

てんさけつみとは、たとへばむりひところことソドムちほうはやったやうなせいもとじゃいんおこなことひんきゅうにんみぼうじんみなしごしひたげることらうどうしゃちんきんはらはぬことなどである。

またせいれいさからってこのよのちゆるされぬ」とイエズス、キリストよりはれたつみは、たとへばたすかりしつぼうすることかいしんむやみばすことしんりみとめながらきふくするをこばことひととくねたこといけんれず、あくこゝろかためること

[下段]

までふけいけんみせびらかすことなどであって、のちでもゆるされぬのは、みづかたすかりみちふさぐからである。

241●せうざいとはなにであるか[編集]

せうざいせうじいててんしゅそむき、あるひだいじいてもまったくはせうだくせずしててんしゅそむことであります。

たいざいるにえうするふたつでうけんすなはぢうだいことおよびこれついまったせうだくけたときせうざいである。それせうざいは、 (一)

せうじいててんしゅそむ[編集]

とは、わづかこといててんしゅそむくとのいみであるが、わづかことでもやはりてんしゅめいならばおもんじて、ぜひまもらねばならぬから、これそむけばつみる、これせうざいである。たとへばたいきんではなくとも、ひとわづかものぬすあるひちょっとひとち、ちょっとそしったときなどである。

(二)

だいじいても[編集]

とは、おほきことでも、たいしたことそむいてもといみである。

まったくはせうだくせずして[編集]

とあるにちういせねばならぬ、まったせうだくせぬことつみらぬからである。「まったくは」とはたと

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せうだくはしてもくわんぜんせうだくでないといみである、すなはち(一)あるひらず、(二)あるひまったうけがはず、いやゝゝながらてんしゅそむかうゐすとことである。

(一)らずとは、たとへばわすれてかぬとき、(二)まったうけがはずとは、あるひしひられて、あるひよくけてつみおちいときまたぶんながらことさらわけがあるときふのである。ときつみにはれどせうざいぎぬとおもはれる、てんしゅよりてられるほどにはるまい。

242●おそるべきはたいざいばかりであるか[編集]

たいざいせうざいてんしゅさからひ、おほいがいるにって、どんわざはひよりもおそきらふべきものであります。

たいざいでもせうざいでも[編集]

てんしゅめいそむことなれば、れうはうともにつみである。ちういすべきは、せうざいはれるのは、けっしてわづかことちひさことかへりみるにらぬとのいみではない。たゞたいざいたいしてふので、たいざいわりあひせうざいがいすくなく、またゆるされやすいとふにぎぬ。じっさいつみなんたるかをったなら

[下段]

ば、つみつみでもなによりおそるべきものだけある。

てんしゅさからふ。[編集]

ばんぶつつくり、われららしめ、だけものやすこれあたへ、せいしはからひ、ばんじばんぶつつかさどたまふて、ばんぶつみないさゝかそむかず、どこまでもしたがたてまつてんしゅは、われらむかって、これけっしてるな、あるひぜひなせと、わづかことでもことさらいひつたまふのに、みまへって、われしたがはぬとのあつかましいこゝろは、けいべつぶじょくおんしらずもはなはだしいではないか。てんしゅないがしろにし、キリストごじゅなんごしきょむえきにすることで、じつひどうきはまることである。(だい八十四のとひだい二にはれたことくりかへよ)。

おほいがいる。[編集]

つみてんしゅめいかろんじて、てんしゅて、あるひとほざかることなれば、じぶんてんしゅよりうちすてられて、このよあるひのちばつせられるはずり、しんとりかへしできそんがいる。つみけんこうざいさんそこなふものならばひとをかすまいものを。

どんわざはひよりもおそきらふべきものであ[編集]

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る。[編集]

わざはひは、けんこうざいさんうしなことでも、みなこのよかぎったことで、かへっさゝげればてんごくをはりなきさいはひたねるも、つみのちにもえいけうおよぼす、すなはえいゑんくいかなしみたねとなるゆゑこのよかぎりのいかなるわざはひよりもおそきらふべきである。

243●たいざいどんがいるか[編集]

たいざいをかせばてんしゅせいてううしなひ、ぢごくをはりなきばつまねきます。

てんしゅせいてううしなふ。[編集]

せいてうとはてんしゅごてうあいこどものやうにてんしゅよりあいせられることであるが、たいざいだいじいて、てんしゅそむことなれば、てんしゅて、じぶんてんしゅよりてられるのである。すなはてんしゅこどもたるものつみゆゑてんしゅてきり、かんだうけて、てんごくかれぬものとる。

だい二百七十八のとひせつめいするが、ぜんげふもっをはりなきさいはひられるのは、せいてうあってのことゆゑ、せいてうれいこんいのちはれてある。もちろんにんげんたるのしぜんいのちではない、てんしゅこどもたるのてうしぜんいのちであってせいてうもっぜんげふその一つゝゝゝがてんごくをはりなきさいはひとしてまれるが、せいてううしなへば、

[下段]

すでいくらてがらのあったひとでも、そのてがらまったうしなってしまふ。ひとねばそのざいさんからはなれるとどうやうである。またえだみきからはなるればれる、はなせうずることできないごとく、たいざいもっあひだは、ぜんげふおこなっても、たゞいよいてられてしまはぬやうにばかりで、てんしゅためにはらず、とうゝゝれいこんんだものゝやうになる。たいざい一つでるのであるから、たいざいことさらしざいなすつみ)となづけられてる。

ぢごくをはりなきばつまね[編集]

とは、りっぱいへでも、もくざいこぼれたときたきゞにしかならないごとく、たいざいをかせば、れいこんこはれものって、ぢごくばつせられるほかはない。せいパウロことばによれば「つみをかものこゝろうちイエズス、キリストさらに十じかはりつける」とあるが、すなはキリストおんくるしみむだならしめ、てんしゅきふくすることこばみ、またたすかりみちみづかてるゆゑじぶんてんしゅよりぢごくてられキリストよりてられてをはりなくくるしむのほかはない。

244●せうざいどんがいるか[編集]

せうざいをかせばてんしゅたいするねっしんこゝろけがれ、だんゞゝたいざいかたむき、れんごく

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ばつまねきます。

てんしゅたいするねっしんめる。[編集]

せうざいばかりではせいてううしなふでもなければ、せいてうるともはれぬ。もしせいてうことなら、いくらせうざいかさなったときつまりたいざいり、せいてうってしまかんでうはずしかうはかぬ、せうざいではてんしゅたいするあいうすらぎ、ねっしんめかゝり、おいゝゝふねっしんり、ふようじんり、あげくにはたいざいでもおそれぬやうにる。

ぜうたいことさらふねっしんなづけるが、これいてイエズス、キリストあるひとおっしゃった「われなんぢわざってる、すなはなんぢひやゝかでもなくあつくもないが、むしひやゝかに、あるひあつくあらばや、れどひやゝかでもなくあつくもなくてぬるきがゆゑに、われくちよりはきださんとす」と(黙 示 録三。十五、十六)。そのいみねっしんるやうにはげまないならばをはりてられるにいたるとのごちゅうこくである。

こゝろけがれる。[編集]

にんげんあさましさによってまぬがれかねるせうざいと、

[下段]

おそれずにわざをかせうざいとはちがふ。いっぽうたびだうちうごみくやうなものにとゞまれど、ことさらをかせうざいしみり、ためれいこんますゝゝみにくくなり、てんしゅみこゝろかなはぬやうにる。

だんゞゝたいざいかたむく。[編集]

あくまはじめからたいざいすゝめるものでない、だんゞゝいざなふ、すなはねっしんめるにれてじゃよくあくまいざなひいやまし、はじめせうざいとゞまれどこゝろだんゞゝぶようじんり、つみきくわいけず、たいざいにまでおちいるやうにる。

れんごくばつまねく。[編集]

てんしゅめいりながら、かろんじてこれやぶれば、かならそのばつまぬがれず、あるひこのよあるひれんごくおいて、ばつせられるはずいさゝかでもけがれたるあひだは、けっしててんごくことできず、れんごくつぐのひはたさねばならぬ。かくせうざいれんごくばつまねくものなれば、いかにもおそきらひ、をかさぬやうにようじんすべきはずではないか。

ちゅういちにたとへもったいざいせうざいつがふときあかさう

だい一、たるものおやあいしながら、あるひかるはづみあるひいたづらために、しばゝゞおやはぬことあるも、おやことかまはぬでもなければ、うやまはぬでもなく、おやからげんぢういましめらるれば、おや

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かなしませることおそれて、おのれかへりみ、みづかいましめ、まじめおやかんべんねがひ、しかたなほせば、やさしくゆるされるにさうゐないが、せうざいほゞこれににたものである。ひとあさましさによるので、ひとこゝろいれかへ、てんしゅゆるしねがひ、ねっしんふるはすことあらば、くわいしゅんひせきによらずとも、てんしゅよりゆるされるのである。

しかるにそのこおやいひつけでもかへりみず、おやかまはず、そのおんわすれ、いけんおどしかず、だうらくしてざいさんつひやし、わがままかってにするためおやてゝいへですることあらば、かんだうけてもあたりまへである。一どかんだうとなってはもはやじぶんからもととほりことできない、やうやせわにんちゅうさいおやあはれみとによって、ふたゝいへことできても、おやふこうしたこといなまれぬじじつで、いつまでもそのひときずるがごとく、たいざいをかときは、てんしゅでありながら、ちゝそむきててきり、キリストごくなんむえきてるので、てんしゅよりてられるはずゆるしいたゞかうとすれば、くわんぜんつうくわいあるひくわいしゅんひせきによるのほかない。さうしてそのつみゆるされても、きずあとのこるのをまぬがれることできぬ。

だい二、たいざいをかせば、あだかりっぱたまこはしてしまったやうなも

[下段]

ので、すてものたきものほかはない。たとひくわいしゅんひせきまたくわんぜんつうくわいもって、たいざいゆるしいたゞいても、てうたまかけつぎあはせたやうで、いぜんとほりにはらず、よわみがのこり、こはれたあとえる。それで百二十三のとひったごとく、つみせいぼマリアと、つみゆるされたマグダレナ、マリアとは、いつまでもちがひ、一ぽうつみなきどうていぢょたふとばれるに、一ぽうざいぢょであったマグダレナばれ。それでもマグダレナごとつとめて、なみだねっしんとをもっきずあとみがき、てんしゅそむいたかはりに、いくばいにもみこゝろかなふやふにはげんだなら、こはれひびやきでもるやうにり、もとあくにんぜんにんにもうらやましがられることがないともかぎらぬ。

せうざいではことちがふ、たまこはれるのではない、たゞごみかさなり、あまだれためどろでもいたごとくに、つやくもってえかゝり、たまねうちさゝうにる。りながらきずいていないから、だんぜんくいあらためて、つうくわいもっごみおとし、ねっしんふるはしてつみゆるさるれば、たまもととほきれいれる、たゞふねっしんあひだせうざいは、とりかへしかぬそんるのである。

つまりいづれにしてもたいざいあとのこるのは、てんしゅしんりそのものにて

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ましませば、ごじぶんたてまつひとゞゝを、てぬもののやうにおもはせたまことできぬからである。またひとみづかてんしゅめいそむき、たいざいをかしておのれけがし、おのれきずつけたいぜうは、そのけがれまったけて、きずきがごとくになほことできないのは、からだきずきものやぶれしみなどもっあきらかにれるだうりである。ればたいざいゆるさるべきことみこんで、これをかことあらば、はなはだしいまちがひであって、いつまでもざんねんたねるにさうゐない。

245◯つみるのはじぶんことばかりであるか[編集]

いなわることいひつけ、すゝめ、うけがひ、め、てつだひし、りとくにし、またいましめねばならぬときいましめるはずひとかくことなどつみります。

いひつける[編集]

とは、めしたものに、なにかをぬすめ、ひとってなどめいじ、あるひはミサにくななどきんずること

すゝめる[編集]

とは、るがいとひ、よひかゝったひとさけひるやうなことなど

うけが[編集]

とは、いかとはれたときいとこたへるやうな

[下段]

こと

める[編集]

とは、ひとつみめてさんせいへうすることまたほんにんに、うまいなどとってめ、あるひこしぬけとかあざけってはげまこと

てつだひする[編集]

とは、つみをかすのにかせいし、めいしんざいれうけうきふし、だうぐし、はりばんし、ぬすびとかばひ、ぬすみものあづかなどこと

りとく[編集]

とは、ぬすみものうりかひし、あるひぶんぱいけるなどこと

いましめねばならぬときいましめぬ[編集]

とは、たとへばふけいめうへばんにんにして、めるべきはずなのにめず、だまってあるひばつすべきにばつせぬことなど。

いましめるはずひとかく[編集]

とは、たとへばおやなどこれったならばめるはずなのに、わざらせぬやうにことなどである。