公教要理説明/02-17

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だい四十一くわ だい五とだい六とのおきて[編集]

220◯けうくわいだい五のおきてぶんいかゞ[編集]

さだめられたるきじつにはだいさいまもるべし。

きじつ[編集]

とあるが、ときことで、………じつなにえうびとのいみであります。

ちゅう)…………だいさいせうさいものいみすなはたべものひかへることである。

221◯だいさいとはなんであるか[編集]

だいさいは一じつたゞしょくすることであります。たゞゆうはんひかへめゆるされ、あさすこしばかりたべることゆるされます。

………………

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………………

[下段]

222◯にっぽんだいさいするはずいくにちあるか[編集]

にっぽんだいさいするはずねんに八あります。すなはち四じゅんせつの七きんえうびごかうたんさいまへび

223◯なんさいからだいさいするはずであるか[編集]

まん二十一さいからであります。

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……………………

224◯どんひとだいさいめんぜらるゝか[編集]

べうにんさんぜんさんごふじんあらしごとひとぐんじんたびびとらうじんなどであります。

………………

らうじん[編集]

とはだんじょはず六十さいおよときである。だいさいまもるべきはまん二十一さいからであるが、ゆるされるのはまん六十さいでなくたゞ六十さいときとあるのは、おんけいけうぎでなくくわうぎかいしゃくすべきものであります。

そのほかたべものぶんひんきうにんこじきなどゆるされる。

たゞいくどしょくすることゆるされるからとてにくじきをもゆるされるわけにはかぬ、べつわけがなければ、にっぽんだいせうさいびてうじうるゐにくべてはならぬ。

ちゅうにっぽんだいさいびわりあひすくないから、まもひとは、いとはずにつとむるがほんたうである。わけあきらかなときは、べつゆるしらぬが、わけぶんおもはれれば、つみまぬがれるために、しさいゆるしねがはずである。ゆるしなくともむとおもながこれねがへば、けうくわいおきておもんずるしるしる。

225●けうくわいだい六のおきてぶんいかゞ[編集]

きんえうびおよそのたさだめられたるきじつにはせうさいまもるべし。

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226●せうさいとはなんであるか[編集]

せうさいとりけものにくべぬことであります。

それだい二百二十一のとひはれたとほてうじうるひにくそのしるだけきんぜられて、さかなたまごちゝまたれうりようてうじうるゐあぶらいつでもゆるされる。

227●にっぽんせうさいすべきいつであるか[編集]

にっぽんせうさいすべきまいきんようび、四はじめすゐえうび、四じゅんせつちうまいすゐえうびおよせいれいかうりんさいせいぼひせうてんさいすくひぬしごかうたんさいとのぜんじつであります。

まいきんえうび[編集]

すなはイエズス、キリストが十じかはりつけられてたまふたであるからである。たゞし四じゅんせつがいまもるべきしゅくじつきんえうびあたときせうさいせぬでもい。………

しき[編集]

とは、はるなつあきふゆことで、そのはじめすいきんどようびは、こうけうくわいいっぱんだいさいびである。はるは四じゅんせつだい一のにちえうつぎなつせいれいかうりんさいつぎあきは九ぐわつ十四つぎすゐえうびから、ふゆ

[下段]

たいこうせつだい三のにちえうびつぎこれまもるが、にっぽんたうぶんだいさいゆるされてそのかはり

すいえうび[編集]

せうさいびったのである。

じゅんせつちゅうまいすいえうび[編集]

じゅんとは四十にちことで、ごふっかつさいよびきせつであって、おほむかしからこうけうくわいきそくでは、にちえうびほかの四十にちみなだいさいびなるに、にっぽんではたうぶんゆるされてそのあひだきんえうびだけだいさいし、すゐえうびにはせうさいする。

ちゅうせうさいだいさいごとからださはらぬから、およそさいよりして、さいげんなくまもるべきものである。………………(肉食をするしか無い人などは小斎を免される)

ふつがうときしさいゆるしねがへば、せうさいゆるしられるが、…ねがことできとつぜんひとたくせうさいびにくされてことはられぬ

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ときは、ねがったらゆるされたにさうゐないとかんがへれば、…べてもつみるまいとおもはれる。

228◯なんために四じゅんせつさだめられたか[編集]

△四じゅんせつさだめられたのは、イエズス、キリストの四十にちかんだんじきならひ、ごじゅなんごしきょたっとび、つみつぐのひ、ごふくくわつさいじゅんびをするためであります。

(一)

イエズス、キリストだんじきならひ。[編集]

キリストさへ四十にちあひだだんじきたまふたれば、われゝゝも四じゅんせつおしまずいひつけられただいさいせうさいつとめてまもるのがかんえうである。

(二)

ごじゅなんごしきょたっとぶ。[編集]

つらさをいとはず、だいさいなどもって、みづかくげふめてこそ、ごじゅなんごしきょたっとみちる。

(三)

つみつぐなふ。[編集]

すなはつみは、おほにくしんくわいらくためをかされるので、これつぐのふにだいさいなどもっにくしんこらすのはしごくさうたうで、またれんごくくるしみげんずるみちである。

[下段]

(四)

ごふくくわつさいじゅんびをする。[編集]

そのときあたって、くわいしゅんせいたいひせきさづかはずなれば、ものいみそのじゅんびり、またキリストともこらさば、ともいきかへることにる。

229◯なんために四はじめものいみさだめられたか[編集]

きせつごとてんしゅからかうむごおんしゃし、つみつぐのひ、またこのときひんきうひせきさづけられるひとうへせいてうもとめるためであります。

きせつごとてんしゅからかうむごおん[編集]

じつはれぬほどある。ことわづかたねものおろして、つぎきせつに、百そうばいさくもつれば、これしぜんことおもはれても、てんしゅめぐみほかならず、これこそしゃすることわすれてはならぬ。これはんしてさまゞゝつみをかせば、てんばつまねき、てんしゅよりてられるはずなれば、きせつはじめごおんしゃするとともに、つみつぐのふのはしたうである。

また

ひんきふひせき[編集]

ときにも

さづかる[編集]

ことあれど、こときまったづ四どえうびである。…………しとたちじだいから、だんじきおよきたうし、

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えんしゅしてひんきふさづけてったから、いまも四ものいみは、そのときひんきふひせきさづかるひとうへに、おんてうもとめるためおこなはれる。

230◯すべだいさいせうさいまもられないひとなにすべきか[編集]

だいさいせうさいかはりに、いのりぜんげふなどもっつみつぐのふことをわすれてはなりませぬ。

だいさいせうさいおもなるもくてきは、にくしんこらしてつみつぐのことなれば、まもりかねるためにしさいからゆるされたとて、つみつぐのはなくてもいとわけにはかぬことかたときわすれてはならぬ、このよつぐのはぬなら、ぜひのちさらおそろしいばつまぬがれまい。ゆゑだいせうさいかはりに、できるだけたぶんいのりし、をしへけんきうあるひひとならはせ、ひんきうにんほどこしすにとゞまらず、からだくるしめるかはりとして、こゝろいましめてつみをかさぬやうに、みゝくちなどつゝしみ、たのしみげんじ、ほんぶんつくし、ことキリストの十じかあはせて、しごとかなしみくるしみなどこゝろよさゝげ、らぬかんにんいたすきことしてしきくせかたむきあらため、けってんなほし、かていひとびとはじめ、たにんにもしんせつあらはし、じぜんげふおこなふが、だいさいせうさいかはり

[下段]

としてなによりためるのである。

ちゅうだい二百十のとひはれたとほりけうくわいひようぶんたんすることだうりぜうまたてんしゅおぼしめしによってつとむべきことである。なんとなれば、いづれのくわいにふひえうするから、くわいゐんこれぶんたんするはたうぜんである。またきうやくじだいに、モイゼてんしゅめいつたへて、じんみんぱんに、さいにふの十ぶんの一をしさいせいくわつひみだうおよさいしきいりようためけふきふすることめいじてった。

なほせいパウロあきらかにいはく「せいしょくいとなひとゞゝせいでんものしょくし、またさいだんつかへるひとゞゝさいだんぶんぱいあづかる。かくごとしゅまたふくいんべるひとゞゝふくいんってせいくわつすることさだたまふたのである」と(コリント前書九。十三、十四)。またいはく「をしへまなひとは、まなばせるひとに、いっさいもちものうちあたへよ」と(ガラチア書六。六)。そのわけれいてきせわけるかはりぶっしつてきものもっこれむくいるはしたうである。ゆゑしんじゃけうくわいふけうのみならず、しさいでんだうしゃようせいなどえうするひようまでちからおよかぎこゝろよふたんすべきである。またせじついやすことをおしまぬものならば、てんしゅためにもおしまず、ひようぶんたんするやうにふんぱつせねばならぬ。せいパウロいは

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く「をしんですくなひとまたすくなり、ゆたかひとまたゆたかる」と。(コリント後書九。六)