公教要理説明/02-14

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だい三十八くわ こうけうくわいの六つのおきて[編集]

209●てんしゅの十かいほかなおまもらねばならぬおきてがあるか[編集]

しかり、こうけうくわいおきてをもまたまもらねばなりませぬ。

こうけうくわいおきて[編集]

とは、イエズス、キリストめいれいまもらせ、あくへいのぞき、しんじゃたすかりみちびために、しとおよそのさうぞく

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しゃてるきそくめいれいいましめなどである。

すなはイエズスごせうてんまへしとたちめいじて「きてばんみんをしなんぢらめいぜしことことゞゝまもるべくおしへよ」。と(マ テ オ二八。二十)おっしゃったのでこうけうくわいではおきててゝ(一)イエズスめいれいまもみちあきらかにするのである。たとへばくわいしゅんせいたいひせきさだたまふたれど、いつうくべしとはおっしゃらぬので、こうけうくわいでは、すくなくともねんに一とのおきてて、(二)まただんじきせよとイエズス、キリストおっしゃったが、こうけうくわいそのはうはふしめして、だいさいせうさいおきてまうけられたのである。

(三)しかそればかりでない、しとたちにはことさらに「なんぢらちぜうにてつながんところてんにてもつながるべし」と(マ テ オ一八。十八)はれたが、つなぐとことばむろんきそくおきててるとのいみで、にんげんたすかりみちびにんあたれば、それためぜんけんけて、しとたちおよさうぞくしゃは、けうくわいをさめ、しんじゃとりしまりひつえうみとめるきそくおきててることゆだねられたにさうゐない、こうけうくわいだいだい二のおきてそのるゐである。

(四)そのことばいでイエズス、キリストまたなんぢらちぜうにて

[下段]

かんところは、てんにてもかるべし。」とおっしゃったから、おきててるのけんともに、いりようしだいそのおきてあらため、ゆるめ、またゆるすのけんたまふたにさうゐない。そのときてんおいてもぜにんせられるとのおんやくそくなれば、しとおよさうぞくしゃは、じっさいおきてさだることはうたがひない。こうけうくわいにちえうびはたらゆるしあたるのはそのわけもとづくのである。

こうけうくわいおきてをもまたまもらねばなりませぬ[編集]

とは、イエズスことさらに、「ひとけうくわいかずば、いけうじんみつぎとりごとみなすべし」(マ テ オ十八。十七)またなんぢらひとわれき、なんぢらかろんずるひとわれかろんずる」(ル カ十。十六)などおほせられたからであります。はれたのは十二しとであって、そのさうぞくしゃこうけうくわいほかになしとらねばならぬ。

おきててるけんあるいぜうこうけうくわいまたこれまもらせるはうはふをもまうけることできはずたとへばまもらぬものにはひせきこばことけうくわいからはもんすることキリストけうてきさうれいきんずることなどそのわけである。

ちゅうてんしゅの十かいこうけうくわいおきてちがところは、(一)十かいひと

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みなこれまもるべきに、こうけうくわいおきてキリストしんじゃだけにとゞまる。(二)十かいいつどこおなじものであるのに、こうけうくわいおきてめいれいであるからそのとききまってる、またかなはぬときにはまもらぬでもい。

210◯こうけうくわいおきていくつあるか[編集]

こうけうくわいの一ぱんおきておもなるものはむつあります。

ぱんおきて[編集]

とは、たれかれかゝはらず、しんじゃみなかゝおきてであって、

つあります。[編集]

なほしさいしゅうだうしゃけうくわいさいばんきりつぎしきなどくわんするおきては、おほむかしからいろゝゝたてられて、はふりつのやうにおびたゞしい。

ちゅうこうけうくわいおきては、いづこでもかはことがないけれど、しんじゃことさらきおくさせねばならぬことくにによってことなるから、したがっておきてとなへかたくにによっていくらちがふ。たとへばにっぽんげんこんさいようするぶんは、ふっこくあたりのものにて、おきてだいだい二はせい

[下段]

じつまもり、だいだい四はだいじひせきさづかり、だいだい六はものいみるにくわんするもので、どいつうであるが、ろうまでは、だい一とだい二、だい三とだい四、だい五とだい六をあはせてみつにし、そのつぎだい四には、はふれいおよくわんしふしたがって、けんきんもっけうくわいいりようおうずべし、だい五には、きんしときこんいんこうしきしっかうすべからず、とあるだけである。えいこくべいこくなどでは、だい一とだい二、だい五とだい六をあはせてふたつとし、だい三とだい四をそのまゝき、だい五にはわがしぼくしゃたちせいかつひぶんたんすべし、だい六には、こんいんけつぞくきんとうないおよせうげあるものあひだにはむすばず、またきんしときそのこうしきしっかうすべからず、とのことである。

それおきてぶんせていからおきてらぬとわけにはかぬ、おきてぶんめんかぎったものではない、またそのぶんけうくわいかしらひつえうみとめられるときは、いつでもこれていせいすることできる。