公教要理説明/02-01

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だい二十五くわ 天主てんしゅ十誡じっかい

137●天主てんしゅ十誡じっかいとはなんであるか

十誡じっかいてん

[下段]

しゅむかしモイゼ聖人せいじんさづたまふた十のいましめであります。

十誡じっかい

天主てんしゅから直接ちょくせつたまはったものである。

むかし

とはイエズス、キリストよりおよそ一千五百年前ねんまへ

モイゼ聖人せいじん

天主てんしゅえらまれた人民じんみんが、エジプトくにで四百ねん間非常あひだひぜうなやまされたのに、これ救出すくいだして約束やくそくみちびために、天主てんしゅ殊更ことさらえらたまふたひとである。聖人せいじんはれたのは、もっぱ天主てんしゅ御心みこゝろかなふやうにはげんだからであります。

天主てんしゅが………さづたまふた。

天主てんしゅ肉眼にくがんたまはぬのに、格別かくべつかたちあらはたまふたが、モイゼ注意ちういためえながらけぬいばらなかからこれたまふたのである。十誡じっかいたまはった場所ばしょ西亜細亜にしアジアはてアラビアこくそびへる、シナイやまうへであった。其時そのとき状態ありさまはげしき雷鳴電光かみなりいなびかりあって、山全体やまぜんたいえるがごと黒烟くろけぶりおほはれてあったが、これ天主てんしゅ威厳ゐげんしめすとともに、天主てんしゅそむけばかならおそろしきばつくべきことさとしたのであります。

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とをいましめ

まい石板いしいたいたもので、天主てんしゅゆびいたとあるが、天主てんしゅゆびとは全能ぜんのう替名かへなである。

はじめの三かい天主てんしゅたいし、あとの七かいひとたいするものである。信者しんじゃ十誡じっかいまもためかなら其文そのぶん記憶きおくし、其意味そのいみをも合点がてんせねばならぬのであります。

ちゅう十誡じっかいほか天主てんしゅモイゼめいたまふた事夥ことおびたゞしく、こと人民じんみん法律はふりつ叉献またさゝぐべきまつり方則等はうそくなど種々いろゝゝあったが、これモイゼはふなづける。モイゼはふ旧約時代きうやくじだいすなはイエズス、キリストいたるまでとゞまったが、十誡じっかいだけは性法せいはふすなは人心じんゝゝ刻付きざみつけられた善悪ぜんあくのりせたものゆゑ何時いつまでもまもるべきものであります。