公教要理説明/01-02

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だいくゎ てんしゅ[編集]

13●てんしゅとはたれでありますか[編集]

てんしゅは、てんちばんぶつつくり、かつつかさどたまものであります

てんしゅ[編集]

とは、てんみあるじいみであります。せけんではこれてんばかなづけることあれども、われゝゝしんじゃってはことたらぬ。

てん[編集]

とは、このせかいほかどこてんうへばかりでない、したぐるりてんである。

[編集]

とは、このせかい

ばんぶつ[編集]

とは、よろづものって、てんるものつきほし

[下段]

るものうみやまくさけものにんげんなにばんぶつうちである。

つく[編集]

とは、でかし、あらしめたまふたとことである。

つかさどたま[編集]

とは、はからをさたまふとのいみ

てんちばんぶつもとからるものでない。もとかったのに、てんしゅこれつくたまふたのである。しかしょくにんものつくごとくでない、むしろあらしめた、でかした、すなはできみちできはふそくてゝ、そのみちそのはふそくしたがってできるやうにいたたまふたのである。そこてんしゅつくりぬしせけんではまたぞうぶつしゅぞうぶつしゃともなづける。てんしゅばんぶつでかたまふたばかりでなく、たまふたいろゝゝはふそくしたがってばんぶつはからたまふのである。ほしめぐるのも、あめるのも、かぜくのも、いねむぎくさけだものにんげんできるのも、みなてんしゅおんはからひである。せけんでも「せいめいあり」とふが、ことさらひとぬのも、うまれてきるのも、みないはゆるてんめいすなはてんしゅおんはからひによるとのいみである。

それてんしゅなにでかし、かつはからたまおんものなれば、これ

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まことかみすなはじっさいすべてのものゝうへにあって、さいぜうのもの、このうへのないみあるじである、これならぶものはけっしてない、ならべようとするのははなはむりである。

14●てんしゅたまふものでありますか[編集]

てんしゅは、れいでありまして、かたちがないから、にくがんたまふものではありませぬ。

われゝゝれいこんれいであるから、これいてかんがへればわかやする。

れい[編集]

とはふものであるか、れいむけいすなはいろかたちなくして、ちえいのちのあるものである。いろたとへばしろいとかくろいとかふもの、かたちたとへばまるいとかしかくとかながいとかみじかいとかふものであるが、れいしろくろながみじかおほきちいさなどふやうなものではない、まったいろ

かたちがない[編集]

ものである。またかぜごとはだあたり、にほいごとはながれ、おとごとみみきこえるものではない。そんものとはちがって、ちえがあってものわかる、またいきたものである。

ひとたましひそのとほりで、にはえねどはたらことえる。ひと

[下段]

うごいたりものわかったりすれば、たましひがあるとれ、んでものわからずうごかぬやうになれば、たましひけたとれるてんしゅたまはぬのに、そのはたらきえる、てんしゅがなければてんちばんぶつけっしてあるまいとのわけである。

にくがん[編集]

すなはにくしんえるのはいろかたちばかりであるから、れいこんさらえず、てんしゅのくがんたまふものではない。そんならてんしゅまったたまはぬかとふに、にくがんえねどこゝろたまふ。せいパウロいはく「てんしゅみうべからざるところそのえいえんのうりょくしんせいも、せかいさうぞういらいつくられたものによってさとられ、あきらかにえるがゆゑに、ひとゞゝべんかいすることず」と(ロマ書一ノ廿)。てんしゅみとめぬのは、おほこゝろじゃよくためくらまされてあるわけによる、それイエズスキリストは「さいはひなるかなこゝろきよひとかれらてんしゅみたてまつるからである」と(マテオ五ノ八)のたまふた。それこのよからのことであるが、んだときたましひにくたいはなれてから、てんごくおいちょくせつてんしゅたまふにさうゐない。しかこのことあとてんごくいて(だい百二十七のとひに)ときあかす。

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ちゅうれいのやうにかたちことむけいひ、そんなものをむけいぶつふ。これはんしてかたちこというけいひ、そんなものをいうけいぶつふが、またこれいっぱんぶったいぶっしつともふ。ぶっしつれいはんたいぶぶんがあって、できたりくづれたりする、れいぶぶんなくしてめっすることなし。

15●てんしゅにははじめがありますか[編集]

てんしゅは、はじめもなく、をはりもなくしてえいゑんましまものであります。

なにものでもできときそのものゝはじめで、くなるときをはりである。

てんしゅ[編集]

できたものでないから

はじめなく、[編集]

またなくなるものでないから

をはりもない。[編集]

はじめをはりのないことえいゑんふ、それてんしゅ

えいゑんましま[編集]

まうす。

てんしゅほかに、はじめのないものはない。おほむかしにんげんけものくさこのせかいさへもかったとことあきらかにれる、それみなはじめがある、またをはりがあらう。

16●てんしゅどこましますか[編集]

[下段]

てんしゅは、てんにも、にも、どこにももましまさぬところはありません。

てんしゅ

どこにも在す、[編集]

のは、れいこんからだうちいっぱいあるがごとくである。

ればてんしゅぢごくにもおでになる、たゞざいにんうちすてられてんしゅことできぬのが、ぢごくひとつくるしみである。てんしゅひとこゝろにもおでになる、たゞぜんにんこゝろには、あいふかちゝごとくおでになるに、あくにんこゝろには、こればつすべきはんじごとくであります。

17●てんしゅにはたまはぬことがありますか[編集]

てんしゅたまはぬことがありませぬ、これぜんちまうしますてんしゅどこにもましますによって、どこことでも

たまはぬことがありませぬ。[編集]

それひといかかくしてなにごとかをようとしてもけっしてかくことできぬ、ひとかくしてもてんしゅにはけっしてかくぬ。ひともっとひそかおもひでものぞみでもみなしって、そのよしあししだいかならほうびあるひばつあたたまはず

てんしゅまたいつかはことなくおでになるによって、いつ

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ことでもごぞんじで、すなはくわこって、すぎさったことむかしことげんざいって、いまどこにでもあることみらいってことさきゞゝあるはずことごぞんじである。てんしゅなにごとりならざるのを

ぜんち[編集]

すなはまったちえかぎりなきちえ

まを[編集]

ますひとおもことるから、てんしゅひとたやうに、なにごとみたまふとはふが、れいでありますから、いのはまうすまでもないことである。

18●てんしゅにはできなさらぬことがありますか[編集]

てんしゅにはできなさらぬことがありませぬ、これぜんのうまうします。

てんしゅてんちばんぶつでかしなさったによって、なにでもおのぞみとほたやすできなさる、

できなさらぬことがありませぬ。これぜんのう[編集]

すなはまったちからかぎりなきちから

まうします。[編集]

それこのせかいほろぼことでも、べつせかいつくことでも、たやすできなさるにさうゐない。

それならむりことひとあざむことなどできるかとふに、そんことちからではない、ふそくであるから、てんしゅにはできぬ。またり

[下段]

はぬことたとへばしかくたまつくことできるかとふに、てんしゅにはできぬとふよりは、そんなものはできぬ、るにられぬとふがほんたうである。もとよりたまならばしかくでないしかくなものはたまでないからである。

19●なにっててんしゅましまことりますか[編集]

てんしゅましまことてんしゅしめしってしんじます、まただうりってもれます。

こゝ

てんしゅましま[編集]

とは、いよいてんしゅるとことで、げんへてへば「てんしゅそんざい」とひます。

なにって[編集]

るかとたづねたのにへんじふたつわかれる。

いっぽう

しんずる、[編集]

いっぽう

れる[編集]

ふことであるがこれをみわけてもらひたい。なぜなればしんずるとはしんかうことてんしゅしめしって、われゝゝてんしゅることがわかりれるのはすなはひとでもだうりってかんがへたならば、てんしゅことがわかるからである。たいせつであるかられうはうすこくわしくべねばなるまい、こどもためばかりでな

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く、はなしたびゝゝでゆゑである。

(一)われゝゝしんかうわけほかでない、

てんしゅしめしる。[編集]

てんしゅしめしとはだい九のとひべたごとてんけいって、てんしゅらせたまふたことふ。てんけいらぬでもてんしゅことみとめたひといくらもあるけれども、ひとむちためいろゝゝぜうよくためくらまされやすいから、それかゝはらずひとでもみなやさしく、うたがひなく、まちがひなくことできるやうに、てんしゅことさらごじぶんことらせたまふたのである。それいっぺんでなくいくたびにもわかちて、じんそアダムはじめ、だいゞゝしそんことセットエノクノエアブラハムイザアクヤコブなどまたことさらモイゼせいじんまたあまたよげんしゃだんゞゝをしへあらはし、つひおんこイエズスキリストもっをしたまふたのである。これみなてんけいぶぶんで、そのじじつおよきうしんれうやくせいしょせて、いよいまことであるとのせうこおびたゞしいきせきおよよげんおこなはれ、ぜんちぜんのういんぱんのやうなものをもっほせうせられた。またこうけうくわいもっばんこくばんみんつたへられるものであるが、これわれゝゝしんかうどだいである。

[下段]

それせけんでは、キリストしんじゃてんしゅしんずるのはせんかたなしで、ほかこのせかいわけことできぬからであるとはなしあれども、けっしてうではない、われゝゝしんかうもっぱてんけいもとづく、すなはてんしゅしたしらせたまふたからである。てうおやるのは、おやからそだてられて、をそはるからであるのとおなだうりである。

(二)なほ

まただうりっても[編集]

てんしゅましまこと

れる。[編集]

だうりとは、あたりまへひとならばはやわかはずはなしである。だうりってれるとは、だうりしてれば、いろゝゝことかんがへれば、てんしゅましまことさとはずいみ

げんにんげんはじめ、かぞへられぬほどしゅるいわかれたくさけものなどみえるが、これみなどうしてできたものであらうか。いついつうであったとすればかくも、うつかわってくので、もとなかったにさうゐない。もとなかったならうしてできたか、でかしたものたれであらうか。またくわがくもっなかゝゝみつくことできめづらしいつりあひはふそくなどみえるが、たれさだめであらうか、しぜんとはふけれども、ったばかり

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るか。まためんゝゝこゝろかへりみれば、ひとではなけれどなかゝゝあらそはれぬこゑのやうなものがあって、うしてはならぬといましめるのは、たれこゑであらうか。なにいてもさかのぼってだうりせば、かならてんしゅことみとめねばならぬやうにる。うかわけせうゝゝのべてきたい。

だうりぜうてんしゅそんざいせうするわけ

だい一、ばんぶつだいげんいんがくしゃもっぱところによれば、このせかいえるさうもくしゅぞくは五十まんいぜうどうぶつこんちうしゅぞくは六十まんいぜうしれてる。まただいちばれたわがちきうは、すう百のいうせいともえずたいやうぐるりくわいてんする。むかしからたいやうちきうよりゆききされるもの、あまつさちきうよりつかさどりかれるものあまいはどにでもかくれたくらゐのものとおもはれたに、じっさいひゃく三十五まんばいばかりちきうよりおほききくして、こめに一つぶくらべるほどである。ちひさえるのは、三千八百まんりほどはしきしゃでも、四十五ねんかゝくらゐである。またきんくぎのやうにそらかゞやほしおよたいやうごときものであって、えるのは一おくばかり

[下段]

なれど、ばうゑんけうれば十おくくだらぬとふ。このてんちばんぶつうしてるものであらうか、もとよりいつこのとほったものか、できたものかふたつきまる。ところだんゝゝかはってやうすれば、いつうであったとはうしてもはれぬ、いよいできたもの、げんできつゝあるものであるとことは、かがくぜうあきらかにれてる。それならできたものならばしぜんできたか、あるひでかしたものがあるか、そこもんだいである。しかるにしぜんできたものはけっしてない、かならでかすものがある。なにものでものものから、すなはあるひおやから、あるひたねから、あるひくわがふからできほかはない。いえとけいしぜんできたとはれようか、これでかだけちゑちからのあるものえうすれば、このばんぶつできるにはしてうである。それいづくににもはれるとほぞうぶつしゅとかかみとかせうするものがあって、ばんぶつでかすにさうゐない、らゆるもののこらずぞうぶつしゅすなはてんしゅのあることせうするのである。

だい二、うんどうげんいんつきほしちきうかねいしごとく、きてらぬものしぶつふ。くさとりけもののやうに、

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きてものせいぶつふ。しぶつは、だせいって、ほかからうごかされぬならば、いつまでも、みづかうごことできぬ。またしぶつせいぶつらずせいぶつかならどうるいおやあるひたまごからできほかはない。このふたつことは、きまっただうりである。

ところつきほしちきうなどは、しぶつながらみなうごいてる、ひぜうはやさもっうごいてことは、てんもんがくもっれる。ちきうだけのことでもけば、じてんとてこまごとまいにちいっぺんぐるりまはるが、そればかりでもせきだうあたりのところは、いちにちいちまんりあまりはしる。そのうへこうてんとてまいねんたいやうぐるりひとまわりするがいちじつはしりかたは六十五まんりすなはいちべうじかんまたゝくま)に七りほどであって、とくべつきふかうれっしゃよりもせんそうばいいぜうはやいものである。たれでもききなれたこのふたつうんてんほかに、てんもんがくしゃなほとをばかおもなるうんてんみとめてるが、たうていしろうとではゆめにもわからぬはなしたゞわれゝゝかくこんざつきはまるべきうんてんあるのに、ほとんちきううごかぬとおもはれるほどきめうてうわされてあるのは、ぐうぜんことであらうか。とけいきかいまはるのは、ぐうぜんできごと

[下段]

であるか。ぞうぶつしゅきめうふしぎぜんちぜんのうわざほかはない。あるがくしゃかみわざこといなんで、たれつまはじきしたものがあるとったが、かくうんてんさせるものがなければ、てんたいみづかうごことできゆゑうんてんさせるものはどなたであらうか。

だい三、せいめいげんいんまたせいぶつみなおやからできるとへば、もとゝゝどうであったか、けものにんげんなどかったときに、どうしてはじめてできたか、たとへばとりたまごからうまれるが、いちばんさきとりであったか、たまごであったか、とりいのにどうしてたまごできたらう、たまごいのに、どうしてとりできたらう。きくさはじめきくさであったか、たねものであったか、きくさいのに、どうしてきくさできたらう、「かぬたねえぬ」とふではないか。ひとあって、はるなつあきふゆはじめなく、ねんゝゝおなじやうにつゞく、いつはじまったかれぬとへば、おもはるれど、どうしてもはじめがあるはずことしせうわ十五ねんなら、さくねんは十四ねんであったにさうゐない。たとひ十五ねんかはりに、十五まんねんってもいつ

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ぐわんねんがあるはずねんゝゝかずえれば、さかのぼときかならはじめがある、もとのないにはのぼられぬ。

ひとあって、なんでもしんくわせつしたがって、しぜんしんくわしたとはうか。しかいよいしんくわして、べつるゐできたとのたしかせうこどこにあらうか、うりたねなすびえぬのは、もとからのだうりもとつまらぬものだんゞゝしんくわしてたとっても、そのつまらぬものできるには、でかしたものる。またしんくわするにも、はうはふがあるから、そのはうはふてたものそのはうはふしたがってしんくわさせるものる。こゝろみにんげんさるりたいとおもっても、むろんできぬのに、さるにんげんりたいときにはなほさらさうである。さるにんげんに三ぼんけらぬとへば、にんげんるには、たれらぬところほどこものがなければ、たうていできはずはない。をかしはなしはれてもだうりだうりである。ひとあって、むしでもかびでも、たねなしにはけっしてできぬと、くわがくぜうわかったことである。せけんしぜんふのは、てんねんふがほんたうであって、てんねんてんしゅしからしめ

[下段]

たとのかへなである。

しぶつうんどうも、せいぶついのちも、もとかならてんしゅあたたまふたものである。もとあたへたものがなければ、けっしてしぜんできはずはない。

だい四、ばんぶつじゅんじょなによりめづらしいのは、ばんぶつじゅんじょまたつりあひである。しろうとそのうはべて、ふしぎおもふが、くわがくこれけんきうすればするほどなほゝゝかんたんへぬのである。たとへばにんげんは、いかにもこみいったりっぱきかいで、ものるにつりあったことは、がくしゃいくちからつくしてけんきうしてても、まんいちをもわかつくことできぬ。かんしんしゃしんきなどは、わづかちょってほんにしたばかりである。しかにんげんだけではなく、とりうをけものけんびけうやうやえるちひさいむしまたけんびけうでもえぬこまかいむしばいきんいたまでやはりみなめがある。よるでもえるもの、またくらがりばかりにえるものがあって、おのゝゝちがってるけれども、にはりっぱつりあってる。ぜんたいうちちょっとしたぶぶんで、なほみゝはなくちあしなどがあり、またほねぐみきんにくちすぢしんけいないぞうしゅゞゝきくわんがあって、

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そのそしきそのはたらきなかゝゝことばつくされず、にんげんこまかいむしちいさいせかいのやうなもので、いかにもきめうふしぎなものである。またすうまんわたきくさたぐひは、みなにるけれども、そのかたちそのそだちそのしつそのむところそのつかはれるところあひことなってる。たいぼくでもちいさいたねからせうじて、どうるゐものりっぱるが、そのえだも、まったものはない。これどうぶつがくしょくぶつがくなどけんきうすれば、まこときめうで、たうていことばつくされぬものである。

これみなふとできものしぜんできものはれようか、とけいでもきかいでも、しぜんできたとふのとおなりくつる。たとへばものみなくわじためはひけむりくわして、もとぶんしひとつせてらぬにせよ、またしぜんもととほりにかへるか。ばんぶつみなぜんちぜんのうてんしゅおはからひによってできものさうゐない、できものさとったばかりでだいがくしゃはるれば、してもとよりこれでかたまふたぞうぶつしゅをや。おどろかすはつめいてんねんぶつけんきうしてそのちからおうようするばかりである。そらみづおよつまらぬむしでもさすがひかうきせんかうていよりどれほどたくみ

[下段]

るか。

だい五、しうけうげんいんばんぶつうへたれってこれでかし、またつかさどるとことは、じんるゐいっぱんおほむかしからがてんしてる。がてんしてればこそ、くにでもしうけうのないとくにはない。なるほどてんとかてんていとか、ぞうぶつしゅとか、かみとかほとけとか、いろゝゝけてある。またどんなものであるかとこといたっても、さまゞゝかいせられるけれども、とかくにんげんをがむべくたふとむべく、しゃすべく、いのるべきものがあるとおもへばこそ、それためだうみやてらなどて、まつりきたうくもつなどまうけたものである。これかどちがひばかりで、じんるゐいっぱんてんしゅそんざいきざしてことせうするにさうゐない。

このいつゝわけは、ばんぶつだうりしたときに、てんしゅそんざいせうするものであるが、おのれいてかんがへても、またこれさとはず

すなは

だい六、一しんぜうだうりむかしから「しせいめいあり」とのめいげんとほりどんひとでもじぶんおやのものでもなければ、おのれのものでもないことあきらかである。すなはおやからうまれても、おやどん

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できるか、いつうまれるか、いつまできるかはらず、またかみけいっぽんでもかってらぬなれば、しせいすなはうまれてぬるばかりでなく、せうがいまったく「てんめい」によるとことうたがはれぬ。てんとはてんしゅかへなである。ばんじてんしゅおんはからひによることあきらかであって、ひとおのれうへかんがへれば、しせいばかりでなく、せうがいてんしゅめいによるべきことさとはずである。

だい七、れうしんしょうめいめんゝゝこゝろかへりみればまたぜんめいあくいましたまてんしゅのあることさとはずそのわけは、おれじゆうひながら、なにかをようとすれば、こゝろうちこゑのやうなものがあって、これわるい、それい、るな、よと、しきりすゝめる。いやでもこれしたがったときは、そのこゑは、ことた、これかったとめてうれしがらせる。しもそのこゑそむいてしたならば、ひとはなくてもしきりとがめて、ゆるしけるまではあんしんならず、そのかしゃくもって、はやかれおそかれそのばつまぬがれぬことさとされる。そのこえめんゝゝうまれついたれうしんふものであるが、ひとさしづではない、ぜんあくくべつてゝ

[下段]

ぜんめいあくいましめる「てんめい」である。これこそにんげんうへものめいぜんあくせうばつたまてんしゅことりっぱせうするものである。

だい八、むしんろんせうめいこれまでのはなしは、おもてからのだうりであるが、うらからろんじてもおなことで、てんしゅいとすれば、このよまったせつめいできぬ。だうらくにんあくたうって、このよられぬとほどる。

てんしゅいならば、ばんぶつふとしぜんできもので、べつはからものはなし。またはふりつほかに、あくいましめるものなく、いくあくじても、けいくわんさへのがるれば、なにおそるべきものはいやうにる。しうけうもとよりらぬ、またみらいきぼうするはずはないから、あくたうごとく、めやうたへやいっすんさきやみむやみうたふがあたりまへる。なほよくおさへ、ぎむはたし、ぎせいなどにはおよばず、ぜんてもあくても、つまりちがはぬから、よしあしかまはず、できるならくまでぜうよくみたしてこのよたのしむやうにるがい、ねばそれかぎり。またいうせうれっぱいなかなれば、なんぎひとよりたのものなく、きるのが

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いやならば、じがいしてもそんはない、なんおそろしいはなしではないか。りながらいくらひれつはなしひとみちけることとはへ、いまかくこくなやましつゝあるあくたうむせいふたうしゃかいしゅぎしゃなどもっぱところは、みなむしんろんすなはかみなしとのろんけっくわではないか、けっくわむりとすれば、もとづところむりはねばならぬ。てんしゅいならば、まったしうけうらず、しうけうしんければ、にんげんでもどうぶつおとものる。このわけよくしてたならば、かならてんしゅそんざいみとめるはずである。しんせいしうけうけっしてぶっけういはゆるかんぜんてうあくほうべん」ではない、かならしんりである。

てんしゅそんざいせうするところやゝながたらしくべたが、なかなかつくしたところでない、りとらゆるものはのこらずいくどうおんぞうぶつしゅことせうする、まいでもくさぽんでもせうせざるはない。これはんしてひろせかいにはぞうぶつしゅいとせうこひとつでもあらうか、けっしてあることなし。このろんもとづてんおもふたつだい一、げんいんなきけっくわなし、だい二、さくさくしゃぎれうれる。なにいてもまごゝろろんじてれば、かなら

[下段]

てんしゅぜんちぜんのういかかんずべく、しゃすべく、あいすべきかをるにいたる。このしょうこけいここどもかならかせねばならぬとわけではない、つごうしだいもちゐるがい。