ニカイア以前の教父たち/第3巻/倫理的論文/祈りについて/第四句
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第3巻
[編集]祈りについて。
[S. テルウォール牧師による翻訳]
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第5章 第四句
「御国が来ますように」は、「御心が行われますように」が指すもの、つまり私たち自身についても言及しています。というのは、すべての王の心を握っている神が、いつ統治しないことがあるでしょうか[1]。しかし、私たちは自分のために望むことは何でも神のことを占い、神に期待するものを神に帰します。したがって、主の王国の顕現が神の意志と私たちの切実な期待に関係しているのであれば、どうしてある人々は時代の延長を祈るのでしょうか[2]。私たちが来るように祈る神の王国は、時代の完成に向かっているのに[3]。私たちの願いは、私たちの統治が早められることであり、奴隷状態が長引くことではありません。たとえ、私たちが王国の到来を求めるように祈りの中で規定されていなかったとしても、私たちは求められずにその叫びを上げ、希望の実現を急いだことでしょう。祭壇の下の殉教者たちの魂は[4]、嫉妬のあまり主に叫ぶ。「主よ、いつまで地上の住民に対して私たちの血の復讐をなさらないのですか?」[5]当然のことながら、彼らの復讐は[6]世の終わりに定められている。主よ、あなたの王国が一刻も早く来ますように。キリスト教徒の祈り、異教徒の混乱[7]、天使たちの歓喜、私たちはそのために苦しみ、いや、むしろそのために祈るのです!
脚注
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