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シリヤの聖イサアク全書/第十三説教

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第13説教

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<< ある兄弟けいていとひ。 >>


どうしんかつある兄弟けいていとひけたり、いはく『如何いかにすべきか、物品ぶっぴんのあるあり、あるい劣弱れつじゃくためあるいこうためあるいあるゆうによりこれ必要ひつようゆうすること毎々まいまいなり、此物このものなくんば黙想もくそうあたはず。しかれども或者あるものこれ必要ひつようゆうするをどうじょうねんへず、此物このものもつかれあたへ、また或人あるひとにははるるによりあたふることもしばしばこれあり。けだしあい誡命かいめいこれ余儀よぎなくせしめて、われ自己じこ必要ひつようなるものをゆづらしむるなり。しかれども其後そののちため此物このもの必要ひつようなるは、ねんあんじょうらんとにおちいらしめ、りょく黙想もくそうのことをおもんばかるより引誘いんゆうるのみならず、黙想もくそうて、ゆきどう物品ぶっぴんさがすを余儀よぎなくせしむるなり。たとひ忍耐にんたいして黙想もくそううしなはざるをるとも、おほいなるうれひおもひじょうらんうちにあり。ゆえいづれをえらきをらず、あるい兄弟けいていやすんぜしむるがため黙想もくそう解除かいじょしてこれちゅうするをすべきか、あるいかれねがひかろんじて黙想もくそうもっぱらなるべきか』と。


老人ろうじんこれこたへつぎごとへり、いはく『もし矜恤きょうじゅつあるいあいあるい慈悲じひあるいそのところかみためにすとみとめらるる或事あることなんぢ黙想もくそうさまたげ、なんぢてんぜしめ、なんぢあんおとしいれ、なんぢかみおくする念慮ねんりょくらまし、なんぢとう寸断すんだんし、ねんじょうらん紛淆ふんこうなんぢしょうぜしめ、神聖しんせいなるどくきょうつとむるをめ、しんこうちょうよりすくはるべきこのかいて、なんぢ戒心かいしんめつし、なんぢ此時このときいたまで検束けんそくせられしをゆうざい往来おうらいするをはじむるにいたらしめ、どくきょりたるを人類じんるい社会しゃかいかへらしめ、ほうむられたる慾念よくねんなんぢじゃくし、なんぢかん節制せっせい解放かいほうし、したるなんぢため復活ふくかつせしめ、なんぢため唯一ゆいいつおもんばかりなるてん使てきこうよりなんぢ貶黜へんちつして、俗人ぞくじんがわつるならば、かくのごときのほろぼすなり。けだし肉体にくたいじょうやすきをあたへてあい義務ぎむ遂行すいこうするは俗人ぞくじんおこなひなり、しかれども、もし修道しゅうどうおこなひならば、こは黙想もくそうもっぱらなるにあらざるじゅうぶんなるものおこなひあるい黙想もくそうもつ同心的どうしんてき共住きょうぢゅうがつしたるものおこなひにして、かれだんかつづるなり。かくのごとものためには、こはにしてたんしょうすべきおこなひなり。

これはんして身体しんたいもつてもりょくもつても、はなれたる遁世的とんせいてきこうじつおのれため撰擇せんたくして、その独居どくきょとうけつし、すべすぎるもののためこのぞくするものるがためおよこれおくためにはしゃごとくなりしもの、かくのごとものためには、肉体にくたいぞくするものと顕然けんぜんたるおこなひ(之を以てハリストスの前に義とせられんが為に)をすをつとめずして、使徒しとごと地にある肢体コロサイ三の五〕をころし、じょうけつにして無玷むてんなるねんまつりハリストスささげて、自己じこ開拓かいたくしたる初実しょじつとなし、らいのぞみため肉体にくたいあいせいにして、あやふきを忍耐にんたいするは當然とうぜんなり。けだし修道しゅうどう生涯しょうがいてん使生涯しょうがい同尊どうそんなり。さればてんじょうこうをすててうきぞくするものをするはわれ適當てきとうなり。われかみ光栄こうえい世々よよす。「アミン」。