<< 感覚の事併て誘惑の事。 >>
貞潔にして一に集中せられたる感覚は霊魂に平安を生じて事物を試みるに入るを許さざるべし。然して霊魂が事物の感触を己れに受けざるときは勝利は戦なくして成らん。しかれどももし人が漸く怠慢して打撃の来り近づくを許す時は、戦を受くるを余儀なくせらるべくして、最単純平和なる元始の浄潔は攪乱せらるゝなり。けだし此怠慢により人類の大半或は全世界も天然自然の清き状態を失はん。故に世にありて世の人々と密なる関係を為す者は智を浄潔にする能はざるべくして、智の元始の浄潔を回復するを能くする者は僅々なるべし。ゆえに凡の人は常に警戒してその感覚と知覚を打撃より守らざるべからず。けだし儆醒と不眠と豫覺とは大に要用なり。
大なる質朴は変じ易し。人性は神に従ふ界限を守るが為に畏を必要とす。神を愛するは人に道徳の行為を愛する心を喚起して、之により人は作善に誘引せらるゝなり。霊的知識は其性質に於て道徳の行為の後にあり。然れども畏と愛とは彼と此とに先だつべくして、愛は又畏に先だつ。凡て前者を為すなくして後者を求むるを得べしと、耻ぢずして言ふ者は霊魂の為に滅亡の第一の基を置かんこと疑なし。此の如く主の途は後者は前者より生ずるなり。
汝の兄弟を愛するを或物を愛するに換ふるなかれ、何となれば汝の兄弟はすべてのものより貴重なる者を奥密に己の内部に受たればなり。大なる者を得んが為に小なる者を棄てよ、高価なる者を得んが為に余分なるものと低価なるものを軽んぜよ。自己の生命に於て死すべし死後に生きんが為なり。苦行に死して怠慢に生きざるに己を付すべし。けだしハリストスを信ずるが為に死を受けたる者のみ致命者にあらず、ハリストスの誡命を守る為に死する者も致命者なり。己の願に於て無智なるなかれ、汝の知識の小なるを以て神を辱しめざらん為なり。己の祈祷に於て智なるべし、汝に光栄を賜はらん為なり。尊敬すべきものを嫉妬なくして與ふる者に願ふべし、その賢明なる願の為に尊敬をうけん為なり。ソロモンは自から睿智を願ひ之を大なる睿智の王に願ひしにより、睿智と共に此世の国をも受けたり。エリセイはその師の有したる神の恩寵の二倍を願ひしに、その願は遂げずして了らざりき。けだし不要緊なるものを王に求むる者は王の尊貴を賤んずるなり。イズライリは不要緊なるものを願ひしかば、神の怒は彼に及べり。彼は神に属する行為により神の恐るべき奇跡に驚嘆する事をば棄ててその腹の欲する所を充さんを求めたり。然るに『食の尚その口にある時神の怒は彼に臨めり』〔聖詠七十七の三十、三十一〕神の光栄に応じて己の願を神にささげよ、汝の価値が神の前に増々加はりて、神は汝を喜ばん為なり。もし誰か或る穢はしきものを王に願はば、こはただその願の不要緊を以て自から己を汚して之により大なる無智をあらはすのみならず、その願を以て王をも辱しむるなり。祈祷に於て地に属する幸福を神に願ふ者もかくの如く行為するなり。けだし視よ天使と天使長即王の大臣等は汝が祈祷の時如何なる願を以て主宰を向ふに注目し、汝地に属する者が己の肉体を棄て天に属するものを願ふを見るときは駭き且喜ばん、之に反して天に属するものを棄てて自己の穢はしきものを願ふを見ば哀まん。
神が自からその照管により我等の願を待たずして與ふるものとただ神に属する者又はその至愛者に與ふるのみならず、神を知らざる疎遠者にも與ふるものを神に願ふなかれ。けだし言ふあり、祈祷に於て『異邦人の如く贅語を言ふ』なかれと〔マトフェイ六の七〕是れ肉体に属するものにして『異邦人の需むる所なり』と。主は言ひ給へり〔マトフェイ六の二十五、三十二〕。子はその父にパンを願はざるべし、その父の家に於て最大なるものと高貴なるものとを求めん。けだしただ人智の劣弱の故に主は日々の糧を願ふべきを誡命し給へり。然れども知識の完全にして、霊魂の康健なる者には何を誡命せられしを見よ。彼等には告げて言へり『食物或は衣服の為に慮るなかれ、何となればもし神は無言なる動物の為、禽鳥の為、及び不霊なる造物の為にさへ之を慮らば矧や汝等の為に慮らざらんや。ただ神の国とその義とを求めよ、然らば此等の者は皆汝等に加はらん』〔マトフェイ六の三十三〕。
神に願ふ所あらんに神は速に汝に聴くを延引するならば、哀むなかれ、何となれば汝は神より睿智なるに非ればなり、汝に之あるは或は願ふ所のものを汝の受くるに当らざるによるべく、或は汝の心の行く路が汝の願に副はずして却て之と反対なるによるべく、或は汝は願ふ所の賜を受くべき程度に未だ達せざるによるなり。けだし我等は時に先だちて大なる程度に関係すべからず、受くることの速なる為に神の賜の無益とならざらん為なり、何となれば易く受けしものは速に失はるべくして、凡て中心の苦を以て得たるものは、戒慎して守らるゝによる。
ハリストスの為に渇を忍べ、彼がその愛を以て汝に飲ましめん為なり。浮世の楽の為に己の目を塞げ、神がその平安を汝の心に主たらしむるを汝に賜はらん為なり。汝の目の見る所を節制せよ、神の喜をうけん為なり。もし汝の行為は神の意に適せずんば神に祝福を強て願ふなかれ、神を試みる人の如くならざらん為なり。汝の祈祷は汝の生涯と相準ずること肝要なり。けだし地に属するものに繋がるゝ者は天に属するものを求むるあたはざるべく、世事に占領せらるゝ者は神聖なるものを願ふを得ざるなり、何となれば各人の願はその行為を以て表示せらるべく、人が勉励を顕はすそのものの為には祈祷に於て闘ふべきによる。大なる者を願ふ者は不要緊なるものに占領せられざるなり。
汝は肉体に繋がるといへども、自由の者たるべく、ハリストスの為に従順の自由を表はすべし。汝は正直を以て善く慮るべし、竊み去られざらん為なり。凡の行為に於て謙遜を愛せよ、謙遜なる者の行路以外常に発見せらるゝ認め難き網より救はれん為なり。艱難を避くるなかれ、何となれば之を以て真理の認識に入ればなり。誘惑を恐るゝなかれ何となれば之により尊敬すべきものを得べければなり。祈祷せよ心霊上の誘惑に陥らざらん為なり、されど肉体上の誘惑には全く剛毅にして自から備ふべし。けだし誘惑の外に於ては神に近づくあたはず、何となれば神聖なる安息は誘惑の中に於て備へらるればなり。誘惑より逃るゝものは徳行よりも逃れん。誘惑とは欲望のことにあらず、艱難を言ふ。
問 『祈祷せよ、誘惑に入らざらん為なり』〔マトフェイ二十六の四十一〕と言へども、他の処には『力を竭して窄き門より入れ』〔ルカ十三の二十四〕といひ、又『身を殺すものを懼るゝなかれ』〔マトフェイ十の二十八〕といひ、又『我が為に其生命を喪ふ者は之を得ん』〔同上三十九〕といふ、此等の言は如何んして一致すべきか。主は何処にも誘惑を忍耐するに我等を奨励すれども、此処には命じて『祈祷せよ、誘惑に入らざらん為なり』といふ、是れ何故なるか、けだし艱難と誘惑となくして如何なる徳行ありや、或は如何なる誘惑は此より大なるか即人が自己を亡ぼすより大なるか、しかれども主の為に此誘惑に服すべきを主は命じ給へり。けだし言ふあり『己の十字架を負ふて我に従はざる者は我に宜しからず』と〔マトフェイ十の三十八〕然るに主はその凡ての教に於て誘惑に服すべきを命じたれど、此処には入らざらんことを誡命し給ひしは何故なるか、けだし言ふあり、汝等『多くの艱難を歴て天国に入るべし』〔行実十四の二十二〕又言ふあり、『世にありて患難をうけん』〔イオアン十六の三十三〕又言ふあり、『忍耐を以て汝等の霊を救へ』と〔ルカ二十一の十九〕。
嗚呼主よ、汝の教導は智の如何なる鋭敏を要するか。才智と認識とを以て読まざる者は常に此教導の外にあらん。ゼワェデイの子とその母が汝と共に座せんことを願ひし時、汝は彼等に告げて次の如くいひ給へり、曰く『汝等我が飲まんとする爵を飲むことを能くするか、我が受くる洗を受くることを能くするか』と〔マトフェイ二十の二十二〕しかれども主宰よ、何故此処には誘惑に入らざらんことを祈祷すべきを我等に命じ給ふか。如何なる誘惑につきて之に入らざらんことを祈祷すべきを我等に命ずるか。
答 信仰に関係して誘惑に入らざらんことを祈祷せよ、汝の心意の疑惑の為に誹謗及び驕傲の魔鬼と共に誘惑に入らざらんことを祈祷せよ。神の放任により汝が才智を以て思考したる悪なる意見の為に汝に遣さるゝ顕然たる魔鬼の誘惑に入らざらんことを祈祷せよ、汝の貞潔の神使の汝と離れざらんことを祈祷せよ、罪が汝に向て烈火の如き戦を起して汝を貞潔と分離せしめざらん為なり。他者に対して一者を怒らしむる誘惑或はその霊魂が大なる苦戦に引入らるべき貳心と懐疑の誘惑に入らざらんことを祈祷せよ。之に反して肉体上の誘惑は、霊を全うして之を受くるに自から備ふべく、全身全体を以て之を游渡るべく、その目は涙に満たさるべし、汝の守護者の汝より離れざらん為なり。けだし誘惑の外に於ては神の照管は窺ひ知られざるべく、神の前に勇気を得る能はざるべく、神の睿智を学ぶ能はざるべく、神聖なる愛の汝の心中に確立することも亦能ふべきなし。誘惑の先には人は疎遠なる者の如く神に祈祷せん。しかれども神を愛するにより、誘惑に入り、変心を自から許さざる時は、神の前に立つこと、恰も神を債務者とする者の如くなるべし、何となれば、神の旨を遵奉し神の敵と戦つて之に勝てばなり。視よ『祈祷せよ誘惑に入らざらんが為なり』とは此を意味するなり。且汝は高慢の為に恐ろしき魔鬼の誘惑に入らざらんことを祈祷せよ、願くは汝が神を愛するにより、神の力は汝に協力して、汝はその敵に勝たん。汝はその思念の邪なるが為に此等の誘惑に入らざらんことを祈祷せよ、願くは神に対する汝の愛は試みられて、神の力は汝の忍耐により頌讃せられん。彼に光栄と権柄は世々に帰す。「アミン」。