シリヤの聖イサアク全書/第四説教

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第4説教[編集]

<< れいこんことよくことおよじょうけつことついてのもんどう。 >>

問 れいこんてんねんじょうたいはいかなるか、てんねんはんたいじょうたいはいかなるか、てんねんいじょうじょうたいはいかなるか。

答 れいこんてんねんじょうたいとはかんかくぞくするとそうぞくするかみぞうぶつにんしきするなり。てんねんじょうじょうたいとはつねばんぶつさきだちてそんざいするしんせいちょくかくするがためかんせらるるなり。しかしててんねんはんたいなるじょうたいとはよくみださるるものにれいこんかんどうするなり。しんせいなるだいワシリイへるごとし、いはれいこんてんせいじゅんのうしてあらはるるときはじょうほうにあり、しかれどもそのてんせいほかにあらはるるときはほうにあらはるるなり、じょうほうにあるときは、よくもってあらはるれども、てんせいがそのゆうひんよりくだるときは、かれよくはあらはるるなり。ゆえにれいこんよくてんせいのままれいこんぞくするものにあらざることはついめいはくなり。もしれいこんなんせらるるべきにくたいじょうよくかんどうすることかつおけるとおなじくんば、かつついてはこれためほうかれざるにより、せきあたいするものどうようせきをうくべきにはあらざるべし。ときとしてあるものにはいっけんしたるところてきなることをぐるをかみよりゆるされ、なんけんせきとにえてぜんなるほうしゅうあたへらるることあり、いんつまめとりたるげんしゃオシヤためにもかくのごとく、かみぞくするねっしんにより、きょうこうげたるげんしゃイリヤためにもかくのごとく、モイセイめいによりそのふぼにんさつしたるものためにもかくのごとくなりき。そのほかれいこんにはにくたいせいたざるも、てんねんぜんへきあいげきやすせいのあることはらるべくして、れぞすなはちれいこんよくなる。

問 せいじゅんのうすとはれいこんのぞみがしんせいなるもののためふんねつせしめらるるときなるか、あるいぞくするものとにくぞくするものとにむかときなるか、かつなんためれいこんせいげきとそのねっしんとをあらはすか。またいかなるあいおいげきてんねんなるものとづけらるるか。れいこんにくたいじょうのぞみのためあるいしっとためあるいきょためあるいこれあいるいするもののためげきせらるるときなるか、あるいこれはんたいなるもののこれげきするときなるか、たれせつあらばこたふべし、われこれしたがはん。

答 かみしょめいしょうおおひ、しばしばこれようすれども、そのてきかくにあらはさず。めいしょうにくたいぞくすれども、れいこんのことをひ、これはんたいれいこんぞくするめいしょうにくたいのことをふ。せいしょこれぶんかいせず、しかれどもそうめいなるものこれかいするなり。かくのごとしゅしんせいぞくするめいしょううちじんせいてきようすべからざるめいしょうせいしょしゅせいなるたいのことをひ、これはんしてじんせいしゅぞくするひかなるめいしょうしゅしんせいのことをふ。ゆえにおおくのものしんせいなることばしゅかいせず、さてつしてあらたべからざるつみおかしぬ。かくのごとせいしょにはれいこんぞくするものとにくたいぞくするものとをおごそかべつせず、ゆえにどうとくてんねんれいこんけんこうならば、よくはやれいこんやまいにして、れいこんせいぐうぜんりてきたりてそのゆうけんこううしなはしむるものなり。しかれどもけんこうてんねんぐうぜんやまいさきだつことは、これによりめいはくなり。ゆえにこれじつにかくのごとくならばとうならば)すでどうとくてんねんぜんれいこんそんざいして、ぐうぜんなるものはれいせいほかにあるをいみするなり。

問 にくたいじょうよくてんねんなるか、あるいぐうぜんにくたいぞくするか。またれいこんぞくするしんれいじょうよくれいたいけつごうによりてんねんなるか、あるいゆうてきれいこんぞくするか。

答 にくたいじょうよくのことはゆうるべしとはたれあえはざるべし。しかれどもしんれいじょうよくのことはせいけつれいこんてんねんなることのかくせられて、ひとみなこれみとむるならば、よくごうれいこんてんねんなるにあらずとあえふはとうぜんなり、なんとなればやまいけんこうのちにあればなり。しかしてどういつせいぜんなるものとあくなるものとはともそんすることあたはず。ゆえにいつかならさきだたざるべからずして、さきだつものはてんねんなり、なんとなればすべぐうぜんなるもののことはせいよりするにあらずして、そとよりにゅうせりとふべきによる、しかしてすべてぐうぜんなるものとにゅうせしものにはへんしたがふあれども、せいへんせずはらざるなり。

すべえきたすくるところよくかみよりたまはりしなり。さればにくたいじょうよくにくたいえきかつせいちょうせしむるがためふよせられしものにして、しんれいじょうよくまたしかるなり。さりながらにくたいがそのゆうするものをうしなひて、しいてそのあんねいほかち、れいこんしたがふをよぎなくせらるるときは、にくたいすいじゃくしてがいこうむらん。またれいこんおのれにぞくするものをててにくたいしたがふときは、かれがいけん、しとところによるにいはく『にくほっするところしんさかひ、しんほっするところにくさかふ、ふたつものあいてきす』(ガラティヤ五の十七)ゆえにたれかみなんしてわれせいよくつみとをふよしたるごとふなかれ、かみかくせいにそのせいちょうたすくべきものをふよたまへり、さりながらいつせいごうどうするときはじこしたしきものにごうどうするにあらずして、はんたいなるものにごうどうするなり。しかれどももしよくれいこんてんねんそんするならば、なにゆえれいこんこれよりがいをうくるか。ほんらいせいぞくするものはこれがいせざるなり。

問 にくたいせいちょうけんならしむるにくたいじょうよくは、ほんらいれいこんぞくせずんばれいこんがいするはなにゆえなるか。またどうとくにくたいくるしむれどもれいこんせいちょうせしむるはなにゆえなるか。

答 せいほかにあるものはせいがいするゆえんみとめざるか。けだしせいおのおのおのれにぞくするものにちかづきて、たのしみにたさるるなり。さりながらなんぢこれかくせいぞくするゆうなるもののあるをらんをねがふか。みとめよ、せいたすくるところのものはそのせいぞくするものにして、これがいするものはえんなるもの、ほかよりにゅうせしものなることを。ゆえににくたいよくれいこんよくとがたがいはんたいすることはかくせられたるにより、すべいくばくなりともにくたいたすけをしてこれきゅうあんあたふるものはすでにくたいゆうなるものなり。しかれどもれいこんなにものしたしくなるともそのものれいこんてんねんなりとはざるなり。けだしれいこんゆうすものはにくたいためにはなればなり。さりながらぜんぶんところのものはゆうてきれいこんぞくするも、れいこんみづからにくたいこうむるあいだは、にくたいよわきによりこれだっしてじゆうにならんことはあたはざるなり、なんとなればはかべからざるえいもっれいこんかつどうにくたいかつどうとのあいださだめられたるいっちごうどうゆえにくたいためうれふるものをてんねんしぜんかれともとすればなり。しかれどもかれたがいにかくのごとともともにすといへども、こうかつどうおつかつどうことなり、かれのぞみはこれのぞみとことにして、これおなじたいしんことなるなり。さりながらせいへんせざるなり、かえっかくせいあるいつみあるいどうとくきわめてかたぶくといへども、しかれどもそのゆうのぞみによりかつどうするなり。さればれいこんにくたいのことのおもんばかりよりうえたかまるときは、そのかつどうにより、まったれいしんじょうかいして、てんちゅうおうはかるべからざるところおびられん。さりながらじょうたいおいてもにくたいがそのじこぞくするゆうなるものをわすれてそうせざらんことをばゆるさざるべくして、これおなじくにくたいつみおいてあらはるるならばれいこんおもいしんちゅうながいでまざるなり。

問 じょうけついかなるか。

答 じょうけつとはひとあくらざるをふにあらず(けだしかくのごとものちくるいどうようなるべし)てんせいのままがいていごとくなるじょうたいにあるをふにあらず、がいけんかざるをふにあらず。じょうけつとはすなはちどうとくきんべんれんしゅうするにより、しんせいなるものをもっこうしょうせられたるこれなり。ゆえにひとねんゆうわくなくしてこれることにくたいざるものごとくなるべしとあえはざるべし。けだしわれせいいたまでたたかはざるべくがいけざるべしとふをあえてせざればなり。しかれどもねんゆうわくづくるはこれしたがはしめらるるをふにあらずして、これたたかふのはじめくをいふ。

ねんかつどうよつあること

ねんかつどうひとよつげんいんによりしょうずるなり。第一はてんねんなるにくたいじょうのぞみによりしょうじ、第二はひとけんぶんするかくかんかんかくあらはるるによりしょうじ、第三はあらかじせんりょうせられたるがいねんにより、およひとりょくゆうするしんれいじょうかたぶきによりしょうじ、第四はにょじょうげんいんによりことごとくのよくひきれてわれたたかまきげきによりしょうずるなり。ゆえにひとにくたいせいかつにあるあいだいたまでねんとそのたたかいとをゆうせざるあたはず。けだしひとでざるさきまたせざるさきに、よつげんいんちゅういづれかどういたらんことをるか、あるいにくたいためきんようなるものをせつもとめざると、あるものねがふをよぎなくせられざるとをるか、みづからはんだんすべし。しかれどももしかくごときことをそうぞうするはときはず、なんとなればせいかくごとじじぶつぶつひつようゆうすればなりとはばはやよくすべにくたいこうむるものほっするとほっせざることにかかはらずどうするをいみするなり。このゆえすべにくたいこうむるひとけんぜんとしてだんどうするいつよくよりおのれほごせず、よくよりほごせずして、おおくのよくよりほごせんこときんようなり。とくこうもっみづからよくちしものは、たとひねんよつげんいんげきためおどろかざるといへども、みづからしょうゆづらざるべし、なんとなればかれちからゆうして、そのしんぜんりょうしんせいなるおくためおおいよろこべばなり。

問 じょうけつこころじょうけつとはなにもっことなるか。

答 じょうけつべつにしてこころじょうけつまたべつなり。けだししんれいじょうかんかくいつなれどもこころないかんかくほうかつしてこれをそのけんちゅうすればなり。こころなり。もしせいならばえだせいならん、すなはちこころみちびかれてじょうけつたっするならば、ことごとくのかんかくきよめらるることあきらかなり。もししんせいなるしょむにますますべんれいし、あるいきんしょくけいせいせいもくとにしょうくるしんで、おわいひんこうとおざかるならば、そのじゅうぜんしょうがいわすれてじょうけつたっせん。しかれどもこうきゅうなるじょうけつゆうせざるべし、なんとなればかれすみやかきよめらるれどまたすみやかけがさるればなり。ただこころおおくのかんなんはくだつと、すべものけんてきこうさいすよりとおざかると、のすべてのためおのれころすとにより、じょうけつたっするなり、しかしてもしかれじょうけつたっするときは、そのじょうけつなんしょうなるもののためにもけがされざるべく、だいなるけんぜんたるたたかいをもおそれざるべし、すなはちかんしんすべきたたかいをもおそれざるべし、なんとなれば、はくじゃくなるひとびとおいしょうするあたはざるいかなるしょくもつをもすみやかしょうべききょうけんなるおのれにゆうすればなり。けだしへり、すべにくしょくしょうやすからず、しかれどもきょうけんなるこれくるときはけんこうなるたいおおくのちからあたへんと。かくのごとすべざんあいだきんしょうなるろうもっすみやかたるじょうけつすみやかうしなはれかつけがされん。しかれどもおおくのかんなんによりてたっし、ちょうきゅうあいだもったるじょうけつれいこんぶんたいするげきゆうせいにあらざるものをばおそれざるべし、なんとなればかみれいこんかたむればなり。かれこうえいよよす。「アミン」。