シリヤの聖イサアク全書/第二十一説教の三

提供:Wikisource

第21説教の3[編集]

<< 種々しゅじゅなるこうつい問答もんどう。>>


問 使徒しとが『ハリストスとも復活ふっかつせしならば』〔コロサイ三の一〕といへる霊魂れいこん復活ふっかつ如何いかなる意味いみふくむか。

答 使徒しとは『やみよりひかりるをめいぜしかみわれこころてらせり』〔コリンフ後四の六〕といひて、ふるきよりづるをづけて霊魂れいこん復活ふっかつといふべきをしめせり、これすなはちふるひとぞくするものはいつもあらざるあたらしきひと生出せいしゅつすることなり、ろくしていふごとし、かれに『あたらしきこころあたらしきしんとをあたふ』と、〔イエゼキイリ三十六の二十六〕けだしそのときハリストスハリストスえいもくしんもつわれらのうちかたどらるるなり。


問 黙想もくそうつとむるのちからは(簡短かんたんへば)如何いかなるか。

答 黙想もくそう外部がいぶ感覚かんかく減殺げんさいして内部ないぶ活動かつどうかんす。しかれども外部がいぶぞくするものをつとむるは、これ反対はんたいなるものをしょうじ、外部がいぶ感覚かんかくかんして内部ないぶ活動かつどう減殺げんさいせん。


問 何物なにものしょうもく原因げんいんたるや、けだし或者あるものしょうゆうすれども、或者あるものおほろうするにかかはらず、しょうはそれだけかれには感徹かんてつせざるなり。

答 これが原因げんいんおほこれあり、そのいつせつてき原因げんいんにして、一般いっぱんえきもつ目的もくてきとするなり、しかれども原因げんいん劣弱れつじゃくしゃあん奨励しょうれいくんとをもつ目的もくてきしかして第一だいいちのすべては人類じんるいたいするかみあわれみによりそなへらるるものなれど、おほくは三種さんしゅ人類じんるいためそなへらるるなり、あるひは純僕じゅんぼくにしていたつあくなるひとためあるい完全かんぜんにしてせいなる或者あるものためあるいゆるがごとくなるかみ熱心ねっしんゆうするものためそなへらるるものにして、かれらはをすてて、これよりまつただつし、人々ひとびととも社会しゃかいじゅうするよりとおざかり、一切いっさいをすてて、有形物体ゆうけいぶったいよりはなにたすけたず、かみあとしたふてきしによる。かれらはその状態じょうたいどくなるにより、突然とつぜんおそれをしょうずべく、あるい飢餓きがため疾病しっぺいためあるいじょうためまた患難かんなんためあやうきはかれらをかこまん、よりてかれらはほとん失望しつぼうせんとす。ゆえにかくのごとものらにはしゃきたるあれども、ろうもつかれらよりおほい超越ちょうえつするものらにしゃのあらざるは、これ第一だいいち原因げんいん欠点けってんるときとによる、すなわち良心りょうしん欠点けってんきによるなり。しかれどもだい原因げんいんかならずやつぎごとくなるべし、もしたれ人間にんげんしゃあるいなに有形ゆうけい物体ぶったいよりするしゃゆうするならば、そのものには一般いっぱんえきためあるいせつぞくするもののほか、かくのごときのしゃはあらざるべし。われらは遁世とんせいじゃにつきてげんす、ゆえにしんらの一人いちにんもつ此事このこと證者しょうしゃとすべし、かれしゃがんしたりしに、げんをきけり、いはく『なんじためには人間にんげんしゃ人々ひとびととのかいにてれり』と。

これと同様どうよう或者あるもの遁世者とんせいじゃとなりて、遁世的とんせいてき生活せいかつおくりしときは、恩寵おんちょうしゃもつ日々ひびみづからたのしめり、しかれども接近せっきんするや、れいごとしゃたづねたりしもざりければこれゆうしめされんことをかみねがふてひけるは、『しゅよ、恩寵おんちょうわれよりはなれたるは主教しゅきょうしょくためにあらざるか』と。しかるにかれげていへり、『いなこれためにあらず、かみものらをおもんばかるによりかくのごときのしゃかれらにたまふなり』と。けだし人類中じんるいちゅう何人なんびと有形的ゆうけいてきしゃゆうするととも恩寵おんちょうぞくするものをもくることはじょうぶんにしるししごとく、かくのごとあいおいいつせつするものにのみらるるしんなるせつによるのほかあたはざるなり。


問 しょうもくとはおなじきか、あるいしからざるか。

答 しからず。かえつかれらには差異さいあり。かれこれとはとももくづけらるることも屡々しばしばこれあり。けだししんなるものをしょうによりてあらはさるるにより、すべてのしょうもくづけらる、しかれどももくしょうづけられざるなり。もくといふことばしきせらるべきものとりょくもつためさるべきもの、かつ想像そうぞうせらるべきものに往々おうおうもちひらるるなり。されどしょう種々しゅじゅ方法ほうほうによりてこれあるべし、たとへばいにしへ旧約きゅうやく人々ひとびとにありしごと形像けいぞうまたしょうおいてするあり、深睡しんすいおいてし、あるい覚醒かくせいなる状態じょうたいおいてするあり、しかして或時あるときにはまつたくの的確てきかくもつてすれども、或時あるときにはたとへば幻影げんえいおいてするごとく、しょう明白めいはくくことあり、ゆえに覚醒かくせいなる状態じょうたいおいるかあるい睡眠すいみんおいるか、しょうゆうするものみづからもこれらざることしばしばこれあり。あるい救助きゅうじょこえくこともあるべく、ときとしてはもっとも顕然けんぜんとしてまのあた相対あいたいしてかつだんかつふて、とひためこたえることもあるべし。せいなる能力のうりょくこれふるものにあらはれて、其者そのものもくあたふるなり。しかしてかくの如きのしょうは、きはめて荒涼こうりょう寂寞せきばくたるげん人類じんるいとほざかりて、ひとこれ必要ひつようゆうすることのまぬかれざるところおいこれあり、なんとなればそのところよりはかれたすけもしゃもあらざればなり。しかれどもりょくもつかんせらるべきもく浄潔じょうけつたやすく受けらるべくして、ただ完全かんぜんにして練達れんたつなるものこれあるなり。


問 たれこころ浄潔じょうけつたっせしならば、その徴證ちょうしょう如何いかなるか、またそのこころ浄潔じょうけつたっしたるをひと何時いつ認識にんしきするか。

答 たれことごとくのひとぜんして、かれため何人なんびとけつかいなるものへざるときは、じつかれこころにて浄潔じょうけつなり。けだしぜんなるあくず〔アウワクム一の十三〕といへることばごとくならずんば、如何いかんしてわれ誠実せいじつこころより衆人しゅうじん一様いちように『そんして、おのれよりまされりとせよ』〔フィリッピ二の三〕といへる使徒しとことば的応てきおうせんや。


問 浄潔じょうけつとは如何なるか、その界限かいげん何処いづこにありや。

答 浄潔じょうけつとは人性じんせいもつ想出そうしゅつせられたるしきはいなる方法ほうほうわするるこれなり。しかれどもこれよりのがれて、其外そのほかたんとせば、その界限かいげんの如くなるべし、すなはちひと其性そのせいげん醇樸じゅんぼくげんじゃとにたつして、あたか小児しょうにごとくになり、ただ小児しょうに欠点けってんのあらざることこれなり。


問 階段かいだんたれのぼることをるか。

答 しかり。けだしよ、或者あるものこのたつせり、たとへばちちソシイごときもこのたつしてもんごとふにいたれり、へらく『しょくせしや、あるひしょくせざりしや』と。またあるしんかくごときの醇樸じゅんぼくたつして、ほとん小児しょうにごとざいいたりぬ、けだしこのにあるものをすべてまつたわすれたり、ゆえにもしもんとどめざりしならば、領聖りょうせいさきだちてもしょくせしならん、よりてもんかれ小児しょうにごと領聖りょうせいにみちびくにいたれり。しかれどもかれためには小児しょうになりしも、かみため霊魂れいこん完全かんぜんなりき。


問 黙想もくそういほりに在りて、黙想もくそうもっぱらなる苦行くぎょうしゃは、なにぎょうとし、なにちんするをようするか、その空想くうそうためいとまあらしめざらんためかれだんなにすべきか。

答 ひと庵中あんちゅうありしゃごとくなるを得るときは、業務ぎょうむちんとのことをはんや。勉焉べんえんとしてこころ安定あんていなるひとひとみづかるあるや、如何いかおのれみちびくべきをふのようあらんや。修道しゅうどうには庵中あんちゅうありて、哀泣あいきゅうするのほか如何いかなる業務ぎょうむありや、かれには哀泣あいきゅうよりそうてんずるいとまありや。かつ如何いかなる業務ぎょうむこれよりもさらまされるか。修道しゅうどう寓居ぐうきょその独棲どくせいとは、人間にんげんよろこびよりとほざかるはかるにたとふべくして、そのつとめはすなはち哀泣あいきゅうなるをかれおしふるなり。しかしてその意義いぎかれどうかんして、おなじこれしんぜしむるなり、なんとなればかれたんするものづけらる、すなはちこころあいたさるるものづけらるればなり。すべての聖人せいじん哀泣あいきゅうおいこの生命いのちよりうつるにいたまでそのつねなみだたされしならば、たれ哀泣あいきゅうせざるべけんや。その目前もくぜんよこたはるしゃありてかれみづからつみためころされしものなるを目撃もくげきするものに、なみだ益用えきようすべきをおしふるのようありや。なんぢためぜんかいよりもたふとなんぢ霊魂れいこんつみころされて、なんぢ目前もくぜんよこたはらば、なんぢ哀泣あいきゅうもよほさしめざらんや。ゆえにもし黙想もくそうはじめ、忍耐にんたいもつこれもっぱらならば、哀泣あいきゅうにももっぱらなるをくすべきはろんなり。ゆゑにわれ哀泣あいきゅうたまはらんがためその心中しんちゅうおいしばしばしゅいのらん。けだしたまものよりももっともぜんにしていとまされるこの恩寵おんちょうもとば、そのたすけにより浄潔じょうけつをもん。しかしてもしこれわれこの生命せいめいよりづるまで最早もはや浄潔じょうけつわれよりうばはれざるべし。

ゆゑにこころきよものさいわいなり、なんとなればかれなみだあまきをたのしまざるのときあるなく、これによりてかれつねしゅればなり。かれなみだあるあいだは、かれその祈祷きとうたかきをもつかみもくるをたまはるべくして、なみだなき祈祷きとうかれこれあらざるなり。「ものさいわいなり。かれなぐさめられんとすればなり」〔マトフェイ五の十〕としゅべられしことばまたこの意味いみ含有がんゆうす。けだしくによりてひと心霊しんれいきよきにたつせん。ゆゑにしゅは「かれなぐさめられんとすればなり」とひて、そのなぐさめ如何いかなるを説明せつめいせざりき。けだし修道しゅうどうなみだたすけにより、よくはんえて、こころ清潔せいけつ平原へいげんるときは、かくのごときのなぐさめかれむかへん。ゆゑにもしここになぐさめたづぬるものうちたれこの平原へいげんたつし、此処ここおいられざるなぐさめ彼処かしこおいむかふるならば、其時そのときかれくによりて如何いかなるなぐさめみづから期待きたいしたると、かみもの清潔せいけつためにいかなるなぐさめあたふるとをつい了解りょうかいせん、けだしだんものよくみださるるあたはざればなり。なみだながして哀泣あいきゅうするは、これぞよくなるものたまものなる。しかしていちない嘆息たんそくするものなみださへかれよくにみちびくのみならず、りょくをもよくおくよりまったきよめて、かれゆうならしむるならば、認識にんしきともにちこのこう練習れんしゅうするもののことはこれなにとかいはん。ゆゑにひとおのれ霊魂れいこんこのこうそなへたるものほか何人なんびと哀泣あいきゅうによりてしょうずるたすけらざるべし。すべて聖人せいじんこのもんこうむかふ、なんとなればしゃ方面ほうめんるがためもんなみだもつそのまへひらかるればなり、しかしてじんにして救済きゅうさいてきなるかみあとこの方面ほうめんおいもくによりあらはさるるなり。


問 或者あるもの身体しんたい薄弱はくじゃくゆえだんくことをず、保護ほごするがためなにゆうすべきか、けだし何物なにものにも占有せんゆうせられざるときは、これたいしてよくおこらざればなり。

答 それなに放心ほうしんにもとおざかる遁世とんせいじゃもつて、そのこころ生活せいかつじょうため占有せんゆうせられずんば、よくこころほうして、苦行くぎょうしゃみだすあたはざるべし、ただかれ怠慢たいまんにしてその本分ほんぶん注意ちゅういなることはあらん。しかれどももしかれかみしょ研究けんきゅう練習れんしゅうするならば、そのしゅ討求とうきゅうことこころうばはれつつ、よくためにはすこしも動揺どうようせざるものとなりてそんせん。けだしかみしょ暁通ぎょうつうすることのますますちょうじてそのるときは、空想くうそうかれよりのがるべくして、その聖書せいしょみ、あるいみしところかんがへんとほつするののぞみよりはなるるあたはざるべし、さればふかげん沈黙ちんもくうちありて、聖書せいしょためこころうばはるるかれは、そのぎょうたのし最大さいだいなる悦楽えつらくり、現生げんせいにはすこしの注意ちゅういけざるべし。これにより自己じこ其性そのせいとをわすれて、あたか憤心ふんしんしたるひとごとくなるべく、このことはすべておくせずしてそうかみだいなることのためこと占領せんりょうせられん、さればこころこれ沈潜ちんせんしてはん、『光栄こうえいかれ神性しんせいす』と。またはん『光栄こうえいかれせきす、奇異きいなるかな非常ひじょうなるかなかれのすべての行事ぎょうじよ、かれ貧寒ひんかん如何いかなる高処こうしょのぼせたるか、われなにまなぶをたまひ、意思いし如何いか大胆だいたんならしめて、たましいたのしましむるか』と。このせき意思いしけて、つねこれおどろかさるるかれは、だん酩酊めいていうちにあること、復活ふくかつのち生命せいめいすであぢはごとくなるべし、なんとなれば黙想もくそうこの恩寵おんちょういとおほいたすくればなり。けだしかれ智力ちりょく黙想もくそうおいもとたる平安へいあんともみづからとどまるをべきをかんするのみならず、あはせこれもつかんせられてその生命せいめい秩序ちつじょ適応てきおうせしところのものをおくせん。けだし来世らいせい光栄こうえいと、霊的れいてき生命せいめいかみとにとどまるじんためそののぞみごとそなへらるるすべての幸福こうふくと、そのあらたなる興復こうふくとをこころ想像そうぞうしつつこのにあるものはおもひにもおくにもそんせざるべし。しかれどもこれもつはしめらるるや、さらちょくかくもつそのところよりかれみづから生在せいざいするところこの転回てんかいきたるときは、愕然がくぜんとしておどろきはん、『嗚呼ああふかかなきはべからざるかみとみ智恵知識よ、聡明そうめいと、えい摂理せつりよ、そのさだめ如何いかはかがたく、そのみち如何いかきはがたきや』と〔ロマ十一の三十三〕。けだしいづれのときかれはかくのごと奇異きいなるべつ世界せかいそなへて、これにすべての聡明そうめいなる実体じったいみちびれ、かれおわりなき生命いのちまもたまふか、なんゆえかれ第一だいいち世界せかいつくり、これ拡大かくだいにして、種類しゅるい群集ぐんしゅう万物ばんぶつきょとをもつこれかくごとまし、彼処かしこおいおほくの、よく原因げんいんと、よくやしなふものと、またこれ抵抗ていこうするものとにも位置いちあたへたるか。しかしてなんゆえ最初さいしょよりわれこの世界せかいき、長寿ちょうじゅせんをあいするのじょうわれかためたりしもにわかもつわれこれよりうばり、すくなからざるときあいだ感覚かんかく動作どうさもつわれまもり、われ形像けいぞうめつし、われ融解ゆうかいし、かきまわして、これつちこんじ、われ組織そしきかいはい滅尽めつじんして、ひとせいちゅう一物いちぶつまったのこらざるにいたるか、しかれども崇拝すうはいせらるべきえいもつさだめたまひしときいたり、ほつするあるや、ただかれにのみらるる形像けいぞうわれ再興さいこうして、われ状態じょうたいみちびるるは何故なにゆえなるか、こはわれ人々ひとびと希望きぼうするところなるのみならず、この世界せかい必要ひつようゆうせずして、其性そのせいじょうなるにより、わづか完全かんぜんくところのいとせいなるてん使も、われ諸族しょぞくちりよりきて、その敗壊はいかいあらたにせらるるとき、われ敗壊はいかいよりおこるをつ、けだし、われためかれるをきんぜられたれば、かれしん世界せかい一回いっかいひらかるるをつなり。しかしてわれくるしむる肉体にくたいおもきはかれたるにより、この受造物じゅぞうぶつてん使)もわれともやすんずるをること使徒しとのいふごとし、けだしこの構造こうぞうはすべてまったかいして、われせいげんじょうたい回復かいふくするにより、『受造物じゅぞうぶつみづからもかみしょあらはるるをつ、すなはち敗壊はいかいよりかれてかみしょ光栄こうえい自由じゆうらんことこれなり』〔ロマ八の十九、二十一〕。

しかしてこれよりそのりょくもつのぼり、世界せかい合成ごうせいさきだちて、如何いかなる受造物じゅぞうぶつも、てんも、てん使も、存在そんざいにみちびかれたるなにものいまだあらざるときと、かみ独一どくいつ恩恵おんけいにより、にわか一切いっさいよりゆうとなして、すべてのものかみまへ完全かんぜんにあらはれたるときいたらん。しかるにかれふたたそのりょくもつかみことごとくの造成ぞうせいくだり、かみよりぞうけたるもの奇々きき妙々みょうみょうかみ所為しわざえいとに注意ちゅういけ、愕然がくぜんとしてみづから判断はんだんしてはん、『ああなるかなかれせつしょうかんなに概念がいねんよりもたかきこといくばくなる、受造物じゅぞうぶつすなはち種々しゅじゅ様々さまざまなる物体ぶったいかぞつくされざるのおほきを如何いかんしてかれよりゆうとなしたるか。しかるにまた奇異きいなるこう順序じゅんじょと、てん萬有ばんゆうこのれいと、受造物じゅぞうぶつと、ときとし整然せいぜんたるこの運行うんこうと、ちゅうこの配合はいごうと、としともがつするくう変換へんかんと、より発萌はつほうするしゅようなるこの花卉かきと、都府とふれいなる築造ちくぞうと、其中そのうちいと荘厳そうごんかざられたる宮殿きゅうでんと、人類じんるい敏捷びんしょうなる活動かつどうと、かれ世界せかいりしよりづるにいたまでろうになはしめられたるこの存在そんざいとをほろぼして、受造物じゅぞうぶつかいするは何故なにゆえなるか。しかして奇異きいなる秩序ちつじょにわかに、んで、世界せかいいたり、最初さいしょ造物ぞうぶつおけおく何人なにびとこころにもまったうかきたらずして、これことなる種類しゅるいしょと、配慮はいりょとをしょうずるは何故なにゆえなるか。これおなじ人性じんせい世界せかいことその生活せいかつ最初さいしょ状態じょうたいこととはまったそうせざらん、なんとなればじん状況じょうきょうちょくかくするに密着みっちゃくして、人々ひとびと血肉けつにくたたかひふたたかへるのいとまあらざればなり。けだしこのかいとも来世らいせいただちはじまればなり。さればことごとくのひと其時そのときごとはん嗚呼ああははよ、かつやしなひて智慧ちえけたるそのためわすれられたるものよ、かれ瞬間しゅんかんふところあつめられて、はらまざるものけつしてまざるものまこととなれり。『はらまず、まざるものよ、おうせよ』〔イサイヤ五十四の一なんぢためみたるためにとはんとす。

其時そのときかれあたかだいなる熱中ねっちゅうにあるもののごとく、ちんして、ごとはん、『このなおいくそんするか、来世らいせい何時いつはじまるか。此室このしつ状態じょうたいもつねて、肉体にくたいちりこんぜらるるは、なおいくあるか。生命せいめい如何いかなるか。せい如何いかなる状態じょうたいふくしてしきせらるるか。かれあらたなる造物ぞうぶつ如何いかようへんするか。』とこれことちんするや、かれ大悦たいえつがい寂然せきぜん沈黙ちんもくいたらん、しかしてかれ此時このときつてひざかがめ、ぼう たるなみだとも独一どくいつえいかみ感謝かんしゃし、つねもっともえいなる作為しわざおいしょうせらるるもの讃栄さんえいささげん。かくのごときことをたまはりしものさいわいなるかなひるよるかくごときのきんぎょうもっぱらなるものさいわいなるかなその生命せいめいにつげてこれことちんするものさいわいなるかなしかるにもしひとその黙想もくそうはじめにおいて、しんこうちょうゆえに、かくのごとちょくかくちからかんぜずして、じょうぶんべたるごとかみせきちからじょうしんするあたはずんば、煩悶はんもんきたすなかれ、黙想もくそうてき生活せいかつ安静あんせいつるなかれ。けだしのう種子たねくとともに、ただちるべきにはあらずして、きしのちも、憂愁ゆうしゅうと、ろうと、たい衰弱すいじゃくと、同輩どうはいとほざかると、じんわかるるとうことあるべし。しかれどもこれ忍耐にんたいするときは、とうしゃたのしみ、かつおどり、かつよろこんで欣々きんきんたるあらたなる時期じきいたるあらん。

しかるになんときなるか。かれおのれあせもつたるパンくらひ、沈黙ちんもくもつ瞑想めいそうまもるをるのときならん。けだし沈黙ちんもくと、沈黙ちんもくもつ忍耐にんたいこの瞑想めいそうとは、おほいにしておわりなきかいこころかんきして、そのふべからざるけいにみちびかん。ゆゑに忍耐にんたいしてこれとどまるものさいわいなり、なんとなればしんしゅつなるいづみその目前もくぜんひらけて、かれこれみてたのしむべく、ちゅういづれのときにもいづれのこくにもつねこれむをやめずしてまったざんなるこの生命いのちおわりさいときいたるべければなり。