シリヤの聖イサアク全書/第二十一説教の二

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第21説教の2[編集]

<< 種々しゅじゅなるこうつい問答もんどう。>>


禁食きんしょく儆醒けいせいこと

畢生ひっせいあいだこの一対いっついまじわることをあいするものは、貞潔ていけつともとならん。はらやすんじ、睡眠すいみんもっおのれ懦弱だじゃくにして淫欲いんよくもやすは萬悪ばんあくはじめなるごとく、禁食きんしょく儆醒けいせいと、ねむらずしてかみ奉事ほうじおこなひ、終日しゅうじつ終夜しゅうや十字架じゅうじかくぎして、睡眠すいみんあまきに反対はんたいするはかみせいなるみちとすべての道徳どうとくもといなり。禁食きんしょくはすべての道徳どうとく保障ほしょうなり、奮闘ふんとうはじめなり、節制者せっせいしゃかんむりなり、「ハリステアニン」の首途かどでなり、祈祷きとうははなり、貞潔ていけつ善智ぜんちみなもとなり、黙想もくそうなり、あらゆる善行ぜんこう率先者そっせんしゃなり。ひかりねがふは健全けんぜんてきするごとく、祈祷きとうねがふは思慮しりょもっまもらるる禁食きんしょくてきす。

もしたれ禁食きんしょくはじむるならば、最早もはや是時このときよりもっかみとともにまじはるを願望がんぼうせん。けだし禁食きんしょくするたい全夜ぜんや床上しょうじょうとおすにふるあたはざればなり。ひとがそのくち禁食きんしょくいんさるるときは、その意思いし痛悔つうかいまなぶべく、そのこころ祈祷きとうながすべく、そのおもて憂色ゆうしょくありて、づべき思念しねんひとよりとおざかり、その眼中がんちゅうきんいろえざるべし、かれ淫欲いんよく空談くうだんてきなり、思慮しりょぶか禁食きんしょくしゃ悪慾あくよく奴隷どれいとなりしことはいまかつたるものあらざりき。思慮しりょもってする禁食きんしょくはもろもろのぜんため廣大こうだいなる第宅だいたくなり。これはんして禁食きんしょく等閑とうかんにするものはすべてのぜん動揺どうようせしめん、なんとなれば禁食きんしょく最初さいしょしょくむるとき、預防よぼうためわれらがせいあたへられたる誡命かいめいにして、禁食きんしょくやぶりしために、われらが造成ぞうせいはじめ堕落だらくしたりき。さりながら苦行くぎょうしゃらはかみほうまもるをはじむるならば、最初さいしょ貶黜べんちゅつれるそのものよりしてかみおそるるのおそれにおおい進歩しんぽするをはじめん。

救世きゅうせいしゅイオルダン河濱かひんあらはるるや、これよりはじめたまひき、けだし洗礼せんれいのちしんかれみちびきていたり、彼処かしこおいかれは四十にち四十禁食きんしょくせり。これおなじくすべ救世主きゅうせいしゅあとしたふてづるものらも、その苦行くぎょうはじめこの基上きじょう確立かくりつせん、なんとなれば禁食きんしょくかみそなたまひし武器ぶきなればなり。ゆえにもしこれ等閑とうかんにするならば、これためにか叱責しっせきこうむらざらん。もし立法者りっぽうしゃみづから禁食きんしょくするならば、そのほうまもものは、たれ禁食きんしょくせざるべけんや。これよりるに人間にんげん禁食きんしょくいたまでは、勝利しょうりらずして魔鬼まきいまかつわれらのせいにより攻撃こうげきこころみざりしが、この武器ぶきためかれよわりぬ。しかしてわれらのしゅこの勝利しょうり大将たいしょうとなり、およ冢子ちょうしとなりたまひしは、第一だいいち勝利しょうり栄冠えいかんわれらのせいかしらくはへんためなり。ゆえにもし魔鬼まき人類じんるいちゅう何人なにびとおいてかこの武器ぶきるならば、この反対者はんたいしゃ苦虐くぎゃくしゃ即時そくじおそれしょうずべく、救世主きゅうせいしゅためおい撃敗げきはいせられしことにただち想到そうとうし、これ記憶きおくして、そのちから挫折ざせつせらるるべく、われらが元帥げんすいもってわれらにあたへられたる武器ぶきのぞむはかれ焼尽やきつくさん。如何いかなる武器ぶきこれより有力ゆうりょくなるか、狠悪こんあくれい奮闘ふんとうするにあたり、こころ勇気ゆうきふるはハリストスためうるにくものありや。けだし魔鬼まきぐんひとかこむにあたりては、身体しんたいつからしかつくるしむほどこころ希望きぼうもったさるるなり。禁食きんしょく武器ぶきつくるものは、いづれのときにも、熱心ねっしんもって、はげしくかるるなり。けだし熱心者ねっしんしゃイリヤかみ法律ほうりつ熱心ねっしんはじむるや、この行為こういつとめたりき。禁食きんしょくしゃこれたるものしん誡命かいめい想起そうきせしむるなり。かれふる法律ほうりつハリストスもっわれらにあたへられたる恩寵おんちょうあいだちゅうしゃなり。禁食きんしょく等閑とうかんなるもの苦行くぎょうおいても懦弱だじゃく怠慢たいまん無力むりょくにして、その霊魂れいこんよわらすのはじめしき徴候ちょうこうとをあらはすべく、かれたたかもの勝利しょうり機会きかいあたふべし、なんとなれば裸体らたいにして武器ぶきたず、苦行くぎょうづればなり。ゆえに勝利しょうりなくして戦闘せんとうより退しりぞかんことあきらかなり。なんとなればかれ肢体したい禁食きんしょくううるの温情おんじょうもっつつまれざればなり。禁食きんしょくはかくのごとこれつとむるものこころ毅然きぜんとして、およそ猛烈もうれつなるよくむかへてこれ反拒はんきょせんとす。おおくの致命ちめいしゃことつたふあり、かれらはめい栄冠えいかんけんをするあたあるい黙示もくしにより、あるいはその朋友ほうゆうちゅう或者あるもの報告ほうこくによりこれ豫知よちするや、ぜん何物なにものをもくらはず、ばんよりあさいたまでねむらずして祈祷きとうち、しょうしょうれいもっかみ讃栄さんえいしつつ愉快ゆかい欣喜きんきとをもってその時刻じこくちしこと、婚姻こんいん豫備よびするものごとくし、禁食きんしょくおいつるぎむかへたりと。ゆえにえざる致命ちめいしゃおこないされたるわれらも、成聖せいせいかんむりけんがため儆醒けいせいすべく、いつたいをもまたいち部分ぶぶんをもする兆候ちょうこうをそのてきしめさざるべし。


問 或者あるものこれらの行為こういしばしばし、おおくのもの多分たぶんこれ行為こういしつつあらんも、寧静ねいせいよくちん思念しねん平安へいあんかんぜざるは何故なにゆえなるか。

答 兄弟けいていよ、霊底れいていにかくるるよく肉体にくたいじょう労苦ろうくのみにては矯正きょうせいせられず、肉体にくたいじょう労苦ろうくつね五感ごかんによりておこさるるものをおも意思いしとどめざるべし。これらの労苦ろうくひと欲望よくぼうより保護ほごして、これたしめず、魔鬼まき誘惑ゆうわくよりもひと保護ほごすれども、霊魂れいこん平安へいあん寧静ねいせいとをしめざるなり。けだし動作どうさ労苦ろうくとは黙想もくそう連合れんごう一致いっちし、外部がいぶ感覚かんかく擾乱じょうらんみて若干ある時間じかんえい行為こういとどまるときは、霊魂れいこん無欲むよくあたふべく、にあるたいころして、思念しねん安息あんそくあたへん。これはんしてひと人々ひとびと交際こうさいることをうばはれずして、その肢体したいをも自己じこをも意思いし衰弱すいじゃくため自己じこ集中しゅうちゅうするにいたらざるあいだおのれよく確知かくちするあたはざるべし。黙想もくそうせいワシリイごと霊魂れいこん浄潔じょうけつにするのはじめなり。けだし外部がいぶ肢体したいおい外部がいぶ擾乱じょうらん外部がいぶおけ引誘いんゆうときは、外部がいぶ引誘いんゆう高超こうちょうとより自己じこかえりて自己じこやすんじ、こころ覚醒かくせいして、内部ないぶ心霊上しんれいじょうおもい研究けんきゅうせん。ゆえにもしひとこれ堅立けんりつするならば、漸々ぜんぜん心霊上しんれいじょう浄潔じょうけつ進行しんこうするをるにいたらん。


問 霊魂れいこんがいときおいてはきよめらるるあたはざるか。

答 毎日まいにちそそがるるならば、そのいづれのときかわかん。ちゅうおい毎日まいにちくはへらるるならば、いづれのときげんぜん。それ浄潔じょうけつ人々ひとびとまじわ自恣じし交際こうさいらずして、この習慣しゅうかんつるにほかならずんば、ふる習慣しゅうかん記憶きおくすなはち悪癖あくへき認識にんしき実際じっさい自己じこもって、あるい他人たにんもって、かんり、これおのれにあらたにするものは、なんときかその霊魂れいこん清潔せいけつになるをのぞむべけん。その霊魂れいこんいづれのときこれよりきよまるをるか、あるいかれいづれのとき外部がいぶ抵抗ていこうよりまぬかれておのれさっするをるかこころ日々ひびけがさるるならば、ひと汚穢おかいよりきよめらるべきか。ひと外部がいぶ勢力せいりょく運動うんどう対抗たいこうするちからあるなく、軍営ぐんえいうちにありて頻繁ひんぱん戦報せんぽうくを日々ひびつあらば、こころきよむるあたはざるにあらずや。しからば如何いかにしてひとはその霊魂れいこんため平和へいわ宣言せんげんするをあえてすべきか。されどもしこれよりとおざかるならば第一だいいち内部ないぶ怒涛どとうすこしづつ鎮静ちんせいするをん。かわ上方じょうほうふさがれざるあいだ下方かほうみづれざらん。ひと黙想もくそうるときは、霊魂れいこん諸慾しょよく弁別べんべつして、そのけい聡明そうめいこころみるをん。そのとき内部ないぶひと霊的れいてき行為こうい覚醒かくせいせられて、霊中れいちゅうはな神秘しんぴなるけいにますます感知かんちせん。


問 ひと如何いかなる確実かくじつ指示しじまたちか徴候ちょうこうにより、霊中れいちゅうかくれたるみづからるをはじめたるを感知かんちすべきか。

答 たれふることなしにながづるるい恩寵おんちょうけいせらるるときかんせん、けだしためなみだかるるは、形体けいたいぞくするものと、霊神れいしんぞくするものと、よくしたが状態じょうたいと、浄潔じょうけつとのあいだかれたる界限かいげんごとし。ひとこのたまものけざるあいだは、そのおこないなお外部がいぶひとるのみにて、内部ないぶひとかくれたるもの勢力せいりょくひといままったかんぜざるなり。けだしひとこの形体けいたいぞくするものをつるをはじめ、この界限かいげんえて、性中せいちゅうじつ内部ないぶぞくするもののあるをみとむるときは、すみやかなみだ恩寵おんちょうたっせん。このなみだ神秘しんぴなる生涯しょうがい第一だいいちいんはじまり、ひとをしてかみあい完全かんぜんのぼらしむべくして、ひと漣々れんれんたる流涕りゅうていにより、しょくにもいんにもなみだまじへて泣飲きゅういんはじむるにいたまでは、いよいよ進歩しんぽするほど益々ますますこの恩寵おんちょうまさるるなり。

これぞ世界せかいよりでて霊的れいてき世界せかい感知かんちしたる確実かくじつ徴候ちょうこうなる。しかれどもひともっ世界せかいちかづけばちかづくほどこのなみだ減少げんしょうすべくして、世界せかいまったとどまるときはこのなみだまったうばはるるなり。これぞひと慾中よくちゅうほうむられたる徴候ちょうこうなる。


なみだ区別くべつ

焼尽やきつくなみだあり、また肥太こえふとらすなみだあり。ゆえにすべてつみかなしむによりこころ真髄しんずいよりづるなみだは、肉体にくたいかわかしてこれ焼尽やきつくさん、しかれどもなみだそそときあたり、霊中れいちゅうしゅたるところのそのものもこれよりがいかんずることまれなりとせず。ひとかならなみだこの階段かいだんらざるをざるべし、しかれどもひとため第一だいいち階段かいだんよりさらまされる第二だいに階段かいだんるの門戸もんこは、これもっひらかるべくして、このなみだ肉体にくたいかざりてこれ肥太こえふとらすべく、ひずして、自然しぜんながづるものにして、すでにいひしごとく、こは人体じんたい肥太こえふとらすのみならず、これためひとようへんぜられん。けだしろくしてへり、『こころらくあれば顔色がんしょくよろこばし、こころゆうあればふさぐ』〔箴言しんげん十五の十三〕。