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シリヤの聖イサアク全書/第二十一説教の四

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第21説教の4

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<< 種々しゅじゅなるこうつい問答もんどう。>>


問 こうすなはち黙想もくそうこうのすべてのろうおい首要しゅようなるものはなになるか、けだしここ到達とうたつしたるひと最早もはやそのしょうがいおい完全かんぜんたつしたるをるをん。

答 ひと連綿れんめんとしてえずとうとどまるをたまはるときこれなり。けだしここたつせしならば、ひとはすべての道徳どうとく高点こうてんのぼり、最早もはや聖神せいしん住所ぢうしょとなれるなり。これはんしてもしたれじゅつしゃこのおんちょううたがいなくけざりしならば、とうとどまることを自由じゆうぐるあたはざるべし。なんとなればすでにひしごと人類じんるいちゅう何人なんびとにかかみぢうするときは、かれとうめざるのみならず、かみみづからもつねとうすればなり〔ロマ八の二十六〕。其時そのときひと睡眠すいみん状態じょうたいるも、覚醒かくせい状態じょうたいるも、とうその心中しんちゅうおいえざるべく、しょくするか、むか、ぬるか、なにすか、かつ深睡しんすいうちにありとも、とう馨香けいこうそのくんじょうその心中しんちゅうたやすく発出はっしゅつせん。其時そのときひとよりとうはなれざるべく、如何いかなるときとうせざるなかるべく、たとひ外部がいぶ沈黙ちんもくすとも、これ同時どうじひとかみほうひそかおこなふなり、けだしハリストス懐抱かいほうするじん一人いちにんきよもの沈黙ちんもくづけてとうといへり、なんとなればかれねん神聖しんせいなる活動かつどうにして、きよこころとの活動かつどうしんなるものしんさんしょうするものしづかなるこえなればなり。


問 霊的れいてきとうとは如何いかなるか、かつ如何いかようこれぎょうしゃたまはるか。

答 心霊しんれいじょう活動かつどうげんじゅうなる無玷むてんじょうけつとのため聖神せいしんちからあづかるものとなるをべし。しかしてこれたまはるものは数千人すうせんにんちゅう一人いちにんならん、何故なにゆえなれば未来みらい状況じょうきょうそのしょうがいおうなればなり。せいげられて、このところにあるものにはなに感動かんどうもなく、おくもなく、どうなるものとなりてそんせん。霊魂れいこんとうもつがんせず、しかれどもその感覚かんかくおいては、人間にんげんかいちょうえつして、ただ聖神せいしんちからもつりょうかいらるべきれいぞくするものかんせん、すなはち聡明そうめいなるちょくかくなり、こはそのはじめとうよりるといへども、とうはたらきにはあらず、またその穿鑿せんさくにもあらざるなり。けだしかくのごと人々ひとびとうちあるいこれによりて最早もはやじょうけつ完全かんぜんたつしたるものありき。しかしてわれじょうぶんべしごとく、かれない活動かつどうとうにあらざるのときあるなし。ゆえに聖神せいしんきたのぞむときはかくごとものつねとうおい発見はっけんすべくして、このとうによりかれ霊的れいてきげんしょうづけらるるちょくかくのぼせん、けだしかれながとう方法ほうほうにも、そのりつにも、またそのきんぎょうじゅんじょにも必要ひつようゆうせざるなり。かれためにはかみそうするをもつるべくして、ただちかみあいするのあいとらへらるるなり。さりながらとう尊敬そんけいするをすや、とうつことをもかれまつた等閑とうかんせずして、連綿れんめんとしてまざるとうほかに、ていせられたるかんにはりつするなり。

けだしわれせいなるアントニイだい九時くじとうちて、そのりょく上昇じょうしょうかんじたりしをる、またあるしんとうつや、ぐるとともげんよろこびたつして、これとどまることよつかんなりき。そのおほくの人々ひとびとも、かくのごととうときあたり、かみおもつよおくと、かみたいするだいなるあいとにとらへられてげんなるよろこびたつしたりき。しかれどもひとこれたまはるはつみ反対はんたいするしゅ誡命かいめいまもるにより、ないおいても、がいおいてもつみだつするのときにあるべし。もしたれこの誡命かいめいあいして、秩序ちつじょただしくこれ益用えきようするならば、其者そのものため人間にんげんきょこうよりまぬかれてゆうるは緊要きんようこととなるべし、これすなはちはばたいだつしてたいそとることにして、せいにつきてふにあらず。ようきゅうにつきていふなり。たれ立法者りっぽうしゃはんにしたがひて生活せいかつし、その誡命かいめいみちびかるるならば其者そのものつみとどまることあたはざるべし。ゆえにしゅ福音ふくいんきょうおい誡命かいめいまもりしものぢゅうしょとなさんことを其者そのもの約束やくそくたまへり。


問 しんおほくの完全かんぜん如何いかなるか。

答 ひとかみ完全かんぜんなるあいたまはるこれなり。

問 これたるをひとなにによりかくするか。

答 ひとかくかみおもおくおこるあるや、其時そのときひとこころただちかみあいするによりかんせられて、そのゆたかなみだをそそがん。けだしあいあいせらるるものそうするにより感涙かんるいおこすをれいとす。しかしてかみあいものけつしてなみだうばはれざるべし、なんとなればかみおく涵養かんようするところのものにけつしてとぼしきをげざればなり、ゆえちゅうにもかみだんす、けだしあいつうじょうかくのごときものをしょうじて、かれこの生活せいかつおけ人類じんるい完全かんぜんなればなり。


問 ひともとたるおほくのろうすいじゃくおよ奮闘ふんとうのちにも、きょうごう念慮ねんりょひと攻撃こうげきするをはばからざらん、なんとなればかれひと徳行とくこうりておのれしょくとなし、ひとななところろうだいなるを計算けいさんするによる、しからばひと如何いかにしてその念慮ねんりょち、これため征服せいふくせられざるほどけんそのこころもとべきか。

答 たれかみよりはなおちること、かれよりつるごとくなるを認識にんしきするときは、おのれ霊魂れいこんちからりょうかいせん、すなはちしゅそのたすけとどめ、かれをしてひと魔鬼まきとのたたかひらしめ、つうじょう奮闘者ふんとうしゃ関係かんけいしてそのたたかひたすくるごとかれともにするをさざるとどうに、かれ自己じこちからもつこの徳行とくこうもとたるや、ことごとくのたたかひ耐忍たいにんたるやいなや認識にんしきするときは。かれちからあらはれん、これ確言かくげんすればげきかれこんとはめいりょうにあらはれん。けだししょ聖人せいじん保護ほごしてこれかたむるかみしょうかんつねかれともにするなり。もしぎょうと、命的めいてきくるしみと、そのかみため遭遇そうぐうかみためおほい忍耐にんたいする患難かんなんるならば、このしょうかんもつ人類じんるい種々しゅじゅなるかいきゅううちたん。此事このこと明白めいはく顕然けんぜんうたがひなきなり。けだし人々ひとびとたいだんおこりて、これうれひをかうむらしめ、これうちまかすがためもっとつよ肉痒にくようちからせい如何いかにして征服せいふくするをるか。それ人々ひとびとしょうねがひ、かつこれあいすれどもそのゆうりょくなる抵抗ていこうさいしてはかちそうするあたはずして、かへつて肉体にくたいじょうりょうかんより日々ひびげきけ、その霊魂れいこんためくるしんでろうあいすいじゃくとにれども、なんぢはかくのごとこんなる肉体にくたいいんりょくたやす忍耐にんたいして、これためだいなる錯乱さくらんいたらざるをるは何故なにゆえなるか。さればあいにはくるしみかんやすく、ばらとげつめしたるきずにさへふるあたはざる肉体にくたいは、もし天然てんねんちからがいそのくるしみを反拒はんきょするちから他所よそよりきたるあらずんば、てつ断割だんかつうちち、たいせつ種々しゅじゅなるつうとを耐忍たいにんし、人性じんせいつねなるごとく、つううちありそのべつをさへかんずるあらずして、なんためたれざることを如何いかにしてよくするか。われかみしょうかんことげんきゅうしたるにより、奮闘ふんとうもつひとちょうぜつするいち報道ほうどうたましひえきあるものをおくため引證いんしょうするをおこたらざるべし。

フェオドルづくるいち少年しょうねんあり、酷刑こくけいしょせられて、全身ぜんしんくるしみをけたり、ひとありふて「なんぢつうかんじたるか」といひけるに、かれこたへてつぎごとくいへり、「最初さいしょかんぜり、しかれどものちいたり、少年しょうねんみとめたり、かれ奮闘ふんとうあせぬぐひ、われかためて、ぎょうときわれ爽快そうかいしめたり」といひき。ああかみめぐみなんだいなるや。かみため奮闘ふんとうするもののぞかみおんちょうは、かれをしてかみためなんよろこんで忍耐にんたいせしむるため幾許いくばく接近せっきんするか。

ゆえひとなんぢおけかみしょうかん感謝かんしゃせざるものとなるなかれ。畢竟ひっきょうなんぢしょうしゃにはあらず、ただかいごときのみにて、しゅなんぢおいち、なんぢ勝利しょうりほうにしてくることの顕然けんぜん明白めいはくならば、いづれのときにも同様どうようちからねがひ、ちて賞讃しょうさんけて、かみ承認しょうにんするをたれなんぢきんぜんや。ひとよ、なんぢ造成ぞうせいよりらいいくぎょうしゃこの恩寵おんちょう感謝かんしゃせざるものとなりて、生命せいめいたかきとよりおちたるをかざるか。人間にんげんおけかみたまもの本来ほんらいすうにして、種々しゅじゅおなじからざるほどは、くるところたまものにもおなじからざるありて、これくるもの等級とうきゅう適合てきごうするなり。かみたまものには縮小しゅくしょう卓越たくえつとあり、そのたまものみな高尚こうしょうにして奇異きいなりといへども、光栄こうえい尊敬そんけいとにおいてはいつ優越ゆうえついつ等級とうきゅうよりたかし、しかしておのれかみささげて道徳どうとくじょう生活せいかつすることもまたおなじくハリストスのだいなるたまものいつなり。けだしおほくのものこの恩寵おんちょうにより、人々ひとびとぬきんじてかみささげられしものとなり、かみたまものさんしてこれうくものとなり、えらばれてかみほうし、せいおこなふに相當そうとうするものとなるをたまはりしをわすれ、そのくちもつだんかみ感謝かんしゃするにへて、きょうごう高慢こうまんはなれりぬ、しかしてかれおのれもつきよ生活せいかつ霊的れいてきこうとによりかみほうつとむるためせいおこなふの恩寵おんちょうけしものとはおもはず、かへつかみ恩恵おんけいをあらはすものごとおもふ、しからばかみ人々ひとびとうちよりかれきて、かみおうるによりそのしんとなせるをかれ當然とうぜんりょするはなんときなるべきか。しかしてかくりょするもかれその全心ぜんしんしんしょうせざるべし、いはんやかれさきにもかくりょせしもの突然とつぜんそんうばはれたると、しゅかれそのゆうしたるだいなる光栄こうえい尊敬そんけいとより瞬間しゅんかん貶黜べんちゅつしたるをるにおいてをや、しかしてかれけつ放蕩ほうとうづべきこうはなれりて禽獣きんじゅうごとくなりぬ。けだしかれおのれちかららざるのみならず、かみまへほうおこなひ、其國そのくにるをて、てん使共住きょうじゅうしゃとなり、てん使ごとくなる生涯しょうがいもつかみ接近せっきんするの恩寵おんちょうあたへしものだんそのおくそんせざりしにより、かみかれそのつとめより、しりぞけり、しかしてかれ黙想もくそうててその生活せいかつ有様ありさまへんぜしはかみこれもつかれ生涯しょうがい秩序ちつじょまもり、ぜん魔鬼まきその反対はんたい圧迫あっぱくかれおどろかさざりしは、かれちからるにはあらずして、かみ恩寵おんちょうちからなるをかれしょうするものにして、此事このことなんなるにより、るるあたはずあるいあたはざるところのものにかれひさしくとどまりて、これまもり、ところとならざりしをしょうしたるなり、ゆえかれにはちからともなふありて、すべてにおいかれたすけ、かれ保護ほごするがため充分じゅうぶんなりし、ことはろんたざるなり。しかれどもかれこのちからわすれたるにより、使徒しとところかれおうぜり、いは神的しんてききんためちり配合はいごうせし主宰しゅさいたる「かみそのおもひそんするをねがはざりしにより、かれもどれるこころいだくにまかせり」〔ロマ一の二十八〕さればその迷謬めいびゅうためかれじょくけしは當然とうぜんなりき。


問 人々ひとびとどうじゅうするをにはかまったして、ぜんなる熱心ねっしんためひとらざるおそるべき突然とつぜんはなるをあへてするものは、これためふくまたその需要じゅようゆうせざるにり、ゑてするのときあらざるか。

答 ごんなる動物どうぶつさへこれつくるにさきだち、住所ぢゅうしょそなへて、その需要じゅようためおもんばかものその造成ぞうせいかろんぜざるべし、ことかみおそれ、正直せいちょくにしてかれしたがひ、こうこころもつてせざるものかれかろんぜざるなり。おのれ意思いしかみまったせいにするものは、肉体にくたい必要ひつよう艱難かんなんこうこと最早もはやおもんばからざるべく、かくれたる生涯しょうがいり、いやしき生活せいかつおくらんことをねがふべく、患難かんなんおそれずして、かへつきよ生涯しょうがいためぜんかいよりとおざかるをもつかいかんなることおもひ、丘陵きゅうりょう山嶽さんがくあいだおのれつからして、ごんなる動物どうぶつうちひょうはくしゃごとくしてるべく、肉体にくたいやすんじてかいたさるる生活せいかつおくることをがえんぜざるべし。しかしておのれわたして、かみぞくするきよこううばはれざらんことをまい毎刻まいこくかなしんでとうするときは、かみよりたすけをうけん。かみ光栄こうえい尊敬そんけいす。かれわれ清潔せいけつまも聖神せいしん恩寵おんちょうせいなるをもつわれせいにして、かれえいせしむべし、かれせいなる清潔せいけつもつ世々よよさんせられん。「アミン。」