<< 神の子の事。 >>
独一の神父を信ずるを学び得たる者は、独生の子をも信ぜんことを要す。けだし『子を拒む者は父をも有たず』〔イオアン一書二の二十三〕といへばなり。イイスス曰く『我は門なり』〔イオアン十の九〕。『誰も我によらずしては父に到るものあらず』〔イオアン十四の六〕といへり。さらばもし此の門を棄つるときは、父に到るの知識は汝の為に閉ざされん、『子及び子の啓示する者の外父を識る者なし』〔マトフェイ十一の二十七〕といへり。さらばもし啓示を與ふる者を拒むときは、無智にして存せん。福音経には断定していへり、曰く『子を信ぜざる者は生命を観じ、却て神の怒りは彼の上に留まる』〔イオアン三の三十六〕。
誰か敬虔にして神を尊奉せんと欲せば、かならず子を拝すべし、否らずんば、父はその奉事をうけざらん。父は天より大声に告げて『これ我が愛子、我が悦ぶ所なり』〔マトフェイ三の十七〕といへり、父は子を悦び給へり。もし汝も悦ばずんば己れに生命を有たざらん……
ハリストスは神の独生の子にして、世界の造物主なり。けだし福音者の我らを教ふるが如し、曰く『彼は世にあり、世は彼を以て造られたり。彼は己の領分に臨めり』〔イオアン一の十、十一〕。然れどもハリストスは父の首肯により、ただ見ゆる者の造物主なるのみならず、見えざる者の造物主なり。けだし使徒の言ふが如し、曰く『万物は彼に由て造られたり、天にあるもの、地にあるもの、人の見ることを得るもの、見ることを得ざるもの、或は位ある者、或は主たる者、或は政を執る者、或は権威ある者、万物は彼に由りて造られたり、且彼の為に造られたり、彼は万物より先にあり、万物は彼に由りて立つことを得るなり』〔コロス一の十六〕。もしそれ諸の世界を謂はば、その造成者も、父の首肯により、イイスス ハリストスなり。けだし『この末日には、その子に托りて、我らに告げたまへり、神は彼を立てて万物の嗣となし、且彼を以て諸の世界を造れり』〔エウレイ一の二〕。光栄、尊貴、権柄、は父及び聖神と共に彼に帰す、今も何時も世々に。