乞木兒合 豁囉罕キムルカ ゴロカン 入イりて來クるありき。(乞木兒合 小河。水道 提綱の呼馬拉堪 河、內府 興圖の齊母爾喀 河にして、克魯倫 河源の東南より出で、東に流れて濟爾戛朗︀圖 河となり、東北に流れて鄂嫩 河に入る。)かく泝サカノボり跡アトつけて、[母ハヽと弟オトヽどもと]乞木兒合 小河キムルカ ヲガハの別迭兒 豁失溫ベデル ゴシウン(別迭兒の鼻)の豁兒出恢 孛勒荅黑ゴルチユクイ ボルダク(豁兒出恢 孤山)に居ヲるに遇アひ合アへり。
§89(02:27:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
桑古兒 小河サングル ヲガハの邊ホトリの靑湖の移住
そこに會クワイし合アひて、去サりて不兒罕 獄ブルカン ダケの前マヘ(南画)なる古咧勒古グレルグ(山の名。親征錄曲鄰居 山グリング ザン、今の巴爾哈 嶺)の內ウチなる桑古兒 豁囉罕サングル ゴロカン(桑古兒 小河、水道 提綱の孫可勒 河、內府 與圖の僧︀庫爾 河)の[邊ホトリの]合喇 只嚕堅カラ ヂルゲン(小山の名)の闊闊 納兀兒ココ ナウル(靑き湖水)に營盤イヘヰして居ヲる時トキ、土撥鼠ドバツソ(蒙語塔兒巴合惕タルバカト、塔兒巴罕の複稱。唐書の駝跋鼠、本書 明譯の土撥鼠、元史 伯顏の傳の塔剌不歡、本草の荅剌不花、みな塔兒巴罕の轉なり。穴居の小獸にして、形は獺の如し。肉は食ふべく、皮は裘とすべし。黑龍江 外紀に獺爾とあるも、是なるべし。元史 語解に「塔爾巴噶、獺也」とあるは誤れり。)野鼠ノネズミを殺︀コロして食クラひ居ヲりき
§90(02:27:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
騸馬センバの盜人ヌスビトを帖木眞テムヂンの跡つけ
一日ヒトヒ、葦毛アシゲの騸馬センバ 八匹ハチヒキ、家イヘの前マヘに立タちて居ヲるを盜人ヌスビト 來キて見ミつゝ盜ヌスみて去サれり。徒カチの者︀モノども見ミて後オクれたり。別勒古台ベルグタイは、尾脫ヲヌケの栗毛クリゲの馬ウマ(蒙語晃豁兒コンゴル、漢︀語の驑馬)に乘ノりて、土撥鼠ドバツソを捕トラへに往ユきてありき。夕ユフベに日ヒの落オちたる後ノチ、別勒古台ベルグタイは、尾脫ヲヌケの栗毛馬クリゲウマに土撥鼠ドバツソを荷ニつけて、身ミを搖ユルがしつゝ歩アユみ、牽ヒきて來キぬ。「葦毛アシゲの騸馬センバどもを盜人ヌスビト 取トりて去サれり」と云イへば、別勒古台ベルグタイ 言イはく[我ワレ 追はん]と云イへり。合撒兒カツサル 言イはく「汝ナンヂ 能アタはず。我ワレ 追オはん」と云イへり。帖木眞テムヂン 言イはく「汝等ナンヂラ 能アタはず。我ワレ 追オはん」と云イひて尾脫ヲヌケの栗毛馬クリゲウマに帖木眞テムヂン 乘ノりて、葦毛アシゲの騸馬センバどもを草クサの蹈分フミワケに依ヨり跡アトつけ