に逐オひ入イるれば、叢クサムラは救スクひき。今イマ 我等ワレラの處トコロに來キつるを何ナンぞ然シカ 云イへる、爾ナムチ」とて、父チヽの言コトバを喜ヨロコばず、その手枷テカシを脫ハヅして火ヒに燒ヤきて、後ウシロの羊毛ヒツジノケある車クルマに載ノせて、合荅安カダアンと云イへる妹イモトに「生イきたる人ヒトには勿ナ 語カタりそ」と云イひて傅カシヅかしめたり。
§86(02:24:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
第三ダイサンの日ヒに、[泰赤兀惕タイチウトは、]「人匿ヒトカクしたるぞ」と云イひ合アひて、「己等オノレラが閒アヒダを捜サガし合アはん」と云イひ合アひて捜サガし合アへり。鎖兒罕 失喇ソルカン シラの家イヘ、車クルマ、床ユカの下シタに至イタるまで捜サガして、後ウシロの羊毛ヒツジノケある車クルマに上ノボりて、口クチにある羊毛ヒツジノケを拖出ヒキイダして、奧オクに至イタる時トキ、この鎖兒罕 失喇ソルカン シラ 又マタ「かゝる熱アツさに羊毛ヒツジノケの內ウチに何ナンぞ耐タへん」と云イへば、捜サガす者︀モノども下オりて去サれり。
§87(02:25:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
搜手サガシテども去サりたる後ノチに、鎖兒罕 失喇ソルカン シラ 言イはく「我等ワレラを灰ハヒの如ゴトく掻立カキタて危アヤウかりき。今イマ 母 弟ハヽ オトヽどもを尋タヅね去サれ」と云イひて、口白クチシロき駒生コマウまぬ甘草黃カンザウクワウの牝馬メウマ(蒙語忽剌黑臣クラクチン、靑黃色にて鬣 黑き馬)に乘ノらしめて、肥コえたる羔コヒツジ(蒙語帖勒忽哩罕テルクリカン、明譯喫ノミ㆓二母乳ニボノチヲ㆒的タル羔兒コヒツジ)を煮︀ニて、皮桶カハヲケ、大皮桶オホカハヲケを調トヽノへて、鞍クラを與アタへず、火鎌ヒウチガマを與アタへず、弓ユミを與アタへて、二條フタスヂの箭ヤを與アタへたり。かく調トヽノへて遣ヤりぬ。
§88(02:26:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
乞木兒合 小河キムルカ ヲガハの母子の再會サイクワイ
帖木眞テムヂンかく去サると、垣カキして楯籠タテコモりたる地トコロに到イタりて、草クサの踏分跡フミワケアトに依ヨり、斡難︀ 河オナン ガハに泝サカノボり跡アトつけて、西ニシより